たたた侍
かつたけい
たたた侍
ふと、何かの気配を感じた。
何かが、僕の背後をすっと横切った気がする。
いや、気がするじゃない。間違いなく、横切った。
今日始まったことではない。
いつからだろう。
僕の家に、知らない何者かが住み着くようになったのは。
それは決して僕に姿を見せない。
むこうさんも別に姿を隠すつもりはないのかも知れない。でもとにかく、一瞬で通り過ぎてしまうものだから、姿を確かめようがないのだ。僕が気付いた瞬間には、もうドアの向こうを左から右へと通り過ぎてしまっているのだから。
ドアの向こう……そう、分かったことがある。そいつは、僕がこの自分の部屋にいて、ドアを開けている時に限って現れる。
生きているというのならば、存在しているというのならば、それ以外の時だって存在しているのだろうけれど、少なくとも僕が気配を感じたことはない。
多分、人間だ。
いや、断言は出来ないけど、以前にちらりと、踵を見たことがある。時代劇の、袴姿のようだった。
僕は椅子に座り、じっとドアの向こうを見た。
実は出現ポイントさえ分かってしまえば、チラチラ引っ切りなしに現れているのではないか。そう思ったからだ。
五分、十分、時間が経ったが、それは現れなかった。
やはり、気のせいだったのだろうか。
散らかった部屋の埃っぽさに、へくしとくしゃみをした瞬間であった。
ひゅっ
通った!
くしゃみで一瞬目を閉じてしまったが、しかし、はっきりと見た。
侍というのか、お奉行さんというのか、とにかく袴を着た、ちょんまげ武士だ。
また僕は頑張ってみたが、五分、十分、十五分、現れる気配がない。
もしかしたら……
僕は、わざとくしゃみをしてみた。
たたっ
通った。
出現条件が分かったぞ。
理屈は不明だが、とにかく、この部屋のドアを開けた状態で、僕がこの部屋でくしゃみをすると、現れるのだ。
現れるといっても、左から右へ一瞬で通り過ぎるだけだが。
確信を得るため、もう一度、くしゃみをしてみた。
たたっ
駆け抜けた。
間違いない。
この武士のような男――とりあえず侍としておこう――侍は、何故くしゃみで姿を現すのだろうか。
光の加減やら体調やらで何だかキラキラ光るものが見えることがあるが、もしかしたら単にそういうものなのだろうか。それと、僕の脳の動きの何かとが混ざり合って、あのようなものが見えるのだろうか。
僕は部屋を出た。
念のため、きょろきょろ見回してみたが、どこにも侍はいない。
その場からくしゃみをしてみたが、現れなかった。やはり、あの部屋の中でないと呼べないようだ。
山田の家に電話をかけた。すぐ近くに住む友人だ。
自分にだけ見えるものなのかどうか、確かめようと思ったからだ。
程なくして山田がやってきた。早速、僕の部屋へ入れた。
僕は山田に手短に事情を説明した上で、くしゃみをしてみせた。
たたたたっ。
侍が駆け抜けた。
山田にも、その姿が見えたそうである。
ということは、少なくとも僕の幻覚ではないということだ。
そうすると、これはなんなのだろうか。
霊的なもの?
もっと物質的なエネルギー?
僕はもう一度呼んでみた。
ひゅっ
山田は手を叩いてよろこんだ。
実験をしてみることになった。
山田の提案で、侍の通り道に小さな物を置いてくしゃみをしてみた。
侍は、タッと現れガッと蹴つまづいた。バランスを立て直すと、そのまま何もなかったかのように通り過ぎた。心なしか顔が赤くなっているような気がしたが。
山田もくしゃみをしてみた。
ひゅっ
現れ、通り過ぎた。
僕だけが呼べるわけではないようだ。
山田が面白がって何度も実験しているうちに、ある法則性に気が付いた。
ふええーーーっく、しょおおおおい、といった感じにゆっくりくしゃみをすると侍はゆっくり通り過ぎ、クシと素早くやると物凄い速度で通り過ぎるのだ。
通り過ぎる瞬間、山田が物を投げ付けたら、ボクシングのパーリングディフェンスのようにパシッとはたき落とされた。
通り過ぎる瞬間、山田が今度はエロ本を投げたら、パシッと受け取り、そのまま駆け抜けた。
山田が調子に乗ってあまりに何度も何度も呼び出すものだから、侍は多少息が上がってきたようにも見える。
山田が何度も障害物を置いて転ばせるものだから、だんだん腕や顔などに擦り傷が出来てきていた。
僕はちょっと可哀相に思い、絆創膏を置いてやった。
くしゃみで呼び出すと、ひゅんと現れ、絆創膏を拾い、凄まじい速度でべたべたと貼り付け、駆け抜けて行った。
彼は一体どこから来てどこへ行くのだろう。
右に駆け抜けるのに、すぐ呼んでも左から現れるのは何故だろう。
ゆっくりくしゃみをし、たったっとゆっくり通り過ぎて行く侍の首に、山田はパイナップルの空き缶をぶら下げた紐をかけた。
姿を消した瞬間に、またすぐにくしゃみで呼んだが、いま首にかけたばかりの空き缶がない。
僕と山田は部屋を出て探したが、どこにもその缶は見つからなかった。
侍はどこから来て、どこへ消えるのか。僕たちは想像した。
でも納得いく答えは出なかった。
山田は良い考えがある、と僕のデジカメをいじり出した。
十五メートルという長いビデオケーブルがあるので、それでデジカメとビデオデッキとを接続した。
テレビに、デジカメの映像が映っている。
ビデオデッキの録画をスタートさせると、僕はゆっくりくしゃみで侍を呼んだ。
ゆっくり現れ通り抜けようとする侍に、山田は、さきほどのパイナップル缶の要領でデジカメをぶら下げた紐を侍の首にかけた。
ざーーーーーーーー。
テレビに映っていたデジカメの映像が消えて、砂の嵐になっていた。
部屋を出てみると、デジカメから引っこ抜かれたビデオケーブルだがけが床にだらりと伸びていた。
カメラ、結構高かったのに……
僕がくしゃみで呼ぶから、お前、抱き着いて侍をこっちに引っ張ってこい。僕は山田にそういった。
そしてそれを実行した。
山田は侍を引っ張ってくるどころか、侍に抱き着いたまま、引っ張られて行ってしまった。
それきり、山田は二度と戻ってくることはなかった。
といえば嘘になるか。
しばらくして、まったく予期もしなかった形で戻ってきた。
僕が変わりのデジカメを買って、部屋の中で試し撮りそしたときである。
シャッターを切ったと同時に、山田がドアの前を左から右へ横切ったのだ。
それからしばらくは、気持ち悪くてデジカメを手に取ることもなかった。
どれくらい経ったか、好奇心から久しぶりにシャッターを切ったところ、また山田が現れた。あまりに久しぶりであったがためか、横切る山田の横顔が、なんだか怒っているようにも見えた。なんだかいまにもこちらを振り向きそうに見えた。
それ以来、僕は毎日ここでシャッターを切っている。
たたた侍 かつたけい @iidaraze
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