第四部 幕開けの反乱

第十章 第二十帝国騎士団

第105話 母と娘


 お母様の主治医であるエヴァウト先生に私だけが呼ばれて来た。

 診察室に通されて直ぐ、エヴァウト先生が言う。


「こちらまで来ていただきありがとうございます。フレイヤ様にお伝えしたいことがあります」

「母のことですね」

「はい、単刀直入に言います。コルネリア様はもう長くありません」

「…… 後、どのくらいでしょうか?」

「一年以内だと思います。これは一年ずっと生きられるという意味ではなく、半年以内に命が尽きる可能性もあります」

「一年以内…… 分かりました」


 信じたくない気持ちで一杯になると思ったけど、すんなりと受け入れてしまった。

 お母様の病が完治しないことは聞いていたから、いつかこんな日が来るのは覚悟していた。


「以前にもご説明しましたが、魔力逓減症まりょくていげんしょうは魔力と一緒に体を動かす力がなくなる恐ろしい病気です。コルネリア様はフレイヤ様たちと少しでも長く一緒にいようとこれまで一生懸命病気と闘われてきました。苦痛を常に感じていたはずですが、いつも気丈に振る舞われていました」


 エヴァウト先生の言う通りだ。辛いはずなのに、お母様はいつも周りに心配を掛けさせないようにしていた。


「はい、私のお母様は強い人です」

「そうですね。コルネリア様はとても強い方です」


 エヴァウト先生から今後お母様がどうなるのか説明を受けた。

 近いうちに体を動かすことが難しくなり、寝たきりとなって、やがて生きるための力も失っていく。

 聞いてるだけで、胸が張り裂けそうだった。


「コルネリア様には私から伝えましょうか?」

「いいえ、母には私から伝えます」

「分かりました」

「教えてくださってありがとうございます。母のこと最後までよろしくお願い致します」

「承知致しました」


 エヴァウト先生は深く頷いてくれた。



 ◇◇◇



 私の乗る馬車が平民街を抜けて行く。

 平民街の建て直しは途中で、瓦礫を撤去して更地となった場所がまだ残っている。


 風景を見ながら大きく溜め息をついた。

 帰ったら、お母様に病状を伝えなければならない。

 何て言ったら良いんだろう? 良い言い方が全く思い浮かばなかった。

 それに、一年以内って……

 三ヶ月後に私は第二十帝国騎士団入団のため北方へ出発する。お母様と一緒にいることができる期間は短い。


「もっと一緒にいたいのに……」


 俯くと、ドレスの裾に涙が落ちた。


「私が泣いちゃ駄目。一番辛いのはお母様なんだから」


 屋敷に着くと、そのままお母様の部屋へと向かう。

 ドアを叩こうと思ったが、手が上がらない。

 今から伝えるのか……

 しばらくして、震える手でドアを叩いた。


 お母様からどうぞと返答があって、部屋に入る。


「…… お母様、気分はどうですか?」


 お母様がベッドから背を起こして言う。


「今日は調子が良いわよ。暇だったから本を読んでいたわ」



 嘘だ。青白い顔をしているのに調子が良いわけない。

 クラウディオ団長の葬儀を終えた頃からお母様は体調を崩して一日中ベッドで過ごすようになった。


 お母様が心配そうに訊く。


「どうしたの? 何かあった?」

「…… エヴァウト先生に呼ばれて行って来ました」

「何と仰ってたの?」


 返答しようとするけど、空いた口を閉じてしまう。

 言葉にならなくて、どうしてもこの先が言えない。


「もう長くないって言われたのね?」

「…… はい」

「病気のことを教えた時からこうなるってことは分かっていたでしょ。フレイヤ、そんなに泣かないで」

「だって……」


 結局、私は泣いてしまった。

 止めようとするけど、涙が止まらない。泣かないって決めていたのに……


 お母様がベッドを叩いて言う。


「フレイヤ、こっちに来なさい」


 ベッドに座ると、お母様が私の隣に座り直した。


「お母様?」


 お母様が私を抱き寄せて優しく頭を撫でてくれる。


「十五歳になったのに泣き虫ね。悲しむのは分かるけど、私がいなくなったら、フレイヤが正式にルーデンマイヤー家の当主よ」

「それは分かっていますけど、三ヶ月したら、私は行かないといけません。お母様を一人にしてしまいます」

「それなら心配いらないわ。リエッタやヘドリック、ユアナたちもいる。それに、イリアが帰って来るから」

「イリアが?」

「もう長くないって感じていたから、それまでにイリアに会いたいと思ったの。去年手紙を出したから、フレイヤがちょうど出発した頃にイリアは戻って来ると思うわ」

「じゃあ、去年から自分の命が危ないって感じていたのですか?」

「そうね、今までとは違う体のおかしさを感じていたわ。言ったら、フレイヤは心配するでしょ」


 お母様が何でもないように言うので、私は思わず大きな声が出る。


「当たり前です!」

「大きな声を出さないの。落ち着きなさい」


 落ち着けるわけがない。どうしてお母様は平然としてられるの? 辛くないの?


「フレイヤ、私はもう十分過ぎるくらい生きたわ。贅沢を言えば、イリアの照魔の儀式しょうまのぎしきには立ち会いたかったけれど」

「立ち会ってください。イリアもそう思うはずです」


 お母様が悲しそうな顔で首を横に振る。


「イリアの照魔の儀式はあなたがルーデンマイヤーの当主として立ち会いなさい。私は無理よ」

「無理だなんて、嫌です」

「フレイヤ、本来なら私はマルクスよりも先に亡くなるはずだったのよ。でも、マルクスが突然亡くなって、私はあなたやイリアを育てるために頑張ったわ。だからね、フレイヤ、悲しいし、辛いと思うけど、あなたも頑張りなさい」


 はいと答えれば良いのに、私は俯いて何度も首を横に振った。

 お母様に両手で頬を挟まれて、顔を上げさせられる。


「下を向いては駄目。もう一度言うわ、あなたがルーデンマイヤーの当主になるのよ。しっかりしなさい」

「だって……」


 お母様が微笑んで私の頬を優しく撫でてくれた。

 痩せ細った手が冷たい。でも、お母様の温かさを感じる。


「仕方ないわね、今日だけは一杯泣きなさい」


 お母様がぎゅっと私を抱き締めた。

 その途端に涙が溢れ始め、私は小さな子どもみたい声を上げて泣いた。

 泣き止むまで、お母様がずっと私の背中を優しく撫でてくれていた。





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白銀のフレイヤ ~前世で破滅した憂国の公爵令嬢の幸せを願うから、転生令嬢はいずれ最強の剣聖に至り、何度でも国を救う~ 川凪アリス @koneka

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