メメントモリ

 近所にCDショップができた。今の時代には珍しい。でもそのCDショップは妙だった。外から中がまったく見えないのだ。いや、それだけならまだいい。僕が気になっているのは、その店に客が入っていくところを見たことがないということだ。そのCDショップには広い駐車場があるのだが、そこに車が停まっているのを見たことがない。どうやって経営をしているのだろう。その店では一体何が売っているのだろう。僕の好奇心はどんどん膨らんでいった。気になる。怖いもの見たさで、僕はその店に入ってみようと思った。

 僕の家から歩いて3分。大通りに面したそのCDショップは、見た目はポップな印象で、赤や黄色でペイントされている。しかし、店の名前はどこにも見当たらないし、すべての窓には見たことのないアーティストの写真が貼られている。その店の幟が店頭に並べられていて、その幟にCD置いていますと書かれているから、僕はこの店はCDショップなのだろうと判断したのだ。

 店の前で、僕は入るのを躊躇した。非常に怪しい店だ。犯罪の匂いさえする。どうしようか。このまま引き返すか。

 でも、僕の心の奥底に秘められた好奇心が叫ぶのだ。行くべきだ、と。

 僕は思い切って足を踏み出した。僕の覚悟と裏腹に、自動ドアは軽やかに開いた。

 店内は冷房が効いていて涼しい。快適だ。古本屋の匂いがする。古ぼけた建物の匂いだ。そういえば、この建物は何度も居抜きで店が入れ替わっていたからわからなかったが、かなり古い建物のはずだ。前の店はDVDレンタルの店だった。

 色んなCDが棚に並べられている。でもどれも知らないアーティストだ。僕がちょっと音楽から距離を置いているうちに、音楽業界は一変してしまったのだろうか。

 「あきら」という名前のアーティストのCDを引き抜く。ジャケットは赤一色で、真ん中に「あきら」と細く黒い文字で書かれているだけだ。裏を見る。トラックには「断末魔」という曲が1から15まで入っていた。奇妙なCDだ。実験的なアーティストなのだろうか。

 「あきら」を棚に戻し、「たかし」を手に取った。デザインは「あきら」と大差なかった。トラックだけ異なっていて、「拷問」という曲が1から4まで入っていた。

 どういうことだ?

 他のCDも見てみる。どれも暴力的な言葉が並んでいる。暴力的な曲をつくるアーティストばかり集めた店なのだろうか。

 背後に人の気配がした。

 僕は振り返るべきか悩んだ。暴力的な単語が僕の頭をおかしくしていて、振り返れば殺されるのではないかと思ったのだ。唾を呑む。その音はいつもより大きく響いた。その音は世界中に響き渡って、全人類に僕が唾を呑みこんだことがばれてしまったように感じた。

 冷や汗が流れる。時間が圧縮され、何万年も経過したように思えた時、僕は後ろをちらりと見た。エプロンが見えた。おそらく店員だろう。僕は意を決して振り返った。いざとなれば携帯で誰かに助けを呼べばいい。

 振り返る。やはり店員だった。天然パーマの男性が立っていた。黒縁の度の強い眼鏡をかけていて、眼鏡の奥にある目は鋭く、狐のようだった。髪は、漫画で描かれる実験に失敗した科学者のように飛び跳ねている。うっすらと髭が生えていて、唇はへの字に曲げられていて、偏屈な印象だ。年は30代半ばくらいだろう。少なくとも僕より年下には見えない。

「何か、お探しでしょうか」

 優しいが、怪しい声音だった。僕は身を固くした。

「いえ。ちょっと通りがかっただけで」

「そうですか。この店は初めてですか?」

「ええ。そうです」

「そうですか。では、このお店について、説明しなければなりませんね」

「説明」

「はい。この店は、少し特殊ですから」

「なるほど」

 僕の受け答えは少々ぎこちなかった。緊張は緩むことがなかった。

 店員は親指で唇をなぞった。僕は喉がひどく渇いた。家に帰って水を飲みたかった。

 店員は、僕を見つめた。檻の中にいる虎が客を値踏みしている時の目だった。僕は猛獣の檻に片手を入れている気分になった。一刻でも早く手を引っ込めなければ。

「この店は、死を売っているのです」

 え、と訊き返した。詩? 

「詩ではありません。死、です。すべての生物の終着駅。あらゆる命あるもののゴール地点。死。定義はさまざまですが、当店では色々な種類の死を取り扱っておりますので、お客様お好みの死を見つけることができると思いますよ」

「あの」

「ここはCDコーナーです。色んな死を録音してあります。爆死、餓死、病死、衰弱死。とにかく色んな種類の死を取り揃えております」 

 僕は吐き気がした。何だ、この店は。何だ、こいつは。

「死を、弄ぶな」

 口に出すつもりはなかったのに、その言葉は口の端から零れ落ちるように出てきた。

「死を安売りするな、ということですか」

「そもそも死を売り物にするんじゃない」

 僕は耐えきれなかった。胃が暴れている。胃の中身がシェイクされたようだ。

「はは。何をいまさら。文学や映画は死をさんざん売り物にしてきたではないですか。死を記号のように扱って、とりあえず話に深みを出すために適当に死をテーマに据えたりしているじゃないですか。花壇を踏みつけるように、人の死を荒らしまわって、愉快な気持ちになっているじゃないですか。死を議論して、答えなんかでないのに、とりえず暫定的な答えを出して、無意味な時間を過ごしている。死にたいなんて平気で口にしておいて、永遠に生きられると勘違いをしている。本当は自分は死なないのではないか? そう思っている。

 メメントモリ。この店のテーマは死に対する考えを破壊することです。死を売って、儲ける。それは今まで小説や映画でやってきたことじゃないですか。何が悪いんですか」

 僕は彼に反論しようと思った。でも気分が悪くて、できなかった。

「奥には映像コーナーもあります。この店ではノンフィクション作品しか扱っておりません。この店の名はまだありません。好きにお呼びください」

 僕は店の外に駆けた。そして駐車場で吐いた。何もかもが気持ち悪かった。どこか遠くで愉快なことだけを考えて暮らしたいと思った。気づけば涙を流していた。僕はどうして涙を流しているのだろう。わからない。感情が抑えられなかった。

 四日後、その店は潰れた。店員が殺されたのだ。僕の手には、血に染まったナイフが握られていた。いつの間にナイフを持っていたのだろう。

 

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ボーリング 春雷 @syunrai3333

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