第5話 約束の返事はイタズラに

 その夜、暖炉の薪が崩れる微かな音に、テュコは目が覚めた。ハロウィンパーティーの疲れで、ソファで眠っていたようだった。見ると身体は大人の大きさに戻っていて、肩にかけられた柔らかな毛布から足がはみ出していた。

「目が覚めたかい?」

 暖炉からは、心地よい香りがたっていた。その傍の椅子に腰かけて、リネーアは眠っていたようだった。



「リネーア」

「うん?」

「あの魔女は、あんたなんだな」

 青く深い目の縁がスっと細まる。

 イエスとも、ノーとも、彼女は言わないが、その仕草は肯定を表していた。

「なんで、忘れてたのかが分からない」

 テュコが言うと、リネーアは、あの鍵のペンダントを目の前にぶら下げた。

「何の、呪いがかかってたんだ?」

「半分、忘れちゃう呪いだよ、私がいた存在は覚えているが、名前とか、大切な約束とか、詳しいことを忘れるんだ。でも、あんたは思ったよりも覚えていた、あの、クマを追い払った時のことや、うちにあった引き出しのことや」

「あの時、あんたが会っていた男は、旅先から帰らなかったそうだが、あんたのせいなのか?」

 リネーアは、悲しそうに首を横に振った。

「あの人は、子供が産まれるから、もう私のところには来ないって言って、あの朝去って行ったの。あなたが見てたことも知ってた。あれは別れの朝だった」

 リネーアは、過去の恋を思い出したのか、目を細めた。

「沢山してきた恋のひとつだったよ。結局奥さんがいるのを知っていたのに。気持ちというのは頭で考えてどうにかなるもんじゃないね。気がつけば惹かれていて。でもあの人は奥さんを選んだんだよ。いなくなったのは偶然だと思う。私はなんの関与もしていない」

「マルタの足のことは?」

「あれもね、魔法でもなんでもないんだよ、身体の巡りをよくしてやる事で、足が強くなる速さを、底上げするようなもんだ。あんたの母親が、私の言うことをちゃんと信じてくれて、真面目に取り組んだ結果だよ。愛の力だね」

 リネーアはハシゴの上のベッドに眠っているマルタを見上げた。


「約束は、覚えてる?」


「……」


「俺が大人になって、まだあんたが1人で、その時の俺に選んでもらおうって言ったやつだ」


 リネーアは真っ直ぐにテュコを見つめ返していた。


「気を遣わなくてもいいよ、気持ち悪いだろ?魔女なんて」


 顔を背けた。


「じゃあ、どうして、わざわざ俺の所へ材料を注文した?あの町にも雑貨屋はあったろ?」


 リネーアは目を伏せた。立ち上がって、暖炉にかけていたポットを持った。


「お茶、飲もうか」


「俺に忘れさせる魔法のお茶じゃないよな?」


「そんな事しないよ、ただのカモミールティー」


 疑り深いねぇ、と半分笑って言いながら、リンゴに似た芳香の、お茶を入れてくれた。


「あんたのおじいさん、あんたと同じ名前だろ?」


「ああ、俺が産まれる前に死んじまったけどな」


「木こりだったよね?」


「…なんで知ってる?」


 ふわりと上がる湯気の向こうに、リネーアがいる。ゆったりと肘をついて、窓の外に目を向けた。


「恋人だったから」


 目を見張った。


「は?あんた、幾つだ?」


 テュコが尋ねると、困ったように笑った。


「だから言ったろ?127歳だって」


「うっ、嘘だ…」


 テュコが思わず口にしてしまった言葉に、リネーアは傷ついた顔をした。


「だから言ったろ?気持ち悪いだろ?こんな若い姿でそんなに長生きしてるの」


 テュコが驚きを隠せずに黙っていたところに、リネーアはため息をついた後、昔話を始めた。


 遠い昔の、精霊や魔法がおとぎ話ではなくて、普通にこの世に存在していた頃の。

 エルフと呼ばれる種族がこの世にいた。彼らは長生きで、ゆうに500年は生きる。青年の時期が400年はつづき、そこから緩やかに年老いて行くのだと。


「私はその種族の末裔なんだ。母親がそうで、彼女は運良く病を貰って死ぬ事が出来たけど、私はどうも、丈夫な性質らしくてね」


 父親はどこの誰とも知らないという。人間だと母親は言っていた。


「そんな女だよ?今更、誰かの妻の座に収まりたいとも思わない」


「どうして?」


「分からないかい?親しくなった人は先に老いて死んでいく、その悲しみを何度も経験するんだよ?どんなに寂しいか。私だって時が来ればやがて終わりはやってくるけどね、今の世に、そんなに長く生きてなんになる?どんなに恋しても、愛しても、私はその相手を見送って生きていかないといけない」


