二日目-後〜悪魔〜

 少し経つと食卓には二人分の料理が並んでいた。

 今晩の献立はトマトとレタスのサラダ、明太子のパスタといった簡単なものであった。

 何故この献立にしたのかは、俺がただ単に食べたかったからである。

 サラダには俺の独断でフレンチドレッシングを掛けておいた。勿論ドレッシングはお手製だ。

 俺は椅子に座り、少女に飯だと伝える為に部屋の隅を見るがそこに少女は居なかった。

 何処に行ったのかと周囲を見渡そうとすると、目の前から、


「いただきます」


と言う少女の声が聞こえた。

 いつの間にか着席していたようだ。

 

(早い奴め)


 俺も少女の挨拶に釣られ、最後に挨拶をしたのはいつだっただろうかと考えつつ「いただきます」と言った。

 最近は食事をするにも仕事片手であったので挨拶をする気力も残っておらず、挨拶をするなど久方ぶりだ。

 少女を見ると、少女はパスタを食べるところであった。

 昨晩の拙い箸使いと違いフォーク使いはとても鮮やかである。

 俺よりも扱いが上手い。

 少女は麺を綺麗に巻き取ると口へと運ぶ。

 麺に絡みついている一重梅のような明太子は電球の光を受けて、上品に輝いている。

 まだ湯気が立っている少量の麺を少女が口に含んだ瞬間、少女の瞳が銀朱に輝いた。

 どうやら少女の口に合ったらしく、麺を運ぶ手が段々と速くなっていく。

 少女はあっという間に皿の上のパスタを胃の中へと隠し、サラダへとフォークを伸ばす。

 トマトの太陽の光を詰め込んだかのような艶やかな皮とレタスの瑞々しい葉にフレンチドレッシングの完全ではない人工的な白さが覆い被さる様子はまさに自然を雪が覆っているような現実離れした光景であった。

 まあ完全なる白など存在しないのだが此処ではいいだろう。

 俺がそう考えている間にも少女は黙々と食べ進めている。

 ふと、少女の手が止まった。

 そして少女はフォークの先端に刺さっているトマトを凝視する。

 何事かと思えば少女は、


「これ、スーパーで見た奴だ」


とぽつりと呟いた。

 そういえば、と俺はスーパーでトマトを興味深そうに少女が見ていたことを思い出した。

 少女はトマトを凝視するのを止め、口の中へと運ぶ。

 すると少女は先程よりも美味しそうに咀嚼をした。

 少女がトマトを飲み込むと、俺に目を輝かせて、


「社畜さん!これ、何て名前ですか?」


と聞いてきたので、


「トマトだけど」


と答えると少し食い気味に、


「トマト、か。君はトマトちゃんって言うんだね。うんうんいい名前だ」


と独り言を呟いた。やはり不思議な世界観である。

 そして少女はまた黙々と食事を始める。

 少女がサラダを食べている間、俺はパスタをゆっくりと味わっていた。

 パスタを堪能し終え、次にサラダへとフォークを伸ばそうとした時にはもう少女は、


「ごちそうさまでした」


と手を合わせて皿を片付けていたのである。

 少女の皿にはドレッシングも明太子も殆ど残っておらず、綺麗に平らげられていた。

 作り手としてはとても嬉しいことである。

 俺も少女から少し遅れ、手を合わせ挨拶を済ます。

 少女を見ると、丁度冷蔵庫から崩れたぷりんを取り出しているところであった。

 少女の右手にはスプーンが握られており、ぷりんを堪能する気満々であることが伝わってくる。

 だが、そんな少女とぷりんの逢瀬のような時間の邪魔をするように、俺は少女を呼ぶ。


「おい」


 俺の呼び方が雑だったからなのか、ぷりんとの逢瀬を邪魔されたからなのか、少女は俺に対し不快感を顕にする。


「何ですかー」


 少女の声は表情以上に不快感を漂わせていた。


「私はぷりんちゃんとのお話に忙しいので、また後でではいけませんか」

「いけません」

「えー何でー」


 そう駄々を捏ねる姿はまるで幼い子供のようであった。


「話が終わったら食べていいぞ」

「今がいいんです、ぷりんちゃんが私を読んでいるんです…ぶつぶつ」


と、まだぶつくさと文句を言っている少女を俺は半ば無理矢理椅子に座らせ、俺も少女の前に座る。

 俺は一度落ち着く為に深呼吸をし、少女の顔を見詰めるが少女は俺に見詰められて恥ずかしかったのか目を逸らしてくる。

 だが、目を合わせることに拘っていても仕方がないので俺は話を始める。


「えっと、まずこの夢の象徴であるお前の話を聞きたいのだが。お前から見た俺はどんなんだ」


 そう、俺はこの長い夢の意味を知るべく少女に話しかけたのである。

 少し直球かとは思ったが、生憎遠回しに伝えられる語彙力を俺は持ち合わせていない。

 少女は俺の問いに対し、小首をかしげる。


「はぁ夢、ですか。そういえば先程もおっしゃっていらっしゃいましたよね。何故夢だと思ったんですか?」

「だって夢以外にないだろ…」


と言いかけたところで、俺の頭をとある考えが過ぎる。


(もしかしてこれ、現実…?)


