第7話 鬼の村(後編)
朝食はまた豪華だった。
いつの間にか復帰した吉村は真っ先に食卓について朝飯をかき込んでいた。
昨夜あの後に何が起きたのかは興味があったが、藪蛇になりそうなので止めておいた。
どのみち変態と妖怪は紙一重だ。吉村は死なない。何があっても。例え宇宙が終末を迎えるときがやってきても、吉村だけは生き残って変態行為を続けているだろう。そして最後には宇宙は変態で満ちるのだ。
香美さんは鬼口母の横に座って上品な仕草でご飯を食べている。心なしか俺に向ける視線が冷たい。
浜口教授はウキウキしている。デジタルカメラの電池を新品に換え、ボイスレコーダーの中身を確かめている。きっとこれから行う里山報告を企業に売り込むことで、この豊かな大自然を壊滅させることができるのが楽しいのだろう。
山林共生工学とは元々がそういう学問だ。
鬼口はと見ると、大鎧を着て現れたので俺は仰け反った。
武者鎧。それもガチもんのだ。ウチの本家の床の間にも飾ってあるからそれが判る。古いが手入れが行き届いている。しかも部品の一つ一つが鉄重ねで分厚い。どれだけの重量があるんだ、これ。
腰に吊るした大太刀はきっと真剣だ。
「鬼口それは!」
「俺、死にたくない」鬼口はそれだけ言うと口を噤んだ。
横で鬼口父がうんうんと頷いている。
「最近はあの辺りもヤバクなっているからな。それぐらいは要るだろう。まあ、鬼鉄砲までは要らんか」
横で聞いていた鬼口母がくすりと笑う。
「嫌ですよ。あなたったら、過保護じゃないですか。鬼鉄砲なんて。山を吹き飛ばしに行くんじゃないんですよ」
とんでもないことを言いだした。
「そうだな。まあ前に使ったのは爺さんがB29を撃ち落としたときだから、使うときには油をささないと駄目だろうな」
鬼口父はガハハと大きく笑う。
笑った口の中に見事な牙が見えたが、俺はそれを見なかったことにした。
鬼口が人間であろうがなかろうが、俺の大事な親友であることには間違いない。それは吉村が常に俺たちの敵であることと同様に明白なことだ。
皆で家の外に出る。
吉村が偶然に見せて香美さんのお尻に顔を突っ込もうとしたので、俺は吉村の尻を蹴ってオニタンポポの茂みに突き落とした。
ガウガウと威勢よくオニタンポポが吉村に噛みつく。それでもあいつは手を伸ばして香美さんのお尻を触った。
香美さんがきゃっと叫んで後ろにいた俺を睨んだ。
「中村君、そんなことをしては駄目よ」
「いえ、あの、俺じゃ」
オニタンポポの茂みにはすでに吉村の姿はない。
俺は言い訳を諦めた。ここは素直に謝るべきだ。
「ごめんなさい」
浜口教授は最初から最後まで見ていたにも関わらず俺を弁護してくれない。どことなくこの寸劇を楽しんでいる様子が伺える。
俺はうなだれたまま門を出たところでいきなり襲われた。
「そこな源氏の者か! 覚悟!」
その声と共に白刃が上から落ちて来る。
鬼口が前に出ると腕につけた籠手の部分で刀を受け止めた。
「平さん。違う違う。これ俺の友達」
刀で切りつけて来たのは公家装束を着た背の高い男の人だ。長い紐で袖を纏めている。
「や。これは済まぬ。麿の勘違いなり。源氏の犬めの臭いがしたと思ったのじゃ。いや、許されよ」
そう言いながら深々と頭を下げた。
「この人が平さん。里山調査の間、護衛してくれる」
鬼口が説明した。
平さんはひゅんひゅんと太刀を振り回した後にパチリと音を立てて鞘に納めた。
すごく滑らかな動きだ。まるで刀と共に生まれて来たような感じだ。刃を下にして仕舞ったので刀ではなく太刀だと分かる。
「今日はよろしく頼むよ」
浜口教授が手を差し出した。
平さんはそれを無視した。浜口教授を無視したのではなく、握手という行為自体を無視したのだ。きっと握手という習慣を知らないのだなと俺は思った。
浜口教授もそれをさらりと受け流し、荷物を取り上げると鬼口の案内で歩き始めた。全員でそれを追う。
集落の端に出るまでしばらく歩いた。
途中にバリケードがあり俺たちは足を止めた。
驚いたことにバリケードの左側には犬がずらりと並んでいる。そして右側には多くの猫がにゃあにゃあと鳴き声を上げている。
「しまった。国際犬愛護協会。世界猫大好き連盟。今日が決闘の日」
鬼口が自分の頭を叩いた。
「わあ。ワンちゃんネコちゃん」香美さんが嬉しそうに言った。
平さんが片手を伸ばして香美さんを止めた。
