三日目-前〜毒〜

 窓の外から聞こえてくる活気に溢れた声と耳に残るナレーション声で自然と目が覚める。

 寝ぼけ眼で、薄っすらと埃を被ったカレンダーを見ると、今日は五月十八日、日曜日であった。

 丁度、世間ではゴールデンウィークと呼ばれている、俺にとっては都市伝説と化していた謎の一週間が終わり、この世の終わりのような雰囲気を纏っていた人々が現実に向き合ってきた頃の休日である。

 俺はカレンダーから目線を外すと、何か夢を見ていたような、今も夢の中であるような、夢と現を漂っている意識でナレーション声が聞こえてくる方を見ると、俺の視線の先には光を放っているテレビ画面の前に人影があった。

 人影は食い入るようにテレビを観ていたのだが、不意に此方へと振り向く。

 人影はテレビの逆光を受け、此方からは顔がよく見えないのだが、艶のある黒髪が光を反射し輝いていることで、その人影が何者であるのかが顔を見ずとも分かった。


「おはようございます。社畜さん」

「あぁ、おはよう」


 テレビの前の人影である少女が俺に挨拶をしてくる。


(あぁやっぱり夢じゃないのか)


 俺はそうぼんやりと考えながら窓辺で背伸びをし、台所へと向かう。

 冷たい水を顔に当てると、今まで霧がかかっていたような思考が一気に冴える。


(本当に夢じゃないんだな)


 俺は使い古され擦り切れてきているタオルで顔を優しく拭き、もう一度大きく背伸びをすると、背後から声が聞こえてきた。


「社畜さーん。お腹が空きましたー」

「ちょっと待ってろ」


 ルイヤを見ると、自分で作ろうとする気が全く感じられない体勢でテレビの前に陣取っており、更には顔がテレビに向いている。

 何処からどう見ても人に頼み事をしている様には見えない。


(これも契約、契約。はぁ)


 俺は小さな溜息をつきながら、昨日買った食パンを魚焼きグリルに入れ、つまみを回す。


(はぁ、やっぱり休日の寝起きに何かをするのは何か辛いな)


 俺の休日は、一応存在はしているのだが基本的に、呼び出され休日出勤をするか、晩から晩まで寝ているかの二択なのであってもないようなものである。

 平日(土曜日含め)ならば慣れたものなのだが、休日となると体と頭がしっかりと働いてくれない。


(今日は何をするかね。買い物でも行くか?)


 俺はそんなこと考えながら手を動かす。

 沸かせておいたお湯を、コーヒー粉末が入った二つのマグカップに注ぎ、最後の仕上げというように魚焼きグリルから食パンを取り出す。

少し時間をかけ過ぎた気がしたのだが、少し焦げてしまったと言うよりは、綺麗な狐色の焦げ目がついた美味しそうで理想的なパンと呼ぶに相応しい出来栄えになっていた。


(いい色だ)