 その考えとはこれが現実であるという、普段の俺ならば鼻で笑い飛ばしているだろう荒唐無稽なものであった。


「どうかしましたか?」


 少女が不思議そうに俺を見てくるが、俺は少女を無視し冷蔵庫を覗く。

 この夢は現実的なので断言は出来ないが、夢ならば冷蔵庫に何か入れたとしても消えているか、買った記憶のない物が入っていると考えたからである。

 だが、俺の微かな希望は簡単に打ち砕かれた。

 冷蔵庫の扉を開けると、そこには昨晩買った物が入っていたのだ。俺は急いで財布を取り出し、今日のレシートの日付を確認する。

 確か眠る前は5月16日であったので、これが夢ならばレシートにはそれ以外の日付か、同じ日付が記されている筈だ。


『  セントー  

 ーーーーーーーーー

 20××年 5月17日 』


 俺は自分の目を疑った。

 レシートには5月17日と記載されており、俺の考えが正しいとすれば今は夢の中ではなく現実であるのだ。


(あぁ、そっかうん。この夢はえらく現実的だもんな。時間も進むよな。うん」


 俺は自分に言い聞かせるように心の中で呟いた筈だが心の中で呟いたと思った言葉はいつの間にか口に出ていたらしい。


「あれー、もしかしてですがー社畜さんは今、そして私を夢だと思っているんですかー?」


 少女が悪魔らしい悪い顔をしながら俺に話しかけてくる。

 その上語尾も伸びておりとてもうざい。


(こいつ、俺が真剣に考えているのに…ぶん殴りてー)


 流石に人を殴ることはしないが、あともう一押しされれば俺は少女を殴ってしまうだろう。

 夢だとしても人、ひいてはか弱き?少女を殴るのは、怒っていても流石に罪悪感を覚える。

 だが、俺が我慢していることもつゆ知らず、少女は俺の前で、


「え?夢だと思っていたんですか?ねぇねぇ」


と更に煽ってくる。

 だが、それに言葉を返してしまうと俺の怒りが我慢を出来なくなると思ったので、俺は自分の怒りや混乱を鎮める為に黙る。

 すると、少女の煽りは段々と勢いを落としていった。


「あ、あの。もしかして怒っていますか。すみません、調子に乗り過ぎました。あの、なので喋ってください」


 どうやら少女は、俺が怒っているので喋らないと思っているようだ。

 まぁ、その通りなのだが。

 それにしても、少女の意思と言うか何と言うか、少女の何かは弱い。

 俺は少女のおどおどした態度が少し面白く感じ、いつの間にか怒りは何処かへ行ってしまった。


「ごめんごめん、別に怒ってた訳じゃないから、うん。だから泣きそうになるなよ」


 俺が少女に声をかけると少女の泣きそうだった顔は一変、眩いばかりの笑顔とまではいかないが小さな花のような笑顔が彼女の顔面に咲いた。


「なら良かったです」


(調子がいい奴)


 あの少女の泣きそうな顔は嘘だったのか、と思ったがそれは一旦置いておき、俺は少女に向き直り話し始める。


「えっと俺は今が夢だと思っているんだ。だがよく考えてみると、どうやら現実の可能性の方が高い。お前はこれは夢だと思うか?」

「現実ですよ」


 ばっさりと切り捨てられる。


(まあ夢で、自分は夢の人物であるなんて言わないよな。此処で悩んでも仕方がない。今を現実と仮定しても…)


 俺は自分の考えを整理しようと今この状況を現実と仮定してみるが、やはり少女の存在が一際違和感を放っており、これが夢である可能性が高いことを語っている。

 だが、夢にしては時間の流れも遅く、痛覚や思考などもしっかりと残っており、それが現実であるという可能性もあることも語っている。

 だが、此処で夢としても少女との話が進まないので一旦現実と仮定することにした。


「えっと、社畜さんは今が夢だとお考えなんですよね。ですがこれは現実です。何処からどう見ても現実ですよ。頭大丈夫ですか」


 自称悪魔に言われるととても嘘臭く感じる。


「分かった。今が現実だとしようか。だったらお前は何なんだよ」


 俺は少女に、世界の謎よりは小さいがとても重要な疑問をぶつける。

 そう、今が現実であったとしても少女は何者なのかという疑問が残るのだ。

 そんな疑問に少女は小さく咳払いをし、


「我が名はライヤ・ボティス。未来を予知し過去を覗く者である」


と昨晩も聞いたような自己紹介をする。


「まぁ簡単に言うと悪魔ですよ、悪魔。いくら社畜の社畜さんとはいえ流石にご存知ですよね」

「ああ、だが現実に悪魔なんていないだろ」

「此処に居ますって!」


(ああそうか、こいつは所謂…)


 俺は此処で気付く。

 いや、気付いてしまった。


(…厨二病だ)


 此処でやっと納得がいった。

 少女が厨二病と仮定すれば、少女の格好はコスプレで少女の言動は可哀想な奴で片付けられる。俺が、


(可哀想な奴)


