第36話 出会いの真実
儀式の前日の夜、ルシアンはセリーヌの部屋を訪ねた。
「セリーヌ、少し話をしたいんだけどいいかな?」
「もちろんです」
食べる食べないの話を思い出して一瞬どきりとしたセリーヌだったが、ルシアンはとても穏やかな顔をしていたのですぐに落ち着いた。
「明日の儀式の前に、聞いてほしいと思ったんだ……僕が初めてセリーヌに会った時の話を」
そういえば、ルシアンは前からセリーヌのことを知っていたと何度か言っていた。クラウドのことも知っていたくらいだ。セリーヌには全く覚えがなくてどういうことなのか気になってはいたものの、なかなか聞くタイミングがなかった話。
いつものようにソファで隣り合って座る。
ルシアンはセリーヌにくっついて手を握ると、当時を懐かしむように目を細めて話し始めた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
ルシアンはまだ幼い頃、実は人間界へ遊びに行ったことが一度だけあった。
今は妻とともに魔王城を離れて田舎で隠居スローライフを送っているルシアンの父――先代魔王の時代の話だ。
その頃、ルシアンは母に言い聞かされていた。
『人間は魔族とは何もかも違う生き物なのよ。良くも悪くも私達の常識が当たり前と思っていたはきっと酷い目に遭ってしまうから、あなたはまだ人間界へ足を踏み入れてはなりません』
そう言い聞かされなければならない程、当時のルシアンは人間界に興味深々で好奇心旺盛、そして行動力も兼ね備えた子供だったのだ。
しかしダメと言われれば余計に興味がそそられるのが常というもの。そこは人間も魔族も同じなのである。
ルシアンは、言いつけを破り人間界へ出かけてしまった。気心のしれた幼馴染だけを連れて。子供の頃ほんの大冒険の思い出になるはずだった。
けれどルシアンは自分で思っている以上に、人間のことを甘く見ていたのだ。
幼馴染は獣型をとる魔族だった。そういう魔族は成長して魔力が安定するまでは人型になれないことが多い。そして人が決して敵わない魔族と言えども、ある程度成長するまでは人間の子供と同じように怪我をしやすく、体も強くはないのだ。
街中に入り、人が多くなった頃。ルシアンの幼馴染が、横暴な貴族な馬車なんかに跳ね飛ばされて怪我をしたのは、そんな事情もあってのことだった。
「ど、どうしよう……!」
血を流し、ぐったりと横たわる幼馴染の姿に、ルシアンはパニックを起こしかけていた。
「とにかく、助けを呼んで、そうだ、お医者様を……!」
当時体が小さく非力だったルシアンでは、力が抜けて重くなっている幼馴染を抱き上げて動き回ることも出来ず、やむを得ずその場に寝かせて、医者を探して走り回った。
しかし、ルシアンには思いもよらなかった。知り合いでもない子供が必死で声をかけたとしても、その辺りの人間が相手にもしない程冷たく、薄情であるなんて。
だからルシアンは誰も助けてくれないことに絶望した。
(どうしよう、どうしよう! 僕が人間界に行ってみたいなんて言ったから……!)
速やかな転移もまだ使えない。魔力を使いやすい広い場所に移動できなければ魔界に帰ることも出来ない。
頭の中が真っ白になりながらもなんとか一度元の場所へ戻ると、誰かがしゃがみ込み、幼馴染のことを診ていた。
(あいつ、僕の大事な友達を……!)
最初は酷いことをされているのかと思った。けれど違った。近づいてみると、その少女は幼馴染の血に濡れた傷口に清潔そうなハンカチを当て、優しい声で励ましてくれていたのだ。
「はやく治りますように。痛くなくなりますように――」
絶望し、心細さに息をするのも忘れそうなほどの恐怖を感じていたルシアンにとって、それはまるで天使が助けてくれているような光景にも見えた。
慌てて近づき、満面の笑みでお礼を言ったルシアンに、その少女ははにかみながら答えてくれた。
(可愛い……本当に天使様かもしれない……)
人間は誤解しているが、魔族にとって女神や天使は人間が思うのと同じ、神聖で大切な存在である。人間は魔族のことをほとほと勘違いしているのわけだ。
魔界に帰って、ルシアンは両親にとんでもなく叱れられることになる。
それでも大きな罰を受けずに済んだのは、一緒に連れ出した幼馴染の傷が魔界に帰る頃にはほとんど塞がっていたからだった。
ほんの少しの冒険、すぐに失敗して諦めて帰ってきたのだと思われたのだ。
その後、しばらくルシアンは何も手につかなかった。
あの天使様が忘れられない。だからまた幼馴染と一緒に天使様のことを探してみることにした。今度は慎重に、魔界からだ。人間界におりずに、範囲を絞れば少し覗くくらいはできるのである。
そして見つけた。忘れられない少女のこと。
残念ながら彼女には婚約者がいるようだったけれど、そんなことくらいでは諦められなかった。
(せめて、友達になりたい。本当は結婚したいけど。無理でもいつか魔界に遊びに来てほしいな……)
執着心をゆっくりと育てながら大きくなったルシアンは、それからもずっと彼の天使を観察し続けることになる。初恋をどんどん拗らせ、渡す予定もないドレスや靴、アクセサリーをせっせと用意しながら。なんとも健気かつ残念な魔王である。
そして運命の出会いから何年もたち、様々な紆余曲折があって二人は再び出会うことになる。
何の因果か、彼女に渡したくて人間に「欲しい」と望んだ花の代わりに、魔王城に天使が降臨したのだ。
(これは、運命。運命でしかない……!)
