カップ麺と魔法使い

霖しのぐ

カップ麺と魔法使い

「エレベーターがないと、地味に不便だよなあ」


 ある冬の日。隅々までしっかりと年季が入った雑居ビルの階段を、ぼやき混じりにふらふらと上がる黒ずくめの男。名を笹崎 怜ささざき さとしという。ちなみに今は四段重なった段ボール箱を抱え足元が見えない状態だ。


 ガタゴトとローカル列車が脇を通り過ぎる音を聴きながら、階段をゆっくりと三階まで上がり、廊下を数歩。自分の事務所しろの前に着いたが……あいにく両手は塞がっている。


 しかし笹崎はなんでもないようにまじないの言葉を紡いだ。すると、それに応えるようにドアが音を立て、ゆっくりと開く。これは鍵のかかっていない扉を、手を使わずに開くためのごく初歩的な魔法だ。


 笹崎は国から免許を受けたプロの魔法使い――国家魔法士。今日も二月の寒空の下、ホウキに乗って飛び回りさまざまな依頼をこなしてきた。その甲斐あって売り上げは上々、そして他にも収穫が。


「あっ、きつねとたぬき! えっと先生、おかえりなさい。どうしたんですかそれ」


 笹崎を先生と呼び出迎えたのは、彼のもとで働くアルバイト。魔法は使えないが、細々とした用事を一手に引き受ける頼もしい存在――名を閑林 琳かんばやし りんと言う。今、その丸い目は積み上がった段ボール箱に釘付けだ。


 笹崎が抱えてきた段ボールの中身は、赤と緑の有名なカップ麺、十二食入りのものが四箱。商品名が大きくプリントされているので、魔法が使えずとも中身を言い当てるのは簡単なこと。


「ただいま。依頼者のとこでな。きつねうどんとたぬきそば、懸賞で一年分ずつ当てたのがいっぺんに届いたんだと。六十箱以上あるから、閑林くんの分もぜひって」


 今日最後の仕事先でもらったそれを、応接セットのテーブルの上に落ち着かせると、肩に食い込んでいた魔法道具入りの鞄をソファーの上、ホウキはホウキ立てへ。まとっていた黒のローブをハンガーに掛ける。これでようやく身軽になった笹崎は大きく伸びをした。


「一年分ずつ!? すごい! 家がいっぱいになっちゃいそう」


 琳は大きく目を輝かせると、1Kのボロ……古めかしいアパートに住まう笹崎も頷いた。


「俺んちも床が抜けるかもな……ああ。そういうわけで、きつねとたぬき、一箱ずつを臨時ボーナスとして支給しようかと」


 格好つけて言った笹崎を見て、目を丸くする琳。さすがにカップ麺が臨時ボーナスと威張るのはどうかしているか……しかも貰い物だし。琳の顔が呆れているように見え気まずくなる笹崎だったが、それも一瞬だった。


「こんなにたくさん、ありがとうございます! お母さんも喜びます!」


 飛び跳ねんばかりの喜びようを見せた琳を見て、笹崎はホッと息をついた。


 琳はカップ麺十二個入りの箱を二つ、どう自転車に載せるかを考えている様子。笹崎は段ボール箱を開封し、中身を一つずつテーブルに並べ、包装のフィルムを剥がした。


「先生、どうしたんですか」


「さっそく食おうと思って。今日は山ほど呪文を唱えたから、腹減ってな」


「……魔法使うのってお腹が空くものなんですか?」


「すごく空く。じっとしてても頭は使うし体力も使ってるからな。『暗算とマラソンを同時に』と例えるやつもいる」


「魔法は暗算でマラソン……んー、よくわからないけど大変そう」


 琳は不思議そうな顔で唸った。しかし魔法使いの家系に生まれ、幼少の頃よりそれを操ることが当たり前だった笹崎にとっては、魔法を使えない方が――それはさておき、ストーブの上で湯気を上げるヤカンを一度持ち上げて置き、中の湯の量が十分であることを確かめた。


 胸ポケットから愛用の万年筆を取り出し、指先で器用に回しながら、磨き上げられたデスクへ向かう。今日も留守の間、彼女は抜かりない働きをしてくれていたようだ。ありがたいことだと。


