第6話 鬼の村(前編)

 大学の期末試験も終わったので、夏休みの遊びの予定を立てようと鬼口に話しかけようとしたら、あいつ、目を逸らしてその場を離れようとしやがった。

 なんて奴だ。

 俺の必殺チョークスリーパーホールドにかけて責めてみたら、鬼口はあっさりとゲロしやがった。

 もちろん本気じゃない。それに怪力の鬼口が本気で抵抗したら俺の腕が折れるのがオチだ。

「実は夏休みは帰省しろと言われているんだ」

 鬼口は済まなそうに言った。大きな体をした鬼口がそういう顔をしているのを見るとなぜか俺の心は痛んだ。

 鬼口の故郷はどこかの地方のどこかの山奥の中のどこかにあるド田舎の村という話を聞いたことがある。余りにも僻地すぎて日本地図には載っていないそうだ。

 自然豊かな山の中でバカンス。俺の目が欲望にキラーンと光った。

「俺も連れていけ」

「駄目だ」鬼口は即答した。

「ケチるなよ。鬼口の家には泊めて貰えないのか」

「頼めば泊めてくれるとは思う。兄貴たちがいなくなって部屋もたくさん余っているし」

「食費は払う」

「そんな問題じゃないんだ。その、あの、お前が家に泊まればたぶん・・」

 そこで鬼口はごくりとツバを飲み込んだ。

「・・死ぬことになる」

 その場で俺は回れ右した。鬼口はこういうことで嘘を言う男ではない。鬼口が死ぬと言えば確実に俺は死ぬのだ。

 これは死亡フラグだ。ここで俺が何らかの要因で鬼口の故郷に行くことになれば、俺はきっと死ぬ。たぶん死ぬ。絶対に死ぬ。

 それも想像もできない恐ろしい死に方でだ。

 俺の中の危機感知アンテナが警報を鳴らしている。

 今すぐに死地と化したこの場を離れるのだ。


「おや? 鬼口君は里帰りか」最悪なことに浜口教授の声がした。


 浜口教授はウチのゼミ、つまり山林共生工学部の教授だ。見た目はどこかのフライドチキンのお店の前に立っているあの人形にそっくりだ。恰幅が良く、眼鏡をかけていて、白い鼻ヒゲと顎ヒゲを生やしているあの人だ。

 この学問は山林と共生する里山の在り方を研究する学問ではない。人間がいかに山林に寄生するのかを研究する学問である。モットーは『自然を骨までしゃぶり尽くせ』だ。最近になって成立した新しい学部で、悪名高い自然破壊企業と手を組んではあちらの里山こちらの里山を破壊し尽くされた荒野へと変えている。

 環境保護団体からは目の敵にされていて、たまに行き帰りを襲われることもある。

 もちろん好き好んでこんな学部に入ったわけじゃない。実を言えば吉村がした変態行為に巻き込まれたところを運悪く浜口教授に撮影されて、脅されてこのゼミに入ったのだ。その動画がネットに流されでもしたら俺と鬼口の社会人としての人生は間違いなく破綻する。


「そういえば鬼口君の故郷は日本に最後に残った秘境と呼ばれていたな。面白い。実に興味がある。文明の影響が少ないところの里山がどのような状態で残っているのかフィールドワークの必要があると常々考えておったのだ」

 浜口教授は顎髭を撫でながらべらべらと喋った。この議論の行着く先は明白だ。

 俺は嫌な予感がした。それも途轍もなくでっかいやつだ。少しづつ後ずさりしてこの場を離れようとする。

 俺のそんな動きには一顧だにせずに浜口教授は続けた。

「どうだね、鬼口君、君のところでフィールドワークをさせて貰うわけにはいかないかね。宿の手配と案内をしてもらいたい。もちろん宿代は出すし、今期の単位にはAプラスを進展しよう」

