それが愛だと君が言うのなら

鳥尾巻

それが愛だと君が言うのなら

  遥か眼下に鄙びた街を臨む丘の上で、古ぼけた樫のベンチに座った君が泣きながら告げた。

「愛しているの」

 緑に囲まれた春の王国、暖かな風が吹き、やつれた頬を濡らす涙を乾かそうとする。俯くと光の加減で緑にも見える長い黒髪がサラサラと肩に零れ、また新たにあふれた雫が青白い肌を伝って落ちる。花弁を模した柔らかな紅色のドレスの上にぽたぽたといくつもしみが出来てその部分だけ色が変わる。痩せた肩を抱き寄せると胸に堪らない痛みがこみ上げた。

「あの人は君を傷つけた。あんな男に嫁いでは駄目」

「……彼を愛しているの」

 止めても無駄なのは分かっている。それでも真剣に言った私に返ってきた言葉はさらに胸を抉る。はらはらと零れた涙は君のものか私のものか。

「君にあんなことをした男と一緒になって幸せになれるとは思えない」

「分かってるけど離れたくない」

「彼が愛してるのは自分だけだよ」

「それも分かってる。もう決めたの」

 君は友人からの忠告だと思っているだろう。何を言っても君の心にはもう届かないと気付きながら言わずにはいられない。『愛してるよ』と指を絡め抱き締め合っても私と彼では立ち位置が違う。戯れのふりをして幾度となく口づけた唇は残酷な言葉を紡ぐ。

「あなたには結婚式に出てほしい……親友として」

 泣き笑いの表情で酷いことを言っている自覚もないまま返事を待つ彼女が愛おしくて憎らしくて私はまた涙を零した。目を見て返事をする勇気もなくて小さな頭を強く抱き込んだ。

「分かったよ」

 それが愛だと君が言うのなら幸不幸を決めるのは私ではない。ありがとう、と小さく呟く声を聞きながら、揺れる髪に気付かれぬようそっと唇を落とした。


 あんな男は死ねばいいと涙に暮れながら幾度となく思った。

 傍若無人な大国の人間の皇子、侵略されたこの春の王国。長く人間たちの目から秘され、争いを知らぬ王国の民たちは疑うこともなく敵を迎え入れ無惨に踏み躙られた。たくさんの消えた命と傷ついた彼女の体。

 大切な跡継ぎである彼を誘惑した魔女と誹られ、和平の証に結婚を許してやるのだから有難く思えと義母になる女に言われ、彼女はさらに傷つき何度も泣いて、それを見るたび私も泣いた。

 それでも彼を選ぶ彼女の気持ちが分からない。君が望めば彼らを殺してでも連れて逃げるのに。残された民の安寧のため、それとも彼への恋心のため。それが愛だと君が言うのなら、私は受け入れるしかない。


 大輪の百合のような白いドレスに身を包み、今は喜びの涙を流す君の顔を見つめる。それが愛だと君が言うのなら…苦い気持ちを飲み込み背筋を伸ばした私は、紅を引いた唇に精一杯の微笑みを浮かべ祝いの言葉を乗せた。


「姫様。本日はまことにおめでとうございます」

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