行く先々に見ず知らずの美少女がいる。

アジのフライ

七月上旬

 ――俺は今、ストーカーされている。

 しかもかなりの美少女に。

 勿論もちろんだが、その女の子との面識はない。


 ……勘違い? 

 いいや違う。これはきっとガチなやつだ。


 渦巻丸うずまきまる高校に入学して約三ヶ月が経過した。

 友達はろくにおらず、部活にも所属していない俺はというと、適当なアルバイトをこなしつつ暇な時間を過ごしていた。


 趣味はと聞かれても困るのだが、あえて言うなら行ったことのない場所を散歩することだ。

 目的地の決め方だが、本屋でレジャーのコーナーに並んでいた一番地味そうな本を購入して参考にしている。


 放課後や休日。時間があれば散歩だ。

 隠れ家的な喫茶店、高台の公園、砂浜のきれいな海、寂れた駄菓子屋、個人経営の本屋などなど。


 これが意外と面白いもので、ひとりが好きというのもあってか、わくわくしながら手の届く範囲の場所を探検していたのだ。


 しかしだ。

 ゴールデンウイークが明けたあたりで、俺はあることに気づく。


 隠れ家的な喫茶店にも、高台の公園にも、砂浜のきれいな海にも、寂れた駄菓子屋にも、個人経営の本屋にもいるのだ。

 その見知らぬ美少女が。


 最初は偶然だと思った。

 だが俺調べでは三回続くとそれは偶然ではない。三回続くことには必ず理由があるし、俺の場合は五回以上続いているわけで。


 明らかに異常だ。


 その女の子の見た目はというと、艶やかな黒髪と少し長めの前髪。色白で華奢だが、整ったその顔立ちのせいで嫌でも目立つ。

 着ている制服はどうやら近くの高校のものらしい。


 彼女は本を読んでいることが多い。

 幽霊か何かではなかろうかと推察したが、喫茶店で注文出来ていたことを思うと、幽霊の線は消えた。

 

 ならば何なのか。

 つまりは。ストーカーである。


 七月上旬の梅雨明け間近の今日。

 俺はついに決意した。


 今日は放課後バイトもないので、電車に乗って隣町の喫茶店に行く。余談だが、ネットのクチコミに隠れ家とか書かれている場所はもう隠れてないと思っている。


 しかし今回目当ての喫茶店はネットで検索してもクチコミはほぼ無し。この地味なガイドの隅っこに小さく載っている程度だ。知る人ぞ知る隠れ家、と言っても過言では無いだろう。


 ――もしだ。もし今日その喫茶店に例の女の子が居たら。温厚な俺もいよいよ言わざるを得ない。


 このストーカーが!! と。

 どうやって人の行動を把握してやがるんだ!! と。


 そりゃ可愛らしい女の子に好意を寄せられるのは悪い気はしない。が、勝手に行動を読まれて先回りされたり付け回されるのは気分が良いものではない。


 ……頼む。頼むぞ。そう願いつつ。

 がたごとと電車に揺られ。駅からの道をゆったりと歩き。たどり着いた喫茶店。

 なかなかおもむきのある建物である。入店。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」


 マスターの渋い声が響く。少し暗めの店内に添えるようにかけられた音楽が心地よい。


 俺はおそるおそる店内を見回す。

 心臓が、跳ねた。…………まさか。本当に。

 窓際の席。俺は例の女の子を見つけてしまったのだ。


 震える手をぐっと握りしめる。

 これはもう偶然などではない。

 ここではっきりさせておかなければ、俺の平穏な散歩ライフはいつか彼女に背後から刺されて終了ということになってもおかしく無い。


 疑惑の種は潰しておかなければ。


 俺は意を決して、窓際の女の子の席へと向かう。どういうつもりなのか、どうやって先回りしたり後をつけたりしているのかを問いただして、ストーカーはやめろと言ってやる。

 俺だって男だ。言うときは言う。


 ついに彼女の席の目の前に立つ。

 いつものようにその女の子は本を読んでいた。ぱちりと目が合う。とても可愛い。


 彼女はその吸い込まれそうなほどに綺麗な瞳を大きく見開くと、浅い呼吸を何度か繰り返してきゅっと目と唇を閉じて俯いてしまう。


 ふるふると身体が震えている。

 ストーカーがバレてしまったことへの懺悔と後悔の気持ちがそうさせるのだろう。


 俺はゆっくりと口を開く。

 どういうつもりなんだ。俺がそう問いかけるより一瞬早く、喫茶店の中に声が響いた。


「――こ、このひとっ、すっ、ストーカーですっ!!!」


 店内に響く鈴のようによく通る声。

 ぴしりと刺された小さな人差し指。

 それは俺の方へと向けられていた。


 ぞっとした。

 …………馬鹿な。

 俺は勝手に勘違いをしていた。


 ストーカーしているのは彼女で、俺は被害者なのだと。しかし違う。そうか。

 