と少女に生暖かい視線を送っていると、少女は視線に気付いたようで少し怒りを含んだ声で俺に対して突っ込みのようなものを入れてくる。


「何ですか!その目は」

「別に生暖かい視線なんて送ってないぞ」

「嘘をつけ!私は生暖かいなんて言っていませんからね!」


 少女が厨二病であると理解すると、ある程度俺の心に余裕が出来た。

 当然、俺の頭には突然少女が現れたという昨晩の記憶はある筈がなかったのだが。

 少女は口を尖らせながら話を進める。


「悪魔は存在しますからね!まぁ普段は、人間みたいな小さな存在になんて絶対に観測出来ない次元に居るので分からないのも仕方がありませんが」

「ふっ」


 ついつい、少女の話を鼻で笑ってしまう。

 これは決して煽っている訳ではない。


「ふって何ですか?ふって!まさか疑っているのではありませんよね」


 俺の煽りに、いや返事のようなものに少女は尖らせていた口を更に尖らせた。


「私は悪魔なんですー!正真正銘、由緒正しき悪魔です!」


 そう喚く少女に、到頭俺の頭は付いて行けなくなり、少女に現実を突き付けようと、遂にとある言葉を放ってしまう。


「悪魔、悪魔って証拠はあるのか?」


 言ってしまった。

 この時、俺の胸中には、少女が何も言い返せず、俺の家から去るだろうといった安易な考えだけが占めていたのだが、後々に俺はこの発言を後悔することになる。


「…」

「ほら何も言えないじゃないか。お前のお陰で早く帰宅出来たことには感謝しているが、例え厨二病であったとしても、流石に未成年らしき家出少女を家に泊まらせているとなれば、俺は誘拐罪とかそんなので逮捕されてしまう。お前の事情は知らないが、ずっと此処に置いておくことは出来ない。今日は泊まってっていいから明日には出て行ってくれ。…まぁ過ごした時間は短いけれど楽しかったよ。ありがとうな」