 リネーアは言うと涙を流した。


「じゃあ、俺を呼び付けたのはどうしてなんだよ」


「覚えてないんだね、そこは」


 リネーアは優しく笑った。


「え?」


「ハロウィンには、村の子供たちをみんな呼んでパーティーをしてあげるよって言ったんだ、あの頃」


「その約束を果たせなかったからね。あんたがこの鍵をちゃんと手に入れて、お守りのように持っていてくれた。だからこの鍵を頼りに千里眼であなたがどうしているかを時々見ることが出来た」


 リネーアは遠い目をした。


「まだ子供の頃に母親が亡くなるのも予知して知っていたから、あんたや、マルタがどうしてるか心配だった」


「ああ、そういえば、時々、店の前に菓子が置いてあったり、俺やマルタにって洋服がおいてあったのは…」


 リネーアはそうだとも違うとも言わずにただ微笑んでいた。


「それも忘れさせる呪いだったの?その鍵」


 リネーアは、答えない。

 テーブルの上に組んだ手をそっと握った。やはり、ほんのりと温かい。


「しばらく鍵を預かったのは、思い出して欲しかったからだろ?おれに」


 リネーアは辛そうに顔を背けた。そんな表情すら美しい。


「一人でいるのは寂しいだろ?俺はマルタがいたから寂しくなかった。リネーアは1人だったろ?」


「もう、慣れっこだよ」


 握った手に力を入れる。


「リネーアが魔女でも、それでも、俺と一緒になって欲しいって言ったら、応えてくれるの?」


 リネーアは涙ぐんだ。


「歳を取らないっていうのは酷なものでね。気持ち悪がられるから、数年過ごした街からは、離れてあちこちをめぐって歩いて生きてきたんだよ」


 リネーアの瞳が潤む。


「この街の子供たちと関わるうちにね、あんたと日々を過ごしたことが懐かしくなったんだ。思い出してくれたら、って思った。だけど、一緒にいれば、あんたも巻き込んでしまうだろ?だからあんたの気持ちに応えるのは無理だよ」


