来訪者
1
待てども木立からは、それ以上誰も出てこない。
やはり男と女の二人きりのようだった。
男は長身のオルテガよりは小さいが、背は高い方であろう。
柔らかそうな金髪が邪魔にならぬよう、黒い紐を額に巻いておさえていた。
先ほどの戦いで見せられた早い動きを活かすためか、軽い革の装備で統一されている。
女のほうはといえば、膝丈ほどの赤いマントが目を引いた。
男と同じ金色の長い髪で、それを額冠で留めていた。
地味目な男と、目立ちたがりな女。
それがひと目見ての印象であった。
村人や街人のような格好ではなく、役人や兵士のようなそれでもない。
警戒すべき、と心がざわついた。
本来ならまず先に窮地を救われた礼を言うべきであろう。
だが……
俺はすっかり忘れていた、かつての自分の名を思い出していた。
フィン・デ・ダナーンという、その名のことを……
不自然な来訪者であっても、その名前に関わることならば納得がいくように思える。
いずれにせよ、答えは俺の中にはない。
「あなた方はこの森へ、いったい何をしに? 魔獣と戦うのが目的ですか?」
「魔獣? ああ、さっきの奴だな。
いや、違うな」
鮮やかに倒していた剣士の方が答えた。
「では道に迷いましたか。ならば外までご案内を——」
「——いや、その必要はない」
かぶせ気味に答えられ、男と俺の間に緊張が走った。
「僕の目的は君だ」
「俺、ですか」
俺は自分の耳を疑った。
魔獣の森に暮らすキランを訪ねるものなどいるはずがない。
それなのに、俺を訪ねて来たと言う。
ならばその目的は『フィン・デ・ダナーン』のみ。
やはり、それしか考えられない。
——ド・フェランの追手……
そうだ、それしかない。俺が目的ならば、殺しにきたか、それとも捕縛か。二つに一つ——
『そなたの存在自体が罪なのだ』
かつて俺に向かって言い放たれたその言葉とともに、忌々しい脂ぎった中年の男が思い浮ぶ。
自分からガルフ川へ飛び込んだと聞いて、念の為に探させていたというのだろうか。
あれから長い時間が経っている。
それでもここまでするというのならば、凄まじい執念だが……
フィンへかけられた追手ならば、それがたとえ命の恩人といえども倒す以外に道はない。
目の前で圧倒的な強さを見せつけられたばかりだとしても、だ。
十中八九、勝てないし、死ぬであろう。
しかし、それでもあきらめるわけにはいかなかった。
俺はいったん収めたはずの剣を抜き放ち、なにも言わず男に向かって構えた。
「待て——」
「——いいじゃない、面白そうよ、シュフォス。
ねぇ、聞いていいかしら。いったいどういうつもりなの、坊や。誰がどう見たって、わたくしたちはあなたの恩人だと思うのだけど」
赤いマントの女が男の言葉を遮り、薄ら笑いを浮かべて問いかけてくる。
切っ尖を男から前に出た女へと移しながら「退がれ。怪しい奴めッ」と声を荒げた。
「ちょっとキラン、どうしたっていうのよ」
騒ぎを聞きつけたか、うしろからティファネの声がした。
——ちょうどいい、ならばはっきりさせてやる——
「ティファ、こいつらは知り合いか?」
「え? 知り合いじゃないね。けど、それがどうかしたの」
「この森で知らない奴がウロウロしているなんてこと、これまでにあったか?」
「それは……」
「では客が来たことは?」
「……ないと思う」
——だよな——と確信を得、俺は再度尋ねた。
「もう一度だけ聞こう。いいか、冗談は抜きだ。
あんたらは何をしに来た? 俺のことを知っている奴は三人しかいないはずなんだ。この森へ何をしに来た? 魔獣と戦うためか?」
「……答える義理はないわね、こーんな恩知らずにッ。
あなたもそう思うでしょ、シュフォス。礼儀のない輩に、ちゃんと礼儀で接する必要があって?」
シュフォスと呼ばれた男は、女の意見に簡単に同意せず、ただ困ったような表情を浮かべた。
「そこを曲げて教えてくれ。納得できる答えならばいくらでも謝罪する。何でもしよう。
重ねて言うが、迷ったなら帰り道の案内もしよう」
男の方がまだ話になるかもしれないと、前に出ていた女を相手にせず、再度奥の男へと投げかけた。
しかし男が口を開くより早く、女はさらに俺の方へと進み出る。
「あいにくとね、案内は必要じゃ無いの。それとも聞いてなかったかしら。あなたに用があるって」
薄い胸を突き出すようにして、俺の言葉を跳ね除ける。
「坊や、あなたって歳に似合わない疑ぐり深さね。よっぽど酷い目を見てきた証拠なのかしらね」
女は不敵に笑い、なおも俺を煽る。
やはり、事情を知っているということに違いない。
知っていてあざけり笑い、遊んでいる。
腹の奥がカッと熱くなり、震えてきた。
「聞きたいんだけど、勝算があって? 目の前で見てたわよね、さっきの戦いぶり。馬鹿でも分かりそうなんだけど」
「……」
「聞いてる?」
「……」
「なによ、もう話をする気も無いってこと?
……そう、つまらないわね、飽きちゃった。あとは任せたわよ、シュフォス」
女は踵を返し、男の肩を叩いて背後へとさがってしまう。
「任せたって、困るよメルヴィ」
「困ることないのよ、坊やが命がけでやりたいっていうんだから、お相手して差し上げればいいじゃない」
「適当に投げるなよ。君のそういうところが——」
「——お説教はやめてッ。するならあっちが先でしょうにッ」
男はため息をつくと、剣の柄に手をやる。
「そういうことだそうだ。
君が引くなら、僕も引くが?」
消された皇太子の偽名放浪〜復讐、いまだ成らず〜 1976 @-gunma-
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