ヘファイストスの機械人形

長庭零

童話『氷の国の王様と機械人形』

 大陸の北の方へ行くと、空気は冷たくなり、やがて肌を突き刺すようになります。息を吸えば、冷たい空気が喉の奥をちくちくと痛めつけてきます。それだけ寒いのですから、樹々も葉を縮こませ、針のような形になってしまいます。そういった樹々で出来た森は、とても暗いもので、昼間でも松明の灯りが必要なほどです。それに、お腹を空かした狼や熊などが住んでいるものですから、旅人はちょっとした茂みが揺れることにすら怯えながら森を抜けるのです。

 ようやく暗い森を抜けますと、目の前に広がる景色は雪の降る純白の野原になります。最初、雪は妖精が躍っているような、ちらちらとした可愛らしいものですが、唸るような風と共に勢いを増し、目印になるようなものは皆々覆い隠してしまうのです。吹雪の中、旅人達が道標に出来るのは、目の前に聳える白い山脈ぐらいなものです。

 山を越えますと、氷に覆われた国があるのでした。そこは短い春があるだけで、一年のほとんどが氷に閉ざされている国でした。ですから、土地は痩せていて、人が住める場所も限られていましたが、人々は工夫を凝らし、幸せに暮らしていました。

国には雪が降り積もっても凛と佇む、赤い煉瓦と白い漆喰で出来た城がありました。この城には、国を治める王様とその家族が住んでいらっしゃいました。

 先代の王様が亡くなった後、皇太子であった息子が王位を継ぎました。新しい王は若く美しく、立派でありました。

 王様には妻である王妃がいらっしゃいませんでした。ですから、国中の若い娘を呼んで、その中から王妃を選ぶことにしました。王様の前には、綺麗にめかし込んだ娘達が通されます。すると、王様の目に、一人の娘が留まりました。その娘は、周りの娘達と違いが無いように思われましたが、王様を見つめる瞳には、眩い光を備えていました。それは、夜空に降りるオーロラのように輝くのでした。

「とても美しい目の娘さんだ。いったい、どんな娘なのだろう」

 王様がそう思って話してみると、娘はなんとも賢く、そして清らかな娘でありました。娘の瞳が美しいのは、その心の美しさが表れているためだったのです。王様は、この娘のことがとても好きになりました。

 あくる日、王様は娘を王妃として迎えることにしました。お二人は、シルクと毛皮で出来た晴れ衣装をお召しになって、ご婚礼の儀式に臨みました。ご婚礼のお祝いは、盛大に行われました。その日は国中がお祭り騒ぎで、人々の熱気が国を覆う雪も氷も溶かしてしまいそうになるほどでした。

 永遠を誓い合ったお二人は、互いが互いに手を取り合って、仲睦まじくお過ごしになりました。王様は王妃を深く愛し、王妃もまた王様を深く愛しておりました。





 しかし、ある時から、王妃は床に臥せるようになってしまいました。国一番のお医者様が王妃を診ますものの、不治の病に罹ってしまっていたのでした。氷の国に雪が降るたび、王妃は床に臥せる時間が長くなって行きます。そうして、二人が婚姻なさって五度目の短い春が終わった頃、王妃は起き上がることも出来なくなっていました。王様は、王妃と共に、枯れた樹々を雪が白く染める様子を見ている事しか出来ませんでした。

 その頃、王様はある噂を耳にしました。国に風変わりな旅人がやって来ているという噂でした。その旅人は機械人形師であり、遠くにある大国へ向かう途中でした。

 機械人形師は、幾つもの動物を連れていました。しかし、それらは本物の動物ではなく、機械で出来ていたのです。

 噂を聴きつけた王様は、機械人形師を城に呼びました。謁見した機械人形師は、噂通りの機械で出来た動物達を披露しました。

 一つ目は機械の兎でした。これは地面に置かれると、本物の兎のように雪原を飛び跳ねてみせました。あんまりにも似ていたもので、野生の白兎が機械の兎の後ろに付いて飛び跳ねて回りました。

