第25話

 霞が関。警視庁庁舎。

 あれから1年。高瀬は驚異的な回復を見せ、早々に復帰を果たしていた。

「じゃあ柴田、後の事は全部・・頼む」

「ちょっとちょっと! 何言ってるんですかッ!」

 柴田は勢い立ち上がると、対策室から出て行こうとする高瀬の前に回り込んだ。

「来たばっかりじゃないですか! 普通はちょっとぐらい何かしてから言うもんでしょ!」

「おい柴田」

「な……なんですか」

 高瀬は虚勢を張る柴田を壁際まで追い込むと、柴田の細い目をじっと見た。

「普通ってなんだ? お前の言うそれは、お前の股間に下がってるモンと同じくらい、ちーーーーーっさな物差しを基準にしたもんだろ? いいか。普通なんてモンはこの世に存在しないんだよ」

「じゃあ、社会的に当然のことと言い換えます」

「…………」

 思いの外、柴田は成長していた。

「何言ってんの柴田くぅん」

「ダメですよ。どうせ事務仕事が嫌なんでしょ」

 図星だった。

 こうなったら泣き落とししかない。

 高瀬は柴田に手を合わせた。

「頼む! ちょっとだけ! な? 今日は知り合いの店のプレオープンに、月見里や千里たちと行く約束してんだよ。大樹がスゲー楽しみにしてんだよ」

「大樹くんが……」

 柴田は、千里の家で鬼の襲撃に遭った際、自分に勇気を与えてくれた、小さな少年を思い出した。

 あの小さな手に自分は救われ、そして飛び出して行けたのだ。

 流石にその名を出されては心が揺らぐ。

「大樹をがっかりさせたくないだろ?」

「う~、まあ、ちょっとだけなら……」

「よっしゃ! 決まりな!」

 高瀬は手を打つと、嬉々として対策室のドアを開けた。

 が、閉めた。

「あれ? どうしたんですか?」

 柴田がそう言うが早いか、ドアがドカンと勢いよく開いた。

「高瀬ーッ!」

「と、遠子さん?」

 遠子はずかずかと対策室に入ってくる。

 高瀬は慌てて柴田の後ろに身を隠した。

「来るな」

 高瀬は慌てて柴田の後ろに身を隠し、シッシと野良犬を払うようにあしらう。

 遠子は鼻息も荒く、2人の前に立つと仁王立ちとなった。

「高瀬……。今日と言う今日は逃がさないわよ」

 そう言う遠子は、明らかにいつもよりも化粧が濃い。服装も、海外の通販サイトにあるような露出度である。

 高瀬は震え上がった。

「おい柴田、何とかしろ!」

 小声で言って柴田を前に突き出す。

 柴田は脇からジワリと汗が染み出るのを感じた。

「あの、遠子さん? 最近の特殊事件対策室は、開店休業で、閑古鳥が巣作りしちゃうくらい暇なんですよ? おかげで回ってくるのは書類仕事ばかり。遠子さんの記事になるようなネタなんか、なああんにも──」

「んなこた知ってるわよ」

「え」

 遠子の答えを聞いて、柴田の肩から力が抜けた。

「じゃあ、なんで高瀬さんを追っかけてるんです?」

「えー」

 そう言って遠子は恥ずかしそうに身を捩り、ちらと高瀬を見ると恥じらった──つもりだったが、実際はにやりといやらしい笑みを浮かべただけだった。

「遠子さん?」

「ヤボね、柴田。デートに決まってるでしょ」

「嘘だぞ柴──」

「あの日!」

 遠子は高瀬の言葉を遮ると、フーっと息を突き、つけまつ毛の目を伏せた。

「高瀬はその身を挺してアタシを護ったの。その瞬間アタシには見えたわ! 高瀬の胸にキューピッドの矢がぐさーっと刺さっているのを!」

「そうなのおぉぉぉぉ?」

 柴田は驚愕の声を上げた。その顔はムンクの叫びそのものである。

「バカ! 刺さったのは松岡の短剣だ! 誰がコイツみたいなガサツでアホな変態尻軽女なんか!」

「そんなこと言っちゃって。結婚してあげてもいいのよ」

「断る。じゃあな、柴田。あとは全部・・頼む! 祝儀は弾むぞ!」

 高瀬はムンクを遠子に押し付けた。

 そして素早く対策室を後にする。

「あっ! 高瀬さぁぁん!」

「ちょっと! どこ触ってんのよ柴田!」

 対策室から、平手打ちと柴田の悲鳴が聞こえた。

 

