未来のない世界で、二人きり。

稲荷竜

『最良』

「見て! 私を何度も苦しめた砦! あはははは! めちゃくちゃに壊れてる!」


 世界には瓦礫と死体だけがあって、僕たちを見る者は誰もいなかった。


 崩れ去った砦に折れた砲台、ねじくれた城門を前にして彼女が子供のように大声で笑う。

 それを不謹慎だと眉を顰める者は誰もいない。


 僕の右手は彼女の手とつながれていて、それを咎める者も、誰もいない。


 誰も、いない。

 この世界にはもう、僕ら二人だけしか、いない。


 ……世界は滅びた。

 あらゆる生命は死に絶えた。

 未来は消えた。


 だから僕らは、ようやく、互いの想いを口にできた。


 僕は勇者で、彼女は魔王だ。


 僕らの恋は、誰にも祝福されない。


 だから、誰もいない世界で、僕らは誰にはばかることなくデートをしている。


 ◆


 コンビニのドアをくぐったら、そこは異世界でした。


 なんの前触れもない拉致だった。僕は混乱しているうちに剣を持たされ、盾を持たされ、バルコニーに連れ出され、そしてたくさんの人たちの目の前に立たされた。


 言葉は最初からわかった。でも、まわりの人たちが言っていることをうまく理解できなかった。

 非現実過ぎた。『映画の撮影かな?』とか、そんなことさえ思えない。相手はあらかじめ僕を拉致して勇者とかいうものに祭り上げるために準備をしていた。僕は唐突に予想しようもない奇襲を受けた。話はそれで、すべてだった。


 わけのわからないうちに世界を救うことになってしまった僕は、抵抗しようもないままに身体中に色々な魔法を施された。

 その中には思考能力を奪うようなものもあったらしく、こうして対魔王の尖兵は出来上がり、僕は状況の理解を許されないまま、人類のために戦うキリングマシーンとして生まれ変わった。


 こういうことは五十年に一度ぐらいあるらしい。


 魔王が目覚める時に王宮にある召喚陣がサインを出す。それを見た王宮の偉い魔道士たちが『勇者召喚の儀』を行う。すると適性のある者が異世界から呼ばれる。今回はたまたま僕だった。そういう事故だった。


 たくさんの魔物を殺すことになった。


 その時の僕は生物を殺すことになんの疑問も持たなかった。


 獣のような生き物をたくさん殺した。


 魔王の居城と言われている場所に近付くにつれ、人型が増えていった。

 かまわず殺した。


 人に敵対する種族は邪悪で、それを殺すことに良心の呵責なんか起こらないように頭をいじられていた。

 思考は常にクリアで、相手をどう効率よく殺すかばかり考えていて、休息は身体の健康維持に必要な程度に抑えて、それから趣味は、殺害行為。


 魔族と言われている人たちを殺すたびにどんどん『自分は、とてもいいことをしているんだ』という気持ちが大きくなってきて、心地よかった。

 殺せない日が続くと苛立ったし、そんな日のあとで強敵を殺せるととてもとても気持ちがよかった。


 苦戦はあったのかもしれないけれど、魔族との戦いで苦しみやつらさを感じることはなかった。感じられないようにされていたから。


 僕の体にある『聖鎧』とかいうやつが、そういう作用をもたらすらしい。


 鎧とはいうけれどそれは魔術で、それが『過去の勇者』の技術や力を継承させ、聖剣の使い方をわからせ、そして『勇者としての人格』を形成するらしい。


 どうして僕なんだろう。


 僕じゃなくても、いいはずだ。


 この世界の人には『聖鎧』を身につけさせられないという。でも、僕じゃなくていいはずだ。もっと運動ができる人はいくらでもいるだろう。もっと勉強のできる人もいくらでもいるだろう。なぜ、僕なのか……


 悩むことはできたけれど、その悩みはちっともシリアスにならなかった。

『なぜ、自分なのか?』という悩みに理由を見つけられなくって、だから僕は『それでも自分が勇者になって、魔族どもを殺しまくれるんだから、なんて運がいいのだろう』と締め括っていた。


 そうして魔王の居城に着いて、そこを守る魔族たちを皆殺しにして、ようやく目的の魔王へ辿り着く。


 魔王は玉座のある部屋で待ち受けていて、扉を開いたばかりの僕へ奇襲気味に魔術を放とうとした。たしかにそういう魔力の高まりを感じた。


 でも、その魔術が放たれることはなかった。


「……なんで」


 か細いつぶやきが耳に届く。


 魔王の顔を見た時……ようやく、『勇者の適性』がなにか、理解した。


 彼女は前の世界の知り合いで、僕の幼馴染だった。


 勇者の適性。

 それは、『魔王が攻撃をためらう相手であること』。


 異世界の剣と異世界の鎧をまとって、魔法を使い、情を利用して魔王を討つ者。

 それが、『勇者』と呼ばれる拉致被害者だった。



 その時に僕が攻撃をためらったのは、『聖鎧』の術式に最初から綻びがあったのか、それとも僕の意識が『過去の勇者』を押し退けて出てくるほど強かったのか、それはわからない。


