わたしの愛するアイドルは、恋をしない

藤崎珠里

1

西城戸にしきどって、アイドルだったんだな」


 なんとなくただ言ってみた、という感じで話しかけられたのが、クラスメイトの桐田きりたくんとの一番初めの会話。

 高一の終わりごろのことだった。


 わたし、西城戸こころ――本名西城戸はーとは、アイドルである。

 テレビで活躍するようなアイドルではなかったけれど、どうにかこうにかメジャーデビューだって果たしていた。

 学校ではわりと有名だと思っていただけに、この時期にこう言われるのは少しびっくりだった。


「サインってもらえたりすんの?」

「……え、欲しいの?」


 きょとんとしたわたしに、桐田くんは大真面目な顔でうなずいた。


「うん。西城戸がアイドルなら、絶対いつか日本一になると思うから」

「……なにそれ」

「だってビジュアルめちゃくちゃいいし、歌だって最高に上手いし、運動神経いいからダンスも上手いだろうし、人のことよく見てるからファンサービスも手厚そうだし。おまけに努力家。日本一にならなきゃおかしいだろ」


 涼しい顔でとんでもないことを言う子だな、と思った。人のことをよく見ているのはそっちのほうじゃないだろうか。

 赤くなってしまった頬に気づかれないよう、わたしはうつむきながらサインを書いたのだった。用意のいいことに、彼はサイン色紙を持ってきていた。



 彼はその次のライブにしれっと参加して、しれっとわたしと握手をして、しれっとわたしとチェキ――その場でプリントできる写真――を撮った。

 それからも時々、わたしの担当カラーの服を着てライブに来てくれた。握手会やチェキ会にも参加してくれた。


「これからも応援してます」


 彼は毎回、その一言だけ言う。わたしの目を真っ直ぐに見て、力強い声で。

 それからちょっと照れくさそうに、小さく微笑んでくれるのだ。


 普段の桐田くんは、楽しいことなんて何もありませんよ、なんにも興味ありませんよ、という顔をしている男の子だ。同じ教室にいて、笑顔を見たことがない。


 そんな男の子に、こんな応援をされたら。

 こんな笑顔を向けられたら。

 


 ――恋に、落とされてしまう。




「桐田くんがもっと学校でも笑ってくれてたらよかったのに……」

「いきなりなんの話?」


 幸か不幸か、桐田くんとわたしは二年生になっても同じクラスになってしまった。しかも今は隣の席。

 休み時間に唐突にぼやいたわたしに、桐田くんは怪訝そうに眉にしわを寄せている。


「いや……変なこと言っちゃってごめんね。学校とで、桐田くんはずいぶん違うよなぁっていうお話です」

「楽しいときとそうじゃないときじゃ、全然違って当然だろ。今俺にとって楽しいのは、こ……西城戸の応援してるときだけだから。これからも応援してる」

「……ありがとう」


 そんなこと言われたらときめいてしまうからやめてほしい。というか、嬉しくて泣きそうになる。

 そう思いつつ、顔には出さない。

 わたしはひっじょうに必死に、恋心を隠し続けているのだった。

 だって、だめだもの。わたしの所属グループは別に恋愛禁止とは言われていないけど、わたしの愛する『アイドル』は恋をしない。


 アイドルは、きらきらした、みんなに夢を与える存在。

 見ているだけでときめいて、歌を聴けば胸が苦しくなって、踊りを見れば全力の声援を上げたくなって、頑張っている姿に勇気をもらえる。ライブなんて行ってしまったら、脳が焼き切れそうになるくらい、彼女たちのことしか考えられなくなる。


