死者の国の彼女

死者の国の彼女

この村は死者の国であり、生きている人間は存在しないということらしい。そしてこの村に迷いこんだ人間は、一年以内に必ず死ぬ。そういうことなのだ。男は思った。僕はなぜ、こんなところに来てしまったのだろう？なぜこんな目に遭わなければならないのだろう？ 男がそう考えているうちに、突然、あたり一面を白い光が包んだ。眩しさに目を細めながら見上げると、空から何かが降ってくるのが見えた。雪である。しかも、ただの雪ではなかった。真っ白な粉砂糖のようなもので、地面に触れるとたちまち溶けてしまうのであった。男は思わず叫んだ。

「おい！助けてくれ！」

だが、それは無駄なことだった。男は地面に膝をついて、降りしきる雪を受け止めようとした。しかしいくら手をかざしたところで、雪の粒は肌に触れたそばから消えていくのである。男は絶望的な気分になった。やがて雪は止み、あたりは静かになった。

すると今度は、遠くの方からかすかな音が響いてくることに気がついた。それは鐘の音である。男は立ち上がった。いったい何事だろうか。村のどこかで火事でもあったのだろうか。それとも、誰かが死んだのだろうか。男は何ごとかと思い、急いで音のする方へと向かった。男は走った。音はだんだん大きくなっていく。そしてとうとう、男は建物の前までやってきた。そこは村長の家であった。家の前には数人の男たちが集まっていて、口々に叫んでいる。

「死んじまった！」

どうやら、村人が一人死んだようだ。僕は尋ねた。

「なあ、いったい誰が死んだんだ？」

一人の男が答えた。

「若い女だよ。名前は知らん。俺たちはみんな、あいつのことを嫌ってた」

「なんで？」

僕は思わず訊き返した。男は吐き捨てるように言う。

「決まってるじゃねえか。あいつは頭がおかしいんだよ。俺たちのことが、まるで化物みたいに見えるらしいぜ」

名前を知られてないのにこんなに嫌われてるなんて。僕は少し同情した。だがその気持ちも一瞬のことだった。すぐにまた別の考えが浮かんできたからである。ああ、そういえば俺も昔、頭の悪いやつには嫌気がさしたことがあったっけ……。

その瞬間、僕の脳裏に次のような映像が浮かんできた。まず最初に見えたのは、女の背中だった。それから、ゆっくりと顔を上げる。その表情を見た瞬間、僕はぞっとした。彼女は笑っていたのだ。唇の端を上げて、こちらを見つめている。僕が呆然としていると、人々の姿が消えていた。そして次の瞬間、目の前にいたのは彼女だった。僕は叫び声を上げた。叫び声を聞いて村人たちが集まってきた。

「おいどうした？どこから来た？大丈夫か？怪我はないのか？」

僕は必死に逃げた。走って、走り続けて、ようやく村から出た。もう誰も追ってきてはいないようだったが、それでもしばらくのあいだ走ることは止めなかった。心臓が激しく鼓動し、全身から汗が噴き出してくる。ようやく立ち止まったとき、僕は激しい後悔に襲われた。俺はいったい、何をやってるんだろうか。あんなのは幻覚だ。それにしたって、あんなのはあんまりじゃないか。僕は頭を振った。そうだ、きっと疲れているせいに違いない。早く家に帰ろう。そして温かい風呂に入って、ぐっすり眠れば、すべて元通りになるはずだ。

僕は家に帰ってすぐに寝た。だが、なかなか眠れない。何度も寝返りを打っているうちに、ふと思った。あれは夢なんかじゃない。現実に起こったことなんだ。だって、あのときの彼女の目つきは忘れられない。あの目は間違いなく、僕を化物扱いしていた。そして、そのあとの出来事はすべて現実のものだった。ということはつまり、やはりあれは本当だったということだ。だとしたら、いったいどういうことなのだろう？なぜ彼女が死ななければならなかったのだろうか。それも、村人たちの見ていないところでひっそりと死んでいくなどという、あまりにも不自然な死に方をしなければならなかったのだろうか。そもそもどうして、あんなところに彼女はいたのだろうか。いろいろと考えているうちに、だんだん不安になってくる。このままではよくないことが起こりそうな予感がする。だが僕は、それ以上考えるのをやめることにした。これ以上考えたら、もっと恐ろしいことになりそうな気がしたからだ。とりあえず今日はもう何も考えずに、ぐっすり眠ることにしよう。そして明日になったら、いつものように仕事に行くんだ。そうすれば、すべてが解決するはずなのだから。