ルシアンは震えた。緊張して気絶しそうな思いをなんとか抑えて、平静を装ってやっと口にしたのだ。
「――名前は?」
本当は聞くまでもなく知っていた。ずっと恋焦がれていた初恋の少女。
彼女の名前は――。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「彼女の名前はセリーヌ。セリーヌ・アレスター伯爵令嬢。そう、君のことだよ」
なぜか得意げな顔でそう締めくくったルシアンは、遠い記憶にあるようなないような、そんなハンカチをすっと差し出してきた。
セリーヌはぽかんとしている。
セリーヌとルシアンの出会いの物語。正直なところ、セリーヌの頭の中にまず最初に浮かんだ感想は「ストーカーかな?」である。
ずっと観察されていた。だから魔界に来てすぐ、セリーヌのためのドレスやあれやこれがばっちりと準備されていたのだ。そういう便利な魔法があるのかと思っていたがなんのことはない。メリムが言っていたように以前からいつでもセリーヌを迎えられるように準備されていたのだ。
来るかどうかも分からないセリーヌを待って。
(クラウド様と街デートしたときの甘酸っぱい思い出。たしかに怪我をした動物の手当てをして、飼い主の男の子にお礼を言われた。あれがルシアン様だったなんて……!)
つい最近思い出したばかりの記憶がよみがえる。運命とは不思議なものである。
「じゃあ、クラウド様のこともその時から知っていたんですね……」
もっと聞きたいこと、聞くべきことは他にあるような気もするが、セリーヌの口からでたのはそれだった。
「いや? あの時は全く気付かなかった。セリーヌが眩しすぎて誰かと一緒だったことも気づかなかったくらいだからね。あとで調べて婚約者がいるって、知ってどれだけ悲しかったことか」
「あ、そうですか」
やはりなぜか得意げな顔のルシアンである。
(でも、本当に、本当にずっと、ルシアン様は私のことを想ってくれていたんだ……)
驚きが勝ってしまったが、冷静に考えるとそう言うことなのだ。ストーカーなどと思ってしまったものの、今のセリーヌには普通なら引いてしまいそうなそれすらも喜びになってしまうのだから恋とは面白い。
結局、好きならば何でも許せてしまうのだ。……果たしてそれでいいのかは別として。
「今思えば、あの時魔界に帰って来た頃には怪我が治っていたのも、セリーヌが聖女だったからなんだろうね。安心してしまって思い至らなかったけど、今思えば命を落としてもおかしくない程の大怪我だったのに」
そういえば、あの時に限らず昔からセリーヌのおまじないはよく効いたように思う。
ルシアンとデートしたときにおまじないをかけてあげた男の子も、すぐに痛くなったと言っていなかっただろうか。子供だましの暗示にすんなりかかってくれて可愛いと思っていたが、まさか無意識に治癒していたということだろうか。
「メリムやシャルル、他の使用人たちもセリーヌがきてから元気になっていたし」
セリーヌの育てる花は長く良く咲いた。
聖女の神託を受けたのはつい最近ではあるものの、ずっとその力は持っていたということなのだろう。
「怪我と言えば、あの時のその、ルシアン様の幼馴染の方はどこにいるんですか?」
そんな子供の頃の大冒険に一緒に出るような親しい人なのに、セリーヌはまだ会ったことがない。
そう思ったのだが。
「え? ああ、そうか。あの時は獣型で、今はずっと人型だからこの話を聞いても気づかなかったんだね。あれはメリムだよ」
「ええっ!?」
「だからメリムはずっと僕の協力者で、セリーヌのことをものすごく好いている。もちろん、ぼ、僕のセリーヌへの愛には及ばないけど」
もじもじと恥ずかしそうに愛を告げるルシアンに構っていられないほどセリーヌは驚いた。
あの時手当てした動物がどんな風だったかはあまり記憶にない。だから余計にイメージが湧かない。
(あの動物が、メリム……)
そしてメリムはルシアンの幼馴染。
セリーヌは思った。やはりこの魔族たちはいちいち情報量が多い。こちらの驚きが追いつかないではないか。
そして思わぬタイミングで、メリムがどうしてあそこまでセリーヌに好意的だったのかの理由が判明した。
唖然としたままなかなか現実に戻って来れないでいるセリーヌに、ルシアンは不思議そうに言う。
「そんなに驚くことだったか? 信じられないならメリムに獣化してもらうといい。魔力が安定しさえすれば人型の方が便利で楽だからずっとあの姿でいるだけで、獣型になれないわけじゃない」
それはなかなかいい提案のように思えた。
叔父家族と仲が良くなかったから飼うことなど到底できなかったが、元々セリーヌは動物が好きだ。
あの無邪気で美人なメリムの獣型なんて可愛いに決まっている。
後日、喜んでネコ科っぽい動物姿になったメリムがセリーヌにこれでもかと愛でられるのを見た獣型をとれる魔族の面々が次々と獣化してセリーヌに可愛さをアピールし始め、それぞれ嫉妬したルシアンとシャルルによってしばらく魔王城に獣化禁止令が発令されるのはまた別の話である。
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