大好きな彼女は量産型

海沈生物

第1話

 大好きな彼女は、量産型だった。それは、恋をして一週間後に知った事実だった。

 



 20XX年、法律改正によって「あらゆる恋」が認められるようになった。それは幼い時からずっと一緒だったぬいぐるみと結婚して良いし、あるいは床に落ちているほこりと結婚しても良いという改正である。

 無論、その変化に対して不満を抱いたものもいた。「保険金目当ての殺人が増えるのではないか」「人ではない者と結婚したとして、そこにメリットがあるのか? ただ同棲するだけではダメなのか」みたいなものだ。

 ただ、不満はあれどデモを行うようなはいない。簡単な話である。自体がもういないのだ。


 数十年前、私がまだ五歳だった頃に起きた第三次世界大戦によって世界は核の海に沈んだ。その中を生き延びた人々は核の影響が薄い場所へと避難したが、核の被害で死んだ人類は数億にも及んだ。世界の人類の八割か九割減ったらしいが、あまり興味がなくて知らない。今時はニュースなんて政府からの大本営発表程度しかないし。

 出張中だった私の両親もその被害にあった。顔すら覚えていないレベルなのであまり実感はない。そもそも今の世界の子どもなどそういう境遇の子ばかりである。むしろ、授業参観などの行事に私を引き取ってくれた叔母が来てくれただけ、マシな部類だったのかもしれない。その叔母も去年成人になった私を見届けて他界した。

 今は狭いアパートの中、暮らしである。それは彼氏が出来たという意味じゃない。私は昨日通販で購入した女型アンドロイドと「結婚」したのだ。


 彼女に名前はない。面倒なので「女型アンドロイドちゃん」と呼んでいる。旧来の友からは「さすがに名前付けてあげたら?」と言われたが、興味がなかった。私は彼女と結婚したのは、その無機質な感じが好きだったからだ。私は人間に触れられるのが苦手だ。彼らは温もりを持っている。それを生きている証拠だというのならそうかもしれないが、私は冷たい方が落ち着く。人間ではないという事実に落ち着くのだ。

 そんな無機質な彼女との生活だが、結婚生活一週間で問題が発生した。それが、「恋をした相手が量産型アンドロイド」という問題である。恋をすること自体は問題ない。量産型である事実自体はどうでもいい。

 しかし、町でデートしているとどうしても気になるのだ。私の隣にいる彼女と同じ顔をしたアンドロイドが、人間と手を繋いでいることが。それが子どもだったらまだいい。しかし、それが成人した人間であるのなら。

 あらゆる恋が公的に認められた以上、彼らも私と同様に恋をしている可能性があるのだ。その事実には、得体の知れない気持ち悪さがあった。

 当たり前だが、不倫されているわけではない。同一人物であっても、町にいる「彼女」と私の「彼女」とは肉体的には別の存在だ。それでも、得体の知れない気持ち悪さがそこにはあった。

 いっそ、特注品のアンドロイドにすれば良かったか。そうすれば、そんな感情を抱くこともなかったか。そう思わなくはないが、ネットで調べていた時に一目惚れして購入したのは私なのだ。今更どうこう言うのは失礼だし、私は彼女だからこそ愛しているのだ。特注品を作った所で、愛することが出来ないような気がする。俗な言葉で言えば、「推し」と同じである。存在が理想的すぎると、かえって神のように相手を思って畏れ多くなるものなのだ。結婚とか無理すぎる。


 そんなアンドロイドとの結婚生活にも慣れてきた頃だった。その日の夜もいつものように二人で同じベッドに入って、彼女と行為をしていた。機械の指先は冷たい。割れ目に入り込む中指は私の内部をかき乱し、分析済みの最も快楽を生み出す地点を擦る。的確なその動きに思わず腰が動いた。気持ちよさに震えて、脳天が痺れる。この心地よさにどっぷりと浸かっていたい。意識が蕩けてしまいそうだ。