 テュコは、その寂しい瞳が揺れているのを見ると、たまらなくなって、手を引き、立ち上がったリネーアを抱きしめた。


「あの時の男と別れないといけないって決めた時期だったんだ、あんたが家に遊びに来るようになったのは」


「うん」


「可愛くてね。私は子供が出来ないらしいから、つい懐いてくれたあんたに色々構ってしまった」


「色んな地を転々とするのも、そんな生き方もありだろ。店はマルタに任せられる、運良く、いい旦那になりそうな男だってできた」

 身体を離すと、涙に濡れたリネーアの頬を指で拭う。


「トリック オア トリート」


「うん?」


 濡れた瞳でテュコを見つめるリネーアの瞳に星が瞬いているようだった。それを見つめて、テュコは言った。


「俺と生きて?リネーアの隣にいたい。何かあっても傍で守ってあげたい。話を聞いてあげたい」


「テュコ…」


 砂糖を返品すると言った時の、あの恐れに似たリネーアの瞳を思い出す。


「もう、あんな、悲しい顔、リネーアにさせたくないよ」


 碧眼を真っ直ぐに見つめる。みるみる潤むそれを覗き込んだ。


「だから、一緒にいてもいいかい?」


「……」


「イエスと言わなければ、イタズラするよ?」


 涙目のまま、リネーアが眉を上げたかと思うと、吹き出した。


「その歳でイタズラってなんだよ…」


「例えば…」


 テュコはいたずらっぽく笑うと、リネーアの頬に口付けた。


「ちょっと……」


「イエスって言わないと…」


 後頭部にテュコの手が滑りこんだ。唇が近づいたので、リネーアはその唇を指で遮った。


「わかっ…わかった!」


「うん?」


「わかったよ。…一緒に、テュコと一緒に生きてみる」


 リネーアが、おずおずとテュコを見上げる。テュコが笑うとリネーアも笑った。テュコが遮られていたリネーアの指をそっと掴まえる。

 今度はお互いが目を閉じて、くちびるが重なる。

 何度か啄んだ後、そっと離れると、


「イタズラ、しないんじゃなかった?」


 リネーアが問いかけると、


「これさ、イタズラじゃないだろ?」


 テュコが笑うと、リネーアもくすくすと笑った。


「…じゃあ、いい」


 見つめ合うと、幸せな気持ちだ。目の前にいちばん近くに、自分を必要としてくれる人がいる。


 ひとつになる影を、暖炉のあかりが壁に映し出した。





 ***




「ほんとに持ってかないの?」

 マルタは言った。手には、先程突っ返された2人が貯めた貯金の袋が。

「ああ、なんとかなるさ」

「あとから用立ててくれって言っても知らないからね」

「お前の花嫁姿見れたんだから、それでもう十分だよ」

 テュコは新たに買った馬車に、愛馬を繋いだ。

「頼んだぞブルーノ、こいつは機嫌損ねると三日は口聞かないからな、花を贈るか甘いもん食わせたらなんとかなる」

 妹の旦那になったブルーノの肩に手を回してコソコソ話す。ブルーノは苦笑いした。

「分かりました、でもたまには顔見せて下さいよ?テュコ」

「分かってる」

「…全部聞こえてるけど?」

 腰に手を当てて、男2人を軽く睨みつけるマルタに、テュコは、苦笑した。

「お前もさ、喧嘩しても仲達にはいる人間いないんだからさ、喧嘩の原因を言い当てさせるような意地悪なこと、ブルーノにするんじゃないぞ?言いたいことはハッキリといえ」

「分かってる…元気でね」

 テュコは、マルタの語尾が震えるのを確かに聞いた。鼻の奥がジンと熱くなった。

「ああ、お前もな」

 マルタに差し出された手を握ると、2人は抱き合った。父が亡くなってからは、ずっと2人で生きてきた同志である。もう一度しっかり固く抱き合うと、やがて離れた。柔らかな焦げ茶の巻き髪は、若い奥さんらしく、高く結い上げていた。その髪を揺らして笑っていた妹が脳裏に焼き付いている。テュコにとって、可愛い妹だったのだ。

「リネーアさんによろしく伝えて?レシピ、ありがとうって、それも伝えてね」

「ああ、じゃあな」

 乗り込んだ馬車の上から伸ばした手で、見上げてくる妹の頬を、安心させるようにそっと撫でる。濡れた瞳から涙が頬を伝った。

 隣にいるブルーノに向き直ると、

「妹を頼むな」

 しっかりと握手した。この手が、これからは妹を守ってくれる。もしリネーアのように魔法が使えるなら、その手に無敵の守護を与えたいとすら思う。

「どこにいるかは、分かるようにするから。いつでも困ったら連絡してこい」

「うん」

 もう一度マルタと握りあった手を離すと、

「もう、行くよ」

 手網をくい、と引いた。馬が走り出した。

「兄さん!身体に気をつけてね!」

 追いかけてくる声に、帽子を取って、それごと振って応えた。

 馬車を走らせる。土埃が舞うほど、ここ数日はいい天気だ。橡色の帽子のつばを上げて空を見上げる。雲ひとつない快晴だった。



 あの青空の向こうに、リネーアがいる。

(俺の、魔女が待ってる)

 テュコは、 ポケットから姫リンゴを取り出すと齧り付いた。爽やかな酸味と微かな甘み、香りが口の中に広がる。

「待ってろ」

 再び出会ってから、茶色に戻り始めた、緩やかにうねる髪を揺らして、こちらに微笑む、林檎の森の魔女が、目に浮かんだ。




 2021.10.24

「りんごの森でお茶会を」

 ハロウィンパーティー2021参加作品。

 by 伊崎夕風(kanoko)

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りんごの森でお茶会を 伊崎 夕風 @kanoko_yi

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