そらおよぐ

moes

そらおよぐ


●  ●  ●


「やばい。もうこんな時間……」

 トキヤは時計を見て、顔をしかめる。

 カスガの家に行くという約束は覚えていたが、ゲームのキリが付くまで、と続けていたら、思った以上に時間がかかってしまった。

 窓を閉め、玄関のカギをつかんで階段を駆け下りる。

 明確に時間を約束していたわけではないけれど、あまり遅くなるのは悪いし、カスガの文句がうるさい。

 靴をひっかけ、ドアを開ける。

「ぅわっ……なっ」

 突然、強い風が吹き、何かが降りかかる。

 視界を遮るそれを、トキヤは手探りで引きはがす。

「……こいのぼり?」

 赤いうろこ模様の大きなこいのぼり。

「風で飛ばされてきたのか?」

 上方をぐるっと見渡すが、トキヤの家を含め、近所にこんな大きなこいのぼりが上がっている家はない。

「どうしよ。こういうのも落とし物で交番に届ければいいのかなぁ」

 例えば小さな靴とかだったら、目につきやすい塀の上とかに置いておけばいいだろうし、財布なら何の問題もなく交番に行くけど。

 こいのぼりを届けられても、お巡りさんは困らないだろうか?

 だいたい持ち主も、交番に届いているとは思わないんじゃないだろうか。

 それとも、『迷いネコ預かってます』みたいな張り紙をつくって、持ち主が現れるのを待つとか?

