第二話 ベランダ
私には変な癖がある。
それのせいで私自身ちょっと困っている。
夫や子供からはたまに注意されてしまう。
でもそれが私なのだからしょうがない。
それは私と他人を分かつものであり、一種の境界線である。
そこから先に踏み入ってくる人間などいない。
本日は裁判日和。
狭いアパートではあるが、神聖な場だ。
「では、開廷します。被告人、前へ出なさい。」
私は被告人席から証言台へゆっくりと歩く。
ちょうど洗濯機から台所までの距離だ。
私は無実だ。だから目線は上へ。なるべく胸を張って、みすぼらしく見えないようにする。
「お名前を教えてください。」
「はい。北谷 アスカです。」
「では、これからあなたに対する安売り豚肉殺人事件の審理を始めます。最初に検察官に起訴状を朗読してもらいます。」
検察官のイメージは、ちょうど今テレビのバラエティ番組に映っている、イケメン俳優のYUMA君だ。
キリっとした目元と元々スポーツマンの身のこなしがかっこいい。
起訴状によれば私にはご近所トラブルから豚さんを殺害した容疑がかけられているらしい。
「これから、今朗読された事実について、審理を行いますが、あなたには黙秘権があります。答えたくない質問に対しては答えないことができます。よろしいですね。」
「はい。」
傍聴席の両親は泣いている。キッチンペーパーで涙を拭っているのが見える。
「では尋ねますが、起訴状に間違っているところはありますか?」
「はい。私は豚さんを殺していません。私が気が付いた時にはすでにパック詰めでした。」
まな板の上にはパック入りの豚肉がある。
「被告人は嘘を言っている!」
突然YUMA君が叫んだ。
「手に持っているその包丁はなんだ!」
「はっ!」
私は驚いて自分が握っている包丁を見つめた。包丁には豚さんの血がべっとりとついている。
「こっこれは・・・。」
私は言いよどみながら豚肉を夕食分に切り分ける。
「それが何よりの証拠だ!」
「いや!見てください!豚肉に切れ目が入っています。被告人はとんかつを作ろうとしているのではないでしょうか。」
傍聴人たちがざわつき始める。
「とんかつ?」
「本当に?」
「さっさと死になさいよ。」
「では引き続き、被告人質問を行います。弁護人どうぞ。」
「北谷 アスカさん、あなたは事件当日も洗濯物をしていたそうですね。」
「はい。」
私はうつむいたまま弱弱しく答えた。
弁護人が訴える。
「家族4人だと洗濯物がこんなにある。これでは豚を殺している暇などないはずだ。主婦の忙しさをなめているのか。」
洗濯機から生乾きの衣服を取り出す。
「異議あり!アリバイ作りのためにわざと洗濯物を増やしたんだ!」
再び傍聴人たちがざわつく。
「わざとだって。」
「信じられないわ。」
「死ねよ早く。」
「うーむ。これは一つずつ洗濯物を検証するしかないですな。」
出た。名探偵の保住さんだ。今度映画になるらしい。
保住さんは一つずつ洗濯物を広げ、物干しにかけていく。
「今のところ怪しいところは無いですな。」
そろそろ正人を保育園にお迎えに行く時間だ。急がないと。
「あっ!」
弁護人が思わず声を上げた。
「ブタ柄のTシャツだ。」
「こっ、これは被害者への犯行予告・・・。」
「これで決まりですな。そもそもお前が俺より幸せなのが疎ましい。なぜ俺が死んでお前が生きているのだ。」
そして保住さんは振り返って傍聴席に呼びかける。
「そうでしょう皆さん。」
途端に部屋の中にいた数百人が声をそろえた。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。」
「判決を言い渡します。」
私は洗い立ての白いタオルを広げ判決文を読み上げる。
「被告人は夫と子供に恵まれ、笑いの絶えない家庭で、ごく普通の幸せな生活を送っている。これは我々に対する許しがたい冒涜である。よって被告人を死刑に処する。」
読み終わると私は洗濯籠をひっくり返して足場にした。
そのまま細いベランダの手すりの上に立ち上がる。
不安定な足場に身体がゆらゆらと揺れる。
「ママー。女の人が。」
「見ちゃダメ!」
「何階だ!」
傍聴人たちがヒートアップしている。裁判長が注意する。
「皆さん静粛に。」
そして私はてすりの上に立ったまま、我が家に向かって振り返った。
一瞬バランスを崩しそうになる。
「危ない!」
「だれか早く止めろ!」
そこからはいつものリビングが見える。
まーくんが描いたパパの似顔絵。洗い立ての食器。つけっぱなしのテレビ。後で飲もうと思って用意していたコーヒー。
それらに恭しく一礼した。
そしてもう一度体を反転させて、私は一歩、踏み出した。
忌書〜イエノナカ〜 @faich
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