 あの~。俺はそっと手を挙げて浜口教授の視線を捕らえた。

「フィールドワークということはもしや俺も?」

「決まっているじゃないか。来なければ単位は出さないよ」

 ニコニコ顔で浜口教授が言った。もっとも目は笑っていない。

 この教授はやると言ったことは必ずやる。俺はそれを知っている。

 命賭けのミッション。もっとも時にゼミの単位は命よりも重い。単位を落として留年にでもなれば俺は親に切腹させられる。鬼口も似たようなものだ。

 話は決まった。こうなればもう誰にも止められない。



 鬼口の故郷は駅から遠く離れているので、みんなで行くには車が必須だ。

 これについては香美さんが車を出してくれることになった。

 どうしてうちの教授のような変人にこんな美人の助手がつくのか不思議でならない。

 だが彼女が行くとなれば俺も当然行かねばならない。それが男というものだ。

 後に俺はこの決断を深く後悔することになる。


 香美さんの車はハンヴィーだった。元々は軍用の4WDで大きな車体に大きなタイヤ。無骨で頑丈で威圧的。とても女性が乗るような車じゃないので俺は唖然とした。

 とんでもない車だが悪路走行にはピッタリだ。鬼口の村までの道は舗装されていなかったので助かった。

 石を踏んで車が上下に揺れるたびに香美さんの巨乳が揺れるのが眼福だ。こっそりと覗いているのを知られないようにするのが大変だ。もちろん座席を離れることもできない。いまズボンの前を見られれば俺の社会的生命は終わりを迎える。


 鬼口はいつもは最寄りの駅から二日ほど歩いて家に帰るらしい。今回は4WDだからだいぶん楽だ。ガソリンを積んだタンクが横に置いてあるのでちょっとばかり怖かったが、まあそれは仕方ない。