 俺が少女に優しく諭すように言うと、少女は小さな声でぽつりと何かを呟いた。


「…です」

「ん?何か言ったか」

「私は…私は本物です!」


 最初は何を言っているのかよく聞こえなかったのだが、俺が聞き返すと、少女は大声で自分は本物の悪魔である、と今にも泣きそうな顔で言ってきた。


「だから証拠「証拠を出せば認めてくださるんですね」


 少女は余程悲しかったのか悔しかったのか俺の声を最後まで聞かず、割り込んでくる。


「あ、あぁ」


 俺は少女の余りの気迫に何も言い返すことが出来ず、ただ頷くだけの存在になってしまう。


「じゃあ証拠出しますよ、これで認めないはなしですからね」


 そう言って少女はぶつぶつと何かを唱え始めた。

 日本語でも何語でもなく、俺の知識不足かもしれないが俺が聞いたことのない言語。

 そして理解しようとしても拒まれるているような冷たい言葉であった。

 少女が唱えていると、段々と少女の周囲が謎の光に包まれ始める。

 それは俺が忘れていた、少女が最初に現れた際に放っていた光と酷似していた。

 俺はこの異様な空気に何も言えず、只々少女を見詰め固まっていると、少女は遂に詠唱を終える。


「ーーーパリヴァンティニン クランム」


 少女が唱え終わると同時に少女自体が発光し始める。

 少女は自身を悪魔だと言っていたが、その姿はまるで対極にある天使と呼ぶに相応しかった。

 余りの眩さに直視出来ない。

 少し、と言っても二十秒程度なのだが、段々と光が収まってくる。


「な、何なんだよ」


 俺は言いたいことや混乱は沢山あったが、今はそれしか口に出せなかった。

 やっと光が収まり、俺は先程まで眩い光を発していた源に目をやるが、血色が悪く、真朱の瞳である少女の姿は見当たらない。


「ま、マジックかよ…」

「消えてはいませんよ。私は貴方の目の前に居ます」


 俺の混乱から出た言葉に返すように少女の声が聞こえてくる。

 だが、少女の声は右でも左でもない、かと言って正面でもなかった。

 少女の声が聞こえてきた方向は俺が向いている方向、真正面よりも下、そう俺が見詰めている壁の下である床であった。

 俺が慌てて視線を下に向けるとそこには…


「これが私の真の姿です」


と音を発している蛇の姿があった。

 蛇は天井の光を受け、てらてらと『白藍』に艶めいており、額には『深碧(しんぺき)』の角、そして極め付けには少女の瞳と同じ『真朱』の瞳を持っていた。

 蛇の角は作り物のようには見えず、神経が通っていそうな程精巧に出来ている。


「ら、ラジコンだよな…」

「社畜さん」


 俺が現実を拒否するかのように呟くと、蛇はそれを否定するように音を発する。

 その音は先程まで聞いていた少女の声と酷似していた。

 それに加え、音の聞こえる方向、身体的特徴、謎の現象。

 それが意味することは明白であった。

 だが、俺の小さな脳は理解しようとすることを先程よりも、より強く拒否している。


「いやいや、そういやこれ夢だよな。うん夢だ夢。だよな」

「認めると言ったのは嘘なんですか」


 夢であることを先程は否定したが、撤回する。

 これは紛れもなく夢だ。

 蛇を使ったマジックを披露する厨二病少女が俺の家に居るという疲れた夢だ、いやそうであって欲しい。


「夢ではありませんよ。これが現実であり真実です」


 俺が茫然と少女らしき奇妙な蛇を凝視していると、少女はまたもや何かを唱え始める。

 それと同時に辺りが光に包まれ始める。


「ーーーマラング マヌンガサ」


 そう唱え終わった少女の姿は、先程までの奇妙な蛇の姿ではなく元の血色の悪い少女の姿へと戻っていた。

 だが、変身が終わっても少女は何かを話す訳ではなく、座っている俺の目の前に黙って仁王立ちをする。

 逆光で少女の顔がよく見えず、少女が何を思っているかも、考えているかも分からない状況で俺は何も言えずにいた。

 少しの間だが沈黙が辺りを包む。

 気まずい空気の中、何を話しかければいいのか考えられない自分が憎い。

 そんな重い空気の中、最初に口を開いたのは少女であった。


「…信じていただけましたよね」


 少女の声は震えておらず、とても静かに、だが有無を言わさない雰囲気を纏っていた。

 俺は少女の雰囲気に押し潰されそうになりながらも何とか言葉を考えるが、中々出てこない。

 俺が悩んでいると、少女がまた口を開くのが何となく、空気の流れで分かった。

 俺はこれから何が起こるのか、何を言われるのか、と身構えたが少女から聞こえた声は俺が想像していたものと違っていた。


「そんなに怯えなくても大丈夫ですってばー」


 頭上から、俺が可笑しいのかのように笑っている少女の声が聞こえる。


「な、何なんだよ。夢、だよな…」

「あーもー、認めるとおっしゃっていましたよね?まさか、二言などがある筈ありませんよねぇ」


 目が笑っていない。

 俺は少女の無言の圧に思わず折れてしまい、


「あぁ」


と答えてしまった。


「よろしい!では私に続いて復唱していただきましょうか」

「な、何をだよ」

「い、い、で、す、か!」

「は、はい」

「では大きな声で元気よく!高潔な悪魔は存在する!はいっ」

「こ、高潔な悪魔は存在する…」

「声が小さいですよ社畜さん!高潔な悪魔は存在する!はいっ」

「こっ高潔な悪魔は存在する」

「まだまだですよ社畜さん!高潔な悪魔は存在する!はいっ」

「高潔な悪魔は存在する!」

「まぁまぁの出来ですね。まぁいいでしょう。これで信じて下さいましたか?」

「あ、あぁ」


(何処の体育会系だよ。ていうか、信じるも何も関係ないだろ)


 俺は社畜であるが故に体力がある筈もなく、少しだが肩が上下してしまう。

 まぁ自分で自分を社畜と呼ぶのは少し、いやとても虚しい。

 だが、この超常現象などを目の当たりにした今としては、もう現実から目を背けることなど出来る筈もなく只々現実を受け入れるだけであった。

 まぁ現実だとしても少女が満足気に頷いているのでもういいだろう。

 つまりは諦めである。


「もう社畜さんったら、もっと早くに信じて下さいよ。実は変身するのって結構体力っていうか精神力が削られるので、本音を言うとしたくないんです。まぁ蛇の姿でもいいんですが、意外と不便なんですよ、蛇。ですが、社畜さんときたら、信じていただけないので仕方がなく変身しましたけれど」


 少女が満足気に頷いたと思ったら、急に説教のようなものが始まってしまった。


「魔法も何も存在するのに認めない強情さは褒めるべきところですが、頑固ですね」

「そりゃどうも」

「信じましたか?」

「お陰様で」

「でしょう、でしょう。なんせ私は高貴な悪魔なので、認めさせるなど朝飯前です!」


 俺が出来得る最大限の皮肉を少女に送ったつもりであったが、肝心の少女には届いていないようであった。


(諦めよう。諦めも肝心だ)


「まぁ社畜さんが夢だと、そして私をちゅうにびょう、でしたっけ?と思っていても、私が悪魔であると認めていても、いなくとも契約は契約ですからね。まさか破棄したいなどおっしゃりませんよね」


(そういえば契約なんてしたっけか)


 超常現象や駄々を捏ねる姿などの癖の強い出来事に契約などすっかり抜けていた。


「契約、か」

「あーまさか!本当に契約を破棄出来るなど考えていたんですか?契約不履行の場合は…そういえば決めてなかった」


 少女がそう呟く中、俺は昨晩の記憶から契約の内容を掘り起こす。


(そうそう、対価が魂ではなく料理でいいってやつか)


「社畜さん社畜さん、契約の存在を思い出したところで、もう一度契約内容をおさらいさせていただきますね」


 どうやら契約を少しだが思い出したことが顔に出ていたらしく、少女はまたもや何処から取り出したのか分からない小さなホワイトボードを手に持ち、俺の返事を待たずに話を始める。


「この契約は私、ルイヤが社畜さんに未来予知する能力を与える、いえ貸し出すの方が正しいですね。その代わり私に社畜さんの料理を捧げるといったものとなります。そして此処からが重要なんですが契約不履行の場合は即刻魂を頂きますね。そして…」

「ちょっと待て。俺はそんなこと聞いてないぞ」

「そりゃあ今決めましたから」

「駄目だろ」

「悪魔ですから」


 少女、ルイヤは如何にも悪魔であるような笑みを浮かべる。

 思わずルイヤに対し手を上げそうになるが、寸前のところで抑える。


「じゃあ契約破棄は出来「ません」


 俺の言葉に被せるように、最後の希望を打ち砕いてくるが俺は諦めずに続ける。


「お前、クリーングオフって制度を知っているか」

「悪魔には関係ありませんね」

「…」


 俺は言葉に詰まった。


「まぁでも悪いことじゃないですよ?未来予知が出来る私と契約出来るなんて。しかも魂ではなく料理で契約を出来るなど、なんたる幸運なんでしょうか。普通は召喚すらも出来ませんし、召喚してもそこで死にますからね。意外と知られていませんが、召喚って変身と同じく結構体力使うんですよ」