「各々がた。前に出てはなりませぬぞ。出ればすなわち命を失うことになり申す」
浜口教授がカメラを取り出すとパシャリと写真を撮った。
「うむうむ。戦後最大の秘密組織と言われる犬猫カルト団体だな。一時日本の各地で凄まじいテロを繰り広げていて、今ではその運動も下火になっていたが、こんなところに潜伏していたのか」
そう言いながらも、また写真を撮る。
知らんがな。浜口教授。マニアックにもほどがある。俺は呆れた。この人の謎知識にはいつも呆れる。
そのフラッシュの光を受けて犬と猫たちが一斉にこちらを見た。
これはさすがにまずい。
「教授。教授。駄目です。注意を惹いては!」俺は慌てて止めた。
「はっはっはっ。中山くん、何を言っているのかね。大丈夫だよ」
その言葉を聞いたかのように犬猫たちが俺たちの方へ走り出してきた。どれも目の光がおかしい。
ヤバイ。
こういうときに盾になるのは吉村だ。だがアイツめ、見る限りどこにもいない。
反射的に俺は香美さんの上着をめくり上げた。無防備な香美さんの背中が顕わになる。吉村がそれに顔を押しつけようと隠れ場所から飛び出してきた。
俺の合図を受けて鬼口が素早く動いた。香美さんに飛びついて来た吉村の首をがっと掴むと、迫りくる犬猫の前に放り投げた。
犬が噛みつき、猫が引っ掻く。吉村が悲鳴を上げた。
「どうしてボクなの~」
ガウガウにゃあにゃあと大騒ぎになっている間に、俺たちはその横を駆け抜けた。
バリケードの向こうに抜けた途端に香美さんはくるりと後ろを向くと、俺の頬に強烈なビンタを一発お見舞いしてきた。
コークスクリュー・ビンタ。目から火花が出た。
「誤解です。緊急避難です。許してください。御免なさい」
情けないことにだんだん謝るのが上手くなるなと自分でも思うようになった。
・・もう香美さんをデートに誘うのは無理かも知れない・・。
やっと建物が減って来た。なだらかな丘へと続く林道を平さんの先導で辿る。
ちょっと小高い丘を登り切った所で早目のお昼にした。
眼下に崖が広がり、その先に村が一望できる。ここから見るとなおさら集落は百花繚乱の有様だ。まったく統一の取れていない建築物が所せましと『生えて』いる。
良さそうな場所を見つけてサンドイッチ・バスケットを広げる。
「最近ではここらにも熊が出るようになってのう。都会から来た熊愛護協会の連中のせいなのじゃ」
平さんが世間話を始める。どこかから取り出した金唐紙の扇子をパタパタ仰ぐ。
浜口教授も香美さんからサンドイッチを受け取って食べ始める。
「ドングリでも撒いて餌付けでもしたのかね?」
浜口教授がニコニコした顔でそう話しているのを見ているとどこかの好好爺にしか見えない。これでも学内では研究の鬼と密かに呼ばれている人物なのだ。
研究のためならばライバルを平気で蹴落とすし、部下を生贄にもする。
「いや、ドングリを撒こうとして自分たちの体で餌付けしたにおじゃる。二十人ほどで来ましてなあ。残ったのはバケツで一杯分だけでありましたな」
俺は食べていたサンドイッチをむせた。
「それ以来、赤目の熊は人肉の味を覚えましてなあ。前から狂暴でおじゃったが、今じゃもっと狂暴でおじゃる。熊より弱い人間がいると学習したようでおじゃる」
ほとほと困った顔で平さんはため息をついた。
「あの、あの」俺は平さんの話に割って入った。
「なんでおじゃるか? あ~、中山どの」と平さん。
「赤目って目が赤い熊のことですか」
「そうでおじゃる。前に麿がヤツに切りつけたときの傷からずっと出血しているのでなあ。ほれ、この名ある太刀怨霊丸での、こうざくりと。この刀で一度切られれば傷口は塞がらぬという名刀なれば、赤目の傷も塞がらぬわいのう。それ以来あの熊の目はいつも赤いんでおじゃる」
「体は物凄く大きい?」
「うん、まあ、化け物なみではあるなあ」平さんは遠い目をした。
「右肩に矢が刺さっている?」
「もう二年も前に麿が撃ったものであるなあ。でもどうしてそれを?」
「あの・・」
俺はこれ以上言葉にするのが恐ろしい。でも黙っているわけにはいかない。
「あそこでこちらを伺っています」
全員が俺が指さす方を見た。
それまで木々に隠れていた赤目熊は二本足で立ちあがると挑戦の雄叫びを上げた。
平さんが太刀を抜くとこちらも喚きながら赤目熊に向けて突進する。
「しもたええ。右から出てしもたええ。これは貧じゃ」
平さんが叫んだ。左足から踏み出さないと縁起が悪いということか。
