ヘブンズ・ドーン

こうちょうかずみ

第1話 ヘブンズ・ドーン

「あんたしかいないでしょ!」

「いや俺じゃねぇよ」


 教室に怒鳴り声が響く。


「なんだなんだ?急に大声出して」


 俺の後ろから波多野はたのが声をかけてきた。


佐竹さたけのやつ、私のスマホなくしたのよ」

「だから知らねぇって」


 繰り広げられる押し問答にクラス中の視線が集まる。


「おい待てって。そもそもどうして佐竹が滝田たきたのスマホなくすことになんだよ。席も近くねぇし。お前らとりわけ仲いいって感じでもなかっただろ。どこに置いてたんだ?」

「そこ」


 滝田は俺の机を指さした。


「さっきまでそこでしゃべってて、確かに佐竹の机にスマホ置いたの。でもトイレ行って帰ってきたらなくなってて」

「知らねぇよ。そもそも人の机の前でたむろすんじゃねぇ。しかもスマホ置いたままトイレ行くとか。そっちの不注意だろうが」

「なによそれ、無責任な。あ、もしかして盗ったりしてないでしょうね」

「はぁ!?」


 滝田はどうしても自分の非を認めたくはないらしい。

 しかしこちらとしても一歩も引くわけにはいかない。

 濡れ衣を着せられるのはごめんだ。

 にらみ合ったまま動かない双方に、たまらず波多野が割って入ってきた。


「いい加減にしろよ。そんなんじゃ解決しないって。まずはほら探そうぜ。それに次移動教室だし。うわやば、あと5分ちょっとしかねぇじゃん」


 波多野の意見ももっともだ。こんなくだらないことで遅刻したらたまったもんじゃない。

 仕方がない。とりあえず探すか。

 ったく俺何も関係ないのに。


 そのときだった。


「何かお困りかい?一年生諸君」


 突如として、教室の入り口から声がした。

 誰だ?誰かがドアにもたれて、こちらをのぞいている。


 ひっ、と波多野が小さく悲鳴を上げた。

 クラス全体にも緊張が走る。

 するとその人物はずかずかと教室に入ってきて、俺の前で立ち止まった。


「何かトラブルみたいだな。俺が助けてやろうか?」

「は?」


 いきなりなんだこいつ、うちのクラスでもないのに。

 俺が疑惑の目で見ていると、後ろからぐいぐいと服が引っ張られた。


「やめとけって佐竹。こいつ天堂光てんどうこうだぞ」


 俺は改めて目の前の人物を見た。


「あれが天堂光」

「初めて見た」

「あの顔、うわさ本当だったんだ」


 クラス中がざわざわしている。

 なるほど。この人が天堂光。

 しかしクラスの雰囲気をよそに、当の本人は全く気にすることなく再び俺に話しかけてきた。


「お前、名前は?」

「え?」


 波多野が俺を小突く。


「佐竹。佐竹義成よしなりです。天堂

「へぇ。俺のこと知ってたんだ」

「ええまぁ、有名ですから」


 天堂光。

 入学当初からうわさは聞いていた。

 遅刻常連なうえにサボり魔だとか、バリバリの不良だとか。そのいわれは――。


「でさ、佐竹」


 いきなり呼び捨て。


「今何トラブってたの?」

「天堂先輩に教えることでは」

「いいじゃん教えてよ。だって俺――」


 天堂は自分の胸をどんと叩いた。


「天才探偵だから」


 天堂光のうわさ、それからもう一つ。

 探偵気取りで他学年のいざこざに口を突っ込んでくる変人。

 はっきり言ってうわさ全部が本当だとは思っていなかったが、今判明した。

 どうやらこれは本当らしい。なんと自信にあふれた声だろうか。


「いやいいです――」

「スマホ紛失したんだって?」


 聞いてたのかよ。ならわざわざ俺に尋ねなくても。

 俺は口に出すのをぐっと我慢した。

 今この人の話に乗ってしまうと面倒ごとに巻き込まれる気が――。


「そうなんですよ!こいつがなくしたんですよ、私のスマホ」


 なぜ乗る!?