翌朝、目が覚めるとすぐに僕は外に出てみた。村は相変わらず静かで、誰の姿もない。昨日の雪がまだ残っているらしく、地面が白くなっていた。空は晴れ渡っているものの、風が冷たい。僕は上着を着て、出かける準備をした。ふと見ると、部屋に飾られていた絵が一枚なくなっていることに気がつく。確かこの絵は、子供のころに両親からもらったものだ。僕は部屋中を探し回った。だがどこにも見当たらない。仕方なく諦めて、そのまま家を後にする。途中、道端で出会った少年が絵を持っていたらしいことがわかった。

「僕の家に入ったのかい？」

少年の話によると、朝起きてみると部屋の床に置いてあったのだという。にわかには信じがたい話だが、詮索するのはやめて、少年の家の場所を教えてもらい、仕事が終わった後絵を取りに行った。

しかし、そこには絵はなかった。代わりに扉があった。濃い青色で光り輝いていた。僕は不思議に思いながら近づいて、ノックしてみる。返事はない。もう一度叩いてみようとした瞬間、突然、背後から声をかけられた。振り向くと、男が立っていた。男は僕に言った。

「あなたは私の息子です」

「君はいったい何者だい？」

「私はあなたの父親です」

「息子なのか父親なのかはっきりしろ」

「私はあなたの親ですよ」

「だからどっちだよ」

「私の名はイゴール・アーミティジ」

「名前なんて聞いてないよ。それで、君はいったい何してるんだよ？」

「私はあなたの祖父であり、そして父であるのです」

「頭おかしいんじゃないのか？」

「いいえ、おかしくありません」

「君はこの家の者か？この子の家族か？」

僕は絵を持っていた少年を指さした。

「違います」

男は答えた。

「不法侵入か？警察に通報しようか？」

脅すような声色で僕が言うと

「そんなことをしても無駄でしょう」

男は落ち着いた口調で言う。

「なんでさ」

「すでに警察には連絡が行っています」

僕は驚いて男の顔を見た。男は穏やかな表情を浮かべている。

「君は何がしたいのさ？」

僕は男に尋ねた。

「私はただ、あなたに会ってもらいたかっただけなのですよ。私がここにいることを証明してもらうためにね」

「なんのためにだよ？」

「それを話す前に、少し昔話をしましょう。あれは十年前のことでした……」

男が話し出そうとしたとき、不意に後ろのほうから足音が聞こえてきた。振り返ると、いつの間にか一人の女がそこに立っている。女は悲しげな目をこちらに向けている。

「母さん！」

僕は思わず叫んだ。だが次の瞬間、目の前にいたはずの母親の姿はなく、かわりに目の前にいたのは、あの化物のような目つきをした彼女だった。彼女はゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

「あのとき、私は死ぬつもりだったの」

彼女は小さな声でつぶやくように言った。

「なぜ？」

僕は震える声で訊いた。

「村人たちの期待に応えられなかったから。でも、怖かった。自分が死んだら、村人たちはどう思うだろうかと考えると、恐ろしくてたまらなかった。だから、死ねばきっと村人たちも安心してくれるだろうと思って、こっそり家を抜け出した。だけど結局、勇気が出なくて、死のうという決心はつかなかった。その代わりに、あなたに会ったわ。あなたは私を見ても逃げなかったし、私を見ても叫び声を上げなかった。それが嬉しかった。ああ、この人なら大丈夫だと思った。そして、あなたに助けを求めることにした。あなたは助けてくれた。本当にありがとう。お礼を言うのが遅くなってごめんなさい。それから、今まで黙っていて、ごめんなさい。こんなこと、誰にも言えるわけがなかったのよ。だって、あの村人たちの前では、私はあの化物の娘なんだもの。あの村人たちの態度が、すべてを物語っていた。だから、あの村人たちの前だけは、どうしても本当の自分を出すことができなかった。だけど、今こうして、あなたに会うことができた。これでようやく、私は救われたのかもしれない」