 ごつごつした岩肌の丘を抜けると急に緑豊かな里が俺たちの目の前に現れた。

「ああ、ちょっとそこで止まってくれないか」

 浜口教授がこの激しい揺れの中でもめげずに読んでいた本を置くと、香美さんに声をかけた。

 車が止まると浜口教授は降りてしゃがみ込んだと思うと、道端の何かを指で突き始めた。

 お地蔵様にも見えたが何か別のものの石像だ。牙と角が生えたお地蔵様なんかこの世にいるわけがない。

「魔除けの呪いがかけてある石像だな。鬼瓦と同じだよ」

 手をふりふり浜口教授が車に戻って来る。

「さあこれで大丈夫だ。行こう」

 何が大丈夫なのか分からないが俺たちは出発した。

 浜口教授の指の先が焦げているように見えたがきっと俺の気のせいだろう。


 それは密林と表現すべきだと思う。その中に左右に倒れた木が道の在処を示している。

 誰の仕業か分からないが、少なくとも人のできる技ではないことだけは確かだ。その切り口は斧でもチェーンソーでもない。何か凄い力でへし折られたものだ。

 鬼口が恐れていた理由の一部が分かったような気がした。この場所には木を残骸にできるだけの何かが棲んでいるのだ。

「なんだか凄いね」

 運転している香美さんの隣で乗せた覚えのない吉村が言った。

 こいついつの間に。やっぱりどこかに潜んでいたのか。


 吉村は俺と鬼口に付きまとう究極の変態だ。どうしてこいつが俺たちの周りをうろちょろしたがるのかは分からない。だがいつも何かの騒ぎを引き起こすことは分かっている。


 俺が見ている前で止める間も無く吉村の手が香美さんの巨乳に伸びる。

 俺よりも早く鬼口の手が伸び、吉村の手を掴んだ。

 べきばきぼきばりと音がして吉村の右手がひしゃげる。少なくとも複雑骨折、いや、粉砕骨折と見て取った。

 元々が怪力だが、ここまでやる鬼口は初めて見た。

 鬼口は助手席の窓を開けるとそこから吉村を放り出した。

「え~っ。いいんですか~?」と香美さんが叫ぶ。

「いいんだ」俺と鬼口の声がハモった。

 はっはっはっと浜口教授が豪快に笑う。

 変態を振り返らずに俺たちは進んだ。


 その内に道の先に集落が見えて来た。

 デタラメな配色だ。色々な時代の建物、それも異国風の洋館まで含めて世界各国の家が所狭しと建っている。

 鬼口の案内で道を進む。じきに古い茅葺屋根の古民家の前で車は止まった。

「ついた」

 鬼口が言うと俺たちは車を降りて伸びをした。激しく揺れる車にしがみついていたので体がすっかりと硬くなってしまった。背骨がボキボキと言う。

「お袋を呼んでくる」

 鬼口はそう言うと古民家の中に入っていった。浜口教授と香美さんも一緒だ。俺は車と荷物を見張っていないといけないのでその場に残った。

 三人ともなかなか出てこない。

 手持ち無沙汰になった俺は門扉の横にタンポポが生えているのを見つけて何気なく手を伸ばした。

「危ない!」

 声がして俺の体が突き飛ばされた。

 気がつくと背が高いおじさんが俺の上に立っている。

「馬鹿者! オニタンポポに手を出すヤツがあるか。指を失いたいのか!」

 そこまで喋ってからようやく目の前にいるのが余所者であることに気が付いた。

「ああ、そうか。鬼口さんとこに遊びに来るってのは君たちか。突き飛ばして悪かった。いいか、見てろよ」

 そう言うと道端に落ちていた木の枝を拾ってタンポポに近づけた。

 タンポポがフラリと揺れたかと思うと、花が二つに割れて大きな牙の生えた口が現れた。それがバクンと閉じると、木の枝の先端が食いちぎられて消えた。

「オニタンポポだ。この辺りに多い食肉植物だ。食べられそうなものは何でも食べる」

 ひえええええ。

「本当だ。面白い」

 車の中から吉村が飛び出すと、オニタンポポに飛びついた。

 しばらくの間、吉村とオニタンポポは戦っていたが、やがて鬼タンポポが吉村に噛みつくとたちまちにしてその全身を飲み込んだ。吉村は小柄な方だが、それでも小さなオニタンポポがそれをすべて飲み込んでしまうのには俺も驚いた。

 ひえええ。どうなっているんだこの村の植物は。

 ようやく鬼口が警告していたわけが分かった。

「あああ、大変なことだ」見知らぬおじさんが慌てた。

「いえ、大丈夫です。お構いなく」

 俺はそう言うと、車の中からみんなの荷物を引きずり出した。ちょうど家の中から出て来た鬼口がそれを運ぶのを手伝ってくれた。

「鬼目の叔父さん。こんにちは」鬼口が挨拶する。

 鬼目と呼ばれた人は目をぎょろぎょろさせて見せた。何かがその瞳の奥でギラリと光っている。

「い・・今、オニタンポポに人が食われた。君の友達なんだろ?」

 それを聞いて鬼口がこちらを見る。俺は頷いた。それで鬼口にも食われたのが吉村だと分かったらしい。

「大丈夫です。それは気にしなくて大丈夫なんです」

 鬼口がそう言うと、何となく鬼目の叔父さんも納得した。

 鬼口はこの村では信用があるらしい。



 鬼口の父親は鬼口と同じく体の大きな男だった。顔も良く似ている。血は争えないなと思った。

 母親はごく普通の女性だ。そう見えた。

 家は全部畳張りだ。外見も古風だが内側も古風に統一されている。恐らく何百年も前に建てられて以来一切手を加えられていない。

「この村には近代的な家も多いんだがウチはこれでな」

 鬼口は恥ずかしそうにぼりぼりと頭を掻いた。

「しかしこの古さでこの家は大丈夫なのか」俺はちょっと不安になって訊いてみた。

「これオニスギ。家に使うと千年は持つ」と柱を指さしながら鬼口は答える。

 もしそんな丈夫な木材があればきっと好事家に凄い値で売れるはず。なるほど浜口教授が目をつけるわけだ。


 その夜はそのままみんな鬼口の家に泊まった。

 鬼口が言っていたように空き部屋はたくさんあった。

「兄貴たちの部屋だったんだ」鬼口は説明した。

「兄貴って、鬼口お前兄弟居たんだ?」

「おれ、八人兄弟の末っ子」

 それを聞いて俺は目を回した。あの普通のお母さんが鬼口のような巨漢を八人も産むなんてびっくりだ。

 浜口教授はうんうんと頷きながら柱や床を調べてはメモに取っていた。

 香美さんは夕食前にお風呂に入ると言って出て行った。もちろん女性が一番風呂なのは礼儀だ。

 俺は割り当てられた部屋の中で持って来た荷物を整理していた。一応明日からはここの里山の調査が入る。優雅なはずの休暇がゼミの仕事に化けてしまったのは少し悲しかった。だが単位を握っているのは浜口教授だ。逆らうことはできない。

 着替えを取り出した所ではっと気づいた。

 バスタオルを手に持ったまま廊下を走る。風呂場はこの先だ。

 予想通りにいた。

 吉村だ。やはり風呂に入っている香美さんを覗いている。

 この変態め。俺の頭に血が上った。

 俺はバスタオルで吉村をグルグル巻きにすると浴室のドアから引きはがし、廊下の行き止まりの窓を開けるとそこから放り出した。

 何か黒い大きなものが夕暮れの空から素早く降りて来ると、吉村が包まれたままのバスタオルをさっと攫って消えた。コウモリのような翼、鉤爪のついた尻尾、そして蹄のついた足。