 二つ目は機械の狼でした。これの前に干し肉を置いてみると、本物の狼のように食らいついて、金属の鋭い歯で咬み千切ってしまいました。ですが、これは本物の狼のように食べることが出来ないので、機械の隙間から干し肉がばらばらと落ちて行きました。

 そして、三つ目に見せたのは、人間そっくりの人形でした。シルクで出来た豪奢な洋服を着た人形は、ひとりでに立ち上がると、王様の方へ向いて深々と敬礼をしました。それが見事に動くものですから、様子を見ていた家来は、人形の中に人間が入っているのではないかと疑う者も居ました。ですから、機械人形師は人間そっくりの人形の動きを止めると、洋服の袖から伸びる腕を一本外して見せました。もちろん、そんなことが人間に出来っこないことは皆知っていましたから、目の前にあるのは人形なのだと納得しました。

 素晴らしい人形達を一通り見た王様は、機械人形師に云います。

「貴殿の機械人形師の腕は確かであろう。そこで、貴殿に頼みがあるのだ」

「王様、一体それは何でしょうか」

「私には不治の病で倒れた王妃が居る。彼女は、次の春まで持ちこらえられないだろう。だが、私は彼女が居なければ、この先、生きて行けそうにもない。だから、王妃の人形を造って欲しいのだ」

 王様の話を聞いた機械人形師は、しばらく考えこんでいました。そうして、ようやっと決心して、幽霊のように細い声で、「王様、それよりも、良い方法があります」と云いました。

「私は、人間を人形に造り変えることが出来るのです。私が先代より受け継いだ特別な技であります。この技術があれば、床に臥せった王妃を人形に造り変え、元気な姿を王様にお見せすることが出来るのです」

 それを聴いた王様は、驚くと共に喜びました。王妃の人形を造らせるよりも、人形にして王妃が元気な姿になるほうが、よっぽど素晴らしいことに思えたのです。

「ならば、私の愛する王妃を、人形に造り変えて欲しい」

 すると、機械人形師は氷のように冷たい顔をして云いました。

「王様は人形を愛することが出来ますか?」

 王様は答えます。

「もちろんだとも、例えどのような姿になっても、私は愛すると誓おう」

 その答えに機械人形師は満足そうに頷きました。





 半年が経った頃、機械人形師は王様の前に再び現れました。人形になった王妃を連れて来たのです。王様が久々にお会いした人形の王妃は、目を閉じて椅子に座っていらっしゃいました。

「愛しい人よ、私が分かるかい」

 王様がお声を掛けると、人形の王妃はゆっくりと目を開けました。そうして、王様を見つめました。その目は、夜空に降りるオーロラのように美しく綺麗で、眩い光を備えていました。やがて、人形の王妃は椅子から立ち上がると、王様の下へと歩み寄りました。優しい微笑みを浮かべると、王様の唇に口づけました。それは、柔らかくて人の肌のように温かく、全くもって人形であるとは思えないほどのものでした。

そういう訳で、王様は、本当は機械人形師が王妃の病気を治してみせたのではないだろうか、と思いました。ですが、機械人形師は、確かに王妃は人形になったのだ、と云います。

「何故なら、人形の王妃は、人間とは違うことが一つあるのです」

「一体、それはなんだろうか?」

「人形の王妃は、寒さを感じることが出来なくなっているのです」

「それは素晴らしい。この国は一年を通して凍えそうな寒さに襲われる。寒さを感じないことは、良い事だろう」

 王様は、機械人形師にたくさんの褒美を与えました。しかし、旅の途中であった機械人形師には大荷物です。ですから、褒美の中から、たっぷりと毛皮に包まれる温かいコートだけを頂きました。そして、機械人形師は氷の国を去って行きました。





