終章 ベストライアー

 寝不足の目に日差しが痛い。

 ウェン弁護士との話を終えてランチもすませると、ルイはサリーをクリスタル・ダイナーから外へと誘い出した。

 落ち着いて話したい。近くの墓地まで足をのばした。

 広大な敷地のなかには、整備された緑がひろがっている。個性的な墓を通りすぎ、ベンチをそなえた池まで来た。どちらから言うとでもなく、ふたりして座る。

 ルイは前置きなしで切り出した。

「わたしだけ無傷なのはフェアじゃない」

 留置所で夜を明かしたサリーが、あくびを噛み殺す仕草をみせてから応えた。

「フェリスが事実にそった行動をおこして、自分で決着をつけて解決。それじゃダメなの?」

「…………」

 池の中ほど、水面に出た小さな石の上で、カメが一匹だけ甲羅干しをしている。ルイにはそのカメが気持ち良さげにはみえなかった。

「フェリスとあたしが納得してるんだから、それでいいの。わざわざ共犯者になる必要なんかない。ラミレスとウォーレスの結託を見抜けなかった『愚鈍な警官』を演じきる。これがあんたの役目」

「自分のためだって言ったら? このまま嘘をついてるのも苦しくて……」

「あんた……」

 サリーが珍種の生物を発見したような表情になった。

「そんな潔癖で警官なんてやってけるの?」

 ブラックジョークではなく、本心から言っていた。

「そんなあんたが『愚鈍な警官』役をやるなら、引け目を感じることはないじゃない。罪悪感の下敷きになっているなら、それがあんたへの罰だよ。このこと、フェリスに言ったの?」

「フェリスには相談してない。よけいな気を遣わせたくない」

「あのさあ……」

 組んだ足で頬杖をついた。鋭い横目で刺してくる。

「正直をとおして処分を受けるのはルイの自由だよ。で、そのあとのこと考えた? 無職になってやり直すことになるかもしれないのに、ひとりで決めるの?

 だいたい、気を遣わせるってなによ。ずっと一緒にいたいんなら、相手の意思も確かめるもんでしょ。あんたの自己満足だけじゃない」

「…………」

「ゴメン、ちょっと言葉が過ぎた。でもあんたの嘘は、絶対に許されない嘘なの? あたしは、黒とグレイがマーブルになってるとこで生きてきたから、許せる嘘の基準がルイと違うんだろうけどね」

 サリーがついた嘘は、生き残るための厳しいやりとりの中で使ってきたものだとルイは思う。だから、必要不可欠な嘘の基準ができあがったのか……。

「『愚鈍な警官』でいいのかな……」

「法の番人としては、嘘つき許されないよね。けど、守りたい人間のための、最高の嘘つきになるとしたらどう? 罪悪感が消えないんなら、社会奉仕活動とか募金でもしたほうが建設的じゃない? いちばん有意義で、楽しい結果になる時間の使い方をしなよ」

 サリーが立ち上がった。

「仕事にそなえて寝ておきたい。あんたもでしょ」

 話はこれで終わりの合図に、ルイも立ち上がった。

 これほど考えて悩んだのは、アカデミーでの刑事司法や一般教養……のほうが楽な気がした。

「権力も金もない。だったら知恵を武器にして切り抜けていくしかない。フェリスの弁護にジェニファーをつけたのは、そういう意味もある。弁護士も実力だけで評価されるわけじゃないんだってね。そんな業界を渡ってきたジェニファーが手本になるとこ、あるんじゃないかって」

「ねえ——」ルイは先を歩くサリーに訊いた。

「先生って呼んでいい? わたしひとりだったら、答えが出せなかったと思うから」

「こんなデキの悪い生徒いらない。けどレッスン料によっては、これからも指導してあげなくもない」

 サリーが大上段に構えてふざけてみせる。

 これからも頭が上がらない存在になりそうな気がする。それでもルイは楽しくて笑った。


 場所をかえて話をしたいらしいサリーとルイが先に出たあと。

「あと十分、時間をいただいてもいいですか?」

 フェリスは、クリスタル・ダイナーの席を立とうとしている弁護士をひきとめた。

「十分ね。いいわよ」

 ジェニファーが座り直すと、すぐに本題にはいった。十分というのは「少しの間」という意味ではなく、六百秒の十分だ。

「あたしは、自分だけ何もしないのは間違っていると思ったから自首しました。けどそれは、サリーやルイが助けてくれるかもって期待して言い出したことで……」

「そして、わたしが呼ばれたわけね。うまくいったじゃない」

「え……気分悪くないですか?」

「ずる賢いやつの弁護だから?」

「ええ、まあ……」

 はっきり言われると少し凹んだ。

「仕事には困ってないから厭な仕事なら受けてない。報酬はもちろん、サリーが可愛がってる貴方にも興味があったし。もしかして、気に病んでる?」

「サリーをだまして利用したみたいですし」

「騙してていいのよ」

 さらりと言い切った。

「悪意に敏感なサリーよ。ウォーレスさんがずるさだけで騙したのなら見抜いてる。見抜いても応えたときは、サリーの許容範囲だってこと。

 弁護士のわたしは、法廷では絶対に嘘の発言はしない。嘘こそ言わないけど、意図的な質問で誘導して、こちらが得たい答えを言わせもする。ストレートに正直な言葉だけで、社会がまわってるわけじゃない。