 何の生き物かは判らないけどきっと恐ろしい生き物だろう。

 俺はそのことを頭の中から消した。

 吉村がこのぐらいで滅ぶわけがないことは理解している。なにせ吉村は変態なのだ。


 がらりと浴室の扉が開き、香美さんがお湯で上気した顔で出て来た。

「あら。中山くん。何しているの?」

「な、何でもないです」

 ヤバイ。この状況だと俺が風呂を覗いていたみたいじゃないか。

 俺は慌ててその場を離れた。

 たぶん香美さんには誤解されてしまった。くそう。これも全部吉村のせいだ。この世の悪いものはすべて吉村からやってくる。

 その場で悔しさに足踏みをしていると、誰も入っていないはずの浴室の中で音がした。

 覗いて見るとそこには古めかしい石作りの五右衛門風呂がどんと居座っていて、今まさにその風呂の中に裸の吉村が浸かっている。

「香美さんが入った後のお風呂~」吉村は歌った。「巨乳の味がする~」

 ごそりと音がして俺の横に鬼口が立った。殺気が全身から放たれるほどに怒っている。

 俺と鬼口は目くばせをした。二人の意思は完全に一致している。躊躇うことなく二人で浴室になだれ込んだ。

 鬼口は素早く風呂釜に大きな木の蓋をした。吉村は暴れたが本気の鬼口の怪力に敵うわけがない。

 俺は片隅に積んであった薪を取ると、次々と五右衛門風呂の焚口に突っ込んだ。

 風呂の蓋の上に大きな重石を載せると鬼口も俺に加わった。


『燃えろよ燃えろボウボウ燃えろ』


 鬼口がそう口ずさみながら薪を放り込み、息を吹き込むと炎が勢いよく燃え上がる。

 俺も自然と鬼口の鼻歌に唱和した。


『煮えろよ煮えろグツグツ煮えろ。

 逃がすな逃がすないつまでも。

 蕩けよ蕩けろ美味しく蕩けろ』


 歌は続く。五右衛門風呂の窯の中でぐつぐつグラグラと湯が沸き立つ音がする。

 蓋を開けようとする吉村の抵抗がだんだん弱くなっていく。


『赤子泣いても蓋取るな。

 坊主叫べど覗くはならぬ。

 領主来たとて追い返せ。

 邪魔する者は食い殺せ』


 俺の目つきに気づいて鬼口が恥ずかしそうに答えた。

「この里に伝わる風呂焚き歌なんだ」

 いよいよ上がりのときが近づいて来る。

 窯の中が静かになった。湯が沸き上がるぐらぐらぼこぼこという音だけになる。

 俺と鬼口は顔を見合わせて、風呂の蓋を開けた。

 もわっと火傷しそうな熱い湯気が噴き上がる。

 煮え上がる熱湯の中には吉村の姿は無かった。



 程なくして夕食になった。大きな居間にこれも大きなテーブルをどんと置いて、鬼口母がこれでもかとばかりに作ったご馳走が並ぶ。

 香美さんも甲斐甲斐しく料理を手伝っていた。

 おい、鬼口。これは絶対にお前の母さん勘違いしているぞ。そう目で合図すると鬼口は決まりが悪そうな顔をした。


「暗くなったら家の外には出ないようにしてください」

 鬼口母が説明した。

「最近は山から色々な動物が迷い込んでくるんですよ。鬼目さんがいつも目を光らせてくれているのでこの辺りはそこまで危険じゃないんですけどね」

「危険って、あの・・タンポポとかですか?」

「あら、違いますよ」鬼口母は小さく笑った。

「都会の人はタンポポは珍しいのね」

 違います。普通のタンポポは珍しくないけど肉食のタンポポが珍しいんですって。

「タンポポは触らなければ噛みつかないから安全ですよ。それにあれを植えているとムカデやアリを食べてくれるから助かるんですよ。どちらも致命的な毒はないけど、噛まれると三日三晩転げまわるぐらい痛いから」

 俺は慌ててそんな虫が近づいて来ていないか辺りを見回した。

 鬼口の村のムカデもアリも普通の虫ではないことは明白だ。きっとでっかくて狂暴で素早くてそして人肉食だ。

「こないだなんかこの村に税務調査に来た係の人がアリの巣に落ちちゃって大変でしたわ」

 鬼口母はそこでケラケラと笑った。

 もしやその人がアリの巣に落ちたのは誰かの差し金ですか?