 *   *   *


 中目黒の地下鉄沿線付近にはお洒落なカフェが多い。

 高瀬は、中目黒駅から東京高等地方裁判所・中目黒分室に向かう途中にあるビルへと向かった。

 ビルの向かいには有料だが駐車場もある。なかなか良い立地だ。

 高瀬は駐車場に覆面パトカーを入れた。

「高瀬さああん!」

 車から降りると、大樹が飛んできた。

「おう、大樹!」

 小さな体をひょいと抱き上げる。

「はやく! はやく!」

 夏休みに皆で出掛けるのが嬉しいのか、大樹はやけにはしゃいでいた。

 ビルの前には、千里と大沢、そして月見里も待っている。

「悪い、悪い。遅くなったな」

 高瀬が手刀を切ると、千里はいつもの事だろと毒づく。

 高瀬は笑った。それもいつもの事だからだ。

 

 その店は、ビルの1階にあった。

 野良猫を保護し、定期的に譲渡会を行い、殺処分を無くしていく事を目的としたカフェで、『cheval doux(シュバル・ドゥー)』──フランス語で優しい馬と言う名らしい。

 勿論、このカフェの主役は保護された猫たちで、カフェの売り上げは、猫たちの保育費や医療費として賄われるそうだ。

 腰壁や床に木材を使用した内装はとても落ち着きがあり、そして良い匂いがした。

 そんな店内で、猫たちはゆったりと過ごしながら、新しい家族との出会いを待つ。

 オーナーは、とある事件をきっかけに知り合った、犬飼と言う弁護士だ。

 その犬飼は、子猫を抱いた月見里と何やら楽しそうに話し込んでいる。

 高瀬はソファーに腰かけると、膝に上がって来た猫の背を撫でた。

 この茶色い猫はキジトラ猫と言うのだそうだ。

 猫の身体はふにゃりと柔らかく、そして暖かい。丸い目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らすその音も心地よく、猫に癒されると言うのも理解出来るなと高瀬は思った。

「お前も、早く家族が出来るといいな」

 キジトラ猫はにゃあと言うと、高瀬の手に頭を擦り付けた。

「なにデレデレしてるんだよ」

 そう言って、千里が高瀬の横に腰を下ろす。

 その胸には、白と茶色の猫が抱かれていた。アーモンドアイが実に猫らしい。

「キジシロ猫っつーんだってよ、コイツ。アンタが抱いてるその猫と姉弟らしいぜ」

 千里は、雌猫だと言うキジシロの頭を撫で、ふわふわの身体に顔を埋めた。

「んー。お日様のにおいがする」

 自分よりよっぽどデレているように見えたが、黙っておいた。言えば機嫌が悪くなるに決まっている。

「ところで千里」

「ん?」

 千里は顔を上げると鼻を掻いた。猫の毛を吸ったようだ。

「親父さんから聞いたが、サツサンを希望してるって?」

 先日立ち寄った目白不動で、天海から聞いた話だ。

 高瀬は、千里はこの先も『株を転がして』財を成すのだろうと思い込んでいたので、この話を聞いたときは随分と驚いた。

「つっても、大学出てからだぜ? 高卒だと、アンタみたいに警部補どまりだからな」

「違いねぇ」

 痛いところを突く。高瀬は苦笑した。

「大沢君は?」

「アイツは医学部だ。余裕でT大医学部に現役で入るさ」

「医者か」

「月見里先生のとこに行きたいみたいだぜ?」

 つまり、『直さない医者』だ。

「それに──」

 千里は走り回る大樹を目で追った。

「T大には託児所がある」

「そうか」

 大樹の事については謎が多い。親はいるようだが、詳しいことは聞かされていない。

 大樹が子供のままであることについては、小頭性原発性小人症ではないかとも言われている。

 しかし、そんな事はどうでも良かった。

 皆、大樹を愛している。それで十分だ。

「でも、実家はどうするんだ?」

「あのジジイは殺しても死なねぇよ」

 確かに。

「つか、息子が2人もいる・・・・・・・・んだから、いずれ定年したらアンタと俺が順番に継げばいいんじゃね? 家族なんだから、親の面倒ぐらいみねぇとな」

 千里が当たり前に『家族』と言う言葉を使った。

 高瀬は一瞬言葉を失った。

 くすぐったく、しかし、この上なく幸せを感じた。

「そう、だな」

「ねーこー!」

「あ、大樹! 無理に抱いちゃダメだよ」

 大沢が慌てて大樹のもとに走る。

 それを見て、千里はため息をついた。

「ほっとけ、引っかかれねぇと分かんねぇんだよ」

「いや、千里。猫の爪で出来た傷は痕が残ったりするぞ?」

「男なんだからいいだろ。アンタ大げさなんだよ!」

 いつもの、大樹を巡る言い争いの勃発である。

 やいのやいのと騒ぐ4人を見て、犬飼は目をぱちくりさせて月見里を見た。

「高瀬さんのお友達ですか?」

「兄弟……いや──」

 月見里はふわりと柔らかな笑みを浮かべると言った。




 ──家族だよ。



 

 ──完

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不動の焔 桜坂詠恋 @e_ousaka

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