最終話 やっぱり私が天敵です

 

 その日、セリーヌの朝はいつもより二時間も早く始まった。

 いつもはセリーヌの世話の全てを独り占めしたがるメリムだけれど、今日ばかりはそうも言っていられないとたくさんのメイドたちがセリーヌの部屋に集まっている。


 なんと言っても今日はやり直しの儀式の日。人間でいうところの結婚式。

 主役であるセリーヌはこれからこれでもかと磨き上げられ、時間をかけて相応しい準備を整えられていくのだ。


 人間側のしきたりで、花婿は儀式前に花嫁の姿を見ることはよくないとされている。

 だからこそ今日のセリーヌはまだルシアンと顔を合わせていない。


 人間界に戻っていた期間をのぞけば、朝の挨拶とともにルシアンの顔を見ないのは魔界に来て以来これが初めてだ。


(なんだか、そわそわするわね)


 飾り立てられながら、落ち着かない気持ちを覚えるセリーヌ。

 しかし、当然ながらそれは彼女に限ったことではなかったようで。


「セリーヌは大丈夫だろうか? 何か支度に足りないものはないか?」

「魔王様! セリーヌ様は大丈夫ですので部屋でお待ちください!」


 時々、ルシアンの固い声とメイドの呆れた返事が廊下から部屋の中まで聞こえてくる……。

 どうやら部屋の前から追い払われたようで、すぐに声は聞こえなくなった。

 しかし。


「セリーヌは緊張していないか? 二度目とはいえ、一度目とは随分心持ちが違うだろうからな」

「魔王様、セリーヌ様の心配よりまずはご自分の心配をなさってください! 見るからにとても緊張されてますよね!?」


 少し時間が経つとこれである。

 またもや追い払われたようだけれど、ルシアンは懲りない。


「セリーヌの準備は……」

「順調ですから!」


 ついに最後まで言わせてもらえないルシアン。

 報告を受けたシャルルに「いい加減になさいませ」とルシアンに叱られる声が聞こえてきたあと、やっと落ち着いて準備ができるようになったメイドはため息をついていた。

 さすが、初恋を拗らせ続けた執着心としつこさは伊達ではない。


(もう、ルシアン様ったら……ふふっ)


 ある意味ルシアンのおかげで緊張がほぐれたセリーヌだった。



 そうして、やっと全ての準備が整った。

 儀式の時間だ。



 ✳︎ ✳︎ ✳︎



 大聖堂に穏やかな陽の光が差し込んでいる。

 これからここで、ついにセリーヌの運命を変える儀式が行われるのだ。


 彼女は今、真っ白いベールをかぶり、震えてしまわないように気を引き締めて立っていた。

 繊細な刺繍が施されたドレスも白。ベールの下で今はあまり見えないけれど、ブルーグリーンの髪の毛にも純白の真珠がいくつもつけられていて、今のセリーヌは全身に白を纏っている。

 手に持つ花束までもが、その純白を纏った全身に溶け込むような白だった。


「それでは陛下。結びの儀式をお願い致します」


 目の前に立つ、真っ黒なローブを着た男性がセリーヌの隣を見て告げた。


 その声に応えるようにベールが捲られ、隣に立つ魔王陛下がセリーヌの真っ白な喉元から顎にかけて手を伸ばす。

 白銀の髪がサラリと揺れ、透き通るようなブルーグレーの瞳目の前の彼女の金色の瞳を射抜くように見つめる。



(──ついに、この時がきたのね)


