ボーリング

春雷

ボーリング

 退屈だ。俺は心の底からそう思った。人生は退屈極まりない。

 この歳まで自分の部屋に引きこもっていた俺は、人生経験なんてものは一切なく、くだらない人生を送ってきた。何の意味も価値もない人生だ。俺は駄目人間だ。本当にくだらない。生きていても仕方がない。

 俺は生きることに飽きた。死にたいと何度も思ったが、死ぬのは怖いので、誰かに殺してもらうことにした。


 部屋を出る。久しぶりの外出だ。何年ぶりだろうか。

 俺はとりあえず人がいそうな場所まで歩くことにした。ショッピングセンターに行けば人に会えるだろう。

 案の定、スーパーマーケットに人は大勢いた。入り口でカゴを取った初老の女性に声をかける。

「すみません。僕を殺してくれませんか?」

 その女性は俺に目を向け、そして逸らした。俺の問いかけに答えることなく、そそくさと立ち去ってしまった。俺は周りを見渡した。皆、俺と目が合わないようにすぐさま立ち去っていった。蜘蛛の子を散らすようにとは、こういった時に使う言葉だったか? 学のない俺にはわからないが。

 そうだ。俺はとにかく色んなものが欠落している。目もほとんど見えないし、耳も遠くなっている。足腰も弱って、身体中が針を刺したように痛い。記憶力も思考力もない。学校にまともに通っていなかったから、常識がない。家で読んだ小説と映画だけが自分の認識している世界の全てだった。何もわからない。この世界はどう生きていけば良いのだ。一体誰が教えてくれる?

 躓いて、転んだ。段差もないのに。カゴに倒れ込んだから、カゴが四方八方に散らばった。四方八方。使い方、合っているよな?

 ここにいても仕方がない。俺はカゴを蹴り飛ばして、スーパーマーケットを出た。

 小説や映画。そんなものをいくら読んでも、観てもどうしようもない。くだらねえよ。この世界はどこまでも不可解だ。最高の世界だ。何もわからない。生きていても死んでいても同じだ。やはりそうだ。どうでも良いんだ。そうだ。どうでも良い。


「ああ、明後日の方向へと進んでいくだけの野良犬がいくら誰かに助けを求めたところで、どうにもならないことはわかっているのに、それでも誰かに助けを求めたりして、でも皆狂犬病を怖がって、俺から逃げるばかりで、誰も俺とまともに会話をしようとしない。誰か首輪をつけてくれ。誰か俺を飼い慣らしてくれ。誰か俺を殺してくれ。誰か俺を生かしてくれ」


 遊園地に入った。チケット代なんか払わない。強引にゲートを潜った。やり方は、もうどうでも良いだろう。とにかく違法なやり方で侵入した。

 園内で楽しそうにしている人々に声をかけた。

「俺を殺してくれ」

 けれど、誰も耳を貸しちゃくれなかった。あのカップルも、あの家族連れも、あの仲良し集団も。偽りの愛や友情ってやつに体と脳を蝕まれながら生きている羊どもよ。1匹の犬すら救うことができないのか。


「ああ、俺はどこへ行くのだろう。好きなことをすればいいと世間で言うくせに、俺が好きなものは全部退屈だと罵られ、全部気持ちが悪いと言われ、意味不明だと評された。それでも俺は人生に絶望していなかったんだ。それでも前を向こうとしていたんだ。でも結局全て駄目になった。誰か俺を教育してくれ。誰か俺を啓蒙してくれ。どこかへ導いてくれ。俺のリードを持っていてくれ」


 ある研究室にたどり着いた。どうでも良いことは全て省略する。退屈だからだ。退屈は悪だ。そうなんだろ?

「頭に穴を開けよう」

 その研究者は言った。

「脳の一部分にあえて穴を開けることによって云々」

 最新の研究らしい。

「やってくれ」

 一も二もなく言った。三もきっとなかったろう。

 手術はかなりの時間かかったし、麻酔を打たなかったからかなりの痛みを伴ったのだが、そんなことを書いても仕方がないので、いっそ死んでしまいたかったという感想だけをここに記す。教育に悪いものは全部排除だ。綺麗な世界を作りたいね。

 頭に穴を開けたところで一体何が変わるのか、俺自身には判断しかねるが、何だかふわふわと宙に浮いたような感覚が時々あって、それがひどく心地良い。今なら何だってできる。手始めに俺は研究者を殴りつけた。ああ、俺は幸せ者だ。


「退屈で気が狂いそうなんだ。退屈をとにかく一秒でも人生から消し去っていたいんだ。誰かに殴りつけられたいんだ。誰かにナイフで切り裂いて欲しいんだ。死にたいくらいに罵詈雑言を浴びせられたいんだ。俺の大切な人やものを壊してほしいんだ」


 退屈だ!

 ああ、苛々する。退屈だ。どうして退屈なのだ。世界は狂っている。優しさなんてものを振りかざして、結局肚の底では皆俺のことを見下しているんだ。こんなゴミクズのような人間がいるのかと、目を瞠っているのだ。

 俺を殺してくれ。頼むから殺してくれ。

 誰か俺を助けてくれ。

 退屈でも良いと言ってくれ。

 

 頭から妙な汁が出てきた。上を見ると地獄だ。足元には大きな穴。俺は落ちていった。地獄よりもさらに深い場所へ。俺を殺してくれる人がいる場所へ。

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