 滝田は天堂にぺらぺらと俺のいわれのない罪を暴露し始めた。


「私、確かにここにスマホ置いておいたんです。それなのに佐竹のやつ知らないって」


 面倒なことに巻き込まれた。ああもう授業まで5分切ってるよ。


「なるほど。今の話を聞く限り、佐竹はスマホ一度も見てねぇんだな?」

「え、いやさっきからそう――」

「ふむふむ」


 俺の話を最後まで聞くことなく、天堂は周りをうろうろし始めた。

 そして唐突に滝田を指さした。


「えっとスマホをなくした――」

「滝田です」

「“滝田ちゃん”ね。滝田ちゃんはいつスマホを置いたのかな?」

「え、えっと」


 滝田はうーんとあごをさすった。


「前の授業が終わって、それから友達とここで話してて。あ、それで『次移動教室じゃん。トイレ先行っとこ。』ってスマホ置いてそのまま友達とトイレへ」

「なるほどなるほど。でそのとき佐竹は?」

「え」


 前の授業が終わってすぐ?俺何してたっけ。

 俺は思考を巡らせた。


「確か授業終わってすぐ、トイレ行きました。それで帰ってきたら自分の机の前に何人かいて、めんどくせぇなって思って自販機にジュース買いに行って。んで戻ってきたら誰もいなくなってたからそのまま自分の席へ」

「そのときスマホはなかった」

「はい」


 うーんなるほど、と天堂は再び動き回り始めた。

 そしてふいにくるっと方向転換し、俺の隣の席を指さした。


「名前は?」

「え、山口です」


 そういえばこいついたのか。

 山口は俺と滝田の騒動の最中も、気配を殺していたらしい。


「“山口君”ね。君、休み時間ずっとそこにいた?」

「え、いましたけど、なんで?」

「それ」


 天堂は山口が持っていたスマホを指さした。どうやらゲームの画面らしい。


「経過時間が出てる。6分ぐらい。今ちょうど休み時間のこり4分ぐらいだから、授業中から始めていない限り、休み時間入ってからすぐ始めたんでしょ、それ」


 山口はさっとスマホを伏せた。

 観察眼は鋭いが、他人のスマホをのぞき込むのはどうかと思うが。


「で?何か見た」

「何かって、別に見てないですよ。あなたの言う通り、俺ずっとゲームしてたんで――あ、いやそういえば」

「なになに?」


 天堂は食い気味になって山口に顔を寄せた。

 山口は一瞬たじろいだ様子で、ぼそっとつぶやいた。


「さっき一回、波多野がぶつかってきて、エイムがずれたっていうか」


 それを聞くと、天堂はふーんと何かを思いついたのか、今度は俺のほうに寄って来た。


「佐竹、聞きたいことがあるんだ」

「何ですか」


 妙にもったいぶった口調に俺は少し口を尖らした。


「机、ずれてなかった?」

「え?」


 突然の質問に俺は固まった。


「机、机」


 机?あれ、どうだったかな。

 俺は記憶を探った。


「そういえばちょっとずれてたかも。自販機から戻ってきたら」

「やっぱり!」


 天堂は嬉しそうな声を発し、そして突如宣言した。


「謎は解けた」




「え!?」


 天堂の言葉に滝田が反応する。


「謎が解けたって、それじゃあ犯人は?」


 期待に満ちた滝田の言葉に天堂は自信満々に答えた。


「いや犯人はいない」

「え?」


 滝田のテンションが一気に下がった。声が低い。


「それを今から説明する」


 そう言うと天堂は俺の机にぽんと手を置いた。


「まず初めに、佐竹の席にスマホを置きっぱなしにしたまま、滝田ちゃんはトイレに行った。でもそれから数分も経たずに戻ってきた佐竹はスマホを見ていない。つまりこの間にスマホはどっかに行ってしまったんだ」

「それはわかってるけど」

「でもその間に起こった出来事があっただろ?」

「え?」


 天堂はすっと俺の後ろを指さした。滝田も俺もその方向を見る。


「波多野?」

「え、え、俺じゃねぇよ」


 突然の指名に波多野はしどろもどろになった。

 思わずたじろいで後ろの机ががたんと揺れる。


「それ!」


 天堂は唐突にずれた机を指さした。

 全員が一瞬固まる。

 天堂は再び波多野にゆっくりと指を動かした。


「“波多野君”、君そういうふうに佐竹の机にぶつかったんじゃないのか」

「え?」


 天堂は続ける。


「さっき山口君は波多野君にぶつかられたと言った。たぶん今みたいに後ろ向きで机にぶつかったんだろう。そして山口君と佐竹の机は隣同士だ。それなら一緒に佐竹の席にぶつかっていてもおかしくない。現に、佐竹は机がずれていたと言った」