 その年は、国に短い春が訪れませんでした。凍てつく氷の風が吹き荒び、降り止まぬ雪が何もかもを覆いつくしてしまいました。少ない作物も育たず、動物達も凍え死んでしまい、人々は厳しい飢餓に襲われました。暖を取るための薪も使い果たしてしまい、飢えと寒さで、多くの人々が亡くなってしまいました。王様は、城にあるものを皆に分け与えましたが、それでもさらに多くの人々が亡くなってしまいました。そうして、その年の最後には、国中どこを探しても人も動物も居なくなってしまいました。

 王様と人形の王妃は、凍り果てた城に取り残されていました。お二人は身を寄せ合って、襲い来る純白の亡霊から隠れていました。ですが、あれほど美しかった城は、もう見る影もありません。もぬけの殻になってしまった城で、お二人は城にある燃やせるものをすべて燃やして暖を取りました。

 しかし、やがてそれも底が付いてしまいました。城の中はどんどんと寒くなり、壁が凍りつき始めました。王様は、自分が着ていた毛皮の暖かなマントを、人形の王妃に掛けてあげました。人形の王妃は、マントを王様に返そうとしましたが、王様は「お前が寒さに凍えない方が大事だよ」と云うばかりでした。

 ですが、人形の王妃にマントは必要なかったのです。人形の王妃は、寒さを感じられないのですから。

「ああ、とても寒いね。何だか少し、眠くなってきたようだ」

 王様がそう云うので、王妃は王様が眠りやすいように、頭をお膝に載せてあげました。そうして、頭を優しく撫でてあげました。王様の髪には、寒さのために小さな雪の結晶が凍りついていました。王妃が頭を撫でるたびに、ちらちらと宝石のような氷晶が舞いました。

 やがて、王様の足や手が、冷たく凍って行きました。流れていた熱い血潮までもが凍って、とくとくと動いていた心臓が凍りついて動かなくなりました。

 そうして王様は、人形の王妃の膝の上で、息を引き取りました。


 氷に閉ざされた国のお城で、機械人形は冷たくなってしまった愛する人の頭を、いつまでも撫で続けているのです。





 夕方のロンドン。市民の憩いの場であるハイドパークの一角は、人気も少なく、閑寂としていた。

 だが、不意に小さな拍手が沸いた。それは小さな劇場へと注がれている。拍手喝采を受けた操り人形達は、行儀よくお辞儀すると、舞台上から降りて行く。それは、トランクの形をした舞台だった。

 人形を操っていた女¬——赤髪の操り人形師は、真紅の幕が閉じる間も拍手を送る一人の少女に、優しく微笑みかける。

「可愛い観客様」

「なあに?」

 少女は、丸々とした綺麗な瞳を瞬かせる。

「人形の王妃は、はたして幸せだったのでしょうか」

 問われた少女は、こてりと首を傾げた。そして、しばらく考える素振りを見せてから、大きく頷いた。

「うん! 幸せだったと思う! 私のパパとママ、一緒にいると、とっても楽しそうだから!」

 少女の答えを聞いた操り人形師は、ただひっそりと微笑む。肯定も、否定もしなかった。

「これでこの物語は終幕です。御来場、ありがとうございました」

 操り人形師は、ふわりとスカートの裾を摘んでカーテシーをしてみせる。姿勢を正すと、片手で夕暮れが織りなす淡い藍色の空を示した。

「さぁ、もう夜がそこまでやって来ています。どうか、お気をつけてお帰り下さいませ……それでは、ごきげんよう」

 元気良く別れの挨拶をした少女は、公園の出口へと走っていった。一度振り返り、大きく手を振って来たので、操り人形師もまた、手を振り返した。

 少女を見送った操り人形師は小さな舞台を畳み、トランクの鍵をカチリと閉じる。そして、不意にこう呟いた。


「『めでたし、めでたし』」


 操り人形師の夢のような赤髪が、黄昏の最後の光を纏うと、その姿は都会の雑踏へ消えて行った。



END.

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