「さて、きつねが五分で、たぬきが三分。その差は二分か」


 笹崎は頷いた。この二つを同時に――どう攻略しようか。キャップを回し取り胴軸に差すと、引き出しから取り出した呪文用紙の上に、万年筆を滑らかに走らせた。


 魔法で時間を操作することは禁止されているので――それ以外で。なら、きつね側の水温を操作するか。さらに上げれば早く麺が戻るのでは? いや、カップが耐えられないか。ならカップも同時に強化して……。


――ややこしいな。


 紙を剥がす。


 ならば、たぬきの麺が伸びたり、天ぷらがふやけすぎぬよう中身を変化させる方法なら?


――失敗すれば食べ物でなくなる可能性があるな。まず味は間違いなく変わる。だめだ。


 また紙を剥がす。


「先生、これは何の呪文ですかね?」


「きつねとたぬき、同時に仕上げて一緒に食いたい。そのための魔法をだな……ダメだ。そもそもお湯をかけるだけで美味しいうどんやそばになるのはどうしてだ。不思議すぎるだろ」


 覗き込んだ琳に答えながらまた紙を剥がし、髪を混ぜながら万年筆を置く笹崎。即席麺というものは、魔法使いから見ても不思議な食べ物なのだ。


「先生、落ち着いて。先にきつねにお湯を入れて、二分経ってからたぬきにお湯を入れれば、仕上がりは同時だと思いますけど」


「……え?」


 琳の意見に間抜けな声を上げた笹崎を、石油ストーブの上に坐るヤカンがしゅんしゅんと笑った。


 琳は赤いカップに湯を入れ蓋をした。割り箸を重しにすることも忘れない。スマートフォンを操作しタイマーを二分にし、スタートボタンを押す。


「はい先生。タイマーが鳴ったらたぬきにお湯ですよ。魔法使いは何でも魔法でなんとかしようとするって本当なんだあ……」


 琳に苦笑いを向けられた笹崎は、呪文を書き連ねた紙を丸め、ぽいぽいゴミ箱に投げ込んだ。デスクに肘をつき、子供のように口を尖らせる。


「ちょっと試してみたかっただけだ」


「……書き損じの呪文用紙を適当に捨てないでください。普通のゴミに出せないんですから。でもどうして、きつねうどんとたぬきそばを二つを同時にって?」


「どうせなら二人一緒に食べたかったからかな」


「え、いただいていいんですか?」


 三たび丸くなる瞳。


「ああ、いつも頑張ってくれてるから、ボーナス上乗せ……なんてな。カップ麺一個だけど」


「嬉しいです。実は私もお腹空いてたんですよね……」


 琳がお腹を押さえて恥ずかしそうに笑うと、タイマーの電子音が軽やかに響く。たぬきそばに湯を注ぐのは笹崎が担当した。麺がしゅわしゅわ音を立てながら、薄茶色に染まった湯に浮かぶ。蓋をして箸を乗せ、タイマーを三分に。


 応接セットに向かい合わせに座った二人は、テーブルの上に仲良く並んだたぬきときつねを見つめている。部屋を満たす出汁の香りで、笹崎の腹の虫は今にも騒ぎだしそうだ。琳も同じ気持ちなのか、緑と赤の間で視線をさまよわせていた。


「ところで琳はどっちにするんだ? 俺は別にどっちでもいいから先に選んでいいぞ」


「じゃあ、私はたぬきそばで」


 琳は即答し、緑のカップを自分の方にそっと手繰り寄せる。


「……ん? そば派とは意外な」


 十代の女子というのは、甘い揚げの乗ったきつねうどんに惹かれるものだとばかり思っていた笹崎は、興味深げに頷きながら残った赤いカップを手に取る。


「えっと、どっちも大好きなんですけど……先生が作ってくれたのを食べたいなと」


「……………え?」


 二度目のタイマーが鳴る。心臓が跳ねたのはそのせいか、それとも。目の前の少女は花が咲いたような笑顔。


「誰かが作ってくれたご飯って、美味しいですもん!」


「いや、お湯注ぐだけのカップ麺だぞ」


「それでもです。誰かと一緒に食べるのも美味しいですよね」


「そんなもんなのかな」


 琳の家は母子家庭。母親は夜の工場で働いているため、いつも一人で食事をしているという。かたや笹崎も一人暮らしが長い。特に田舎に引っ込んでからは、こうやって誰かと食事をする機会などないに等しかった。