 俺は知らず知らずのうちに危ない橋を渡っていたようである。


「分かりましたか?」

「ちょっと待て、未来予知って何だ」


 ルイヤは未来予知が出来ると言っていた。

 そんな夢や浪漫に溢れた言葉を聞いたのならば、誰しも気になるであろう。

 そんな俺にルイヤはわざとらしく手を口元に添え、


「そんなことも知らずに私を召喚したんですか?」


と煽りを入れてきた。

 ルイヤの発言と仕草は俺を馬鹿にしたようであるが、表情から察するに言葉の方は素だろう。


「まぁいいです。ではご説明させていただきますね。まず最初に、何か勘違いなされている方が多くいらっしゃるので未来予知についてからを。未来予知って言っても万能そうで、実はそんなに万能ではないんです。他の未来予知をお持ちの方は知りませんが私の未来予知は契約者の魂を糧にし使用可能になります。まぁ魂と交換で未来予知が出来るって感じですね。ですが魂といえど有限なので、やはり使用限度が存在するんです。此処で疑問が浮かぶ筈。さあ社畜さん!」


 俺は真剣にルイヤの説明を聞いていたので、突然の質問に直ぐに返答することが出来なかった。

 だが、ルイヤはそんな俺を無視し、話を続ける。


「そう、そうです!何故我々に見返りがないのに契約をするのか、です!そうなんですよ、分かってますね。魂は消滅してしまうので何も手元に残らないんです」

「おい」

「ですが我々は魂を消費する時に魂の記憶を食べるので、それが対価になっているのです」

「おいって」

「驚きました?驚きました?そんなことも出来るのか!って」

「だから、おいって!」


 ルイヤは一人自分の世界へ浸ってしまっていたので戻すべく、大声を出すとルイヤは一瞬で黙った。


「すみません、熱が入り過ぎてしまいました」


ルイヤは先程よりは小さい声で言う。心なしかルイヤが少し小さく見えた。


「では、話を戻しましょう。本来ならば契約者の魂を糧に未来予知をするといったところまでお話ししましたよね。ですが今回の契約は違います。料理での契約は魂よりは格段に燃費が悪いのですが、半永久的に使用できるんです。凄いですよね。一般男性の魂だと一年程先を見るのに平均十回程度で魂が消滅してしまうのですが、料理だとまぁ前例がないのではっきりとは分かりませんが、このままならば半年程先を見るのに約六十回程度の食事で可能になります」


 ルイヤの資料、ホワイトボードには分かりやすくまとめてある。

 意外な才能だ。


「お分かりいただけましたでしょうか」

「あぁ、なんとなく理解した。つまりは一日二食で未来予知可能ってことだよな」

「まぁそんなところです。では社畜さん、これからよろしくお願いしますね」


と、ルイヤはその血色の悪い手を俺に差し出してきた。

 俺は軽くその手を握る。


(まぁ悪い話じゃないの、か?)


「ああ。よろしく」


 俺は現実から目を逸らし、理解することを諦めた。


「あのー、もう終わりでよろしいでしょうか」


 握手し終わると、ルイヤは俺に上目遣いで聞いてきた。

 おそらくぷりんという存在を早く吸収したいのだろう。

 俺はルイヤに軽く微笑みかけ、


「ごめん、もういいぞ。ありがとうな」


と言った。ルイヤは目を輝かせながら、


「いただきます」


と言いながら素早く焼きぷりんの蓋を剥がし、ぷりんの柔肌をスプーンで滑るように掬う。

 ぷりんを美味しそうに食べるライヤの姿は、何処となく小動物を彷彿とさせる。

 だが、ずっと見ている訳にはいかないので、俺は使用した食器を洗うべく、自分の食器を手に台所へ向かう。

 俺が皿を洗っていると、少女がぽつりと何かを呟いた。

 だが、その呟きは小声であったので、何か言っていたとしか俺には届かなかったのだが、きっと俺に対して発された言葉でないであろうことは察したので、わざわざ聞き返すことはしなかった。

 それに独り言を聞き返すなど野暮だろう。

 俺が皿を洗い流すことを繰り返していると、不意に服の裾が引っ張られる。

 振り返るとそこにはライヤが立っており、ライヤは俺に焼きぷりんと書かれた容器をおずおずと差し出してきた。


(あぁ、食べ終わったのか。なら早く洗った方が楽だな)


「貰うぞ」

「ありがとうございます」

「洗わなきゃ虫が湧くだろ」


 俺はそう言いながらルイヤの手から容器を受け取るが、ルイヤはその場から動かない。


「どうかしたのか」


 ルイヤは俺の問いかけに真剣な面持ちになる。

 そうして、やっと口を開いたかと思えば、


「社畜さん、人間はいつの間に魔法を習得したんですか」


 そんなことを言い出した。


「どうしてそうなった」


 きっとこの時の俺は鳩が豆鉄砲を食らったようにしていただろう。


「いや、魔法ではなく神の祝福?一体神はいつ高位であろう祝福を授けたんですか?」

「一体何を言っているんだ。魔法やら神の祝福やら非科学的な。まぁお前は例外だが」

「いやいや、だって今日一日あの箱を観察していたので間違いありませんよ」


 ルイヤはそう言ってテレビを指さす。


「いや、あれは箱じゃなくてテレビだよ」

「てれ、び?」

「そうテレビ。科学の結晶」

「ふむふむ…はい!社畜さん科学とは何ですか!」


 ルイヤはビシッと挙手をする。


(あれ、さっき電話とか話してた気が…)