両雄がすれ違ったと見えたそのとき、平さんの大きな体が吹き飛んで宙を舞う。赤目熊の巨体はそのまま俺たちへと向かって来た。
なるほど平さんの予言通りか。
武者鎧の鬼口が前に出ると赤目熊と激突した。がっぷと四つに組むとぎりぎりと拮抗した。
なんという化け物だ。赤目熊。鬼口と真っ向から張り合っている。
このままではいけない。
荷物の影から手を出してサンドイッチを盗み食いしていた吉村の背中を俺は蹴った。
吉村が激突する両者の前に飛び出す。
「なにすんのおおぉぉぉ」
そう言いながら吉村は赤目熊から逃げようと走り出す。赤目熊は鬼口を放り出して、その背を追って走り出した。背中を晒して逃げようとするものをつい追ってしまう熊の習性だ。
吉村がバク転すると空中でパンツを脱ぎ、赤目熊の顔にひたりと張り付いた。吉村はその尻をヘコヘコと動かし始める。
天下無敵の変態。命の際にあってもセクハラを止めない。それが吉村だ。
刀で切られたり矢で射られたりしたことのある赤目熊もこれは初めての体験のようだ。
パニックになった赤目熊は崖を踏み外して顔に吉村を張りつかせたまま落ちて行った。
「よし、問題は解決だ」
俺は自分に言い聞かせた。
「君たちは友達じゃなかったのか」
ボロボロになりながら戻って来た平さんが訊いて来た。
俺も鬼口も首を横に振った。
どうしてみんなは俺や鬼口があいつの友達だと信じて止まないのだろう?
*
その後も色々と出た。いっぱい出た。さんざん出た。
ふんふんと鼻歌を歌いながら浜口教授が土のサンプルや木々の写真を撮っている横で、オニイノシシやオニヘビを平さんと鎧姿の鬼口が退治している。
そのたびに大木が真っ二つになり、大岩が砕け、川が逆巻き、ついでに吉村が殴られる。
最初は吉村が事故に巻き込まれるたびに慌てていた香美さんも、ついには慣れて無視するようになった。
吉村はそういう存在なのだ。特にこの場所は吉村と相性が良いらしく、吉村の復活速度が半端じゃない。
よいしょと浜口教授が珍しい草を引き抜いた拍子に地面に大きな穴が開いた。
中からシャベルが突き出され、続いて人間の頭が覗いた。
そいつは自己紹介をした。
「やあ、こんにちわ。ここは日本かね?」
俺は声も出せずに頷いた。
「初めまして。私は縦穴掘り同好会の吉田というものだ」
相手は自己紹介した。
「縦穴掘り同好会?」
「あ、ボク知ってる」復元したての吉村が叫んだ。
古人の言にいわく。穴掘り道ほど奥の深いものはない。
吉村はそう説明した。
穴掘りの道は大きくわけて二つの派に分かれる。
縦穴掘り同好会と、横穴掘り友の会である。
その名前通りに、縦穴掘り同好会はひたすら縦穴を掘ることを目的としている。縦穴を掘ることで人間の意識は磨かれるのだという思想の元に、ただ真っすぐ、垂直に穴を掘るのである。
横穴掘り協会も基本的にはこれと同じだ。穴は横穴を持って本道とする。縦穴はこれ邪悪の極みなのだというのが、この会の趣旨である。
これらの他にも、中道を取るという意味で斜め穴派と呼ばれるものもあるが、こちらは少数勢力であまり人気がない。中途半端というものは一般大衆には受けが悪いのである。
これらの穴掘り師たちの軌道は、普通はあまり交わらないものである。しかし、ときたま、驚くべき偶然で、これらが衝突することがある。たとえば、大きな丘の頂上で縦穴掘り同好会が縦穴を掘っていたところ、丘の麓から掘り進めていた横穴掘り同好会の横穴につながってしまったという場合だ。
こうなればもうただではすまない。シャベルと発破を使っての、地下を真っ二つに割る大喧嘩になることも珍しくはないのだ。どちらもけっして負けるわけにはいかない。負けたほうの穴は埋め戻され、その穴を掘るのに要したすべての努力と意義が無に返る。
地下でのことだ。まず警察の介入はない。負けた方の側の死体一つさえ、そのまま見つからないこともよくある話だ。
「死人がでるのか」俺は吉村の話を聞いて目を剥いた。
「たまにね」そう答えたのは穴掘り師の吉田さんだ。
「俺は今ブラジルからここまで縦穴を掘って来たところだったんだ」
「ブラジルまで行って掘ったんですか!?」
「いや、日本から掘り始めて気が付いたら地球を貫通して向こうに出てね。それでまた縦穴を掘ってこっちに戻って来たところだ」
俺は仰け反った。これは地球規模のスケールの話なのか!
