山田

「はあ、はあ…………」


 息が……手が痛い……疲れた……。


 そこはまさに崖の上。30mをゆうに超える断崖絶壁な崖の上に俺はいた。


 ここまで来るのに3日。万全の準備をし徒歩で例の崖まで向かっていたのだが、予想以上に険しい道のりが続き、崖に着くまでに体力を消耗し切ってしまっていた。

 そのせいで獣が出てもおかしくないような所、崖の下で一夜を過ごす羽目となったのだ。

 次の朝、ある程度体力が回復していた為、遂に崖を登ろうとしたのだが、それもまたなかなかのものだった。崖に着いたときは夜で暗く見えなかったのだが、太陽の光で照らされたその崖は人生の障害を一瞬で凌駕したのだ。それは山岳部だった俺の心を折るのには十分なものだった。

 あれからどれくらい経ったのだろう、その崖を超えたときの俺は今どのような姿、顔をしているのかはわからない。崖を登りきった嬉しさが勝るのか、疲労が勝っているか……。


「おやおや、登りきったのですね。流石三川様で御座います」


「……は?」


 何故いるんだ?意味がわからない……この声はあの御方しかいない……。


「山田、さん……。何故……!」


 疲労と困憊で上手く喋れない。


「ははは、やはり驚かれましたでしょうか。何故私がここにいるのかって? その前に貴方がここに来た理由は何故でしょうか」


 ここにたどり着きたいという思いから、当初の目的を忘れていた……。俺は……喫茶店マニアとして幻の喫茶店を見に来たのだ。それがどうだ、そんなものどこにある。周りを見渡してもなにもない。ただ目に映るのは、見晴らしのいい景色と邪心を顔に貼り付けた山田さんだけだ。


「……何が目的だ……」


「流石三川様だ! よくわかってらっしゃる」


「答えろ、さもなくば──」


「ははは、私に手を出すと? 三川様はそれができない方だと私が一番良く知っていますよ」


「くっ……」


 俺は動かない脚を無理やり立たせようとする。


「はは、何故私が貴方をここまで連れてきたのかをまだ理解してらっしゃらないのですか……」


 山田さんは、いや狂気に満ちた山田は変な笑い声とともに、腰のあたりから包丁を取り出した。


「やめろ……!」


 思うように動けない……くそっ、今までの道のりのせいで……そうか、そういうことか。


「そうです、貴方を動けないくらいまで疲労させ簡単に仕留めれるように貴方をここまで連れてきたのですよ」


「俺が何かしたか……」


「いーえいえいえ、そんな事はありませんよよよよ、ははははは……」


 山田の目が一瞬にしてあかに染まり、悪魔に取り憑かれたようにこちらへ向かってきた。その手に握りしめてある包丁を構えながら。


「くそっ、なんだよ!」


 俺は咄嗟の判断でその使えない脚を立たせ、崖側まで走った。


「ははははは、遅い遅い遅い今頃逃げても無駄無駄無駄無駄……」


 崖の端まで来た今、山田は笑顔で包丁を俺に構えゆっくりと近づいてくる。


「はぁはぁ……それ以上、こっちに、来るな……」


「はははははははははははああありがとうございますすすぅぅぅぅ」


 山田はその老体を無視した速さで一気にこちらに向かってきた。

 そして山田が俺に差し掛かってきた瞬間、俺は山田の脚に全体重を乗せて突っかかっる。


「ははは、は……は?」


 山田はバランスを崩し、前に倒れ込んだ。


「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃああああ──」


 ドスッと、崖の下から鈍い音が聞こえた。

 50m上から硬い地面に落ちればもうそれは確認せずともわかる。


「はぁ……何だったんだよ……アイツ……」


 いつも尊敬していた山田さんがあんなことになるなんて……。


 疲労が一気に出たのか、俺はその場で気を失った。



 ◆



 あれから一週間、俺は今喫茶店山田の前に来ていた。周りにの気配はない。


 カランカランと音がなる扉を開けると、懐かしい顔と声が俺を迎えた。


「こんにちは。久しぶりですね、三川様……はは」


「…………面倒くせえって…………」


 そして俺は、予め用意しておいた包丁を取り出すのだった。

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崖の上の喫茶店 穏水 @onsui

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