 僕はとにかく逃げた。


 戦略的撤退というやつではなかった。

 魔王になっていた彼女が僕を見て呆けているうちに攻撃してしまえば、きっと僕は勇者の使命を果たせたことだろう。


 だから、逃げた。


 殺さないためには、彼女を視界の中から消すしかなかった。


 魔族に対する憎悪というものがほとんど自分でも制御できないほど僕の中にうずまいていた。連中は死ぬのが当然で、生きているだけで地上を汚す害悪なのだと、そういう前提がいつの間にか、僕の中にねじこまれていた。

 縁もゆかりも前情報もなく、相手のことをよく知らない。

 でも魔族は悪だから殺すべきという、前提が。


 その前提に基づいた憎悪と殺意は、彼女を魔王だと理解するにつれて我慢できないほどに大きく急激にふくらんでいった。

 だから、逃げた。

 僕は僕の殺意から、逃げたのだ。


 でも、彼女は追いかけてきた。


 どうしてそんなことをするのだろう。なぜ、僕を追いかけるのだろう。ああ、そうか、殺すためだ。あいつは魔王で、僕は勇者だから……

 違う! 違う! 魔王だの勇者だの、そんな安っぽい役割なんかどうだっていいだろ!? 僕と彼女は人間だ! 言葉も通じる! 話せばわかる! 最初から殺し合いなんかすることもない、共存できる、人間なんだ……


 ……走り続けて、人の領地へと戻っていた。


 いつの間にか振り切っていたようで、彼女はもう、後ろにいなかった。


 殺す機会を逸して残念だ。

 殺し合いにならなくてよかった。


 勇者と僕のせめぎ合い。


「僕は、誰だ?」


 王宮に戻ることにした。


 二つの価値観が争い合っている。それは両方とも僕の人格で、そして、魔族を殺せと叫ぶ人格の方がちょっとだけ強かった。

 一方で話し合いや共存を望む方の僕はあまりにも弱々しい。寝て起きたら消えてしまいそうな気がして、だから僕は眠れもせずに王宮へ戻った。


 僕が戻ると街は大騒ぎをして、人々は口々に僕を称え、そして王宮へと向かわせた。

 あたりには生花のはなびらで作った吹雪が舞い、楽団がにぎやかで幸せそうな音楽を鳴らし、慌てて出てきた兵隊たちが人々を押しやって僕に道を用意した。


 数々の贈り物が僕のもとへ運ばれてくるのを、『なんで?』と思いながら見ていた。


 理由はすぐにわかった。


 勇者は魔王を倒すまで帰らないものだから、僕が帰ったということで、魔王が倒されたと思われたのだ。


 ところが王の御前まで行った僕が、魔王討伐の祝辞を述べる王様に対して、魔王との共存を願い出て、空気が一変した。


「なぜ、魔王を殺していない?」


 一生懸命に説明した。幼馴染だから。話せばわかるから。僕と彼女にはこの世界の人たちなんかよりずっとずっと長い付き合いがあって、だから……


「けれど、魔王は殺すべきだ。そうだろう、勇者よ」


 ……そうかもしれないと思った。

 だから、恐ろしくなった。


 魔王だから、殺すべき?

 そんなお仕着せみたいな職業意識で他者の命を奪うなんてどうかしている。まず話し合いがなされるべきだ。だって、僕らは……

 でも、魔王は殺すもので……


「……誰ぞ、あるか! 勇者の『鎧』にきずがあるらしい」


「やめろ……」


 過去の勇者たちの意識を、価値観を、無理やりに植え付ける『鎧』。

 僕の人生も、想いも、すべて封じ込めてしまう、『鎧』。


 着せた者を『勇者』にしてしまう、鎧━━


「やめろ! 僕は、僕だ! 『勇者』なんかじゃない! 僕の人生を勝手に奪うな! 生活を奪って! 元の世界を奪って! 『僕』まで奪う気か!?」


 王に対して殺意が湧いた。

『勇者』のものではない、『僕』の……最後に手の中にあった一欠片の想いさえも奪おうとする相手への、生まれて初めて抱いた殺意……


 でも、僕は王に向けて剣を振り下ろすことができなかった。


『鎧』が阻むのだ。

 魔族を殺し人を守るという崇高なる使命の化身、『勇者』の意思が何代にもわたって染み込んだ『鎧』が!