 全員がごくりと唾を飲んだ。


「つまりこういうことだ!」


 天堂は俺の前の席に掛けられたリュックの中に手を突っ込み、そしてスマホを取り出した。

 そうか。波多野が俺の机にぶつかった拍子にスマホが落ちて、ぽっかり開いたリュックの中に入ったのだ。


「もう波多野!」

「いやそもそもお前の不注意だろ」


 滝田の標的はどうやら波多野に移ったようだった。

 これで一件落着。ていうかこれ、そもそもちゃんとスマホ探してればもっと早く解決してたんじゃないのか。

 俺は心の中でそうツッコんだ。




 時計を見るともう次の授業まで3分を切っていた。

 滝田、波多野は俺にごめんとほんの一言だけ言うと、さっさと次の教室へ走って行ってしまった。

 いやまあいいけどね、結局しょうもなかったし。俺も準備していくか。


「ああちょっと待って。佐竹」

「はい?」


 急ぐ俺を制止して、いまだ教室に残っていた天堂が声をかけてきた。

 気が付くとこの教室、天堂と俺の二人きりになっている。


「俺、次移動なんですけど」

「じゃあ歩きながらでいいよ」


 やんわりと断ったつもりだったのだが。

 天堂はぴったり俺についてきた。


「いやぁ災難だったね」


 俺は天堂を無視してすたすた歩いた。


「でもさあ俺、まだ一つ謎が残ってるんだよね」

「は?」


 しまった。反応してしまった。

 さらに歩くペースを上げようとするも、天堂は余裕で俺についてくる。


「佐竹ってさ、本当に俺のこと最初から知ってた?いや俺最初に言ったじゃん。『俺のこと知ってたんだ』って」

「はあ」


 そういやそんなこと言われたような気も。でもそれ今重要なことか?