 少し引っかかったが、


「ああ科学ってのはな、何というか…すまん。俺も詳しくは知らない」


と何とか説明をしようとするが、生憎俺は生粋の文系である。

 詳しい訳がないのだ。

 仕方がなかろう。


「えー気になるじゃないですか」


と言われても、答えられないものは答えられない。

 だが、ルイヤが余りにも煩いので俺は文明の利器を使用することにした。

 そう、それはスマホである。

 俺がスマホを触っている間、ルイヤは目を輝かせて此方を見てくる。


「えっと、Wakiにはな…」


 俺はWakiに掲載されている文章を読み上げる。

 決してW●kipediaではない。


「体系化された知識や経験の総称であり、形式科学、自然科学(応用科学含む)、社会科学、人文科学の総称。または探究の営み。らしい」

「つまり?」

「人類の知識と経験の結晶」

「あぁ、はい。そうですか」


 ルイヤは全く理解出来ていないのであろう、顔が明後日の方向へ向いている。


「理解出来てないだろ」

「まさかぁ」


 此処で確信した。


(こいつ理解してねぇ!)


「本当は?」

「うっ…半分は」

「もう一度言うぞ…科学ってのは」


 俺はルイヤが持っていたホワイトボードを奪い、説明を始める。

 人類が歩んだ道、そこで生まれた争いや関係、そこで培った知識、それが科学であることを。

 俺が下手くそな説明をしている間ルイヤの手には、またまた何処から取り出したか分からない紙とペンが握られていた。

 俺が説明し終えるとルイヤは、


「おお」


と小さく拍手をしてきた。

 下手くそな俺の説明でも拍手をくれるのか、と俺は少しだが嬉しくなった。


「小さな存在も数と時間をかければ此処まで発展出来るんですね。私、感動しました」


 少し芝居がかった、そして人を見下した台詞を吐きながらではあるが、普段から褒められ慣れていない俺からすれば、嬉しいことに違いはなかった。


「ま、まぁそういう感じに発展してきたものだ。魔法でも祝福でもない、正真正銘人間が作り上げたものだよ」

「ほー。人間がですか…」


 ライヤが少し含みを持たせたのが妙に引っかかり、普段ならば追求はしないのだが、今日に限って聞いてしまった。


「人間が何だ?」

「えっと…」


 ルイヤは少し黙った後に話始める。


「…実は私、結構人間を見下している節がありました。人間なんかが、あんな小さく脆い存在が、魔法に匹敵するとまでは言いませんが凄い技術を持っているなんて信じられませんでした。だってそうじゃないですか。前に召喚された時だって紙を使用していましたし、服装も…何て言えばいいんでしょうか、今社畜さん達が着ているようなものではなかったという記憶があります。そして移動するにもよく分からない生物を使うか歩いていました。そして数年後を覗いてもそれは変わらず」

「だろうなっていうかお前、昔にも召喚されたことあるのか」

「はい、っていうかないと思っていたんですか!?」

「だってお前さっき言ってただろ、体力を使うって」

「それがどうしてこうなったんですか!」

「何となくなさそうだな、と思ったから」

「私だってありますー!あっでも、うん…まぁ殆どないですが少しは…ちゃんとありますからね!」


 途中小声になっていた部分が気になるのだが、いいだろう。


「でもお前の話を聞く限り、近代では…なさそうだな」

「そうですね。魔界の流れで三百年程度前だったので、人間界でだと…六百年程、ですかね」

「ろっ六百年、か。まぁそうだよな、うん。確か六百年程度前だと…お前が悪魔ってところを踏まえると、日本でもなさそうだし…中世ヨーロッパ辺りか?まぁ詳しくは知らんが」


 俺は前述した通り文系であるが、文系と言っても日本史を選択していたので、世界のことは詳しくないのだ。

 これは決して言い訳ではない。


「ちゅうせいヨーロッパ?ってものは知りませんが、多分そうではないのかと」

「ちょっと待ってろ、えっとな…こんな感じの時代だ」


 俺はスマホで検索した中世ヨーロッパの画像をルイヤに見せる。

 ルイヤはその画像を見ながら、


「おぉこんな感じでした。でも、それにしても凄い…」


と仕切りに呟いている。


「だとしても凄いな。その時代を実際に見たことのある奴なんて、この時代にお前以外居ないんじゃないか?凄いと思うぞ」

「な、何かむずむずしますね」

「信じるか信じないかは別として、世に発表したら何かしらに影響を与えられるんじゃないか」

「でも、私は少ししか見てませんし。…最後に私を召喚した人間は、病気を患っていて召喚された時点でもう、殆ど魂が残っておらず、数年先を覗いた結果を聞いて、そのまま…召喚が解除されました」