 俺は用意しておいた皿にパンを乗せ、食卓へと運ぶ。

 少し質素かと思われるかもしれないが、ジャムやバター等がないので仕方がないだろう。


「おいルイ、ヤ」


 俺がルイヤを呼ぼうとすると既にルイヤは着席していた。

 ルイヤは目を輝かせながら、


「社畜さん!早く食べましょうよ!」


と俺を急かす。


「早いな。食い意地が張ってるからか」

「一言余計です」

「事実だろ」

「事実ではありませんが、認めのは嫌なんです」

「認めてるじゃねぇか」

「認めてません!」

「ははは」


 そう軽口を叩き合いながら俺が着席したと同時にライヤは、


「いただきます!」


と淹れたてのコーヒーへ手を伸ばすが、思ったよりも熱かったのか直ぐに手を引っ込め、代わりに食パンへと手を伸ばした。

 ルイヤの白い歯が狐色のパンの表面に食い込む。

 そしてルイヤはパンをゆっくり咀嚼し、飲み込むと結構な速度で俺に語りかける。


「社畜さん、社畜さん。これ甘いですよ、甘い!噛めば噛むほど甘くなります!この前の白い粒も甘かったですが、違う甘さです。社畜さん、これは何と言う名前なんですか?」

「落ち着け落ち着け。まず今食べているのが食パンだ」

「食パン?」

「ああ。で、お前が言っている白い粒が多分米だな」

「米!あれは米って言うんですね。ふむふむ…ではこれは何ですか?」


 そう言いながらルイヤはマグカップを指差す。


「それはコーヒーだな」

「コーフィー?」

「コー、ヒー、だな」

「むむむ…コーフィー、コーフィー、コーフィー。難しいですね」

「頑張れ」

「コーフィー、コーヒー。あっ言えましたよ社畜さん!褒めてください」

「あー凄い凄い。お前は凄いなー」

「…全く心が込もってない」

「まぁまぁ」


 ルイヤは口を尖らせながら、マグカップを両手で持ち息を吹きかける。

 先程までコーヒーの気品ある色を隠していた湯気はあっと言う間に晴れていき、一言では言い表せない深い色が姿を現した。

 それでもルイヤは息を吹きかけ続ける。


(猫舌か?そもそも悪魔に熱いなんて概念が存在するのか?)


 俺がそんなことを考えていると、ルイヤは遂にマグカップの縁に口をつけ、恐る恐るコーヒーを啜った。

 やっとコーヒーがルイヤの口の中に入ったと思った瞬間、口から思いっ切り茶色い霧が噴き出された。

 そう、噴き出したのだ。

 げほげほと咳き込んでいるルイヤに俺は声をかける。


「大丈夫か!?」

「だ、大丈夫、です」


 ルイヤは口から茶色い液体を滴らせながら、何とかと言った様子で返事をした。

 俺は急いでクローゼットから取り出したタオルをルイヤに手渡し、台拭きを手に床を拭きながらルイヤに話かける。


「どうしたんだよ…急に噴き出して」

「…毒です。毒を盛られました」


 どうやらルイヤはコーヒーの苦味を毒と感じたようだ。

 そう考えると噴き出した理由に納得がいく。

 俺が一人納得をしていると、おもむろにルイヤの手が俺のマグカップに伸びた。

 ルイヤは左手で口元を拭いながら、右手に俺のマグカップを持ち、無言で流し台へと向かう。


「どうしたんだ」

「…社畜さん、これは毒なんですよ!危ないです。飲んではいけません!ただでさえ弱い人間が毒なんて飲んだら…」


 ルイヤはそう言いながら歩みを速めるのだが、俺が瞬きした瞬間、俺の視点から一瞬でルイヤの姿が消えてしまったのだ。

 それと同時に俺の視線の少し下から大きな音が聞こえてくる。


「いったぁ!」


と言った声と共に。

 俺が慌てて視線を下げると、その先には元々マグカップであろう残骸と、床に張り付くルイヤの姿があった。

 その姿はとても滑稽で、誇り高き悪魔とは到底思えないような、あられもないものであった。

 そんな姿に俺は思わず吹き出してしまい、ルイヤは俺を忌々しげに睨み付ける。

 きっと、自分の情けない姿を見られて恥ずかしい上に、笑われたことが自身のプライドを深く傷付けたのだろう。


「ごめん、ごめん」

「…許しません」


 ルイヤは顔を背けたのだが、俺は見てしまった。

 ルイヤの耳が紅く染まっていることを。


(可愛らしいところもあるじゃないか)


