第33話【エピローグ】

【エピローグ】


 一時間後。

 僕は宿舎の自室に秀介を招いていた。いや、秀介が勝手についてきた。

 

 僕の胸中は複雑で、未だにどうなっているのか分からない。リナが命を落としたことの衝撃が大きすぎて、受け止めきれずにいるのだろうか。


 それに対し、秀介の言動は分かりやすかった。震える声で何かを呟いたかと思えば、すぐさま喚き出し、泣きじゃくる。

 そういえば、幼い頃の秀介はこんな感じだったな。

 古い記憶が脳裏をよぎる。父親が亡くなった時など、本当に手がつけられなかった。


 だが、当時とは状況として大きく異なる一面がある。

 秀介がリナを、恋愛対象として愛していたということだ。人間、親離れをすれば、自然と誰か血縁関係にない者を愛することになる。

 そしてその想いは、しばしば家族間の絆を凌駕してしまう。


 秀介は十八歳という若さで、最愛の人を亡くしたと言っても過言ではないのだ。


 しかし、僕はどうなのだろう?

 リナのことは大切だったし、好きでもあった。愛していた。その気持ちに偽りはない。

 だが僕と秀介は、リナをどう愛するかという点で決定的に違っていたようだ。


 泣きじゃくる秀介を、案山子のように突っ立ったまま眺めるしかない僕。

 そうして時間が過ぎていく中で、僕は唐突に理解した。


 僕は恋愛対象ではなく、家族として、妹としてリナを愛していたのだ。

 半ば三角関係になり、ぎくしゃくした時期もあったが、それは僕がリナという存在を前に戸惑っていたから。

 僕の本心は家族愛というものに収束している。


 僕がそこまで思い至り、ふと顔を上げた時、喚き散らしていた秀介と目が合った。


「兄貴……。てめえはどうしてそんなに落ち着いていられるんだよ……! リナだぞ、リナが死んだんだぞ!」

「分かってる」

「それなのに涙の一滴も流さねえのか? どこまで薄情なんだ!」


 いや、そう言われても困る。

 僕が言葉を発せずにいると、ぐいっと伸ばされた腕が僕の胸倉を掴んだ。と同時に、強烈なフックが僕の左頬を打った。

 堪らずに吹っ飛ばされ、僕は壁に背中を打ちつける。


「兄貴だけのせいだとは言わねえ。けどな、俺たちがもっと上手く戦っていれば、リナは死なずに済んだんだ!」

「どうかな」


 口元の血を拭いながら、僕は立ち上がった。


「リナの身体が壊れたのは、戦いで念動力を使ったからだ。でも死んでしまったのは、母親と慕っていた香藤に愛情を向けられなかったからだろう?」

「だからなんで、兄貴はそんなに冷静でいられるんだよ! この人でなし!」


 秀介の右拳が真っ直ぐ迫る。僕はこれを避けなかった。鼻先に激痛が走り、鉄臭さが呼吸器系を満たす。

 代わりに、動きの止まった秀介に、僕は渾身の一打を下から叩き込んだ。


「がはっ!」

「ぶぐっ!」


 互いに顔面から出血し、床に小さな血だまりができる。


「この野郎!」


 それからも、僕たちは互いを罵倒し合い、殴り合い、蹴り合った。これぞ正真正銘の兄弟喧嘩だ。が、しかし。


「恵介さん、秀介さん、止めなさい!」


 鋭利な怒号が飛んだ。秀介が振り返り、僕がその肩越しにドアを見遣る。

 そこにいたのはさくらさんだった。


「リナちゃんは、ずっとあなたたち二人のことを慕っていたのよ? それなのに、自分が死んだからといってこんな喧嘩が起きるなんて……。そんなことで、あの子が喜ぶと思うの!?」