彼女はそう言って、僕の手を握った。僕は彼女の手を握り返す。すると、彼女は笑顔を見せた。その瞬間、僕の脳裏に何かが浮かんできた。それは、僕が知らない記憶の断片のようなもので、僕はその光景を見つめていた。どこかで見たことがあるような気がするのだが、思い出せない。僕は必死に考える。そうだ。これは僕が子供の頃の記憶じゃないか。僕はこの場面を知っている。いや、正確にはこのシーンを体験しているのだ。僕は彼女と出会っている。そして、彼女が化物であることも知っている。だが、どうしてだろう。そのことを彼女に告げることができない。なぜかはわからないが、僕はこのことを秘密にしておきたかった。この事実を誰かに伝えることなどできない。僕はこの気持ちがどこから来るのかもわからなかった。だが、僕はこのことについて、これ以上考えないようにしようと決めた。そして、この奇妙な現象について、深く考えないことにした。しばらく二人で話した後、僕は家に帰ることにする。帰り際に、僕たちはもう一度握手を交わした。そして、彼女は僕が見えなくなるまで見送ってくれた。

家に帰ってみると、母親が心配そうな顔をして待っていた。僕が帰ってきたことに気がつくと、母親は駆け寄ってきて抱きしめてくれた。僕は母の胸の中で泣いた。

それからしばらくして、僕はビジネススクールに通い始めた。最初はみんなが遠巻きに見てくるだけだったが、時間が経つにつれて友達と呼べるような存在ができていった。しかし、僕には一つだけ心に引っかかっていることがあった。僕は時々同じ夢を見るようになった。その夢の中に出てくるのは、やはりあの女なのだが、その姿には少しずつ変化が現れ始めていた。初めは、顔の半分だけが黒い影に覆われていたが、徐々に全身を覆うようになっていった。そして、今ではほとんど見えなくなっている。だが、完全に消え去ったわけではないらしい。まだはっきりとではないが、ぼんやりとしたシルエットとして見えることもある。僕はこの夢のことを誰にも言わなかった。ただの夢だと思いたかったからだ。だが、心の奥底ではこの女の正体を知りたいと思っている自分もいて、僕はその葛藤に悩まされることになった。

そんなある日のことだった。いつものように授業が終わった後、僕たちがカフェテリアで雑談をしていると、一人の学生が血相を変えてやってきた。彼は興奮した様子でこう言った。

「大変だ！今すぐ来てみてくれ！」

彼に案内されたところへ行くと、そこには一枚の絵画があった。その絵はまるで、そこに存在しているかのように、壁の一部を占領している。僕は絵に近づいて、よく見てみた。その絵は、大きな湖を描いた風景画だった。だが、僕は不思議に思った。絵の中の湖は、水面が揺れ動いている。僕は他の学生たちと一緒になって、この不思議な現象の原因を探った。すると、どうしたことか、僕は急に眠くなってきた。僕はその場に座り込んでしまう。

目が覚めると、僕はベッドの上に横になっていた。時計を見ると、すでに夜中の三時になっている。僕は起き上がって部屋を出た。廊下に出ると、なぜか家の中が静まり返っていることに気づく。僕は不審に思って、母親の部屋に行こうとする。だが、途中で立ち止まって考えた。さっき見た夢のことが頭に浮かんだからだった。僕はそのことについて、もう少し考えてみたいと思った。だから、僕は自分の部屋のほうへ戻っていった。

翌朝、僕は学校に行って絵画を見てみる。今日は水面の波紋が大きくなっているようだ。それをじっと見つめていると、声が聞こえてきた。その声はあの化け物のような目つきの彼女だった。

「助けて……」

僕は怖くなったが、なぜか逃げようとは思わなかった。むしろ、もっとそばに近寄りたいという衝動すら覚えた。僕は恐るおそる絵画に近づいた。すると、また彼女の声が聞こえた。

