1章 地下世界にて

第4話 図書区画①

 剥き出しの土に囲まれた地下廃道をしばらく歩き続けた後、少年は言った。

「え、エヴァ、待ってよ……!」

 立ち止まって振り返れば、離れたところで少年が肩で息をしている。

「エヴァ、足速すぎない!?疲れないの!?」

 心底驚いたように大きな声を上げた。エヴァにとってはごくごく普通の速度だったのだが、どうやら少年にとっては少々速すぎたらしい。

「疲れない」

「なんで!?」

「ヒトではないから」

「あ、そっか……」

 どうやら少年にとって、エヴァはまだ自身と同じ生きた人間扱いらしい。ヒト型をしているので余計かもしれないが、頭部から飛び出した回り続ける歯車は生物としてはあまりに特異故に、エヴァとしては理解し難いものだ。眼前の明確な事実に対して、わからない、ということの方がわからない。

「疲れた……ちょっと休みたい」

 歩き始めておおよそ2時間といったところだろうか。エヴァは首を傾げる。2時間歩き通した程度で疲れるのか、人間は。

「ごめんエヴァ、あのね、もっとゆっくり歩いて欲しい……それからもう少し休憩をちょうだい……」

「わかった」

 ありがとう、と少年は笑う。土壁にそっと手を当てて、もたれかかるようにして腰を下ろした。

「どのくらい歩いたんだろ?」

 疲れたー、と腹から声を出しながら少年が問うので、エヴァは淡々と答える。

「およそ2時間歩いた」

「2時間!?そりゃ疲れるね、よくそんなに歩いたなあ……」

 夕焼け色の瞳をまんまるに見開く。やはり2時間というのは少年の体感としては長かったらしい。

「子供の体力は無尽蔵という記録があったから、半日は動き続けられるものと考えてた。修正する」

「記録?」

「地下3層には図書区画が点在してる。読める状態の本は全て読んできた」

「図書区画!?本!?」

 夕焼け色が、さらに眩しい太陽の色に輝く。表情もまたキラキラとして、少年は心底楽しそうに笑い、握り締めた拳をブンブン振り回した。

「この先にもあるかな!?」

 どうやら少年は本に興味があるらしい。しかし彼に識字能力があるのかと考えると、エヴァにはないようにしか思えなかった。10年前には既に世界は滅びていたはずだ。仮に滅びたとき既に何らかの原因で少年の成長が止まっていて、それから姿が変わっていないのであれば可能性がないわけではないが、12年前に生まれ順当に育っているのだとしたら当時彼は2歳のはず。識字どうこうといった年齢ではない。

「崩落していなければこの先にもひとつ図書室がある」

「あるんだ!ていうか、地図持ってるの?」

「私が目覚めた部屋に、この世界の詳細地図があった。それを覚えているだけ」

「……地図ってそんなに細かく覚えられるものなの?」

 ヒトではないから、と再度答えると、なんだかすごいね!?と少年はまた目を輝かせている。エヴァにとっては当たり前のことだが、少年にとっては普通のことではないらしい。

 事実、人間は数多の情報を記録として残してきた。エヴァはそれらを全て頭に叩き込むことができ、いつでも情報を引っ張り出すことができたが、人間はそれができないから記録するのだろう。人間はいずれ死にゆくので、後世に伝えるという目的ももちろんあるだろうが。

「ねえ、僕その図書室行ってみたい!」

「わかった」

 頷けば、両腕を上げて少年は大喜びしている。あまり知的な印象は受けないが、知的好奇心は高いらしい。まさに子供、と言ったところだろうか。

「僕本好きなんだ!あっ、字はね、ちょっとだけ読めるんだよ!絵本は読んだことあるんだ」

 聞いてもいないのに少年は心底嬉しそうに語る。

 絵本は読んだことはある、ということはつまり、本当に簡単な文字しか読めないということだ。この先にある図書室は、どちらかといえば資料室に近いのだが、彼にとって面白いものはない気がする。エヴァにとってはひと通り目を通しておきたい場所ではあったので、彼がどう言おうとどのみち向かうのだけれど。

「図書室ってどのくらい歩けば着く?」

「15分も歩けば着く」

「えっ、めちゃくちゃ近いね!?行こう、今すぐ行こう!」

 先程までの疲れなど何もなかったかのようにして、少年は飛び上がるようにして立ち上がった。逸る気持ちを抑えきれないのか、その場で駆け足をしてみたり、くるくると踊るように回転してみたり、忙しない。

 疲れはどうした、と問う前に、エヴァは思考を巡らす。なるほど、これが子供の体力は無尽蔵、と言われる所以か。子供は何かに夢中になると疲れなど認知しないのだ。脳と身体に蓄積された疲労感は知的好奇心に敗北した。エヴァは納得したので問うのをやめた。

