第11話 帰郷

 前世の記憶があっても、今はこの世界の住人だ。


 どうして前世の記憶が見つからなかったのかはわからない。


 祈りが神に通じて、あの記憶を覗く魔法を止めたのかもしれない。


 実家のベーカリーに近づくと、パンの香ばしい香りが漂ってきた。3年ぶりか。


 お見合い結婚が嫌で家を飛び出したけれど、だからと言って結婚相手を見つけて帰ってきたわけじゃない。笑っちゃうけど。正しい選択はお見合い結婚の方だったのかもしれない。


 久しぶりに見る実家のベーカリーは、あの時よりもさびれていた。あの大きなロールパンのモニュメントはいつも私が掃除をしていたんだっけ? 誰も手入れをしなくなって汚れたままになっていた。私と言う従業員が減ったんだから、そうなってもおかしくはない。

 お母さんもお父さんも家に入るなり私を抱きしめて向かえ入れてくれた。

ひとまずお見合いの話は棚上げ。幸いにも田舎には都会のニュースが入ってこない。両親には転生者裁判に掛けられたとか、本当のことは一切言わなかった。少し心が痛むけれど、家出した3年間は雛城恵莉未の人生の続きみたいなもんだったし、これからはもう一度、また両親と一緒にアンヌ・ャ・ベネットの続きの人生を楽しみたいと思った。

 家族は4年前に戻ったようだった。私が転生者として目覚める前の、あの日常が帰ってきた。

 私は掃除魔法で大きなロールパンのモニュメントをピカピカに磨き上げ、ついでに店の中もきれいに掃除していった。こんなに影響があるなんて思わなかった。なにか償うことができたらと、いろいろ考えたけれど、今はそれぐらいしか思いつかなかった。


*  *  *


「アンヌ! お客さんだよ。アンヌに用事があるんだって」

お母さんが店番をする私を呼び出した。パン工房のある人気のない裏口の方に行くように言われた。


 家の裏口に青年が立っていた。

 その顔には見覚えがあった、あの魔法検察官の助手。裁判では記憶を覗く魔法装置を使ったその男だった。確か名前はクーリエ捜査官。


「君は雛城恵莉未だよね」


「え?」

 私は瞬時に身構えた。どうして、私の名前を知ってるの? 前世の名前はだれにも言ってない、どこにも書いてもいない。いや、記憶を覗く魔法ならそんなことも簡単にできてしまうのか――


「僕も君の顔を見ただけではわからなかった」

「?」

「顔は違うけれど、僕は晴野 凌はるの りょうだ」


 うそ――

 前世の、

 彼氏。


 あのとき車を運転していた彼氏。


「凌!?」


 彼はうなずいてニッコリした。


「このスマホを覚えてる?」


 あれは、冒険者ギルドにあった、私のにそっくりだったスマホ――


「このスマホケースは僕が恵莉未にプレゼントした手帳型ケース。スマホとこのケースを創造プリンタで試行錯誤しながら作ったんだ。そして、冒険者ギルドのカウンターにさりげなく置いた。あのとき君が、これを手に取った瞬間、恵莉未だってわかった」

「で、でもそれって、私じゃなくても、だれでも、珍しがって拾うってこともあったんじゃないの?」

「拾っただけじゃなかったから。ほら暗証番号まで入れてたの覚えてる? 他人のスマホを拾ったとしても暗証番号はまず入れない」

「確かに……」

「それにその暗証番号が【8211】だった。これは恵莉未の誕生日11月28日を逆にした数字。だから、絶対に恵莉未だって確信した」

 ぐぬぬぅ、我ながらセキュリティの甘い暗証番号だ……

「僕が異世界転生したと気付いたとき、もしかするとって思ったんだ。僕だけじゃなく恵莉未も転生している可能性があるって。だから恵莉未を探すことにした」

「そんな、可能性だけで、私を?」

「ああ、そう、僕が転生者に目覚めたときは、君のことが好きだって記憶ばかりが蘇ってきて……だから、探さずにはいられなかった」

 ……(私はキュンキュンして声がでなかった)

「この世界で異世界転生者を探すとしたら、最適なのは魔法検察官になることだった。隠れ蓑としてもちょうどいい。何よりも、もし君が転生者として捕まったとしても、火炙りにされて殺されないように、君を守ることができると思った」


 祈りが神様に届いて記憶を覗かれずに済んだわけじゃなかった。

 私の目から涙がこみ上げ、彼から目をそらして涙を拭くと、彼がそっと抱きしめてくれた。

「あのとき、記憶を覗く魔法に細工を……」

「まあ、そう、覗かなかないよう呪文を書き換えたんだ。その代わりに良い思い出を表示するようにしたら……あんな感じになるなんて……なんか、ごめんね」

「いいの。家族と仲直りできたし、火炙りにならずに済んだ」

「そうか安心した」

「そっちこそ、魔法検察官がこんなところにいていいの?」

「もう退職した」

「どういうこと?」

「もちろん君と一緒に暮らすために。ちょっと、いい……」

 そう言って、彼は一歩下がった。

 腰を落として片膝立ちになると、ポケットから小箱を取り出した。

「あの事故でできなかった……ことの、続きをしたいんだ」

 私は涙を拭いて彼と向き合った。

「はい」

 彼は小箱を開けた。

「これからも君のことを守っていきたい。僕と結婚してください」

 箱の中で結婚指輪が輝いていた。

「もちろん!」



*  *  *


 私は彼を両親に紹介した。出会いとか馴れ初めとか、細かいところは口裏合わせをして、なんだかんだ誤魔化した。私は家出したあと都会のベーカリーで修行をしたことにして、彼とはそこで知り合ったと言う話をでっち上げた。両親は私が結婚相手を連れてきたと素直に喜んでくれた。


 ベーカリーは新装開店。

 それだけじゃなかった。私の魔法で焼いたパンを彼と両親にふるまったら、即座に新しいメニューがベーカリー追加されることになった。私が前世で大好物だったパン。クリームメロンパン。表面はカリッと焼かれたクッキー生地、その内側の生地はふっくらとし、中心部には滑らかなクリームがぎっしり詰まっている贅沢な味。

 翌朝から私はベーカリーの看板娘兼パン職人になった。

 そして新しい従業員が増えた。私の夫はワープホール配達員として採用された。その結果これまでにない販路拡大をすることができた。ワープホールは、周辺住民のお宅に朝一で焼き立てパンを配送すると言うイノベーションを巻き起こしたのだった。

 お客さんはこれまで以上に増えて、ベーカリーは大繁盛。私のクリームメロンパンも人気商品になった。


 私たちは地元ニュースで取り上げられ、田舎町一番の幸せなカップルと評された。


 だけど私たち夫婦が転生者だと言うのは、これからもずっと2人だけの秘密。

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クッキング魔法使い。〈転生者が火炙りの刑にされる世界で、彼女はおいしいパンを焼く〉 松田宗閃 @soosen

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