 思えばここまであっという間だった。

 セリーヌはほんの少し前まで、自分がこんな運命を辿ることになるなんて、想像もしていなかった。


 静かに目を閉じる。


 命をかける覚悟はもうとっくにできている。

 心臓はこれ以上ないほどに強く震えているけれど、不思議なほどに頭の中は落ち着いていた。


 セリーヌは今日、この儀式を終えれば、魔王ルシアンの──。


 最愛の、妃になるのだ。



 ここまで本当にいろんなことがあった。そんなに長い時間ではなかったものの、濃密な時間を過ごしたと思う。

 思い込みや誤解、すれ違いでいっぱいだった。なんたって最初にこの場所にたった時には自分のことを生贄だと思っていたのだから。

 あの時、あれほど恐ろしく絶望の冷たさを持つ人だと思っていた魔王ルシアン様。

 今は、この世界で誰よりも甘く優しく、セリーヌの唯一の存在になった。


 本当に、ほんの少し前まで自分がこんなことになるとは思っても見なかった。

 こんなに、幸せになれるなんて……。




 ルシアンの指が、セリーヌの顎にかかる。その熱があまりに優しくて、セリーヌは思わず少し笑ってしまった。


「……今日は泣かないんだな」

「っ! ふふ……」


 そう言ったルシアンの目は悪戯っぽく細められていて。魔界に来てすぐに行われた最初の儀式のときのことを揶揄われているのだとわかった。


「だが、今更引き返すことはできない」

「はい……引き返せって言われてももう離れません」


 セリーヌは気づいた。ルシアンの言葉が少し硬い。わざと最初の儀式のように振る舞っているからだと思っていたけれど、それだけではない気がする。


(そっか、緊張すると固く、まるで冷たいと勘違いしちゃうような態度や言葉遣いになっちゃうのね)


 つまりルシアンは緊張しているのだ。最初の儀式の時は特に、今も少しだけ。


 ふふ、っと思わず漏らしたセリーヌの微笑みはあっという間にルシアンの唇に全て食べつくされてしまった。

 セリーヌはもう数を数えたりもしない。余計なことは何も考えず、ただ今この瞬間の幸せを味わうのだ。


 セリーヌを心行くまで堪能したルシアンはやっと唇を離す。そのまま額同士をくっつけて、ほうっとため息をついた。


 儀式に参列した魔族たちから祝福の声が上がる。


「セリーヌ様、とっても綺麗だよっ! おめでとう! メリムも嬉しい!」


 メリムは満面の笑みだ。相変わらずフリフリの特別仕様メイド服なのはご愛敬だろう。


「ほらメリム、あまり身を乗り出しては転んでしまいますよ……セリーヌ様、ルシアン陛下、おめでとうございます」


 シャルルは丁寧に祝福を述べながらも、いつものようにメリムを気にするのも忘れない。さすが冷静沈着な美少年。


「ふん! そんな魔王みたいな男に飽きたらいつでも私のところにきてね、セリーヌ様!」


 フレデリカは相変わらずだけれど、その瞳は祝福の気持ちに満ちている。なんだかんだでルシアンとも仲がいいし、ちょっと素直じゃないだけなのだ。……多分。


 そして、ついでに言うならルシアンはまごうことなき魔王である。


 セリーヌとルシアンの上に、ビグが庭園で集めた花びらをまいた。

 降り注ぐ花の中で、ルシアンが急に胸を押さえてうめき声をあげる。


「うっ、心臓が痛い……」

「えっ!?」

「セリーヌが可愛すぎて死にそうだ……」

「もう! ルシアン様ったら」


 まさか、やはりセリーヌの聖女の力がルシアンを害すのでは……なんて、思うことはもう決してない。


 ──セリーヌは命をかけて恋をした。


 聖女が魔王の『天敵』だと思っていたのは人間の、セリーヌの勘違いだった。聖女の力は魔王を殺すことはない。


 けれど、一つだけ間違いではなかったこと。やはりセリーヌはルシアンの唯一の天敵なのである。



 いかに人間が太刀打ちできない魔王と言えど、愛する人には敵うわけがないのだから。



   ~FIN~


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魔王様に溺愛されていますが、私の正体はあなたの天敵【聖女】です! 星見うさぎ @hoshimiusagi333

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