第35話 ルシアンの言いたかったこと


「そういえば、結局ルシアン様が体調を崩していたのはどうしてだったんですか?」


 セリーヌの問いに、ルシアンはバツが悪そうに目を逸らした。

 カチコチに固まってしまったその顔を覗き込んでみるも目が合わない。

 そんなに言いにくいことなのだろうか?


「やっぱり、悪しきものじゃなくても聖女の力が魔族の魔力と相性が悪くて、少なからず魔王様に悪影響を与えてしまっているんじゃ……」

「そ、それは違う!」


 慌てて否定したルシアンは、セリーヌの額や頬やこめかみ、頭にちゅちゅちゅっとキスを繰り返す。


「違うってはっきり言えるってことは、別の原因がちゃんとはっきり分かってるってことですよね?」


 じとっと見つめてみると、困ったように眉尻を下げた情けないルシアンが見つめ返してくる。

 子犬のような瞳で上目遣いされると「うっ」と息が詰まるけれど、うっかり絆されるわけにはいかない。

 これからはどんなに言いにくいことでも全部言って、どんなに聞きにくいことでも全部聞くと心に決めたのだ。


 だって、聖女の力が魔族や魔王様を害することがない、なんて、聞いてしまえば一瞬で分かることだった。

 いくらルシアンに、「自分を殺すために心を許しているふりをしていた」と思われるのが怖かったとはいえ、完全に自分一人で思い込んでから回って、セリーヌがルシアンを不用意に傷つけたうえに多大な迷惑をかけたことには間違いないのだ。

 もう、あんなことは絶対にごめんだと本気で思っている。


「メリム、もうはっきりすっぱり白状しちゃった方がすっきりすると思う~!」

「こればかりはメリムの言う通りですね。先延ばしにすればするほど言いにくくなるだけかと。セリーヌ様も全く引き下がるつもりはないようですし」


(その通り! だってもう気になって気になって仕方ないもの)


 それでもうろうろと視線をさまよわせ、数秒逡巡したあと、ルシアンは観念したのか口を開いた。


「……スをすると、……できなくてセリーヌを…………から……」


 セリーヌはぱちぱちと瞬いた。

(声ちっさ!)


「あの? もう一度、もう少し大きな声でお願いできますか?」


「〜〜っ、だから、キスをすると我慢できなくてもっともっとセリーヌを求めてしまいそうになるから! 無理強いだけは絶対にダメだと我慢しすぎてちょっとやつれて……自制のためにあまり触れ合いすぎないようにしてただけだよ……!!」


(ぎ、ぎゃああ〜! そ、そういうことっ!?)


 ボン! と一気に赤くなってしまったセリーヌに気づいているのかいないのか、ルシアンはさらに続ける。


「大体、セリーヌが可愛すぎるのがいけないんだ! 待つとは言ったし待つつもりはあるけどこんなに近くに愛する人が可愛らしい顔をして自分を想ってくれているのが分かっていて普通でなんていられないっ!」

「そ、それならそうと言ってくれれば……っ」

「そんなかっこ悪いこと言えるわけがないし……それにどんな風に伝えてもセリーヌは良かれと思って僕と距離を置きそうじゃないかそんなのは絶対にダメだ一緒にいられる時間はずっと一緒にいたいしどうしようもない時以外で僕の側にセリーヌがいないなんてそんなこと耐えられるわけがないし」

「あの、息継ぎをしてください」


 促すと言葉を止めたルシアン。「すごい、よく息が続くな」などと思うセリーヌの前でハアハアと息を切らしている。


「とにかく、君を必要以上に怖がらせたくないのに、君と全く触れないなんて耐えられないって言う僕の我儘だよ。それで不安にさせてしまったなんて全く不甲斐ない話だけれど……」


 なるほど、と思う。


「つまり、私が知らず知らずのうちにルシアン様に我慢を強いてしまっていたわけですね」

「だから、それはっ……」

「我慢しなくても、大丈夫です」


 その言葉に焦ったように声をあげかけたルシアンが「え」と声にならない声を漏らして固まった。


「セリーヌ……?」

「我慢しているから、ルシアン様は辛いんですよね? 私もあなたに自分のために無理を強いるのは嫌です。ずっと私のことを考えてくれているルシアン様ですもの。きっと私のことを大事にしてくれるって信じてます」