 冷めた唇が私の唇を奪った。さすがに機械なので舌はないが、唇だけで十分だった。人間とするのはまた違う、温もりのないキス。その無機質な営みが、私にはとても魅力的なものに思えた。

 やがて、私が絶頂に至ると割れ目から指が抜ける。快楽の余韻で動けない私の代わりに、彼女は私の後処理をしてくれる。こういう時、アンドロイドは疲れることがないので助かる。私も落ち着いてくると、お尻のあたりにぐっしょりとかいた汗が気持ち悪かったので、シャワーを浴びに行った。その間も彼女は洗濯やベットメイキングをしてくれている。皮膚を伝う水滴を見ながら、私は彼女を思う。


 セックスをしている間、私たちは繋がっている。相手が他の同じ顔をしてアンドロイドではなく、今この瞬間の彼女という存在とシすることができるのか。不安だった。恐怖だった。仮に、私が彼女ではない彼女と同じことをしてしまったら。想像するだけで寒気がした。


 シャワーから出て用意してくれていた服に袖を通すと、アンドロイドの彼女はベッドの隣で寝ていた。彼女は充電式の存在だ。それ故に、充電をしなければ生きていけない。電気代はまぁまぁかかるが、それでも趣味にも娯楽にも興味がない私にとってはあまり痛い出費ではなかった。むしろ、いつまで出来るのか分からない趣味より、死ぬまで絶対に一緒にいてくれる彼女との時間にお金をかけるほうが、正しいようにさえ思っていた。「おやすみ」のキスを冷たい額にすると、私はベッドの中で眠りに落ちた。

 しかし、寝苦しさに目が覚めた。私が目を開けると、私の上に彼女が乗っていた。両手が首元にかかっていて、そこには笑顔があった。殺される。なんとか身体を振り払うとしたが、非力な私では振り払うことができない。ただぬるい両手に包まれて、意識に白いモヤがかかりはじめる。


「なんで……こんなこと……」


 私の何がダメだったのか。それほど、私を憎んでいたのか。それとも、愛していたのは私だけだったのか。分からない。彼女の、アンドロイドの気持ちが分からない。意識が飛びかけた瞬間、彼女の両手が離れた。咳き込みながらぐらりと歪む視界と酸素不足で痛む頭のまま、彼女を見つめる。


「やっと起きましたか? もう朝です。休日だからといって、ずっと眠っていないでください。惰眠は身体に良くないので」


「ちょっ、ちょっと待って! えっと……アンドロイドちゃん? ってそんなに話せたの?」


「はい。というか、逆に考えてください。こんな汚部屋を低スペックのアンドロイドごときが家事をできると思いますか? どこかで転んで致命的な破損を引き起こすか、そこら中に落ちている衣服をゴミと勘違いして捨てるのがオチです。そのぐらい自覚してください」


 アンドロイドは私の上から退くと、肩をぐるぐると回した。これは夢なのだろうか。それとも、現実なのか。私が彼女について色々悩んでいたから、それが夢としてそのまま出てきたのだろうか。頬を引っ張ってみて夢じゃないかと確認する。だが、目は覚めない。私は自分の肉体を触ると、なるほどと声を漏らす。


「ここ、現実なんだ」


「今更ですか? まぁここが夢だと本気で思うのなら、それでもいいんじゃないですか。それで取返しのつかないことを犯してしまえば、それまで。そうでなくても、夢とか現実とか意味ないんじゃないんですか。大事なのは、貴女本人が思ってどう行動するかでしょ」


 買い物に行ってきますと部屋の外に出ていく背中を見送ると、私はベッドの上に身体を預ける。目覚めさせ方はちょっとホラーだったが、これが夢であれ現実であれ、確かに幸せなことだ。これで、私は彼女を見分けることができる。他の個体ではない、彼女という存在を。それなのに、変化した彼女には違和感があった。まるで別の存在に変わってしまったような。私が望んでいた、あの無機質さが失われたという感覚があった。

 人であれアンドロイドであれ、変化は避けられないことだ。アンドロイドだって劣化はするのだ。定期的なメンテナンスが必要だし、その際に部品を入れ替えることだってあるのだ。私だって来年の今頃には何か趣味を持っているかもしれない。それなのに、その変化によって私の恋した心が冷めていた。