 ストーカーされていたのは俺でもなく、彼女でもなく。俺と彼女の二人だったのだ。

 黒幕が、いたのか。


 息を呑む。

 彼女が指し示す俺の背後を、ゆっくりと振り返った。


 そこには、マスターが立っていた。


「まさか。マスター、あんたが……」

「お客さま。どうされましたか?」


 冷静な声で問うマスター。まさかこの温厚そうなマスターがストーカーだったと? そんなことが。


「このひと、ずっと私をつけてくるんです」


 小さく震えた声。

 俺は数歩後ずさると、マスターを睨みつける。


 一体どうやって俺と彼女をここに誘い込んだ? なぜ彼女は、大人しく窓際の席へ座っていた?

 何が目的なんだ、このストーカーマスターは。


 ふと、気づく。

 マスターの方に向いていたはずの彼女の指が、いつの間にかこちらへと移動していたのだ。


 俺はまたゆっくりと振り返る。

 そこには空席の机と椅子があった。

 ……………………あ、あれ?


「お客さま。お話しお聞きしましょうか」


 強められた語気と怪訝な目がこちらへと向けられる。

 俺は正々堂々言い放った。


「いや、違います。ストーカーはこの子です」


 俺がカウンターのように女の子を指差す。

 彼女は口をぽかんとあけたまま、顔を真っ赤にしてわなわなと震えていた。


「な、なんでっ! だって私がいる所にずっと現れるじゃないですか! おかしいです!」

「こ、こっちのセリフだ! 先回りしたり後から現れたり、どこかに発信器でもつけてるんじゃないだろうな!」

「そんなわけないじゃないですか! だ、大体私があなたをストーカーして何の得があるんですかっ! 誰なんですかあなた!」

「知るかそんなの! こっちが聞きたいわ! 俺をストーカーしてどうするんだよ! 何が狙いだ? 金か? 全然ねえわ!!!」

「じゃあ偶然同じ場所で私たち出会ってるとでも? そんな運命みたいなことっ――!」


 がたりと勢いよく席から立ち上がった女の子の鞄が床に落ちる。教科書やらが床に広がり、慌てて彼女はそれを拾おうとする。


 手伝おうとしたところで、俺は息を呑んだ。

 目に映ったのは一冊の本。


『渦巻丸市観光ガイド』


 俺が散歩の参考にしていた本だ。

 

 隠れ家的な喫茶店も、高台の公園も、砂浜のきれいな海も、寂れた駄菓子屋も、個人経営の本屋も。そしてこの喫茶店も。


 このガイドに、載っていた。


 俺はゆっくりと鞄から渦巻丸市観光ガイドを取り出し、彼女へと向ける。


 床に散らばった教科書を拾い集めていた彼女がこちらを見上げる。不思議なものでも見るかのように彼女はこてんと首を傾げると。


 ぼわっと、頬が赤く染まった。

 少し涙目になったその恥ずかしさでいっぱいの表情は、めちゃくちゃ可愛かった。


「……お客さま。ご注文は?」


 こほんと咳払いをしたマスターが俺に問う。


 俺は名前も知らない女の子の座る席の向かいにゆっくりと腰掛けると、きっと赤くなっているであろう顔を誤魔化すように俯いたままつぶやいた。


「アイスコーヒーをひとつ。あと、彼女におすすめのケーキをお願いします」


 目の前の女の子と目が合う。

 視線を泳がせた彼女は、困ったように唇を噛んだ後、ふわんとやさしく微笑んだ。


 からん、と入り口のベルが鳴った。


 もうすぐ梅雨が明ける。

 ストーカーなんて、いなかった。

 代わりに俺は、見ず知らずのひとりぼっちの美少女と出会った。

 


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