 子どもに嘘はダメっておしえるのは、嘘でもいいときとダメなときの判断ができないからじゃない? 嘘がまったくない言葉で、相手を傷つけることもあるんだし。そう考えると、悪いことも含めた経験を積んできた今のあなたなら、充分判断できると思うんだけど。どう?」

 早口でよどみなく答えたウェン弁護士に、フェリスはうなずいた。

「いまのウォーレスさんのイエスは、わたしの勢いに圧倒されてのイエスかもしれない。もう一度考えて、違うと思ったら遠慮なく反論を聞かせて。楽しみにしてる。いまはこれで失礼するから」

 腕時計で時間を確かめてチップを置くと、慌ただしく出ていった。

「よくしゃべる人だねえ。もしかして弁護士とか? あ、もちろん盗み聞きとかはしてないよ」

 客がひいて一息ついていた女性ホール係が話しかけてきた。

「どうしてわかったんですか?」

 何度か顔を合わせているひとだ。フェリスは気軽に訊いた。

「まあいろんな客見てきたからさ。訊かなくてもオーダーわかったりするし」

「そりゃ五十年もここで働いてたら、わかるようになるよな」

「あたしはまだ二十七歳!」

 店長の茶々にやり返したあと、フェリスに向きなおった。

「ところで、お嬢さんはここで働きたいの? 副店長の立場からいうけど、張り紙にあったとおりの薄給だよ?」

「え、あの……」

「言ったろ、わかるって。たかがホール係、されど……ってやつ。二十七歳はウソだけど、仕事内容や条件は偽りないやつをちゃんと話す。聞いてく?」

 話の急展開に置いてけぼりになりそうになる。どう切り出すか迷っていたところの誘い文句に、フェリスは大きくうなずいた。


「そっか、仕事も部屋もきまったんだ……」

 ルイは、フェリスの報告に笑顔を返そうとした。が、下心がジャマをした。

 一緒に住めるチャンスを逃してしまった……。

 行くあてがないフェリスが身を寄せていて、二人住まいになっていた部屋——。このまま一緒に生活できるかと期待していた。

「勝手ばっかりして、ごめんなさい……」

「え、いや、違うの! フェリスの仕事なんだから、フェリスが決めて当然じゃない! 部屋も紹介してくれるって、すごいラッキーだよ」

 慌てて言いつくろい、よこしまな考えを隠した。

 ルイはこのあとの出署をひかえ、いったんアパートに戻る。

 強くなってきた日差しのなかを連れ立って歩くうち、フェリスが思い切ったように話し出した。

「あたしは自分のことをずっと弱いって思ってた。けど、違ったみたい」

「見方の違いだね」

 フェリスが弱いと思ったことはなかったが、続きを訊いた。

「弱くないって思えるようになった理由は?」

「ルイがいるから」

「え……‼︎」

 感激の発作がおきたかのようにルイは胸元をおさえた。

「サリーがいて、ウェン弁護士がいて、それからダイナーのひとたち……ルイ、泣いてるの?」

 まだサリーに勝てないのか……。目頭をおさえた。

「ちょっと、まぶしくて涙が」

 純粋な目でまわりの人間をみているフェリスがまぶしかった。

「あたしには力がないけど、窮地になったら助けてくれる人が現れる。いちばん凄い武器を持ってるんじゃないかって思ってる」

 フェリスがルイの手をとった。

「一緒にいてくれて、ありがとう」

 成人女性にしては小さな手が、少し骨っぽくて無骨な手を包み込んだ。


     *


「っていうことがあったんだよ」

「よかった……やっと落ち着いたんだな」

 路肩にパトロールカーを停めたカルロスが、ハンドルを抱えて、しみじみ言った。

「フェリスから手をとって『ありがとう』まで言われたのなら安泰だよなあ」

「そんなに喜んでくれるとは思わなかった」

 フェリスにアプローチをかけるにあたって、プライベートなことなのに協力してくれた。バディとはいえ感謝しかなかった。

「いやもう、くっつくか、ルイが振られない限り、クラブサンドとベーグルサンドとパンバソ(チョリソーを使ったサンドイッチ)がエンドレスで続くのかと思ってたから、おれも嬉しいよ。これでランチの自由を取り戻した!」

 そうして嬉々として無線を取り出すと、食事休憩の報告をいれた。

「まず今日は、あそこにしようぜ。チキンオーバーライスっていうのが旨いそうだぞ」

 フードトラックのほうに歩いて行こうとしたカルロスをひきとめた。

「ゆっくり座れるダイナーのほうがいいでしょ」

「ちょっと待て。こっちって……」

 ルイは半ば強引に、クリスタル・ダイナーへと引っ張っていく。

「やっぱり……」

 白い目で見てくる相棒は無視した。

 店の外からでも目があった、パートナーへと手を振って応えながら、

「メニューの幅は結構あるよ。常連になったら料理のリクエストも受けてくれるそうだし。エンパナーダ(煮込んだ肉や野菜の包み焼き)とかメヌード(赤いモツのスープ)とか作ってくれるかもよ?」

 カルロスのソウルフードで籠絡ろうらくしようとしたが、警戒心は解こうとしなかった。

「ひとつ忠告しておく」

 神妙な顔で宣言する。

シングルおれの前でいちゃつきやがったら、その日の報告書全部、ルイに押しつけるからな」

「仕事中なんだから、もちろん自制するって」

 バディの肩をどやしつけて笑った。

 自制できると思う。たぶん……。



                               了

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殺したのは、あたし 栗岡志百 @kurioka

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