 僕と秀介は、同時にだらんと腕を下ろした。それを見届け、さくらさんはすっと俯く。


「ごめんなさい、本当に辛いのはお二人でしょうに」


 その言葉に揺さぶられたのか、秀介はこれ以上何も言わずに退室した。

 目だけを上げたさくらさんに、僕は頷く。秀介が暴れだすようなことがあったら、止めてやってほしいという思いを込めて。


 さくらさんはハンカチで目元を拭ってから、秀介のあとを追った。

 部屋に残った僕は、頭の中の何もかもが滅茶苦茶だった。


 一つ思うことがあるとすれば、床の血だまりをどう掃除したらよいものか、ということだった。


         ※


 一週間後、基地に隣接するグラウンドは真っ白に染まっていた。白い簡易テントがたくさん展開されているのだ。

 外気はすでに三十度を越えているが、皆長袖の正装をしている。


 この場所では、防衛大臣やら国土交通大臣、果ては総理大臣までもが列席している。これは、ゾンビや怪物と戦って命を落とした人々のための慰霊式典なのだ。


 秀介はこの一週間、ろくに食事も摂らず、何かあったらすぐ喚き散らすので、皆声をかけようとはしなかった。

 対する僕は、未だにぼんやりした状態が続いている。さくらさんが時折、声をかけてくれるのは有難かったが、何と応えたらいいのかはさっぱりだ。


《それでは、一連のゾンビ関連事件に際し、殉職された方々のお名前を述べさせていただきます》


 いつの間に始まっていたのだろう、一時間ほどは経過しているようだ。

 僕は皆に従い、起立して目を閉じ、掌を合わせた。


 次々に名前を呼ばれていく警察関係者、機動隊員、そして兵士たち。中には顔と名前が一致する人物もいて、僕は胃の中にじわり、と痛みが走るのを感じた。しかし。


《以上、三百七十一名です》


 おい、ちょっと待て。リナの名が呼ばれていないぞ。渋谷での最終決戦で最も戦績を上げ、殉職者を減らした功労者ではないか。何故名前が呼ばれない?


 まさかこの期に及んで、お偉方はリナを人間として認めていないのか?

 突如、僕の胸中で炎を纏った怪獣――怒りという名の感情が暴れ狂った。


 防衛大臣の演説中にも関わらず、僕は自分のパイプ椅子を蹴倒すようにして立ち上がり、研究棟へ向かった。さらに言えば、さくらさんと共有しているラボへと。


 僕はいつもの手順で入室し、ラボの最奥部にあるもう一つの扉を開放した。ざわり、と冷気が頬を撫でる。ここは、ゾンビの生体破片の保管庫だ。


 だが、今度は踏み込まなかった。外側からでも操作できる。僕は特殊仕様のロックを解除し、一旦扉を閉鎖。それから、扉の開閉用のコンソールをぶん殴った。

 何度も何度も何度も何度も、殴打し続けた。拳から出血があったが、知ったこっちゃない。


 やがて蹴りを入れると、ようやくコンソールは機能を停止し、生体破片保管室の冷房が停止した。これで三時間も待てば、今まで採取したサンプルは全て腐食し、使い物にならなくなる。


 僕の言動に、深い意味はない。ただ、リナのことを忘れようと必死だっただけなのかもしれない。そのための殴打と蹴りだ。

 強いて言えば、リナを人間と認めなかった、そして実戦に出てくることもなかった政府のお偉方に対する怒気が、僕をこんな凶行に駆り立てたのかもしれない。


 もし第二、第三の香藤玲子が現れるとしたら、間違いなくリナのように、念動力の使える個体の開発に励むに違いない。だからこそ、僕はリナのサンブルまでをも台無しにする覚悟で保管室の冷房を破壊したのだ。


「今度こそゆっくり休んでくれ、リナ」


 そう告げた直後のこと。何かが頬を滑り落ち、手の甲に触れた。

 これは液体? 違和感を覚えていると、今度は目が痒くなってきた。


 そこから先は、自分でも止めようがなかった。

 研究棟や医療棟のみならず、式典会場にまで届くような雄叫びを上げながら、僕はその場で尻餅をついた。


 雄叫びはいつしか嗚咽に代わり、僕は喉を鳴らしながらへたり込んだ。

 慌てて駆けつけたさくらさんに助け上げられるまで、僕はその場を動けなかった。


 THE END

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愛を夢見る試験管 岩井喬 @i1g37310

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