あなたを探しています

If

あなたを探しています

「伊予さん」


 疲ればかりを凝縮した溜息を吐き出したとき、呼び止められた。感じの良い風貌の声主は、初めて見る人物だ。


「どちら様ですか?」


「こういう者です」


 差し出された名刺を手に取る。どこぞの事務所の探偵らしい。一秒の間に三回くらい瞬いた。何の用だろう。心当たりがなさ過ぎて困惑している間に、話が先に進む。


「清崎学さんが、あなたを探しています」


「きよさきまなぶ」


 反芻しつつ脳内アルバムを捲るが、該当者は見当たらない。


「記憶にないですね」


「だろうと、清崎さんも仰っていました」


「その人がどうして?」


「清崎さんは、あなたの高校の同窓生です。直接会って言いたいことがあるらしく」


 追加情報が出てもなお、アルバムに彼の存在は認められなかった。本物を捲ってみるしかなさそうだ。向こうもそう言ったなら、関係の深い相手ではなかったようだが、なぜ私を探しているのか。悩んだところで答えが出そうにない謎だった。


 探偵は、返事は後日でよいこと、依頼人への個人情報漏洩はないということ、会う際の場所指定はこちらがした上で友達を連れてきてもよいこと、などを手短に説明して、私の前を辞した。


 ものの数分の話だったが、手の中では名刺がしっかりと輝いている。訪れた非日常の証として。


 探偵に調べられるなんて、人によっては不快になるかもしれない。でも私は、そういうまともな人種ではなかった。浮かれていた。面白いことが起こった、と思った。




 真面目そう。清崎氏の第一印象はそれだった。細い目に薄い唇、ちょっと白すぎるんじゃないかと心配になる肌。正直に言うと、私は落胆した。俗に言うイケメンとの運命的な再会を、ほのかに期待していた。それにしても、やはり記憶にない顔だ。少なくとも同じ組にはなっていないはずだ。気弱そうな彼が、一体何を言おうとして私に会いたがっているのか。


 昔から好奇心は旺盛だった。成人して多少知恵をつけた私は、件の探偵事務所について調べる程度はしたが、不審な点はないと結論づけるや否や、携帯を手に取った。接触翌日に快諾を得た探偵は驚いたらしく、それがおかしかった。




 友達には声を掛けないままに、その日を迎える。人気のカフェを指定したし、恥ずかしい内容の話なら居た堪れないから、正しい判断をしたと思う。


 約束の五分前に到着したが、探偵と清崎氏は既にいた。探偵の顔は覚えていたし、清崎氏の方にも面影があったため、当該テーブルまで迷わず進む。


「伊予です。こんにちは」


 席に着くなり挨拶をすると、清崎氏は立って挨拶を返して来た。


「こんにちは、清崎です。今日はありがとうございます」


「いえ」


 同い年なのに敬語を使ってくる清崎氏の表情は、大変硬かった。緊張からだろうか。私も緊張はあった。固唾を飲んでそのときを待つ。


「どうしても直接お礼を言いたくて、あなたを探していました」


「お礼というと?」


「これを覚えてらっしゃいませんか?」


 取り出されたのは、元は白と想定される色のお守りだった。勧学御守。まだ読み取れる字を目でなぞった途端、頭を駆け抜けていった記憶が一つ。


「あっ、お守りを渡した人!」


 思わず小さく叫ぶと、清崎氏は破顔した。


「覚えていてくれたんだ」


「今思い出したよ。えっ、何? お礼ってことは合格したの? おめでとう!」


「君のおかげなんだ」


 力強い声でそう言った後、清崎君は七年前の大勝負とお守りの威力について、私に語って聞かせてくれた。




 七年前、彼は大学受験を控えていた。が、ストレスから腹を下しがちの日々を送っており、受験の三日ほど前からは嘔吐まで始まる始末で、ほとんど食べ物が喉を通らなかったとか。そんな状態で集中できるわけもなく、勉強ができないことでより不安が募り、最後には不眠にまで陥ったという。とにかく、考え得る限り最悪のコンディションだったらしい。


「試験前日、無理やり自習しに行った学校で、合格報告帰りの君に会って。すれ違ったとき、俺、よっぽど不安げだったんだね。君は『このお守りは無敗のお守りだから大丈夫』って、喋ったこともない俺にこれをくれた。その日これを机の上に置いて勉強したら、不思議なほど集中できたんだ。体調も安定したし、眠れもした。当日も、制服のポケットに入れて行ったよ」


 このお守りは北野天満宮のもので、姉と私の高校・大学入試の全てを合格に導いてくれた一品だ。


「試験でも実力以上の力が出せて、合格できた。お礼を言いたかったのに、君の名前を知らなくてさ。卒業式の後もらったアルバムで探して知って、いつかって思ってたけど、君って同窓会にも来ないから全然会えなくて」


「ごめん、忙しくて」


「いや、こっちこそ探偵頼ってごめん。人脈なくてさ。でも、本当にお礼を言いたかったんだ」


「これ、すごいでしょ」


「お守りもすごいかもしれないけど、俺は何より君の優しさに救われたよ。ありがとう、伊予さん。大げさかもしれないけど、人生変えてくれたと思ってる」


 ほんのりと胸の内が温かくなる。確かにここまでするなんて変な人だなと思うけれど、それほど礼を言いたいと思ってくれたらしい。清崎君が合格したのは努力の成果だろうが、私の行いで誰かを少しでも救えたのなら、それってとっても嬉しいことだ。


「人を救える人って、そんなにたくさんいないよ」


 手元に帰って来たお守りと、その一言が、今度は私を救ってくれる。社会人になって数年、ミスをしては上司に怒られ、小さくなりっぱなしだった私の心が、久しぶりにぴんと背を伸ばした気がした。


「また会おうよ」


 東京に行くんだ、と言った彼へ選んだ言葉に自分で驚く。でも、撤回したくはなかった。


「転勤、大変でしょ? 苦しくなったらまた救いに行くよ。迷惑じゃないなら」


 私は思うのだ。清崎君は、お守りと一緒に一番優しかった頃の私を預かってくれていたと。返してもらったからには、私はまた優しい私に戻らなくてはならないし、そうしたいとも思う。


 ありがとう、と応じてくれた彼と連絡先の交換をする。次に会うときまでに、彼をもう一度救う準備をしておこう。だって、最初に私、次に清崎君と来たから、今度はまた私の番だ。お守りを握り締めながら、私は誓った。

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