 俺がルイヤを見てにやけていると、視線に気付いたのかルイヤは、おもむろに立ち上がり俺から顔を逸らしながら、素手で破片を拾いだした。


「おいおい、何やってるんだ危ないだろ!」

「すみません。社畜さんのコップを割ってしまいました」

「いや、別に古いのだしいいから」

「でも、私が割るのと社畜さんが割るのは違うと思いますし。片付けなきゃ」

「いい、危ないから。手が傷付くぞ」

「大丈夫です。悪魔なんで…って何してるんですか!」


 俺は、ルイヤが俺の制止しろという声も聞かずに破片を拾い続けるので、ルイヤの手から強引に破片を奪い取り、手元にあった布巾で包む。


「別に、俺の物が割れたんだから片付けているだけだ」

「人間は傷が付いただけで死ぬんですよ!死んだらどうするんですか!」

「そんな大袈裟な」

「いいえ!私、知っているんですからねって…痛っ」


 ルイヤは、俺の手から破片を奪い取ろうとジャンプをしたのだが、俺が華麗に避けてしまい、そのまま勢い余って盛大に転んでしまった。


「大丈夫か!?」

「はい…すみません。大変お見苦しいところを何度も」

「今更だろ。ほら」

「うっ…すみません」


 俺が包みを置き、ルイヤに手を差し出すとライヤは軽く俺の手を握ってくる。

 ルイヤの手は血色が悪いにも関わらず、ほんのり暖かかった。

 きっと恥ずかしさのせいだろう。


「落ち着け」

「はい…大人しくしておきます」


 ルイヤはそう言うと、ふらふらとおぼつかない足取りで部屋の隅へと歩いて行ってしまった。


「どうしていつもいつも、こうなるんだろう。どうせ私なんかどうでも…」


 ぶつぶつと何かを呟くルイヤの背を横目に、俺は黙々と床を拭く。


(新しいの買わなきゃな)


「…いっ」


 そう考えながら床を拭いていると、不意に、指先に小さな痛みを感じた。

 痛みを感じた指先を見ると、どうやら破片で指を切ってしまったらしく、血が薄く滲んでいる。

 幸い、少し切れた程度なので絆創膏でも貼っておけば、すぐに治る程度の傷であった。


「痛た…絆創膏何処にあったっけな」

「社畜さん!怪我をしたんですか!?」


 部屋の隅できのこと化していたルイヤが、いつの間にか俺の隣に座っていた。


「びっくりした。お前いつの間に…」

「社畜さん!そんなことよりも怪我してるじゃないですか!人間は脆いとあれ程…」


 ルイヤはそう言いながら俺の手を右手で掴み、傷を見る。


「血が出てるじゃないですか。どうしましょう」

「大丈夫だって。な?」

「人間は血がすぐになくなってしまいますし…よし」


 ルイヤは、俺の言葉が届いていないのか、俺の言葉が信じられないのか、幸いなことにパニックには陥っていないのだが、何かを呟いている。

 この場合、理由は両方だろうが今はどちらでもいい。


「こういった場合の対処法は、誰かに聞いたことがあります。確かあの時は…えっと、そうだ、布」


 そう言うと、ルイヤは急に立ち上がり、卓上にあった台拭きを片手に、俺の手をもう片方の手で掴んできた。

 俺が一体何をするのかと思っていると、ルイヤは台拭きを広げ、俺の腕に巻き付けようとしてきたのだが、どうやら長さが足りないらしく、「あれぇ?」と言いながら、正方形の台拭きを一生懸命長方形に伸ばそうとしている。