 そろって笑い、箸を割る。そして、手を合わせた。男性を目の前にしても、恥じらう様子などみじんも見せず勢いよく麺をすする琳。清々しいまでの姿はむしろ好ましく映る。


「はぁー、おいしい。天ぷらまで乗ってるなんて、ぜいたくだなあ」


 笹崎は幸せそうにそばを頬張る琳を見て、あることを閃いた。うどんの油揚げをつまみ上げると、手招きをするようにふらふらと揺らす。


「……なあ、これ食べるか? あ、もちろんまだ口はつけてないぞ」


 吸い寄せられる緑のカップ。琳の瞳はまるで星屑を吸い込んだかのように光り輝いていた。


「……いいんですか?」


「別にいいよ。こっちも好きなんだろ?」


 琳が頷いたので、笹崎は差し出されたカップに揚げを慎重に下ろす。同じカップの中で並ぶ天ぷらと油揚げ。ささいなことだが、この少女にとってはこの上なく幸せなことのようだった。


「あああ、お揚げも天ぷらもだなんて、すごい贅沢……生きててよかった……先生、一生ついていきます」


「おいおい…………なんでだよ。そう自分を安売りするな」


 油揚げ一枚で人生を捧げられても困ると、苦笑いで琳を諭してから笹崎も麺をすすった。カツオと昆布が香る出汁をひと口飲めば、冷えた体と空腹が一気に癒やされていく。


 その風味はたかがカップ麺と侮るなかれ。絶妙なバランスで成り立つ完成された一杯……やはり魔法で変にいじらなくてよかった。ホッと息をつく笹崎の前で、琳は一足早く出汁を飲み干し、はつらつとした表情。


「いいえ、この恩は決して忘れません。まだまだ働きますよ! さあ、先生、私めに何でもお申し付けを!」


「ああ、それなら。今日はもう上がっていいぞ」


 笹崎が指差す先――窓の向こうにはしんしんと絶えず白い花が降っていた。この地方には珍しい雪模様に、琳は立ち上がり目を丸くする。


「わあ、雪ですね。珍しいなあ……あ、積もったらどうしよう」


「ああ。その前に帰れ。あと、風邪引かないようにな」


 雪が積もってしまえば、自転車で帰るのは難しい。ホウキで送ることも考えたが……笹崎のものは一人乗りの機種、二人乗りでも飛べないことはないが、警察に見つかったら違反切符を切られてしまう。免許を止められれば、仕事に差し障ってしまう。


「あ、そうだ。その箱、後で家まで持っていってやるよ。今から役所への提出書類書いてからだから、八時は余裕で回るけど」


 自転車のカゴに無理に乗せるよりは、紐をかけてホウキに吊るし運ぶ方が安全だと考えた。幸い、荷物なら運び慣れている。


「時間は大丈夫です。わざわざすみません……」


「ああ、いいよ。大事な働き手に怪我させたくないしな」


「ありがとうございます、あと、ごちそうさまでした! お疲れ様でした!」


「おう、お疲れ様」


 琳は大慌てで荷物をまとめ頭を下げると、転がり落ちるような勢いで事務所を後にした。


 笹崎はたまらず窓際に駆け寄る。勢い余って転んでいないかと思ったのだ。琳はまだ高校生にしてはしっかりはしているが、意外と抜けたところもある娘なのだ。


 しかしそんな笹崎の心配をよそに、彼女が乗る自転車は雪の中、彗星のように走り去っていった。


 笹崎はその光景に胸を撫で下ろすと、椅子に腰掛けた。


「……思い切って、二人乗りのホウキに買い替えようかな」


 ホウキの後ろに乗せたら、またあの花のような笑顔が見られたりしないかな。笹崎はかけうどんをすすりながら、ひとり小さな幸せの余韻に浸ったのだった。

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カップ麺と魔法使い 霖しのぐ @nagame_shinogu

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