「そ、そうか。でも時代柄仕方がないよ。…っていうか、魂残っていないのによく数年先を覗けたな」

「それは、そうですね。その人間は芯が強くて、生に執着していたので、そのお陰かと」

「執着、か。ははっ何かお前のぷりんへの執着と似てるな」


 俺が笑っているとルイヤは俺を睨んでくる。


「私とぷりんの関係はあの人間のような歪な執着ではありません!崇高なる執着です。まぁ執着というのも納得がいきませんが」


 ルイは何か屁理屈を捏ねているが放って置こう。

 俺が途中であった洗い物に戻ろうと台所に近付こうとすると、後ろから声が聞こえてきた。


「まぁ社畜さんのような人間も珍しいと思いますよ。他の悪魔の話や文献にも、ここまで欲が無い人間は見ませんもん。誇れますよ」

「誇るなぁ」

「…基本的に悪魔を召喚する輩に碌な奴は居ませんから」


 そう言ってルイヤは俺に微笑みかけてくる。

 ルイヤはその残念な性格を踏まえても、美少女であることには変わりがなく、その笑顔はアイドルやタレントにも引けを取らない。

 やはり、悪魔というものは美形が揃っているのだろうか。

 だが、俺の知っている悪魔像と目の前の悪魔の少女は余りにもかけ離れている。

 まぁ現実なんぞそんなものだろう。

 俺がそんなことを考えながら体を動かしているとあっという間に時間が過ぎてしまう。

 もうそろそろ寝るか、と思った時ふとした疑問が浮かんで来た。


(悪魔って寝るのか)


 俺はそう思い、テレビを眺めているルイヤに声をかける。


「そういえば、お前たち悪魔って寝るのか?」

「…」

「おーい」

「…」


 何度か声をかけるが返事が来ない。

 ルイヤは余程テレビが気になっているのか、気に入ったのか、集中しているであろうことが簡単に伝わってきた。

 声をかけるが返事が返って来ない、こうなったらするべきことは一つであろう。

 俺は静かにルイヤに近付く。

 足音を立てないように、慎重に、慎重に。

 そうしてルイヤに気付かれず近付いた俺は、ルイヤの頭の近くで手を合わせ、思いっ切り手を叩く。

 ばちん、と良い音が辺りに響き渡りルイヤの肩は驚きで跳び上がった。

 数秒間固まっていたと思ったら、ルイヤは勢いよく振り返る。


「やめてください!心臓が止まるかと思いましたよ!」


 ルイヤがそう叫んでいる側、俺は心の中で、


(心臓が止まるも何もないだろ)


と悪びれもせず考えていた。

 そうしていると心を読まれたのか、それとも本人も引っかかったのか、


「心臓が止まるかとって、私には関係ありませんね。でも死といった概念は存在する…永遠の謎ですね」


と真剣な顔で言ってきた。

 もしかしなくともルイヤは阿保の子かもしれない。


「阿保の子…ふふっ」


 阿保の子というフレーズがルイヤにしっくりはまってしまい、つい声に出して笑ってしまう。

 思わず口に出てしまい、すぐさま、


(やばい)


と思ったのだが、小さな呟きであった為にルイヤには聞こえていなかったようであった。


「何か言いましたか?」

「別に」

「怪しい」


ルイヤは訝しげな目つきで俺を見詰めてくる。


「ごめんって。わざとじゃないんだよ」

「へーほーふーん。まぁ、いいです」


 俺はほっと肩を撫で下ろすと、ルイヤに本題を告げる。


「そういえば聞きたいことがあったんだが」

「何でしょうか?」

「えっと、悪魔って寝るのか?いや、別に変な意味はなくて…」

「あーそうですね」


 最後の方が吃ってしまったのだが、ルイヤは特に気にしていないようであった。

 そうしてルイヤはお馴染みのホワイトボードを取り出し、説明を始る。


「えっと、悪魔というものは本来睡眠を必要とはしません。ですが睡眠を必要としないというのは身体的な話だけです。如何に悪魔と言えども睡眠を取らなければ、体調が良くても精神面に支障をきたすので、悪魔の中でも睡眠を取らない悪魔は数少ないです。あっ、私は睡眠を取る派です」

「分かった。ありがとうな」

「まぁどっちかと言うと、嗜好品と同じ分類ですね」

「そうなんだな」

「えぇ、いつでも何でも聞いてください!」

「はは、ありがとうな。じゃあお前は魔界に帰ったりはするのか?」

「基本的に召喚されたら解除されるまで帰れませんので、このまま社畜さんのお世話になりますね!よろしくお願いします!」


 何とルイヤは魔界に帰ることが出来ず、意図せず俺とルイヤの共同生活が始まってしまったらしい。

 少し図々しいと思ってしまったのは俺だけであろうか。

 まぁ召喚してしまったのは俺なので文句が言える立場ではないだろう。

 そして肝心なのが、ルイヤは悪魔の中でも睡眠を取る派ということだ。

 此処で少し困ったことが起きた、いや起きてしまった。

 そう、布団がないのだ。


(俺が床で寝るか…?)


 俺の家には同居人も居ないので布団が一つしかない。

 流石に悪魔と言えど、うら若き乙女?と同じ布団で一晩など俺の心臓に悪い。

 俺が悩んでいるとルイヤが心配そうに俺の顔を覗き込んできた。


「すみません、少し図々しかったですよね。すみません。泊まる場所は自分で見つけるので。では…」


 ルイヤはそう言い玄関へと向かおうとする。


「いやいや、違うって」


 俺が慌ててルイヤの手を掴むと、ルイヤは立ち止まり、


「でも、だって迷惑だと思ったかた、図々しいと思ったから、黙っていらっしゃったのではありませんか。そうですよね。やはり迷惑ですよね…」


と言いながら、俺の手を振り解き再び玄関へと向かい出す。


「別に迷惑じゃないから!な?」


 俺がルイヤに声をかけると、ルイヤはおずおずと振り返る。


「本当に、いいんですか。こんな面倒臭い悪魔を、家に置いていただけるなんて」


(自覚してるのかよ!)