 俺の為に、一生懸命止血をしようとしてくれているとは分かっていても、ルイヤの間抜けな姿を見ていると、思わず笑いが込み上げてきてしまう。


「ふふっ」


 つい笑いが堪えられず、小さく笑ってしまった。

 どうやら、そんな小さな笑い声にも関わらず、ルイヤの耳に届いてしまったらしい。

 ルイヤは紅く色付いた頬を膨らませて、俺を睨んできた。


「わ、私は真剣なんですよ!なのに、なのに!なんで笑うんですか!?」


 俺の腕を掴んでいたルイヤの腕に、力が込もる。

 悪魔だからだろうか、ルイヤの外見からは想像出来ない程力が強い。


「っ、痛い。痛いって」

「…あっすみません」


 俺が小さな悲鳴を上げると、ルイヤは謝りながらパッと手を離してくれたのだが、何を考えたのか、ルイヤの血色の悪い唇が吊り上がる。

 その顔は、まさに悪魔といった感じだ。

 ルイヤの口角が上がるにつれ、俺の腕を掴んでいる腕にまたもや力が入る。


「おい。痛い、痛いから」


 俺が抵抗しても、ルイヤは止めない。

 それどころか、段々と力が強くなっていったのだ。

 ルイヤの顔を見ると、とても愉快そうな表情を浮かべている。

 そんな、ある意味悪魔という本能が見え隠れする表情に、ほんの少しだが、命の危機と言うか、悪魔の恐ろしさの前になす術がないという無力感を抱いてしまう。

 

「おいって!」


 俺が大声を上げてもルイヤは止めようとすらしない。

 俺は、このままでは危ないと、掴まれていない方の手でルイヤの手を叩く。

 すると、ルイヤは我に返ったかのように力を緩めた。


「えっ、あっ、すみません。なんか楽しくて…」


 何となく予想はしていたが、このことで、ルイヤが悪魔だということを、改めて認識出来た。

 

「まぁ、いいよ」


 俺が溜め息混じりに言うと、ルイヤは、


「すみません」


と、下を向いてしまったが、すぐにハッと何かを思い出したかのように、顔を上げた。


「あっ、そういえば」


 ルイヤは俺の手を持ち上げ、再び布を巻こうとし始めた。

 だが、俺はルイヤの手を振り解き、立ち上がる。

 そんな俺を見て、ルイヤは一瞬固まったが、再び俺の腕を掴もうと、勢いよく立ち上がった。


「ちょっと、社畜さん!何してるんですか!早く血を止めなきゃ、死んじゃいますよ!」


 ルイヤの顔を見ると、少し涙目になっていた。

 何となく予想はしていたのだが、やはりルイヤの人間への認識は少し歪んでいると言うか、偏っていると言うか、何と表現すればいいのか分からないが、未だ人間への偏見が残っているようである。


「落ち着け、落ち着け。俺は大丈「今社畜さんに死なれると困るんです!」


 俺は、今にも泣きそうなルイヤを落ち着かせようと、語りかけるが、ルイヤに俺の声は届いていないようである。

 

「私は、私はまだ人間界を堪能していないんです!努力は嫌だぁぁぁぁ!」

 

 ただ俺が死ぬ心配をしているのかと思いきや、やはり悪魔。

 どうやら、ルイヤは自分の欲望を満たしたいだけであるようだ。

 だが、今の喚き散らしているルイヤの姿は、悪魔らしさを感じさせず、どこか壊れかけた玩具を想起させるものである。

 

(滑稽だな)


 と思いつつ、俺は、ルイヤを落ち着かせることを一旦諦め、ある物を取りに、タンスへと一直線に歩き出す。

 今のルイヤに何を言っても無駄であろう。

 俺が華麗に無視をし、タンスを漁っている間も、ルイヤは背後でまだ何か騒いでいる。

 

 (うるさいな)


 そう思いながら探っていると、俺のお目当ての物を見つけた。

 俺はお目当ての物を片手に、未だ騒ぎ続けているルイヤを落ち着かせようと、振り返る。

 すると、先程まで壊れかけた玩具のように、床の上で暴れていたルイヤは、何かを悟ったかのように、正座していた。

 