「助けてください……私を助けてください……」

次の瞬間、僕は目を開けていられないほどの眩しい光に包まれた。

気がつくと、そこはあの真っ白な空間だった。僕はあたりを見回す。誰もいない。僕一人だけだ。ふと気づくと、目の前の床に何かが落ちていた。それは一冊の本だった。表紙には『The Book』と書かれている。僕はその本を拾い上げて、ページを開いてみた。だが、何も書かれていない。白紙の状態だった。僕は首を傾げながらその本を閉じた。すると、再び彼女の声が響いてくる。

「お願いです。どうか、私を見つけ出してください」

そう言うと、僕の意識は再び遠くなっていった。気がつくと、僕は白い部屋にいた。周りを見渡すと、昨日と同じように、あの絵画が飾られている。僕はその前に立って、じっとその絵を見つめた。だが、何の変化も見られない。僕はしばらく待ったが、結局何も起こらなかった。僕はあきらめてその場を離れようとした。その時、突然視界が暗転し、僕は暗闇の中に放り出された。しばらく呆然としていたが、やがて我に返り、必死になって手足を動かそうとする。しかし、うまく動かない。僕は焦っていた。早くここから出なければと思うのだが、どうしても抜け出すことができない。次第に息苦しくなり、体中に痛みが走り始める。僕は必死に叫んだ。だが、誰にも届かない。僕はだんだん絶望的な気持ちになっていく。もうだめだ。僕はこのまま死んでしまうのか。そんなことを思い始めた頃、どこかからかすかに音が聞こえてきた。それはピアノの音だった。誰かが演奏しているのだ。いったい誰が弾いているのだろう？僕は耳を澄ませた。そして気づいた。これは、あの女の人の声じゃないか……。僕は急いで音のする方へと向かっていく。すると、そこには大きな扉があった。僕は力いっぱい押してみる。しかし、びくともしない。仕方なく別の方法を試してみることにする。僕はそのドアノブに手をかけて回そうとした。しかし、これもダメらしい。僕は諦めかけた。でも、まだ希望を捨ててはいけないと思い直す。僕は大きく深呼吸をして、精神統一をした。そして、全身の力を込めて、一気にドアノブを引っ張った。

「バタンッ！」という音とともに、勢いよく扉が開く。その向こうには広いホールが広がっていた。僕はその光景に見とれてしまう。そのホールには、無数の絵がかけられていた。そして、その絵に描かれているのはすべて女の姿なのだ。その絵はどれも、顔の部分が黒く塗りつぶされているので、はっきりと見ることはできないが、それでもその女の顔つきはわかった。彼女は皆、一様に美しい顔をしていた。僕はその絵を見ているうちに、不思議な感覚に囚われていった。まるで自分がその中に取り込まれていくような感じだ。だが、恐怖感はない。むしろ心地よいくらいだった。僕たちはしばらくの間、その絵の前に立ち尽くした。

しばらくすると、遠くから彼女が僕の目の前に現れた。

「お久しぶりです」

「助けてってどういうこと？」

「そのままの意味です。私はあなたに助けてもらいたいのです」

「どうして？」

「理由は言えません。ただ、私の命があと少ししか残っていないことは確かです。だから、それまでの間でいいんです。私と一緒に暮らしてくれませんか？もちろん、タダとは言いません。それなりの報酬は約束しますよ。それに、あなたの欲しいものも差し上げます。だから、お願いです。私と一緒に暮らしていただけないでしょうか？」

僕は戸惑った。彼女は死んだはずではなかったのか？でも、妙に彼女に心を惹かれた。だからOKを出した。

その後、彼女と少しの間一緒に暮らすことになった。といっても、特に変わったことはない。僕は彼女の身の回りのお世話をしたり、話し相手になったりしているだけだ。彼女はいつもベッドの上で本を読んでいる。僕が話しかけると返事はしてくれるが、自分からは話そうとはしなかった。それから数日が経った。

「これでお別れです」

彼女がそう言うと、あたりにまばゆい光が放たれ、彼女は消えてしまった。