第5話:メラージュの国民軍

 それは防衛網が完全に崩れ去り、魔獣に追われ逃げ惑う人々の声。

 不意にエコーがかかっているように感じた。僕は脳が思考能力を取り戻すまで数秒かかったのか。

「逃げろ!!!!」

 ありったけの声量で叫ぶ。こんなものは意味がないと分かりながら。

 犠牲者を出してしまえば、アルファランの信頼は地に落ち、その末路はいまだ王宮で軟禁されている王と同じものではないか。

「世界を救え。」そんな呪言が頭の中を駆け巡る。

「周りの人だけでも、救えるか…?」


 疑問のように語尾を上げたが、体は勝手に動いていた。杖を取り、振りかざし、こちらに向かう群衆と背後の魔獣へ突っ込んでいく。

「君たちは必ず、このロラン・ド・アルファランが守る!」

 そんなきざなセリフを言い終えるかどうかというときだった。聞きなれない怒声が辺りに響いた。

「少年!!伏せろ!」

 それを聞き、さっきまで勇ましく動いた体は、条件反射のように雑草の中に突っ込んだ。

 乾いた破裂音、指示を出す声、僕は泥にまみれた顔を上げた。

「大丈夫か?」

 紺色のナポレオン・ジャケット、漆黒に円形章コカルドが光る二角帽。それらに身を包んだ優しい笑顔の男が、手を差し伸べていた。

 手を借り立ち上がり、辺りを見ると、同じような服装の人たちが次々と魔獣を打倒していく。

 包囲されていた村人も、逃げ惑っていた村人も、何とか離脱できたようだ。

「助かった…」

 せっかく立ち上がったのに、足の力が抜けてしまい崩れ落ちる。

 メラージュの国民軍だ。間に合った。僕たちは耐えたんだ。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「大変助かりました。ありがとうございました。」

「いえ、これが私たちの仕事ですから。」

 父、ジョルジュも一緒に戻ってきていた。

「お礼と言っては何ですが、魔獣の肉を使った夕食でもいかがですか?」

 空はすでに赤く染まっている。

「ほんとですか!?やった!!」

 そんな反応をしたのは一部のみだった。

「え、先輩、魔獣って食えるんですか?」

「さあ…、俺は食ったことない。」

「俺の出身のとこでは魔獣食ってたぞ。」

「いや、魔獣なんてフツー食わねーだろ。」


 ざわざわしだす集団を横目に、僕は近くにいたミシェルという名の兵士に聞いてみた。

「みなさん、この地方の人じゃないんですか?」

 ミシェルは「ああ、それか」というような気難しい表情になり言った。

「昔は地方ごとに軍を持ってただろ?でも革命で制度が変わって、国民軍になったとき、2年ごとに配置が変えられるようになったんだ。どうやら土地と軍の癒着を防ぐためらしい。」

「ちなみに俺はスタニアの出身。」

 ミシェルはそう付け加えた。

 スタニア。トリニアの北西部に位置するこの国最大の港湾都市だ。首都テルジネットの外港であるアーブル、南東部の中心都市であるミーラと並んで、三大港町と呼ばれたりもする。

「スタニアからメラージュですか。遠い旅でしたね。」

「いや、実はメラージュのほうがスタニアよりも住みやすくてびっくりしてんだ。空気はきれいだし、煙を垂れ流す工場もあまりない。俺はメラージュに来てよかったと思ってるよ。」

 そう言うとミシェルは立ち上がり、大きな声で言った。

「魔獣は美味いぞ~!今回は猪型サングリエだから、具体的にいえば豚肉を味濃くしたような感じの味がする!」

「おお~!!!」

 兵士たちが歓声を上げる。「共和国万歳!」どこからか聞こえてくるフレーズ。


 ちなみに、そのあとにふるまわれた魔獣の肉の料理は、食べたことがなくそれを忌み嫌ってた人でさえ、舌鼓を打っていたそうだ。


「おおーい、ロラン君!楽しんでるか?」

 やけに声色の良いミシェルが言う。よく見ると顔が赤いようにも感じる。ランプの橙色の光のせいかもしれないが。

「おかげさまで。まあ酒は飲めませんが。」

「こんな田舎で、誰も飲むなという奴いねえよ!飲んだらいいじゃねえか。」

 …やっぱり酔ってんなこのおっさん。

「いや、両親がなんていうかわからないですしね。」

「なんだ、真面目な奴だなあ。若い時の俺とは大違いだよっ!」

 そう言ってミシェルは僕の肩をドンとたたいた。

「いてっ」

「おっと、すまんすまん。力加減間違えた。」

 ふとした瞬間、ミシェルの横顔を見た。その目に望郷、懐かしむような気配を感じた。


 ミシェルは、そのまま、僕の方を向かないまま話し始めた。

「ロラン君、テルジネットに行きたいんだってな。ジョルジュ殿から聞いた。」

「まあ、そうですね。」

 両親には”神”のことについては一言も言ってない。彼らにはただ国のために首都で学びたいことがあるんだと言っている。

「ロラン君、あのな、」

 そう言ってミシェルは言葉を詰まらせた。彼の口は思案、懸念、葛藤、そのようなものが枷となり開けなくなったのだ。

 ミシェルは一度深呼吸する。息を吐ききってさらに一拍置いて、やっと話始めることができたのだった。

「単刀直入にいう。俺はテルジネットに行くのをお勧めしない。」

「え、何でですか?」

 テルジネットは昔からのトリニアの中心。プライメート・シティである。そこに行ったからと言ってすぐ自分が変わるわけでもないだろう。ただ、今のまま田舎にとどまるよりははるかにましだと思っていた。


「テルジネットは魔境だ。俺らみたいな田舎もんには想像のつかない世界が待っている。かつての花の都、テルジネットを想像してるなら、もうそれは消え失せたんだと思ってくれ。今その場所にあるのは、市民による自警団と貴族崩れたちの王党派、革命過激派のテロの応酬。あふれる物乞い、誰も片づけない野垂れ死んだ死体。もうあれは花の都じゃない。地獄の首都だ。」

 ミシェルはまだいうことがありそうな態度を取っていたのだが、言葉を詰まらせ、これ以上は言わなかった。

「もっと詳しく知りたかったら、俺たちの上司、指揮官殿に聞いてみてくれ。彼はテルジネットでお偉いさんをやっていたらしいが、ロドスピエールとかいうやつの一派に政争で負けてここに来たんだとか。」

 そういってミシェルは立ち去って行った。脳は醒めても体はすぐには醒めない。千鳥足で陣地へ戻っていくのだった。


 ロドスピエール。前世の世界でもそれに似た名前の政治家がいたっけなあ。

 テルジネットで毎週のように行われる処刑。実は僕はこの魔獣災害発生の少し前にはこの情報をつかんでいた。

 この村には定期的に中央での出来事が電報のニュースとして伝えられる。

 そこには確か、ロドスピエール、”逆賊”である王党派の重要人物の処刑を決定。とでも書いてあったっけ。処刑された人の名前は忘れてしまったが、こんな感じの電報がかなり高頻度でやってくるから、おそらくかなりの頻度で処刑をしているのだろう。


 何はともあれ、まずはその”指揮官殿”の話を聞いてみるしかないか。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

平和な異世界に英雄などいらない。~世界に呼ばれた英雄はまだ、役割を知らない。~ 坂手英斗 @sakate-eitosan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