 わたしが憧れたアイドルとは、そういう存在だった。


 中一のときにアイドルに出会うまで、わたしには面白いと感じるものが何もなかった。

 だけど、人と違うのは、怖いから。周りに合わせて、それなりにいろいろと楽しんでいるふりをしていた。

 そんなときに、友人に誘われてアイドルのライブを観にいったのだ。



 ――初めて世界に色がついた気がした。

 夢の塊みたいなひとたちが、舞台の上で歌って踊っていた。



 アイドルはわたしに、夢を、生きる希望を与えてくれた。

 昔のわたしみたいなだれかに夢を与えたくて、わたしはアイドルになった。


 ファンが夢から覚めるのは自由だ。

 だけど、アイドル自らがその夢を壊してはいけないと思う。アイドルからもらったときめきを、勇気を、後悔する人が生まれるかもしれないなんて、わたしには許せない。

 他のだれにも押し付ける気はないけれど、わたし自身には押し付けた。


 だからこれは――だれにも言えない恋だった。

 もう落ちてしまったものはどうしようもない。その代わりに、せめて一生秘密にしなければいけない。

 恋心をひっそりと胸にしまって、今日も明日もそれから先も、わたしはアイドルをやる。



「……そういえば桐田くんって、アイドルとしてのわたしのことはどう呼んでるの?」


 気のせいじゃなければさっき、わたしのことを「こ……」と呼びかけたような。

 ファンには『こころん』と呼ばれることが多いけど、桐田くんにもそう呼ばれているんだろうか。


 桐田くんは無言で視線をそらした。その横顔をじっ、と見つめる。

 意外と、と言うと失礼だけど、桐田くんの顔は整っている。それでも女の子に人気がないのは、やっぱり態度や表情のせいだろう。

 しばらく無言が続く。……答えにくい質問しちゃったかな。

 気になるけど、無理強いはよくない。しょんぼりと質問を取り下げようとしたとき、ぼそ、と桐田くんが言った。


「……こころちゃん」

「えっかわいい」

「よな? こころんよりもシンプルなほうが絶対似合うしかわいいと思うんだよ」


 どことなく自慢げな顔をする桐田くん。呼び方も、その理由も、表情だって全部かわいい。

 とはいえ、『かわいい』の意味を桐田くんが勘違いしてくれていたほうが都合がいいので、わたしはなんにも言わなかった。


 恋心を隠し通すのなら、本当は桐田くんと一言も話さないほうがいいのかもしれない。

 でもそれは、桐田くんだけを悪い意味で特別扱いすることになる。遠方に住んでいるファンならともかく、普通にクラスメイトなんだから、話さないとおかしいだろう。


 だからわたしは、他のクラスメイトと同じように彼に接する。


「今度、わたしがセンターで歌えたときにでも、こころちゃんって呼んでくれない? とびっきりのレスあげるから」


 ライブ中、名前を呼ばれたことに気づいたら、絶対にレス――手を振るとか指を差すとか、そういうのをするようにしている。

 だからこれは、別に特別扱いではない。……はず。


「……が、学校でそういうこと言うのやめてほしい」

「あっ、そうだよね。ごめん、気をつけるね」


 いや、うん……となんとなく気まずそうに視線を泳がせた桐田くんは、ちらり、とわたしを見た。


「……ちなみにとびっきりのレスって?」

「えっと……指差しウインクとか」

「こころちゃんウインクできないって言ってたじゃん」

「こういうときのために練習したんです。見ててよ、綺麗に決めてみせるから」


 ふいうちのこころちゃん呼びやめてください、きゅんとしちゃうから!

 平然と言えてただろうか。顔、赤くなってないかな。


「……俺がどこにいるかとか、ステージからじゃわかんないだろ」

「意外とみんなの顔見えるよ? 武道館だとさすがにわかんないかもしれないけど」

「武道館」

「絶対行くから、待っててね」

「無理。いや無理じゃないなんでもない、ありがとう」

「うん……? うん」


 桐田くんは深く深くため息をついて、もう一度「ありがとう……」とつぶやいた。


「どういたしまして?」

「待ってる」

「うん、ついてきてくれると嬉しいな」

「一生ついてく」

「ふふ、ありがとう。一生よろしくね」

「あーやっぱ無理学校でこういうのマジで無理だ……早退しよっかな……」

「理由なくサボったら、レスはなしね」

「めちゃくちゃ真面目にやるわ」


 切り替えの速さにくすくすと笑ってしまう。

 桐田くんって、ほんとに西城戸こころが好きだよなぁ。



     * * *



 さすがに翌年はクラスが離れてしまったけど、桐田くんは相変わらずライブに来てくれた。最前列にいるときにこころちゃんと呼んでくれたので、約束どおりとっておきの指差しウインクを決めたら崩れ落ちていた。

 学校で話すことは少なくなったけど、変に特別扱いをしないように気をつけて――気をつけて、気をつけて。



 恋心を隠すことにもとっくに慣れきった、卒業式の日。


 桐田くんに告白された。



「こころちゃんじゃなくて、西城戸として聞いてほしいんだけど」


 そんな前置きで、彼はいつもみたいに真っ直ぐわたしを見てきた。


「俺、西城戸のこと好きだよ」

「……そうかもな、って思ってた」

「やっぱ?」

「だって桐田くん、わたしと話してるときだけ明らかに楽しそうだもの」


 最初はふつうに、ファンだからだと思っていた。

 だけど、西城戸こころを見る目とわたしを見る目が全然違うのだ。こころを見る目は純粋な憧れというか……わたしが他のアイドルを応援するときの目と、たぶん同じ。

 一方で、わたしを見る目はもっといろんな、複雑な感情がこめられていた。


「正直、こころちゃんにガチ恋してんのか、西城戸のことが好きなのかしばらくよくわかんなかったんだよ。でも、こう……違うんだよな。こころちゃんのこと考えたときと、西城戸のこと考えたときの気持ちがさ」

「……うん」

「こころちゃんは俺にとって、神様とか天使みたいな存在なんだよ。見てるだけで幸せになれて、それだけで満足。でも西城戸には……あー……」


 ためらって、少し恥ずかしそうに続ける。


「こっち、見ててほしいって思う。……俺の隣で、もっと笑ってほしい」

「そ、そう、なんだ」


 さすがに、顔が熱くなるのを抑えられなかった。……でもこれだけじゃわたしの気持ちはバレない、大丈夫。


「アイドルとして応援してるのは本当だから、付き合いたいわけじゃない。ただ伝えたかっただけなんだ。困らせてごめんな」


 悲しそうでも、苦しそうでもない笑顔だった。

 本当に、ただ伝えたかっただけなんだろう。たぶん、返事なんてものは最初から求められていない。


 だけど。



「……わたしのほうが、ごめん!」



 彼には、わたしの覚悟を聞いてほしかった。

 きちんとした返事ができない代わりに、せめて。



「わたし、おばあちゃんになるまでアイドルやってたいから! さすがにそろそろきついって……とか言われても、一人でも可愛いって言ってくれる人がいる限り、アイドルでいるから!」


