第32話
所属不明のヘリは、無事だったビルのヘリポートに着陸した模様。
「警戒監視ヘリ、映像を送ってくれ」
《……》
「警戒中の各機、どうした?」
《あら、これは失礼いたしました。わたくしがお話するのに邪魔になるかと思いまして、電波妨害を仕掛けさせていただきましたの》
この声……香藤玲子!
《あなた方は、わたくしの最新兵器を退けた。もうわたくしに打つ手はありません。自首致します。お手数ですが、ご覧のビルの屋上に来ていただいてもよろしいかしら?》
「了解した」
隊長は短くそう答え、言葉を続ける。
「負傷者とその看護にあたっている者以外は、直ちに南西のビル屋上へ向かえ! 昨日までは民間人が出入りしていた建物だ。トラップの恐れはない!」
復唱が続く中、誰よりも早く駆け出したのはリナだった。腕を失って身体のバランスが取れていない様子だが、それでも懸命に走ろうとしている。
ひどく汗をかいているのは分かるが、やはり表情を窺うことは叶わなかった。
※
リナのあとについて階段を上り、僕と秀介は屋上に出た。全身が鈍痛に見舞われていたが、それでも、リナと香藤の邂逅を見届けなければという使命感に駆り立てられていた。
唐突の強風に、顔を腕で覆う。回転翼の生み出す風が、前方から僕たちを打ちつけている。
顔を上げると、そこには実に奇妙な光景が展開されていた。
ヘリを包囲する部隊の面々。その中央に歩み出るように、白衣姿の華奢な体躯の人物が近づいてくる。間違いようがない、こいつこそ香藤玲子だ。
「そこで止まれ!」
隊長の声に、素直に従う香藤。両腕をさっと掲げ、無抵抗を示す。
しかし、ここで予想外のことが起きた。リナが戦列から飛び出し、香藤の方へと向かっていったのだ。
「お母さん!」
香藤は無言でリナを見つめている。
「お母さん!」
抱き着かんばかりのリナ。だが、すんでのところで立ち止まった。
香藤は黙してリナを真正面から見つめている。するとさっとしゃがみ込み、軽くリナの頭に手を載せた。
「ごめんなさいね、リナ。あなたは人間の潜在意識を引き出すプロトタイプの第一号だったの。だからゾンビとは関係ないわ。むしろ、それよりもずっと進んだ研究材料として開発していたのよ。あなたが行使してきた念動力は、その力が発現されたものだわ」
材料? 開発? リナに向かって、なんて酷いことを……!
だが、それは僕たちも知りたかったことではあったのだ。文句を言える筋合いではない。
「でも、あなたの役割は今日で終わり。あなたのような個体が量産されないよう、けじめをつけなくちゃね。親としては」
香藤の声とヘリの回転翼の音に紛れて、何か音がしたような気がする。短くて形容しがたい音だ。
するとたちまち、リナの足元に水滴が零れ落ちた。夜闇にあっても、それが鮮烈な赤色であることが分かる。
リナが、刺された……?
「リナっ!」
秀介が駆け寄ろうとして、隊長に押さえつけられる。
「リナ! 逃げろ! 殺されるぞ!」
「あらあら、随分仲のいい友達ができたのね。お母さん、嬉し――」
しかし、香藤の言葉はそれ以上続かなかった。リナが軽く振り上げた左腕。その軌跡に沿って、首を斬り落とされたからだ。
何が起こったのか分からない。そんな表情の香藤の首が、ごとり、とヘリポートに落ちた。
「リナ!!」
秀介は今度こそ、リナに向かって駆け出した。
「大丈夫か? 刺されたんだろう? 痛かったよな、今すぐ治療して――おっと!」
ふらり、とリナは脱力し、秀介が慌てて抱き留める。だが上手くいかず、リナは危うく後頭部をぶつけるところだった。
何故なら、左腕もまた外れてしまったからだ。
「お、おい……これ、これって……。一体どうなってんだよ!!」
秀介の悲鳴にも似た怒号が、交差点全体を震わせた。
※
気づいた時には、僕は基地の医療棟にいた。目の前には緊急手術室の扉があり、手術中というランプが灯っている。
ああ、そうか。リナが運び込まれたのだ。さくらさんが手術に同伴している。
それは分かるが、やはり基地に戻るまでの過程を思い出すことはできなかった。
秀介は苛立ちを隠せずに、手術室の前を行ったり来たり。それに対して、僕は何を思っているのだろう? 自分のことだからこそ、僕にはそれが分からない。
心にぽっかり穴が空いてしまったような気はしているのだが。
相変わらずぼんやりしていると、突然手術室の扉が開いた。手術衣を脱ぎ捨てながら、さくらさんが歩み出てくる。
「さくらさん、リナは? あの腕、くっつけられるんっすよね? リナは助かるんですよね?」
さくらさんは、言葉を発しない。秀介に一瞥をくれただけ。しかしそれでも、さくらさんの胸中に暗雲が立ち込めているのは察せられた。
「大丈夫ですか、さく――」
さくらさん、と言おうとした直後、さくらさんが自ら僕に身を投げ出してきた。
「おっと……。どうしたんです?」
「気力が……。リナちゃん、今は無事です。でも、これから生きていこうという気力が、全く感じられない……。それが、身体にダイレクトに作用して……」
「つまり、リナはもう自分が死んでも構わないとでも思っているのですか?」
軽く肩を握った僕に姿勢を正され、さくらさんは大きく頷いた。その瞳からは、大粒の涙が散らされている。
「リナちゃんは、リナちゃんはもう……」
不思議なことだが、僕はすっと腕を伸ばし、さくらさんの細い肩を抱きしめていた。
普通の人間なら、恋人でもない異性にこんなことはしないだろう。だが、僕の心の焦点は、リナよりもさくらさんに向いていた。
「俺が様子を見てきてやる!」
手術室の扉が開きっぱなしだったのをいいことに、秀介はずかずかと踏み込んだ。
何かを言っている様子。しかし、それはすぐさま慟哭に変わった。
「リナ? 死なないよな? リナ……リナあああああああ!」
秀介の叫びも、僕には地球の裏側で叫ばれているようにしか聞こえない。
ただ一つ分かったのは、秀介に看取られてリナはその命を手離したということだ。
相変わらず空虚な心持ちで、僕はさくらさん、リナに縋りつく秀介、そして僅かに覗いたリナの横顔を見つめていた。
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