「それはもちろん! 君を大事にするに決まってる! ……いいの?」

「はい、もちろん」


 ごくり、とどこからか音が聞こえた。

 壁際に控えて冷や冷やと見守っていたシャルルが驚いたように目を見開いている。なぜかメリムが「セリーヌ様、大胆!」と小さな声ではしゃいでいるけれど、セリーヌは気づかない。

 セリーヌだって自分の気持ちを言葉に伝えることの大切さは知っている。というか、身をもって思い知ったというか。

 とにかく、セリーヌにだってルシアンのことが好きで、大好きなルシアンに触れてほしいという気持ちだってあるのだ。


「私、うまくこたえられるかは分からないですけど……でも、嫌じゃないです。むしろ嬉しいというか……」

「セリーヌ……!」

「ただ、できればお手柔らかにお願いできればと思いますけど……」

「もちろん!初めての君に無理をさせるわけにはいかないからね!」


 うきうきと頬を紅潮させて喜ぶルシアン。


(ん……?)


 なんだか不思議なことを言われた気がする。

「初めての君に」?どういうことだろうか? セリーヌは今までだってルシアンと何度もキスをしているのに……。


 そこまで考えて、セリーヌはやっと己の重大な過ちに気がついた。


(待って! ひょっとして、そ、そういう意味……!?)


 セリーヌはただ、明らかにキスやハグが減ったことに対してルシアンが我慢している、という話なのかと思っていたのだ。そういうことならば自分も寂しいし我慢なんていらない、だからもっとキスしたい……という素直な気持ちを伝えたつもりだった。


 しかし今更勘違いだったとも言えない。ルシアンは大喜びでセリーヌの顔中にキスをし始めたからだ。

 さっきまで余裕綽々で大胆なことを言ってのけていたセリーヌが急にカチコチに固まったことで、メリムとシャルルは察したらしい。


「なんだかメリム、嫌な予感がするなあ~」

「奇遇ですね、私もですよ。どうやら多大な誤解があるような」

「まあ相思相愛なんだし、別にいいよねっ!」

「ルシアン陛下の悲願でもありますしね」

「ねー! こんなに美味しそうなセリーヌ様が側にいるのにずーっとお預けだったもんねっ! ついにセリーヌ様、ルシアン様に食べられちゃうんだねえ~」


 遠くでそんなメリムとシャルルの話を聞きながら、ハッとしていた。

 いつかの会話を思い出したのだ。


(まさか、私、ずっとずっとずっと勘違いばっかりしていたってこと……!?)


 きっとそういうことなのだろう。人間はとんでもない思い違いばかりしていると最近気づいたけれど、その筆頭はセリーヌ自身だったということなのだ。


 けれど……正直、嫌なわけではない。

 セリーヌはもう何の憂いもなく、愛する人に愛を捧げても許されることを知ることができたのだから。





 そんな風にして穏やかな時間を過ごしている中で、ルシアンが言った。


「セリーヌ……もしも君が嫌でなければ、もう一度儀式をやり直さないか?」


 セリーヌがルシアンの妃になることを、本心から受け入れられるようになるまで待つと言ってくれていた、儀式。

 実際にはその時点ではセリーヌは『自分の立場』というのが生贄のことだと思い込んでいたわけだけれど、それは置いておいて。


「だけど、私がルシアン様のお名前を最初に呼んだあのときに儀式は完全なものになったのではなかったのですか?」


 セリーヌがそう投げかけると、う、とルシアンは言葉に詰まって。


「確かに、魔力はすっかり繋がった。しかし、私達の儀式は何も魔力を繋げるためだけのものではないと思っている」


 一瞬何を言われているのか分からなかった。


「……あ」


 ポっと頬を染めるルシアン。


「人間は、神に永遠の愛を誓って夫婦になるのだろう?」



 ルシアンは、結婚式をやり直そうと言ってくれているのだ。



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