「うおっ」


 未だルイヤが暴れていると勝手に思っていた俺は、驚きで変な声を出してしまった。

 すると、ルイヤが口を開いた。


「社畜さん。すみません」

「へ?」


 突然ルイヤが謝罪をしてきたことで、俺は驚きのあまり腑抜けた返事をしてしまった。

 そんなんお構い無しに、ルイヤは悟った顔で言葉を続ける。


「そうですよ。手っ取り早い方法があったんですよ。こんな面倒臭い方法ではなく、私にはもっと良い方法が」


 ルイヤはそう言うと、突然立ち上がり、俺の方へと歩き出した。

 その瞳には光が灯っていない。

 

「うふふ、あははは。そうですよ。人間にも使える魔法があるじゃないですか。魔法なんて朧げでもいいですよね。今は緊急事態ですから、失敗しても仕方がないですよね。まぁ私が失敗なんてする筈ありませんし」

 

 ルイヤはそう呟きながら、ジリジリと俺との距離を詰めて来る。

 それに加え、ルイヤの手が淡く光だす。

 

「おいおい、落ち着け!お、俺にはこれがあるから大丈夫だってば!」


 俺が手に持っていた物をルイヤにかざすと、ルイヤの動きが一瞬止まった。


「何ですか、それ」


 俺がタンスから取り出した物、それは絆創膏であった。


「これは絆創膏って言ってな。少しの怪我はこれを貼れば治るんだ。だから、落ち着け。俺は大丈夫だ」


 ルイヤの瞳には光が戻り、輝いていた手は元の血色の悪い手に戻っていた。

 だが、今度は訝しげに俺を見詰めている。


「今実践するから、な?」


 俺は絆創膏を箱の中から取り出し、傷を器用に包んで見せる。


「こうすれば大丈夫だからな」


 ルイヤは無言で絆創膏を貼った部分を見詰める。


「…本当に大丈夫なんですね。社畜さんが死んでしまうなんてことはないんですね」

「あ、あぁ。もう大丈夫だから。心配すんな」

「…そうですか。なら、よかったです」


 そう言うと、ルイヤはまたもや無言になってしまう。

 俺は無言に耐えられず、話題を変えようと口を開いた。


「あ、あのさ。今日は出掛けないか?」


 ルイヤはキョトンと、俺の顔を見詰める。


「いや、さ。これからルイヤも此処で暮らす訳だし、必要最低限揃えなきゃだろ」

「買い物ですか」

「ああ。何か欲しい物あるか?取り敢えず、布団と食器は買おうと思っているんだが」


 俺が質問すると、ルイヤはおずおずと口を開いた。


「…いいんですか?そんなに買っていただいて。私にはお金もないんですよ」

「別にいいよ。俺は普段金使わないし」


 そう言うと、ルイヤは、


「では」


と間を置き、申し訳そうにしつつ、瞳を輝かせながら、欲しい物を挙げてきた。


「じゃ、じゃあ。服が欲しいです!」

「服?」

「はい!憧れだったんです。魔界にいた時、よく人間界の話をしてくれた悪魔がいたんです」


 そう話すルイヤの表情は、とても柔らかく、本当に焦がれていたことが伝わってきた。


「人間は我々悪魔とは違って、無からではなく、何かから着る物を生み出し、様々な形を持つって」


 ここで俺は疑問に思った。

 ルイヤや他の悪魔の着ている服とはなんなのだろう。


「なぁ、今お前が着てるのはなんなんだ?」

「へっ?あ、そうですね。当たり前のことでしたので、説明していませんでしたね。えっとこれはーーー」

「えっと、要約するとこんな感じか?」


 ルイヤたち悪魔は、自らの魔力を練って、擬似的な服を着ており、それ故、自分の擬似服はデザインが似寄ってしまうらしい。


「えぇ、そんな感じです。実は…昨日の朝の服は、てれび?でしたっけ?あの箱に出てきた服を真似たんですよ!」


 ルイヤは、「凄いでしょう」と言いたげに、自慢のドヤ顔を披露した。

 俺はルイヤの自慢のうざったいドヤ顔を華麗にスルーし、


「あー…まぁ、デザインについては分かったけどさ。それはさっき言ったように既存の服を真似るだけじゃ駄目なのか?」


と、質問を投げかける。

 すると、ルイヤのドヤ顔は一変し、少し拗ねたような顔をして、そっぽを向いてしまった。


「…社畜さんは分かってないんです」


 ルイヤはそう呟くが、俺には全く理解出来ない。


(いやいや、分かってないってなんだよ…あ、もしかして)