「まあ、俺はまた向こうに行くよ」
吉田さんはまた穴を掘り始め、地の底に消えた。
「鬼口。ここはいつもこんなことがあるのか?」
八メートルはある巨大なヘビと格闘していた鬼口は頷いた。その太い胴体が鬼口を締め付ける。
「そう。ここの村。こんなことよくある」
ついに鬼口はオニヘビの頭を叩きつぶしてそのトグロから抜け出した。
やがて日が傾き始めた頃、平さんが帰宅を促した。解体したオニイノシシの肉を肩に担いでいる。
「夜はケモノより厄介なものが出る。そろそろ帰った方がよいでおじゃる」
「厄介なものって、あの白くてくねくねした」
俺は怖くて口を閉じることができない。
「そうそう。そんなのであるな。この村には色々な妖怪が流れ着いているからなあ。でもよく知っているな」
「みんなの後ろにいますから」
「なに!」
全員が一斉に振り向いた。
白くて人間ぐらいの背丈の何か。そいつは二本の腕をくねくねと動かしてひたすらに踊っている。
都市伝説のくねくねだ。
じっと見ていると気が狂うというアレだ。
「みんな、見ちゃダメだ。精神をやられるぞ!」
俺は叫んだ。
「負けるものかあ!」
一声叫んで吉村が前に飛び出した。
吉村はあっという間に裸になるとくねくねと踊り出した。
くねくねに比べて股間で一本余計なものがくねくねしている。
鬼口はその大きな手で香美さんの目を塞いでいる。これを見せてはならない。見せれば香美さんが穢れてしまう。その思いは鬼口も俺も共通だ。
一匹と一人、いや、二匹の踊りはますます激しくなり、見ていると頭痛がしてきた。人間の関節はあんな方向には曲がらない。
だがそのうちに元祖くねくねがへなへなと地面に崩れ落ちると泣き始めた。
「うわああああああん!」
くねくねはダッシュで山へと逃げ帰った。
勝ったと叫ぶ吉村を縦穴掘り師の吉田さんが掘った穴に放り込むと、俺たちは早々に調査を切り上げて引き上げた。
穴の先はブラジルだ。向こうの人が変態に感染しなければ良いが。
*
ようやく調査がすべて終わった。
浜口教授は資料が山ほど集まってことのほかご機嫌だ。
これなら喜んで単位もくれるだろう。
朝食を食べ、帰りの支度をしていると、山の方から地響きがした。
慌てて皆が家の外に出てみると、黒い集団が山から迫っていた。
ちょうどそこに居た鬼目さんがしばらくの間山を見ていたがぼそりと呟いた。
「妖怪の大軍団だ。先頭にくねくね一族。河童に山姥、鵺に天狗。ありとあらゆる妖怪たちだ。
いったい誰が鬼地蔵様の結界を破ったんだ?」
「こりゃまずい。何がやつらを怒らせたのかは知らんが、手をこまねいているわけにはいかん」
鬼口父が大きく息を吸って、怒鳴った。
「皆の衆~。敵だ。敵だ。敵が来るぞ!」
そのあまりの大声に地面がぐらぐらっと揺れた。頭がきーんとする。鬼口のやつ、ちゃっかり自分の耳だけは塞いでやがる。
しかしこれが鬼口家の能力か。何て恐ろしい。
家々の扉が開き、手に手に金棒を持った人々が飛び出て来た。
鬼目さん一家は状況を見て取ると、目から怪光線を撃ち始めた。目を光らせるというのは文字通りの意味だったのかと俺は今更ながら呆れた。
鬼拳一家は拳をガンガン打ち合わせながら前衛へと出陣した。ぶつけた拳の隙間から火花が散っている。
平一家はそれぞれ戦装束で馬に乗って参戦する。平氏の旗がバタバタとはためく。
そればかりじゃない。
昔の中国人の衣装を着た連中が手に手に矛を持って集まって来る。大きな鼻を持った異国人が何やら奇妙な武器を持って集まって来る。旧日本帝国の軍人たちが三八式小銃を担いで集まって来る。
いったいどれだけの数の逸れ者が歴史の闇の中を抜けてここへたどり着いたんだ?