 心の中に浮かんだ疑問はそのまま飲み込んだ。それは喉につかえたが無理をして通した。

 とにかく、飯が旨ければ俺は文句はない。

「あら? もうお酒がないわね。吉村ちゃん、お願いできる?」

 その言葉に応えて台所から酒の一升瓶を持った吉村が現れた。

 こいつ、いったい何時、鬼口母に取り入った?

 吉村は一升瓶を鬼口父の横に置くと、香美さんの横に座った。吉村が悪さをする前に鬼口の手が伸びて、吉村を自分の横に座り直させる。その手は吉村の首に偶然のように掛かっている。鬼口の怪力ならいつでもそれをポッキリと折ることができるだろう。


「鬼目さんがケモノを見つけたら、ここらでは鬼拳さんを呼ぶことになっている」

 ぶすりと鬼口父が言った。手に持った大盃へ一升瓶から酒を手酌で入れる。大鬼殺しというラベルがちらりと見えた。

「鬼拳さん?」思わず呟いてしまった。

「ここへ来る途中で木が倒れていただろ」と鬼口。

「あれ。鬼拳さんの仕業」

「そう言えばどの木にも拳の痕がついていたな」

 珍しくも浜口教授が言った。

「一撃かね?」

 その言葉に鬼口一家が一斉に頷く。

「実に興味深い」浜口教授の目がそのメガネの奥できら~んと光った。

「ところで明日はさっそく里山に調査に出てみるつもりです。鬼口君にはその案内役を頼みたいのですが宜しいですかな?」

「倅だけでは心もとないな。なにぶんここの山には危ないケモノがわんさかと居る。ワシは明日は外せない用事があるので平さんに案内を頼んでおこう」

「平さん。お隣さん」鬼口が補足した。

「この村は昔から日本のあちらこちらから追い出された者が集まっておる逸れ者の集落なんだ。色々と奇異に思うことがあるかも知れんが驚かんといてください」

 鬼口父はそれだけ言って、自分の酒で赤くなった顔を叩いて元気づけるとそのまま奥に引っ込んでしまった。ほどなくどこか遠くからイビキの音が聞こえて来た。

 鬼口と明日の調査場所を検討している浜口教授を残して俺も自分の部屋に戻った。


 この村に遊び場があるとは思えないので、俺は携帯ゲーム機を取り出して遊び始めた。これはモンスター集めのゲームだ。場所の情報を元にして日本全国の地域によって違ったモンスターを集めることができる。

 果たして鬼口の里にゲーム用の電波が届いているのかどうかは怪しかったが、しばらく探っていると、やがて奇妙なモンスターが捕まった。

 オニチューの名前が表示される。恐らくこの場所にしかいないレアだ。俺は喜んでそいつをモンスター・コレクションに加えた。

 オニチューはたちまちにして俺が捕まえておいた貴重なモンスターたちを貪り食い、挙句の果てには携帯ゲーム機の画面から出てこようとしたので慌ててスイッチを切って電池を抜いた。さすがレアモンスター。常識を越えた動きをする。

 そこでまたはっと気づいて、香美さんの部屋に向かった。

 香美さん自身は夕食の後片付けを手伝っている。そして香美さんが寝る予定の部屋では吉村が布団を二組並べている所だった。

 俺は無言で吉村を捕まえるとガムテープでぐるぐる巻きにした。それを玄関に引きずっていって扉を開きそこから夜の闇の中に押し出そうとした。

 俺が何するでもなく、外の闇から黒くて長い手がにゅうと伸びて来て縛られたままの吉村を鷲掴みにした。

 それに応じて玄関の上に貼ってあるお札が炎を上げる。

 黒い手も一緒に燃え上がったが、吉村を放すことはなかった。俺が吉村の体を押すと、一瞬躊躇った後に黒い手は吉村を外へと引きずり出した。

「すまぬのう。ありがたや」か細い声が聞こえた。

 俺は玄関をぴしゃりと閉めて、後ずさりする。どっと嫌な臭いのする油汗が噴き出した。今のはものすごくヤバイ何かだ。下手をすれば俺が闇の中へと攫われていた。

 鬼口が言った通りだ。普通の人間はここでは生き延びることができない。

 香美さんの部屋に戻り、余分な一組の布団を片付けようとしていると、戻って来た香美さんと鉢合わせしてしまった。

「い、いや、これは違うんだ」

 言い訳するも空しく、部屋から追い出されてしまった。

 絶対に誤解された。

 完璧に誤解された。

 徹底的に誤解された。

 もう駄目だ。

 俺は落ち込んで自分の布団に潜り込むと、それでもその晩はぐっすりと寝てしまった。

 人生すべからくなるようになれだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る