おしまい
ある日、私による着せ替えタイムが終わった直後だった。
「ねえ、黒衣。私、これ着てみたい」
そう言って真白はファッション雑誌を私に差し出してきた。私が一度も着せたことのない、ボーイッシュな系統の服だった。
「……そう。用意はしておくから、私のいないときにでも着たらいいわ」
「ほんと……? ありがとう!」
真白は嬉しそうに雑誌を抱きしめて自室へと戻っていく。
どうして、こんな雑誌を買ったのだろうか。お小遣いも渡しているし、平日には自由な時間もある。でも、彼女が服に興味を持ち始めたのは意外で仕方がなかった。そして、それはちょっとした不安の種でもあった。
着せ替え人形が自分の意志で着替え始める。そんなことは求めていない。私の真白は、見た目が私の好みであるとともに、自分の姿形に無頓着であることが、私の理想のお人形たる由縁なのだろう。それが今ようやくわかった。明は見た目こそいいけれど、それも自分の意思が強くある。そう考えると、明ではダメだったということもわかる。
意思なんて、必要ない。そう思ったときに一つの考えが浮かんだ。
「ほら、お風呂入るわよ」
「はーい」
真白は、もうすっかり私とお風呂に入ることに慣れていた。湯船に一緒に浸かる。このとき、真白はリラックスして必ず眠る。すやすやと寝息を立て始めた真白の頭を、起こさぬように、ゆっくりと水面に近づけた。
しばらくすると、ガボッという空気の漏れる音が聞こえて水面に大きな泡が現れた。真白が暴れ始める。全体重をかけて、押さえつける。徐々に抵抗は弱くなっていく。そして、やがて静寂が訪れた。
ゆっくりと、水面から起こす。苦悶の表情で永遠の眠りについた真白の表情を整える。そして、湯船のお湯を抜く。
ああ、今日ほど、叔母の家にある風呂の広さに感謝したことはない。人を一人横たえるには十分なスペース。お湯が抜ければ、そこにゆっくりと、丁寧に真白を寝かせる。
私は、真白を死蝋にしてしまおうと思ったのだ。
昔読んだ江戸川乱歩の「黒蜥蜴」。自分好みの美しい人間を収集し、飾り立てる彼女が、私には羨ましくてたまらなかった。だから、真白に意思など必要ない、そうわかった今、それを再現してみようと思った。
湯船に栓をして、冷水を流し込む。数日間、そのまま置いておく。これが終われば、今度こそ真白は正真正銘私だけのお人形になるのだ。
成果は十分だった。時間はたっぷりあった。私は長期の休暇をとって、部屋の片隅に飾った真白を着せ替えた。手や足を動かせない分、着せ替えには一苦労だったものの、それでも楽しいものだった。……最初だけは。
「ねえ、真白。綺麗、綺麗よ」
いくらそう言おうと、なんの反応も返ってこないのは虚しいものだった。ロリータを着せるときに言われる「重い」の一言も。照れて言う「ありがとう」も。私を振り回すほどの自由さも。
「黒衣ちゃん、真白ちゃんは?」
外出すると近隣の人に問いかけられるその質問には「体調不良」と返す。お見舞いの品として何かを届けてくれる人もいる。虚無感と罪悪感。無理して明るく振る舞うにも限界がある。
家に帰れば、死蝋にする前に私が整えて作った優しい微笑みを浮かべる真白がいる。そんな笑顔ではない。今ならわかる。真白の魅力はもっともっと明るい、優しさよりも身勝手さを感じるものだった。
私は、いつしか家を出なくなった。涼しく保っていた部屋だけれど、それでも限度はあり、じわじわと腐臭がするようになっていた。時折なるインターホンの音を無視して、私は真白の足元でただ惰眠を貪るようになっていた。
ある日、こんな生活を続けるくらいならもう死のう、と思った。真白に、会いたくなってしまった。
でも、どうやって死のう。頭に浮かぶのは黒蜥蜴の死に際だった。毒をあおり、愛した人の胸の中で息を引き取る。なんて素晴らしい終わりだろうか。
毒なんて、そうそう入手できるものではなかったから、睡眠薬を多量摂取するほかなかった。真白をベッドに寝かせ、私のその隣に寝そべり、実行した。
徐々に遠のく意識、耳の詰まる感覚、ぼやける視界。死の恐怖が近づいてくる中で、インターホンの音と「警察です」という声が聞こえてくる。ちょうどよかった。そう思いながら、ぼやけていく真白の輪郭を捉えようと、目に力を入れようとする。でも、いくらそんなことをしようと無駄だった。
何も見えなくなり、何も聞こえなくなり、最後に考える。
ああ、真白は天国と地獄、どっちにいるかしら。あんな怠惰な生活を送って、人のことを苦労させたんだもの、地獄にいてくれるかしら。地獄で、会えるかしら。でも、きっと急に殺されて真白は私のことを恨んでいるかしら。でも、それはそれでいいかもしれない。
「黒衣」
最後に私を呼ぶ、真白の声が聞こえた気がした。
蜥蜴と人形 鈴宮縁 @suzumiya__yukari
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