「あいつらだ~。殺せ~」
そう叫びながら旗を掲げてこちらに突進して来るのは悪名高い攻撃的根本教義環境保護団体の面々だ。石油掘削プラットフォームなんかに爆弾テロを仕掛けている連中で、殺人強盗放火なんでもござれのヤバイ連中だ。ウチのゼミの情報を誰かが漏らしたらしい。
「これはいかん、敵が多すぎる。仕方ない。母さん。カツオブシを持ってきてくれ」
鬼口父がそう叫ぶと、素早く手で印形を結んだ。
「おんたたぎゃた、あな、はんばる、ぬこにゃんにゃん、おんてんそわか」
思い出せないがどこかで聞いた呪文だ。
「おいでませ。猫魔神さま!」
待機する群衆の中から巨大な猫の姿が伸びあがる。
猫魔神はうにゃああああああああああと挑戦の雄叫びを上げると尻尾を膨らませた。その口にはカツオブシが咥えられている。
鬼目さんがびっくりするほど大きな火縄銃を持ちだして来ると構えた。あれが噂の鬼鉄砲か。
両軍とも駒が出揃ろった。
「突撃~」その声と共に進軍ラッパが鳴らされる。
向こうの集団の先頭を走るのは吉村だ。
鬼拳さんの拳が吉村の顔に叩き込まれた。
目を点にした俺は鬼口家の中から自分たちの荷物を持ちだし香美さんの車に積みこんだ。死亡フラグを踏まないように口は開かない。
車に乗り込む俺たちに鬼口父は手を振った。村の衆を指揮するのに大わらわだ。
最後に鬼口母が来て、土産の漬物を香美さんに押しつけた。
「本当はこの帰省であの子のお見合いの用意をしていたのだけどね。もういい人がいるみたいで安心したわ」
香美さんが笑顔を返す。今の言葉自体には返事をしない。とにかく相手を刺激しないこと。香美さんの大人の対応だ。
「では行こう」浜口教授が促した。
今や戦場となったこの地から、4WDは脱出を開始した。
国道に辿り着くまで、香美さんはアクセルを踏み続けた。
その後しばらくの間、奇妙な事件が立て続けに起きた。
学校の近くの道でヌリカベが目撃された。夜道のど真ん中に壁が出現し酔っ払いが家に帰れなくなったり、正体不明の布が空を飛びまわったり、下水管の中から通行人が名前を呼ばれたりとかだ。
香美さんの所には鬼口の家からお中元が届くようになり、次はいつ来るのかとの問いで香美さんを困らせた。鬼口は始終済まなさそうな顔をしていた。
浜口教授はゼミの趣旨に合うように、鬼口の里の開発計画をあちらこちらの企業に売り込んだようだ。そのすべてが調査員たちの謎の失踪という結果に終わったとは後で聞いた。
鬼口の里から帰って来られた俺たちは相当運が良かったのだなと感じた。
夏休みも終わりに近づいたある日のこと、俺のスマホに一通の動画が届いた。
その動画の中では大勢のくねくねに囲まれた吉村が全裸になって一緒に踊っていた。
俺はスマホを取り落とし、地面の上でくねくねと踊り始めた自分のスマホを踏みつぶすと焼却炉で丹念に焼いた。
きっとヤツはまだあそこに居るのだ。
なにせ妖怪と変態は紙一重なのだから。
ドタバタ喜劇:我が良き友よ のいげる @noigel
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