「わかった」

 相変わらずの淡々とした答えで立ち上がる。少年の瞳は真昼の太陽のように煌めいていた。

「ねえ、エヴァはどんな本を読んできたの?」

 歩き始めるや否や、少年はエヴァに問いかける。

「辞書、図鑑、地図、学問・研究分野の資料類、論文、議事録、教科書類、小説、コミック、観光や料理のようないろいろなジャンルの雑誌、絵本、誰かの日記やメモ書き……」

「日記まで!?」

「あるものは全て読んできた」

 古びたり汚れたりで読めないものも多数あったが、読めるものは全て読み、その全てを頭に叩き込んできた。地図や図鑑、辞書、資料の類はこの世界を歩いていくのに必要な情報も多かったし、人間という生き物の感情や思考回路を学ぶのに小説やコミックの類はもってこいだった。

「へえ……なんだかすごく難しいのも読むんだね、すごいや」

 僕にはさっぱりわからなさそう、と言う少年に、エヴァは頷きで返事をする。やっぱり、と少年は苦笑した。

「でも僕も本読みたいから、よければエヴァ、解説してね」

「わかった」

「わーい!」

 歩きながらくるくると回転して、スキップして、そして少年はコミックさながら小石に足を引っ掛けて派手に転んだ。すぐさまむくりと起き上がって、えへへ、と恥ずかしそうに笑う少年に、念の為手を差し伸べる。

「ありがとうエヴァ、優しいね」

 エヴァの冷たい手を取って、少年は立ち上がる。少年の手は太陽のように温かかった。

 どうやら上手く転んだらしく、エヴァが聞くまでもなく傷は全くないとの自己申告があったので、そのまま気にせず歩を進めていく。ウキウキと浮ついた足取りの少年は、その後2回ほどつんのめったが、ギリギリのところで転ばずに事なきを得た。

「――ん?」

 10分程歩いただろうか。エヴァと少年は足を止めた。

「あれ、なんか急に行き止まり……?ではない……?あれ?」

「そこから向こうが居住スペース。図書室は居住スペース内にある」

 それなりに広々としていた地下通路を分断するようにして、金属製と思われる壁がそびえ立っていた。大人が2、3人ほど並んで通れそうな幅と高さで穴が空いており、そこにはかつて扉があったと思われたが、今は完全に開いたままになっている。

「居住スペース……誰かが住んでたの?」

 少年の問いに、エヴァは静かに首を縦に振った。

「そっか……人がここで」

 生きてたんだ、と、少年はぽつりと零す。

 少年と歩き始めてからはずっとただの地下通路だった。人間が生きていた痕跡のない場所を歩き通してきたわけだが、おそらく初めて少年は、今から人間の生きていた痕跡を目にすることになる。

『だって君にもいたでしょう、家族が!』

 エヴァが元人間だと知ったときの少年の様子を思い出して、エヴァの脳裏に、エヴァ自身が気づかないほどほんの少しだけ、ノイズが走った。

「わわっ、冷たっ」

 居住スペースに一歩足を踏み入れれば、裸足のまま歩いてきた少年は金属の冷たさに足をじたばたとさせる。

「金属は冷えやすい」

「そ、そうなんだ……そんな道がずっと続くの?」

「続く」

「ど、どうしよ……」

 あまりの冷たさに驚いたのか、少年はまた一歩下がって土の上に立っている。

 エヴァは少し思案して、

「少し待ってて」

「えっ?」

 少年を置いて居住スペースに入ってすぐのところにあった一室に向かうと、歪んだ扉を凄まじい脚力で蹴破った。

「ええっ!?何してるのエヴァ!?」

 足だけを土の上に置いて、居住スペースを一生懸命覗き込む少年だったが、エヴァはそれに答えない。入り込んだ居住スペースをぐるりと見回して、あちらこちらを掘り返し、あるものを探す。

「これ」

 そして平然とした顔で出てきたエヴァは、少年に子供用のスニーカーを渡した。

「これって」

「靴」

「靴」

 言われるがままに少年は受け取る。エヴァの白いブーツをチラチラと見ながら、多分こう、などと呟きつつ、渡されたスニーカーに足を突っ込んだ。

「あ……合ってる?履き方」

「合ってる」

 目視で足のサイズを計算して靴を探したのだが、ちょうどのサイズがすぐそこにあって助かった、とエヴァは思った。冷たいだなんだといちいち足を止められてはたまったものではない。

「つ……冷たくない!」

 嬉しそうに金属製の冷えた地面の上に立って、ぴょんぴょん跳ね回る。脱げそうな気配もないのでどうやら足にちゃんと合ったらしい。

「ありがとうエヴァ!エヴァってやっぱりすごく優しいね」

 わざわざ靴を探してくれるなんて、と、少年は心底感動したと言わんばかりに笑っている。

「特に優しくしたつもりはない」

「エヴァはそうでも、僕にとっては優しくしてもらったの!だからありがとう!」

 少年は笑う。エヴァはその瞳の輝きに、ほんの少し、目を細めた。

「図書室はすぐそこ」

「うん!行こう!」

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エレフセリア創世記 さけお @Sake_Onigiri_

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