ジンクス

moes

ジンクス


 一度目は確か梅雨に入る前。

 いつものカフェで、いつものように買ったコーヒーを片手に窓際の席に向かう途中、すれ違いざまに漏れ聞こえた。

 制服を着た女子高生に向き合う大学生らしき青年が「ごめん」と謝る声。

 にじみ出す雰囲気から別れ話だと察した。

 足早に通り過ぎるのも却って目立ちそうで、足音を立てないよう、気配を消すよう、視線が決して交わらないように歩く。

 テーブルの上の手つかずのマフィンの横にぽたりと涙が落ちたのが視界に入った。



 二度目はお盆休みが明けた後。

 仕事帰り、向こうから歩いてくる仲睦まじく体を寄せあうカップル。

 男の方が自分の恋人だとわかって、足が止まった。

 こういう偶然は、ドラマの中だけかと思っていた。

 不自然に足を止めた私に気付いたのは女の方が先だった。

 不審げな女は何も気づいていない彼にこそこそと耳打ちし、彼はようやくこちらを見た。

 まずいとか、どう切り抜けようとか、焦りと動揺。

 そのなんともいえない表情に思わず笑みがこぼれた。

「こんばんは。ねぇ、少し話したいんだけど。良ければ彼女も一緒に?」

――

 カフェへは彼と二人で入った。

 そこが梅雨前あたりに別れ話をしていたカップルが座っていた席だと気が付いたのは、一人残された後だった。

 あの現場を見た時点で、別れるのは決めていた。

 彼、否、元カレシもあの場で、どうにか取り繕って隣にいた彼女を先に返したあたり、そのつもりだったのだろう。

 席に着いた瞬間から、機先を制すように私の悪いところをあげつらった。

 可愛げがない、冷たい、癒されない、そんなようなことを何度も何度も異口同音に重ねられた。

 弁明を聞きたかったわけではないけれど、責任転嫁としか思えない自己保身などはもっと聞きたくなかった。

 学生のころから付き合い始めて、約三年。

 付き合い始めのころのような浮ついた感じはないけれど、ちゃんと好きだった。

 もちろん、私に落ち度が一つもなかったとは言わない。最近忙しくて、なかなか会えずにいたし、おざなりになっていた部分もある。

 けれど。

「先に別れ話してから次に行けよなぁ」

 氷が溶けて薄まったコーヒーを飲み干す。

 結露した水滴がテーブルにぽたぽたとしみを作った。



 三度目は、つい先ほど。

 通りに面したカウンター席で遅い昼食をとって一息ついた。

 背後からは二人分の話し声。内容は聞き取れないけれど、何となく不穏な空気は感じ取れた。

 ぼんやりしているとつい聞き耳を立ててしまいそうで、持っていた本を開き、活字を目で追ってしばらくは背後のことを忘れていた。

「もう良いっ」

 コーヒーを飲み終わり、小説もキリのいいところになったのでそろそろ出ようかと思ったところに合わせたかのように大きな声が飛び込み、思わず椅子に座りなおす。

 がたんと大きな音に続いて、ぱしゃんと何かがこぼれたと思われる音。

 がつがつと音を立てるヒールの音は止まることなく遠ざかる。

 店員の「ありがとうございましたー」の明るい声のあと、ほどなく大きな窓の向こうをピンク色の甘そうで、舌をかみそうに長い名前の飲み物を片手にした女が、相変わらずがつがつと音を立てていそうな足取りで歩き去る。

 そっか、怒っていてもアレは持って帰るのか。とどうでもいいことに感心する。

 さて、今度こそ帰ろう。

 かばんを持って、視線をその席に残っている人に向けないようにしていたせいで足元に落ちていた小さな紙コップに気が付いた。

 あぁ、さっきこぼれたのはこれか。

 入っていた量が少なかったのか、床はほとんど濡れていない。

 紙コップを拾い上げ、自分の飲み終わったカップと重ねる。

「あ、すみません」

 コップが落ちていたことに初めて気が付いたように座っていた男が立ち上がる。

 そのはずみでぽたぽたと水滴が床に落ちる。

 良く見ればスーツにしみが広がっている。

 落ちた水滴から見るとコーヒーではなく水だったようだ。不幸中の幸いと言っていいものか。

 かばんの中をあさって、ポケットティッシュと、コンビニの景品でもらったまま放置していたミニタオルもついでに取り出す。

 新品のままだから水を吸うかはわからないが、ないよりはマシだろう。

「これ、要らないモノなので良かったら使ってください」

 テーブルの上に置く。

「あ、ありがとうございます」

「お大事に」

 反射的に返してしまった言葉は、そぐわなくて失敗したと思いつつ、言い訳するのもおかしいのでそのままそそくさ立ち去った。

 気恥しさのまま速足で駅までたどり着いて、ほっと息をついて気が付いた。

「また、あの席だし」

 別れ話なんて世間にあふれているし、自分があそこを利用する頻度も高いとはいえ。

「呪われてるんじゃないの、あの席」

 非現実的な言葉が思わずこぼれ落ちた。



 何か話してるなとは、思った。

 ただ、自分に関係あるとも思わずただぼんやりと会計の順番を待っていた。

「先の方にお支払いいただいてます」

 にこやかな店員さんの視線の先を追うと、少々困ったような笑顔の男性が小さく頭を下げた。

 ペイフォワードというやつか? 見ず知らずの人に奢られるのは微妙にビミョーなのだけれど。

「あの、ありがとうございました」

 少し早足で追いつき、男性に声をかける。

 振り返ったのはやはり少し困ったような顔だった。どこかで見たことあるような気がする。知り合いだったっけ?