 ベッドの上で浅い睡眠を繰り返していると、彼女が帰ってくる。また首を絞めて起こそうとしてきたので、回避すると、そういえば首元に残った感覚がいつもよりないことに気付く。どうしてかと思った時、あの無機質な冷たさがないことに気付く。それを確かめるために料理中の彼女の手に触れると、「危ないじゃないですか!」と𠮟られてしまった。しかし、分かった。彼女はぬるい。明らかに温度が変化していた。

 彼女は人になったのか。本当に、入れ替わってしまったのか。本当の彼女は別の誰かの元へ連れ去られてしまって、今いる彼女はただの別人なのではないか。になってしまったのではないか。それが愚かな論だというのは分かっている。裏付けがないことは分かっている。それなのに、そのぬるさをどうしようもなく許せない私がそこにいた。


 いっそ、今の油断している間に確かめてしまおうか。アンドロイドといえども精密機器だ。頭を強く打てば故障するはずだ。それで壊れてしまったのならアンドロイド、死んだのなら人間だ。それだけで、全ての真相が分かる。

 そんな簡単な話である。そんな簡単な話なのだ。建前の理由うそはいくらでもあった。彼女は私の首を絞めてきた、だから正統防衛としてやった。理由はいくらでもあったのだ。それなのに、ダメだった。もしも、これが本当に彼女だったら。私が行動に起こせば、不信は確信に変わる。


「彼女は彼女だった」

「彼女は別人だった」


 どちらの真実が分かった所で、意味がないのだ。前者なら私は彼女に対して暴力を振るったことになり、後者なら私は彼女という存在が彼女でなかったと朝起きた時点で見抜けなかったことになる。どちらに転んでも地獄だった。私に彼女へ暴力を振るうことなどできなかった。できるはずがなかった。


 彼女が料理を運んでくる。俯いていた私に、今まで見せてきたことがない微笑みを見せる。


「もう。まだ夢か現実かを悩んでいるんですか? 良い加減、今を楽しむことにした方が楽ですよ」


「女型アンドロイドちゃんは本当に……」


「本物なんですか、って話ですか? やっぱりですね、薄々思っていましたが。残念ですが、私にもそれは分からないです。同一個体間でデータの同期もできちゃいますしね。ただ、貴女は人間ではなくアンドロイドを恋の対象として選んだんでしょ? だったら、そのリスクの上で結婚したんです。量産型の私を選んだんですから、仕方ないですね。そんなに迷うぐらいなら、私と同一個体全部を愛したら良いじゃないですか。それだったら、多少入れ替わっても大丈夫ですし」


「それは……さすがに不純じゃないか? 同一人物だったら何でも良いというのは、ちょっと……」


「……前から思っていましたが。貴女はアンドロイドを都合の良いセックス相手として使っている癖に、変に情を持ちすぎなんですよ。その異常性が私は好きなんですが……ともかく。貴女がどうか知らないですが、私は私以外の個体とセックスされても不純だとは思いません。終わった後にデータを同期すれば、行為を記憶することはできますからね。ではなく、を選んだ意味をちょっとは自覚してください」


 彼女はまた顔を俯せようとした私の口に、作った熱々の八宝菜を笑顔で突っ込んでくる。私が飲み込むと、また次の一口。またまた次の一口。突っ込まれていく内に、段々と身体が熱くなってきた。食べ終わった頃には、落ち込んでいた気持ちが少し晴れた感覚があった。

 食べてすぐ横になろうとした私に「牛になりますよ」と軽く叱ってくると、顔を近付けてくる。そのまま、軽いキスをしてくる。そのキスは、やはりぬるかった。だが、どうしようもないぐらいに優しかった。人間というほど温かくもなく、無機質というほど冷たくない。その優しさに落ちて、墜ちて、堕ちて。私はその温さをとても心地よく感じる。ただ、冷たい涙が私の頬を伝っていた。

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