「いやずっと気になっててさ。お前、波多野君に天堂光だぞって忠告されて初めて、俺をしたような気がしたからさ」


 ぴたっと俺の足が止まった。

 しかしすぐに足を動かした。今度は小走り気味に。


「俺さ、自分でいうのもなんだけど結構有名人なんだよね」

「そうですか」

「それでさ、怖がられることも多くてさ。初対面の人なんかろくに会話してくれないわけよ」

「はあ」

「でもさ、お前は違ったよね。いきなり『は?』って」

「失礼でしたね」

「そうじゃなくてさ」


 天堂は走り込んで俺の行く手を塞いだ。

 俺の息だけがはぁはぁ聞こえる。


「どいてください」


 これはまずい予感がする。


「どうして?俺のこと怖くなかったの?」

「知りませんよ」

「うわさは知ってたんだよね」

「そうですけど、初対面だったしわからなくたって普通じゃ――」


 そこで俺ははっとした。

 今言ってはいけないことを言ってしまったような気がする。

 そうだ。

 天堂光は普通じゃない。


「俺さ、不良だってうわさあるんだよね。どうしてそんなうわさ流れちゃったか知ってる?」


 俺は目をつむった。

 そのとき俺は思い出していた。

 天堂のうわさのいわれ。

 天堂光の頬には――。


「でっかい傷があるんだよね。右のほっぺたに」


 あのとき、天堂が教室に侵入してきたとき、クラス中に緊張が走った。

 あれは、その場にいる全員が、頬に傷のあるその男を天堂光と認識したからだった。

 ただ一人俺を除いて。

 そうして真相を突き止めた天堂は言い放った。


「ねえ佐竹、お前。『人の顔が認識できない』んじゃねぇの」




 気づいたのは、じいちゃんの葬式。

 正確に言えば気づいたのは母親なのだが。そのとき俺はまだ3歳で、俺は葬式会場でずっと母親を呼んでいたらしい。

 その様子に母親は、最初はからかっているものだと相手にしなかったらしい。

 なぜなら俺がすぐそばにいたからだ。

 しかし、あまりに繰り返し呼ぶため、いい加減静かにしなさいと叱ったのだとか。

 そのとき俺が何と言ったのか、母親は今でも覚えているらしい。


「今までどこ行ってたの?」


 いつもと違って喪服を着た母親を俺は認識できていなかったのだ。

 俺が真面目にそう言っているのだと気づいて、母親は俺を病院へ連れて行った。

 そこで初めて俺は『人の顔が認識できない』のだと知った。

 ずっと友達にも話していなかったのに。

 それをまさか初対面の、まだ会って5分も経っていない人に見抜かれるなんて。


「で?どうなの?」


 天堂はすっかり黙ってしまった俺の返事を待っていた。

 教える義理など毛頭ないが、こうなったら仕方がない。


「そうですけど」


 俺は素直にそう答えた。


「よっしゃ!これですべての謎が解けた」


 天堂は大きくガッツポーズをした。


「それで、聞き出してどうするんです?」

「え?」

「他人の秘密を握ってどうするつもりですか」


 俺は天堂をじとっと見た。

 どうせ弱みを握るつもりなのだろう。だからこうやって問いただして――。


「え、別に」


 別に?

 俺はきょとんとした。


 そのとき俺は思い出した。

 天堂光は他人のいざこざに足を突っ込む変人。

 待てこいつ、本当に謎を解き明かしたいだけだったのか?

 だとしたら――。


「――だろうが」

「え?」

「そんなの失礼にもほどがあるだろうが!」


 俺の声は廊下中に響き渡った。


「いやそんなことよりさ」


 そんなことより!?

 当の本人であるはずの天堂は謝罪のそぶりもなく、さらに俺に話しかけてきた。


「お前普通にクラスの連中としゃべってたよな。あれどうやってんの?」


 天堂の興味はまだまだ俺に向けられているらしい。

 俺は早く解放されたくて、いっそのこと全部話してやろうと自暴自棄になっていた。


「声です」

「声?」

「声とか匂いとか手の動かし方とか。だから入学直後は地獄で。最初の自己紹介、こっそり録音したりして。声と名前を一致させようと必死にやってるんです。それなのにあんたときたら――」


 俺はふと天堂のほうを見た。

 急に黙ったと思ったら何かをぶつぶつ呟いている。


 もしかして今が逃げるチャンス?

 俺はそう思ってそっと体を動かそうとした。


 しかしそのとき、天堂が俺の肩をがっしり掴んだ。


 そして天堂はとんでもないことを言い放った。


「お前、俺の助手にならねぇか」

「は、はぁ!?」


 突拍子もない提案に俺は混乱した。

 何を言っているんだこの男は。

 固まる俺をよそに、興奮した声で天堂は続ける。


「いやすごいよお前。俺だったら一日も生きていられる自信ない。でもお前はそれを16年間。はぁ信じられねぇな。すげぇよ。なぁ俺お前が欲しくなっちまったんだよ。くれない?」

「くれっ、くれるもなにも俺は物じゃねぇし。あんたに付き合う義理もない」

「そこをなんとか」

「だから――」


 キーンコーンカーンコーン


 そのとき無情にもチャイムが鳴り響いた。


「あ!あんたのせいで授業に遅れちまったじゃねぇか。どうしてくれんだ」

「ならいっそもうちょっと話そうぜ。助手になるわけだし」

「誰が助手に――いや待て」


 この人二年生だよな。ということは当然――。


「あんた授業は?」

「え、体育だけど」


 体育!?一番面倒な移動授業じゃねぇか。

 そうだ。天堂光はサボり魔。

 天堂は俺の肩にがっちり腕を回した。


「さ、行こうぜ助手君」

「誰が助手君だ。俺は――」

「あ、違う呼び方のほうがいいか。えっとじゃあ、“さたっけー”で」

「な、やめろそのあだ名」

「よーし、行くぞさたっけー。俺らの華々しい探偵生活の始まりだ」

「俺らって俺は認めてない――ておい、どこに連れてくんだおい!」


 学校随一の変人探偵・天堂光に連れられて、俺は初めてのサボりを決めたのだった。

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ヘブンズ・ドーン こうちょうかずみ @kocho_kazumi

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