「いえ。先日はお世話になりました」

 テーブルにコーヒーを置いて、男性は今度はきちんと頭を下げる。

 え。やっぱり知り合い?

 仕事関連じゃない気がする。それなら、もう少し見覚えがあるはずだ。それに、こんな風にわざわざお礼を言われるようなことをした覚えがない。

「えぇと、ごめんなさい。どちら、さまで……」

 これで、普通にお客さんだったりしたらどうしよう。

「あぁ、ごめんなさい。先日、ここでタオルとティッシュを頂きました」

 やわらかな声がきまり悪げにこぼれる。

 あぁ、なるほど。

「あの時の」

 駅前で受け取らされたティッシュと趣味ではないキャラ物のハンカチだったし、あんな場面見られてたこと自体、本人的には不本意だろうし、気付かないふりしておけば良いのに。

 律儀な人だ。

「じゃ、ありがたく、ごちそうになります」

 コーヒーのカップを少し持ち上げて、いつもの窓際の席に向かった。



「こんにちは」

 いつものカフェの入り口でまた偶然に顔を合わせた。

 あいかわらず、どことなく困ったように見える笑顔であいさつされ、こちらも慌てて返す。

 やっぱりどこかで会ったことがある気がするんだよな、この人。

 ここ最近じゃなくて、もっとずっと前。

 それぞれ注文したものを受け取り、なんとなく流れで同じテーブルに着く。

「改めて、先日はありがとうございました」

「別に大したことしてないので」

「いえ。あの時はもう呆然としてしまっていて、声かけてもらえて助かりました」

 確かに、見事に固まっていたもんな。

「あのあと拭いたりしながらも、まだちょっと呆然としていたんですけど、あなたの「お大事に」がじわじわとおかしくなってきて」

 いや、ちょっとそれは忘れてほしい。

「ごめんなさい。それもう口癖みたいになっていて」

「いえ。なんだかツボに入って、思ったほど凹まずに引きずらずに済んだので」

 フォローではなく本当なのだろう。困り笑顔ではなく、楽しそうに笑っている。

 あ。

「ごめんなさい。失礼でしたね」

 声には出してなかったはずだけれど、こちらの表情で察したのか、笑いをひっこめられる。

「いえ。ちがいます。そうじゃなくて、 どこかでお会いしたことがあったような気がしてたんですが、違いました。従兄に似てるんだって気がついて」

 私がまだ中学生のころ、そっと好きだった従兄。向こうはもう大人だったから、ただの片思いだったけれど。

 その頃の、顔というよりは、笑い方とか雰囲気とか話し方とか、似てて、懐かしくて、ちょっとどきどきする。今更。

「それは光栄です」

 突然身内に似ているとか言われても、困るだろうに、少しおどけたように笑ってくれる。気ぃ遣ってくれてるなぁ。良い人だ。

 コーヒーを飲み終わるまで、他愛のない話で流れる時間が妙に心地よく流れた。



 その後も、ちょくちょく顔を合わせた。

 すれ違いであいさつを交わす程度の時が大半だったけれど、タイミングが合えば同席した。

 お互い連絡先も知らない。ただ、カフェで偶然会うだけ。その距離感が気楽でちょうど良かった。

「こんばんは。隣良いですか?」

「どうぞ」

 柔らかい声に顔を上げると、やっぱり少し困ったように見える笑顔があった。

「この席、好きですよね遠山さん」

 確かに一人の時は、たいてい路面に面したカウンター席に座っているけれど。

「好きっていうかですね、ぼーっとしてる時、一点を見る癖があって」

 そのつもりはなくても睨んでいるように見えるらしいので、対策として外向きの席を選んでいるだけだ。

「そういう日野さんも大体同じ席じゃないですか」

 今座っているところのちょうど背面にある、あんなことがあった席なのに特にこだわりなく座っているのをよく見かけた。

「そういえば、そうですねぇ」

「あの席、縁起が悪いんですよ?」

 なんとなく落ち着くんですよ、とのんびり答える日野さんにちょっとしたイタズラ心というか、ふと思いついて軽めに切り出す。

「私が知ってるだけで、あの席で三組にカップルが破局を迎えてます」

「まず、ここに一人」

 ワザとらしく声を潜めたこちらに付き合って日野さんも小声になって自分を指さす。

「夏前に高校生にカップルが、そしてその二か月後に私が」

 日野さんをまねて自分を指さす。

「え?」

 目を真ん丸にしてこちらを見る日野さんがおかしくて小さく笑う。

「本気で信じてるわけじゃないけど、半年で三回も見るとさすがにねぇ」

「でも、僕とは何回か座って……って違う。まだ付き合ってないから関係ないか……えぇと」

 基本、のんびりした日野さんが妙にわたわたしてる。フォローとか別に要らないよ? こっちも吹っ切れてるし。

「えぇと、遠山さん。今度、一緒に出掛けませんか!」

 あれ。今、そんな話してたっけ?

 まじまじと見返すと、一周回ってなんだか落ちついた風の日野さんのいつもの笑顔があった。

 ん? なんだ「まだ」って?

 顔が、あつくて、それを隠すようにうなずいた。


                                   【終】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ジンクス moes @moes

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