「迷いこいのぼりって間抜けだよなぁ」

 とりあえず、広がったままではどうしようもないので一旦地面におろしてたたむことにする。

「急いでる時に限って、面倒なことっておきるよな」

 ぼやきながらもトキヤはこいのぼりをたたむべくしゃがむ。

 こいのぼりの大きくまんまるな目がなんだか物言いたげに見えて、トキヤはそっと目をそらし、顔の部分を内側にするようにたたみこむ。

 その時また突風が吹き、こいのぼりは体中に風を通して浮き上がる。

 その眼はしっかりとトキヤを見つめていた。

 そして言った。

「たすけてください」

 トキヤは深々とため息をこぼした。


 ◎  ◎  ◎


「トキヤ、来ないなぁ」

 時間を決めていたわけじゃないので文句を言う筋合いはないかもしれないけれど。

「電話してみよっかなぁ」

 たぶん時間を忘れてゲームをしているんだろう。

「ん?」

 声が聞こえた気がして、カスガはベッドから起き上がり窓を開ける。

 前の通りを見るが誰もいない。

 トキヤが来たかと思ったのに。

「気のせいか」

「わー、ぶつかるっ」

 気のせいではないほどはっきりとした声に、カスガは窓を閉めようとしていた手を止める。

 一瞬後、目の前に筒状の何かが唐突にあらわれ、それに飲み込まれた。

「っぷ。なんだこれ」

 ずりずりと自分にかぶさったそれを引きはがす。

「……なんで、こいのぼり?」

 カスガを丸呑みしてもなお余るくらいの大きさの、青いこいのぼり。

「さいあくー。変なもの飲み込んじゃったよ」

 床に転がったこいのぼりは心底いやそうに言う。

「勝手に入って来たくせに。っていうか、それはおれのセリフだしっ」

 言い返したあと、カスガはため息をつく。

 そういう問題ではなかった。不法侵入のこいのぼりがしゃべることの方が大問題だ。

「じゃ、そういうことで」

 床に転がったこいのぼりをどうにか手繰り寄せて抱きかかえ、外に放り出すべく窓から身を乗り出す。

「ぎゃー、人でなし、ひとごろしっ」

「こいのぼりに言われたくないっ」

 手を放すが、こいのぼりは懲りもせず家の中に戻ってくる。

「おーまーえー。いい加減にしろよ。何の用だよ。家に帰れよ」

「ちょっとくらい休憩させてくれてもいいだろ。ずっと泳いできて疲れたんだよっ」

「ジャマ、だなぁ」

 足の踏み場もないので、カスガは仕方なくベッドに座って、だらしなく床に転がるこいのぼりを見下ろした。


●  ●  ●


「家出した子供を探してるってこと?」

 だらだらと要領を得ない赤いこいのぼりの説明はまとめてしまえばすごく簡単なことだった。

「全く本当にあの子ったら向こう見ずで、つながれた生活は嫌だ。自由に泳ぐんだって、そんな……」

「わかったって。とりあえず、先にこっちの用事済まさせて。探すの、ホントは嫌だけど、しょーがないから手伝うから」

 この手のものに一度かかわったら、断ってもしつこく粘着されるのはわかっている、今までの経験上。

 とりあえず、待たせっぱなしにしているカスガの家に行くのが先だ。ついでに巻き込んでしまえば良い。

「ありがとうございますぅ。なるべく早くしてくださいね」

 畳んでもかさばって運ぶのに苦労しそうなサイズだったこいのぼりは全長五十センチくらいにちぢんでトキヤの目の前に浮かぶ。

「うゎ。伸縮自在?」

「私たちは、きちんと風を食べ続けなければ、徐々にしぼんで最後には消えてなくなってしまいます。元の姿だと負担が大きいので、いわば省エネモードです」

 小さくなったせいか、話し方も間延びしたものからテキパキとしたものに変わっている。

「じゃ、急がないとね。行こう」

 面倒だけど、放置して消滅されるのはさすがに寝覚めが悪い。

 小さくなったこいのぼりを引き連れて、トキヤはカスガの家に走った。


 ◎  ◎  ◎


「だっからさぁ、自由にっていったって、結局ここで転がってるくらいしかできないじゃないか。雨が降ったらびたびたになって、泳ぐどころじゃなくなっちゃうし。家に帰ったほうが良いと思うけど?」

「そんなの、つまんないだろっ」

 床でへたれているこいのぼりは尾っぽを少しバタつかせて言い返す。

「でも、このままここにいてもおれの部屋のカーペットになるだけだよ?」

 それ以前にお母さんに見つかって、カスガが怒られる。最悪だ。

「うー」

「……なぁ、オマエ、小さくなってない?」

 部屋に収まりきらない長さだったはずが、短くなって床が見えてきている。

「おなか、すいたからかな?」

「おなかすいたって、こいのぼりって何食べるんだ……あ、風か?」

 残念ながら外は風がほとんどなさそうだし、こいのぼりなんかぶら下げたら、お母さんに即バレてしまう。

「やっぱり、帰れよ。うちまで送ってやるからさ。……ほら、青い鳥ってあるじゃん」

「僕はこいのぼりだけど?」

 何言ってるんだ、とこいのぼりに不審げな顔をされる。

「知ってるって。そうじゃなくて、お話。しあわせの青い鳥を探しに行くんだけど、見つからなくて、家に帰ったらそこには青い鳥がいたっていう。だから、家に帰ったらいいことあるかもよ?」

「ざっくりな説明だな、カスガ」

 笑い声に顔を上げるとトキヤが部屋の前にいた。

「トキヤ」

「おばさんが上がってって良いよって。遅くなってごめん」

「ホントだよっ。こいのぼりは乱入してくるし、困って……あれ、トキヤ。その赤いの」

 カスガはトキヤの横に浮かぶものを指さす。

「うん。こっちも、こいのぼりにつかまっちゃって」

「こんなとこにいたのねーっ」

 小さな赤いこいのぼりは、また一回り小さくなってぐったりしている青いこいのぼりに近づく。

「おかーさん?」

「心配したのよ、すっごく。良かったわ、見つかって。帰りましょう」

「えぇと、親子?」

 赤いこいのぼりは心配で聞こえていないのか、返事はない。

 かわりにトキヤがうなずく。

「家出息子を探してたんだ。ホントは普通に大きなこいのぼりなんだけど、そのままだと負担だから小さいのは省エネモードなんだって」

「だからサイズがおかしいのか。あ、こっちも小さくなった」

 ぐったりと横たわっていた青いこいのぼりが三十センチくらいの大きさになって、赤いこいのぼりの隣に浮かぶ。

「おふたりとも、ご迷惑をおかけしました。この子にはよく言い聞かせます」

 赤いこいのぼりが体をくの字に曲げる。たぶん、頭を下げているのだろう。

「良かった。帰ることにしたんだ」

 カスガのほっとした表情に、青いこいのぼりは少しすねた顔をする。

「とりあえずね。青い鳥がいるかもしれないし」

 そしてカスガに近づいて、耳元でささやく。

「変化の仕方おぼえたら、今日みたいなことにならないしね。そしたらまた来るね」

 そのまま二匹は窓から出ていく。

「なんて?」

 固まっているカスガをトキヤがつつく。

「もう、来るなー」

 カスガが叫ぶ。

 空よりも青いこいのぼりが、遠くで跳ねた。


                                   【終】

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