蝶の味
冷田かるぼ
食蝶
10才になったら、蝶を食べる。
美羽は今日で10才、蝶を食す儀式の日だ。
どんな料理になるのか、味はどうなるのかもその子次第だという。
「美羽、準備はできた?」
美羽の母は礼服を身に着け、髪を結い美羽に問いかけた。
「うん」
少し憂鬱そうな顔で、短く答える。
近所のお姉さんは、美味しかったって言ってた。
でも、いとこのお兄ちゃんはまずかったって言ってた気がする。どっちなんだろ、まずかったら嫌だな。
そんなことを考えながら車に乗り込み、父と母と美羽、3人で式場へ向かった。
たどり着いた式場は一見すると公民館のような場所、というより公民館を式場に利用しているらしい。
足を踏み込むと、中はレストランのように設営されており、テーブルが2つ。仕切りがあるにはあるが、あまり高くない。
今日同じように誕生日を迎える、美羽のクラスメイトの分と美羽の座席なのだろう。
自分の席に着き、周りを見渡したりしながら時間が来るのを待つ。
そわそわとしながら、どんな蝶が出てくるのかなんて想像をしてみた。
それはとても綺麗な蝶で、美味しそうに調理されていて、クラスメイトも、両親も、すごいすごいと褒めてくれる妄想だった。
「やっほー、美羽ちゃん」
手を振った。クラスメイトがやって来たのだ。
美羽の後ろ側に座り、背中合わせのような配置。
祖父母も一緒に来ているようで、彼女は家族に囲まれて楽しそうに話を始めた。
何が楽しみなんだろうか。不味かったら、人生もひどいことになるんだろうし。
ネガティブな思考と、そうなってほしくない願いとが混じりあって緊張は高まっていく。
「儀式を始める」
どこからか男性の声がした。その瞬間、場は静まり返って重い空気が広がる。
どこからか袴を着た男の人が出てきて、段の1番高いところに腰掛けた。
この人が、この町の町長なんだと思う。学校でも名前は教えられたはずだがどうも思い出せない。
美羽が覚えていたのはどちらかというと彼ではなく、その息子の方だった。蝶に魅入られた青年。教科書にもそう書かれるほどの能力の持ち主らしい。だいたい20代、儀式の補佐を行う青年だ。
蝶を選ぶのも、そして調理するのも、食べさせるのも彼の仕事。実質彼がこの儀式を執り行っていると言っても過言では無い。
彼は料理を運んできた。クラスメイトの分と、美羽の分。
テーブルの上に置かれた平皿を見て美羽は固まった。
おひたし、というのが1番近いかもしれないその料理。
蝶はその形をそのまま保っていた。
地味で貧相。
どう見たって、美味しくなさそうな見た目。
後ろのテーブルを振り返り、ちらりと見ると、豪華な食事に喜ぶクラスメイト。
ハンバーグに乗った、蝶の奇麗な、それでいて派手すぎない色に美羽は目を奪われた。
「美羽、食べなさい」
両親は言った。
有無を言わさぬ口調。反発出来るわけがない。
濃い青紫色の翅がただ、皿の上に乗っている。
箸でつかむと、ぐっちょりとした感覚。
気持ち悪い感覚に手が震え出す。
我慢して口元へ運び、食べた。
口の中に張り付く翅。苦味が広がり、嫌悪感と吐き気で胸がいっぱいになっていく。
「飲み込みなさい」
言う通りに飲み込んだ。
舌がびりびりと痺れる感覚。喉の痛み。意識が飛びそうなほどの衝撃。
何か食べてはまずいものが入っているんじゃないか。そんな思考すら働かないほど、脳が侵食されていった。
耐えられなくなって、少し高い椅子から崩れ落ち、全てを吐き出した。
ほんの少し赤が混じるそれを見て、自らの運命を悟る。
咳き込み、地に伏す。
どうしてわたしが。
「ママ、美味しい!」
クラスメイトの声が、からっぽになった身体に虚しく響いた。
「この子はどうなってしまうんですか!?」
母親の声。霞んでいく視界の中に、青年に縋る母が映る。
「大丈夫です、蝶の加護を受ければ……」
また蝶か、と美羽は心の中で毒づいた。なんでこんなことになったんだろう。
だってわたしは、今まで普通だったのに。
青年は美羽のもとに近寄り、屈んで優しく頭を撫でた。
そして小声で囁く。
「大丈夫だよ、キミは奇麗な蝶になれるさ」
その言葉はどこか恍惚としていて、美羽の耳から、そして身体の芯へと恐怖が伝わっていく。
危機感を覚え、動かない体をよじり逃げようとした。だが、動こうとすればするほど体は重く、倦怠感が支配する。
動けない。怖い。なんで、どうして、わたしが。心の奥深くまで、劣等感と羨望が侵食していく。
そのまま美羽は意識を失った。
きっともうまともに生きてはいけないのだろう。
蝶の味 冷田かるぼ @meimumei
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