真夜中の恋はこのまま殺して

終電

真夜中の恋はこのまま殺して

「もう殺してほしい」

ぼくの恋人は口を開けばいつもそんなことばかり言う。お互いに全く眠る気のない真夜中の寝落ち電話。窓の外で走るバイクの音。静寂という名の音が空気に染み込む。

「そんなこと言うもんじゃない。それに、きみを殺すなんてぼくにはできない」

「それでも、今すぐ死にたい」

そう言う声は心なしか弾んでいて、嬉しそうだ。それもまた、いつも通りだった。

「きみはいつも死にたがってるじゃないか。今じゃなくても、またすぐに死にたくなるよ」

字面を見れば物騒極まりない会話だ。思わず苦笑する。どうもこの人とはまともな会話ができている気がしない。何の気なしにスマホを持ち替えた。

「だけど、もう今殺してほしい」

ぼくは頭の中で電話口の相手を殺す方法を考えてみる。距離が離れている今、どうやったら殺すことができるのか。

「……洗脳くらいしか思いつかない」

前に何かで読んだことがあった。目隠しをさせた相手にこう伝える。「人は三分の一の血液を失うと死に至る」と。その後相手の手首と足首にメスを当てがい、水が滴る音を聞かせる。すると実際にメスで身体を切ったわけではないのに、その相手は思い込みによって死んだ。プラシーボ効果に似たものだろう。思い込みって怖い。ただ、それが使えるかどうかは相手次第だろうが。

「けど、きみには使えそうにないな」

電話の向こうで忍び笑いが聞こえた。

この人は自分しか信じない。その性格を知っている人からは「よく付き合いが続くな」と呆れられる程に。「そんな自己中な人やめたら?」と言われる度、ぼくはそのアドバイスに従って、今後その人との付き合いを遠慮させていただく。ぼくもぼくのことしか信じていない。

「何にせよ、きみが今すぐ死ぬなら、明日のデートはできないね」

毎日のように電話はしているけれど、やっぱり直接会うのとは比べ物にならない。最近はお互いに自分の生活が忙しく、なかなか会う時間がなかった。久しぶりのデートは前から気になっていたブックカフェに行く予定だ。二人とも本に特別詳しいわけではないが、本を読んで過ごしたい日もある。コーヒーとシフォンケーキも評判らしい。

「きみの分のシフォンケーキはぼくが美味しくいただくよ」

「そうね、そうして。そして、わたしのことは忘れて生きてちょうだい」

「それは無理なお願いだよ」

そもそも、「殺してくれ」と懇願されるなんて人生で何回もあることではない。

「きみは、忘れるにはインパクトが強すぎる」

たとえ別れて、もう慈しむ心が欠片も残っていなかったとしても、ぼくには強烈な記憶が刻まれたままだろう。

「……ねぇ、ぼくはきみと生きていたいんだ」

「あら、気が合わないわね。わたしは今すぐ死にたいの」

死にたがっている人に追い討ちをかけたいわけではなかった。でも、ぼくはぼくの感情を優先させる。もう数えきれないほど言った言葉。何も考えていなくても完璧な形で差し出せる。彼女の生死に対しては最悪な形かもしれないが。

「好きだよ。今までもだし、これからも好きでいるよ。どんどん好きになってるよ」

沈黙が続いた。ぼくは窓を開けて空を見上げた。微妙に曇っているせいで月も星も見えない。でもそんなのは関係なかった。月が綺麗であろうがなかろうが、星が輝いていようがいまいが、ぼくの真実は真実のままだ。

「……今、死にたい。早く死なないと」

ようやく声が聞こえたが、その声はゆらゆらふらふらとしている。

「ねぇ、早く殺して。お願いよ。わたし、今が一番幸せなの。今死ねたら何の後悔もない」

それはぼくも同じだった。今死ねたらどんなに幸せか。こんなに心が満ち足りている瞬間がこれから先にもあるかもしれないなんて、信じられない。それはわかるけど。でも。

ぼくは信じているんだよ。これからを。

そんなに死にたがられたら、これからを信じているぼくを、どうしてくれるんだ。

でも、思ったことは声にならなかった。

「……明日にでも、ゆっくり殺してあげるから。今夜は早く寝な」

「ん、そうする」

少し不服そうな声がかわいい。電話を切った後もなんだか名残惜しくてしばらくスマホを耳に当てたままにしてしまう。この幸福が続けばいい。そう願えば願うほど、そうでないことを浮き彫りにしてしまうようで、ぼくは重力に飲み込まれるようにベットに倒れた。


ぼくと彼女はお互いに好き合っていて、その熱量だってぴったり一緒で、一時の過ちではなく運命の人だと言えるし、本当に本当に大好きだけれど。声を聞くだけで、気配を感じるだけで、ぼくは生きたくなって、彼女は死にたくなるなんて。

この決定的な違いを突きつけられるたび、ぼくは心底死にたくなる。

「あー。しんどい」

いっそのこと、殺してくれと願うほどに。

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