 心の中で突っ込んでしまったが、俺の気持ちに偽りはない。

 ルイヤが来たことで会社を早く退社することが出来たし、ルイヤのお陰で久々に誰かに料理を食べてもらう喜びを思い出せた。

 別に悪魔一人増えたところで、食費もあまり変わらない。


(召喚してしまった責任もあるしな)


 俺はそのままの気持ちをルイヤに伝える為に口を開く。


「迷惑なんかじゃない。召喚してしまった責任は俺にあるし、お前はある意味被害者だ。それに、お前のお陰で料理の楽しさも思い出せたしな」

「ほ、本当に、いいんですか?」

「ああ」

「で、でも」

「それに食事は一人より二人の方がいい。食費なんて、給料をあんまし使わないから気にすんな」

「社畜さん…では、これからよろしくお願いしますね」


 ルイヤは瞳を潤ませながら、飛び切りの笑顔を俺に向け、血色の悪い手を差し出して来る。


「よろしくな」


 俺はルイヤの手をしっかりと握り返す。


「…ありがとうございます」

「別に感謝されるようなことはしていない。でも何処で今日は寝てもらうか…」

「私がベッドで寝るので、社畜さんは床で…」

「図々しいな、おい」

「えへへ」


 ルイヤは先程までの卑屈さは何処へやら、小悪魔スマイルというような笑みを浮かべている。


「調子がいいんだから…あっ」

「どうかしましたか?あっやっぱりベッドなんて図々しいですよね。私が床で寝ますから」

「いや、違う。そういえば…」


 そう言いながら俺は、この家に引っ越して来てから殆ど開けたことのないクローゼットを開けると、空気のこもった、殆ど閉め切っていた部屋の独特な匂いが俺の鼻をついた。


(そうだ。あるじゃないか)


 俺はお目当ての物を両手で抱え、ルイヤに向く。


「やはり怒っていますか…?」

「いやいや違う。そういえば、来客用の布団があったんだよ。少し、と言うか結構埃っぽいが寝れなくはないだろう」

「いいんですか?私みたいな見ず知らずの悪魔に」

「いや駄目だ」

「そうなんですね…では私は床で」


 そう言い、ルイヤは顔を下に向けて黙ってしまう。

 調子がいい奴なのか卑屈なのか、どっちなのであろうか。

 ただ、俺が分かることは、ルイヤの感情の波はジェットコースター並みであることであるということだけだ。


「じゃあ何の為に布団を出したんだよ」

「…嫌がらせ」

「そんなことするか、阿保」

「あほ、とは?そういえば先程もおっしゃっていらっしゃいましたよね」


 どうやら先程の阿保の子もルイヤには聞こえていたようである。

 唯一の救いがルイヤが阿呆を知らなかったということだ。


「社畜さん!あほって何なんですか?ねぇ社畜さん」

「あはは…ただの褒め言葉だ。褒め言葉」

「えへへ」


 適当に嘘を吐いてしまったが、仕方がないことである。

 多少良心が痛んだことは秘密だ。


「まぁ、布団は俺が使うから。お前だって一応お客様みたいな立場だからな。そんな物は使わせられない」

「…ありがとうございます」

「別に」


 ルイヤは少し嬉しそうな顔をしていて、不覚にも可愛いと思ってしまった。


「あっそういえば、来客用って何であるんですか?」

「俺のこと馬鹿にしてるだろ」

「いやいやそういう訳じゃ」

「だったら何だよ」

「いえ、社畜さんは殆ど家に帰って来ないじゃないですか。何でかなぁと」

「お前なぁ」


 ルイヤの表情はふざけてはおらず、純粋な疑問なのであろう。


「別に沢山の客が来るって訳じゃない。…ただ一人が泊まる為だけに買ったんだよ」

「あっそれって…何か聞いてすみません」

「お前が想像してるような奴じゃねぇぞ」

「へー」


 ルイヤは口元を手で隠してはいるが目が笑っている。

 きっと手の下の口角は上がっているのだろう。


「まぁ今日は俺がこの布団を使うから、お前はベッドで寝ろ」

「ありがとうございます」

「明日にでも布団は干すから、気に入った方を使え」

「はいっ!あっそうそう、社畜さん気になっていたことが…」

「また明日な」

「ケチー」

「あっそうそう気になってたんだが」

「私は駄目なのに」

「別にいいだろ」

「まぁいいですよ」

「お前、馬鹿とかは知ってんのな」

「他の悪魔が召喚されてたりしますから。あと人間界への旅行とか…」

「旅行出来るのか!?だったら帰れるじゃないか」

「召喚は帰れないんです。まぁ私が社畜さんを殺害すれば今直ぐに帰れますが…」


 ルイヤの言葉に俺は変な汗をかいてしまう。

 そうだルイヤは変な少女ではない、悪魔なのだ。

 人間の命なんぞ余裕で奪えるのだ。


「なーんてそんなことしませんよ。つまらない」


(冗談じゃすまないぞ)


「あぁそうか。ありがとうな。まぁもう寝ようか」

「えー」


 今の一瞬のやり取りでも、俺は結構な体力を消耗してしまったらしく、唐突に強烈な眠気が襲ってくる。

 ルイヤも口を尖らせてはいるが、少し疲れているように見えた。

 こうして俺の長い長い、ある意味夢のような一日が終わりを迎えた。

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