 俺は、ルイヤが俺の言葉を、服を買わないという、婉曲表現だと受け取ってしまったのではないかと思い、訂正する。


「いやさ、あの、お前の服を買いたくないって訳じゃないんだ。ただ、気になっただけで…」


 最後の方は吃ってしまったが、最後まで言い切った。

 すると、ルイヤがこちらを向くことはなかったが、少しの沈黙の後、ルイヤは恥ずかしそうに口を開いた。


「…着たいんです。着る感覚というものを体験してみたいんです」


 ルイヤは、擬似でも服を着ているではないか。

 俺の頭に?が浮かぶ。


「えっと、それはどういう意味だ?」


 俺の問いに、ルイヤは小さな声で答える。


「…私は人間界に来たことが少ないので、身に纏うという感覚を知らないんです」


 どうやら、擬似服は見かけは身を包んでいるらしいのだが、着ている感覚はないらしい。

 ルイヤは小さく、少し震えた声で続けた。


「わ、私たちは人間と違って魔力で練った服を着ているんですよ。それは…つまり…えっと、魔界では魔素が満ちているのでいいんですが、人間界だと魔素が薄いので…何と言いますか…」

「あ、うん。分かった」


 ここで俺は理解した、というか察した。

 重い空気が辺りを包む。

 そんな空気を変えようと、俺はルイヤに提案した。


「じゃ、じゃあ何着か買いに行こうか。取り敢えず五着程度買うか、な!」

「…是非お願いします」


 ルイヤはぺこりと頭を下げた。

 

(こういったところは礼儀正しいな)

 

 俺は、ルイヤが悪魔だというのに礼儀を知っているということに、改めて驚いが、今はどうでもいいだろうと思い、床に散らばった破片を集め始める。

 俺は破片を集めながら、ルイヤに声を掛ける。


「ライヤ、ちょっと待っててくれるか。すぐに支度するから」

「あっはい。分かりました」


 俺は破片を集め終わると、急いで身支度を始めた。


ーーー


 数分後、玄関の前には、急いで身支度を済ませたのが一目で分かる俺と、今日も派手な格好であるルイヤが立っていた。


「えっと、財布よし。携帯よし。まぁ、これさえあれば大丈夫だろ。ルイヤは何か持って行く物はないか?」

「私は大丈夫です。あっ靴をお借りしてもよろしいでしょうか」

「いいぞ」


 ここでふと、俺の頭に一つの疑問が浮かんだ。


「なぁ。お前は靴も作れるのか?」

「作る、と言いますと?」

「えっと、お前の服みたいに靴も作れないのかって」


 俺がそこまで言うと、ルイヤはやっと理解したかの様に手を叩いた。


 「あぁ、そうですね。魔界では靴を履く文化はなかったんですよ。まぁ、社畜さんの靴を模倣すれば出来なくもありませんが、出来るだけ魔力消費を抑えたいので」

「あーそういうことか。そうだな」


 考えれば、分かることである。

 俺は、ルイヤに昨日貸したサンダルを出し、ルイヤの前に置く。


「はいよ」

「ありがとうございます」


 ルイヤが靴を履いたのを確認し、扉に手をかける。


「じゃあ行こうか」

「はい。行きましょう!」


 ルイヤは、これから買いに行くまだ見ぬ服への思いを我慢出来ないのか、元気よく返事をし、俺たちは家を出た。

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料理が出来ない悪魔が料理上手な社畜と契約した(胃袋掴まれた)話 道又 徳助 @Kiriyuu

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