 だからその時僕を助けたのは、『僕』ではなかった。


 彼女、だった。


 たった一人で、僕を追いかけてきてくれた彼女が、僕を王の御前から、連れ出してくれたのだった。



 どことも知れない洞窟の中、憎い魔王と二人きり。

 焚き火の爆ぜる音がして、火の粉がふらふら、上へとのぼっていく。


 僕は膝を抱えて震えていた。


 寒くはなかった。火のすぐそばは熱いほどで、それでも震えは止まらない。

 ガチガチと歯を鳴らして足を掻きむしりながら、強く強く目を閉じる。


「大丈夫?」


 声をかけないでほしかった。殺したくなってしまうから。


「寒そうだけど、火、足りない?」


 優しくしないでほしかった。殺したくなってしまうから。


「熱は……ないみたいね」


「触るな!」


 額に触れた手を振り払う。

 右手には輝きが集まっていて、聖剣を抜きかけていた。


 深呼吸を五回も六回も繰り返して、ようやく輝きを霧散させる。

 それからまた、膝を抱えて目を閉じた。


「……触らないでほしい。声も、かけないでくれ。……どうか、僕から逃げてくれないか? 僕は、君を……殺してしまう」


「……お互い、大変だったみたいね」


「大変なんかじゃなかったよ。魔族を殺すのは楽しかった。強敵との戦いで傷ついてもつらいなんて思わなかった。連中をこの世から消し去るのは僕の唯一の喜びで、人生でたった一つだけの達成すべき目標だ。だから、だから……」


「……」


「君の知ってる僕はたぶん、もう、いない」


「そうかな。ここにいるように見えるけど」


「すぐに消える。だって、僕は弱いから」


「知ってるよ。幼馴染だから」


「なら、逃げてほしい」


「どこへ?」


 ……僕らは異世界という場所に拉致されて、殺し合いを強要されている。

 電車はない。バスもない。僕らは知らないあいだに戻れない道を渡り切っていて……


 逃げ帰る場所なんか、もう、どこにもない。


「そばにいるから、好きな時に殺せばいいよ。だってそれだけが、あなたのつらさをなくす方法なんでしょう?」


「殺したくない。君は、死にたいのか?」


「死にたいわけじゃない。でも、この世界に思い入れも、未練もない。将来もなくなっちゃった。家族ももう会えない。でも、あなたがいるから、あなたのそばにいる。それが危なくても、そばにいる。それ以外になんにもないから」


「……」


「あなたは、私を殺したあと、やることある?」


 なんにも、ない。


 喜びは魔族を殺すこと。趣味は魔族を殺すこと。目的は魔王を殺すこと。

 拠り所もない。家族もいない。彼女以外は全部うすっぺらな、この世界。


「……たしかに僕も、君といる以外にやりたいことがないや」


「じゃあ、ちょっと耐えてみよう」


 それしかないから、そうすることにした。

 僕らにはこの世界に呼ばれた時から選択肢というものがほとんどない。ただただ流されて利用されるままにやっているだけで……


 でも、僕らは、ここにいる。


 彼女のそばにいる時だけ、僕は、僕であることを、確信できた。



 なんの思い入れもない世界だけれど、壊したり、殺したりというのは、やっぱりためらいがあった。

 なんの知識もないからこそ、この世界の人命とか、文明とか、そういうものを壊そうとは思わない。僕らはそういう常識の中にいた。


 だから最初は、加害に対する反撃だった。


 相手がこちらを殺そうとしてきた。

 だからうっかり殺してしまった。

『勇者の意思』は、僕の生存本能を前に身を退いて、それから二度と、出てこなかった。


 そこからはもう転げ落ちるように僕らの倫理観は崩壊していった。値崩れを起こす人命。廃墟の仕上がりを競うように壊れていく街並み。

 子供や老人を殺す時にはさすがにちょっとためらったけど、それも大規模破壊に巻き込まれた死体を見慣れるうちに平気になっていった。


 僕らはもう、戻れない。


 彼女に対する殺意はずっと心の奥底にたぎっていた。それでもそばにいると眠れたし、彼女の目をそばで見ると、そこに映る範囲にだけ『僕』がいるような気がして、思い留まることができた。


 破壊の限りを尽くして、なんにもなくなって、ようやく僕の殺意も消えた。


 僕の鎧は砕けたらしい。


 彼女も治めるべき民を失ったらしい。


 勇者と魔王を形作っていたものは粉々になって、僕らはようやく『僕』と『彼女』に戻ることができた。


「好きだよ」


「私も」


 この告白はきっと、僕らが勇者やら魔王やらになる前にするべきだったものだろう。


 でも、僕らはもう、戻れない。


 滅びた世界で二人きり、手をつないで回る。


 世界は滅びた。

 あらゆる生命は死に絶えた。

 未来は消えた。


 だから僕らは、ようやく、互いの想いを口にできた。


 僕は勇者だったし、彼女は魔王だった。


 僕らの恋は、誰にも祝福されない。

 そもそも、誰かも知らない人たちの祝福なんか、いらない。


 終わった世界で生きていこう。

 これが僕らの、最良の幸福。

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未来のない世界で、二人きり。 稲荷竜 @Ryu_Inari

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