5 Easy easy

「ウォーレスさん本人も交えて、これからのことを相談しなきゃ」

「それはジェンがやってあげて! 相談料はあたしが払うし! ベタな言い方しか思いつかないけど、あたしとフェリスは住む世界が違ってるから関係を持たないほうがいいの!」

 まくしたてる人間には慣れている。ウェン弁護士は落ち着いたまま、的確な答えを返した。

「そう思っているのは、セアラだけでしょ。もっと楽に、簡単に考えなさいよ」

「理詰めの弁護士センセイの台詞とは……」

 ふと思い出す。バックに突っ込んだままだった、コーサック刑事から受け取ったランチ代を確かめた。

 二十ドル札一枚だと思っていたが、札は三枚あった。二人分だとしても、ダイナーのランチ代には多すぎる。

 確信した。釈放を待たされた〝急用〟は、この場をつくるための時間稼ぎだ。この場をセッティングしたのは、ジェンではなくコーサックだった。

 あの古ダヌキ、あたしの本心に気付いていた——。

 体裁などかまっていられない。逃げ出そうとしたが、

「サリー」

 すぐそばから聞こえた声にフリーズした。

 顔を向けることができなかった。

 視線を交えれば、応えずにはいられない。そうすれば、また離れがたくなりそうな気がする。

 同時に、これまで聞いたことがないような声に戸惑った。これがあの、気が弱くて、いつも自分を抑え込んでいたフェリスなのか……。

 いまのフェリスを確かめてみたい気持ちが、躊躇をねじふせる。


 狼狽ろうばいするサリーを見るのは初めてかもしれない。

 しばらく堪能たんのうしたい気分になる。フェリスは、ダイナーの窓越しに見える光景に足を止めた。

「また逃げられないうちに、早く行って観念させたほうがよくない?」

「めずらしいから、つい」

 ルイに笑ってごまかす。いたずらがバレた子どもの気分だった。

「からかえるのはフェリスに余裕が出てきた証拠だよね。私にとっては、そら恐ろしい気もするけど」

「確かに、ちょっと意地悪だったかも」

 去ろうとするサリーを黙って見送ることはできなかった。

 犯人として刑事の車へと歩いていくサリーが、背中を見せたまま上げた片手を振った、バイバイ。

 サヨナラの合図をこんなに軽やかにしてみせるのは……

 真相とともに、サリーがフェリスの目の前から消える気でいるからではないか?

 時間が経つほど、自分が手放そうとしているものの大きさを意識した。

 変わりたいと思うくせに、前に進む足は鈍かった。このタイミングでまでも踏み出しそこねていたら、悔やんでも悔やみきれないことになる。

 愛想がつきて去るのなら納得できる。けれど、良かれと思って離れようとしているのなら、何としてでも止めたかった。

 サリーの本心を確かめたかった。本音を引き出せるか、わからなくても。

 同時に、気がかりもあった。

 サリーが始めた仕事は、胸を張れるものだと思っている。ただ、世間一般から見れば評価は変わる。

 仕事でなくても、サリーとの交友関係を続けて、ルイのキャリアに影響が出ないか気になった。が──

「大丈夫。間接的な関係までチェックされてたら、キリがないよ」

 ルイから返ってきた答えは、ずいぶんあっさりしたものだった。

「警察本部長に出世したいわけじゃないし、給料がごっそり減る処分でないなら気にならない。コーサックからして『警官の仕事はグレーゾンありきだ』って言ってるからね。要領と、適切な判断と、あとなんだっけ……要は、目的を見失わないようにしてれば、間違うことはないっこと。

 なにより、私がサリーと付き合ってみたいの。ヘマしたら怖かったけど」

 背中を押してくれる人を感じながら、フェリスはダイナーへの入り口に手を伸ばす。

 手が少し、ふるえていた。

 それに気付いたのか、何の気なしなのか。ルイが思い出したように話をふってきた。

「フェリスはさ、これからは〝フェリシア〟って呼ばれるほうがいい?」

 フェリスは、しばし考えてから首を横に振った。

「仕事をするための記号みたいなものだった。けど、サリーがくれたこの名前を使ううちに、自分が目覚めてきた気がしてるの。だから〝フェリス〟がいい」

 気持ちをはっきり出したフェリスに、ルイが笑みで応えた。

「じゃあ、いこうか。フェリス」

 ドアを開けてくれたルイに礼を言おうとして、張り紙に目がとまった。

 マスターの手書きらしい求人募集が、まだ張り出されていた。時給を見ると、応募がこない理由がわかる。

 求職先の決め手はお金だけではないけれど、お金がないと生活していけないし……

「どうしたの?」

 ここで立ち止まって、考えているだけでははじまらない。フェリスは店の中へと入る。

 昼間のクリスタル・ダイナーは初めてだった。

 ランチを終えた客が席を立ち、空席が目立ってきている。それでも、新しいスタッフがまだ雇えていないせいか、エプロン店長と中年女性のふたりで、忙しそうに動き回っていた。

 女性は夜でも時おり見かける人だった。時間はフレキシブルで働いているようだ。

 店長のほうが先にフェリスに気付いた。店の奥を指す。

「このあいだの友達が待ってる。注文が決まったら呼んでくれ」

 礼を言って目を向けた先。奥まったところにあるテーブルで、サリーはまだウェン弁護士と何やら言い合っていた。

 顔を見せないまま去ろうとしたのは、サリーなりの考えがあってのことだと思う。世話ばかりかけたから、会いたいのはこちらだけということもあり得る。

 拒絶されるかもしれない。

 拒まれるのは、自分が否定されるのは怖い。

 不安が質量となって身体にのしかかり、立っている床が揺れているような錯覚がする。

 そうやって逃げて来た失敗を繰り返さないために、フェリスは目を閉ざさない。

 前だけを見る。

 隣にいるルイの存在を感じながら、サリーがいるテーブルへと歩き出した。

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