 桐田くんは、目を丸くしてわたしの言葉を聞いている。


「だからわたし、恋愛はしない。そう決めたの。……決めた、けど……」


 実行できていないのは確かだから、口ごもってしまう。


 桐田くんを見る。好きだな、と思ってしまう。

 だめ。がんばれわたし。最後まで隠し通せ。


「……ファンの夢を、壊したくない。絶対に」


 好きな人の気持ちに応えられなくても、アイドルをやらなきゃよかった、なんて後悔は一切なかった。

 わたしはそんな人間なのだ。


「だから桐田くんには、わたしのことなんか忘れて、西城戸こころのことだけ応援してほしい」


 好きな人に、好きだと言ってくれる人に、こんな残酷なことを言ってしまう人間だ。


 だけど桐田くんは、傷ついた顔なんてしなかった。ふっと、まぶしいものでも見るように目を細める。


「西城戸、俺がいる限りずっとこころちゃんでいるんじゃん」


 ……それって、わたしのこと一生可愛いって言ってくれる、ってことなのかな。

 相変わらず涼しい顔でとんでもないことを言う子だった。


「西城戸のこと忘れるのは無理だけど、こころちゃんのことはずっと応援するよ。――それはそれとして」


 声音が少し変わる。


「全然振られた気がしないんだけど」

「きっ……気のせい!」


 応援してくれるって言うならそこは突っ込まないでよ!

 桐田くんは「考えてみれば……」と謎を暴く名探偵みたいに言葉を続ける。


「今の理論だと西城戸が俺のこと好きかどうか全然関係ないんだよな」

「ただわたしの覚悟を話しただけだし」

「うん。で、途中でちょっと口ごもってた。決めたけど……って言って、俺のこと見た」

「桐田くんと話してるんだから、そりゃあ桐田くんを見るよ」

「ファンを見る目でも、友達見る目でもないように見えた」

「気のせい」

「ごめんって謝ったのはなんで? ただの覚悟の話なら、謝る必要なんてないだろ」


 なんでわたし、こんなに追い詰められなきゃいけないんだろう。泣きたくなってきた。

 わたしの限界を察してか、「……まあいいけど」と桐田くんの追及がようやく終わった。

 ほっとする間もなく、桐田くんは驚愕の言葉を発する。


「とりあえず西城戸。大学でもよろしくな」

「……え?」


 ぽかんと口を開いてしまう。


 そう、わたしはアイドルのまま大学に進学する。

 学べば学ぶほど、当然知識は深まる。学んだことを上手く利用したら、もっと面白い話ができるようになるかもしれないし、効率よく体を鍛えたり、健康な体でいるための食事を考えたりできるようになる。


 全部、アイドルでいるためだ。

 もっときらきらしたアイドルになるために、わたしは大学に行く。


「わざとじゃないにしてもストーカーみたいな感じして嫌だから言ってなかったんだけど、俺も同じ大学行くんだよ」


 ――だけどそこに桐田くんもいるとか聞いてない!!


 恋心を綺麗な思い出にする準備は万端だったのに! まだ隠し続けなきゃいけないんだ……。

 呆然とするわたしに、桐田くんはそのままどんどん続けていく。


「俺、好きな奴にはどんどん好きって言いたいタイプみたいでさ。振られたわけじゃないんなら、今後も好きとか可愛いとか言ってもいい? 絶対周りに人がいるときには言わないから」

「そ、そういう問題じゃないと思う」

「そう? でも西城戸、決めたことはやり遂げる奴だし……俺の告白くらいじゃ、揺らいだりしないだろ。というか、揺らがないで、一生西城戸こころでいてくれよ」


 真っ直ぐな目だった。うまく言葉にできないけど、いつも以上に真っ直ぐだった。

 向けられた信頼と愛に、震えそうになる。

 怖いわけではない。心が燃えるように熱かった。心臓が、どきどきと、大きな音を立てる。



 ――ああ、そうだ。この感覚。


 と、ほんのちょっとだけ似てる。



「……っていうのはさすがにわがまますぎるか? 迷惑?」

「迷惑なんかじゃない」


 気づけば、きっぱりとそう言い切っていた。


「その勝負、受けて立つ」

「は、いや勝負ってわけじゃ」

「勝負だよ。絶対わたしが勝つけど」


 なぜならわたしは、アイドルを愛してるから。好きな人から告白されるくらいで揺らいでいられない。

 わたしの決意に、桐田くんは呆気に取られたような顔をしていた。……これは初めて見る表情かも。

 ついまじまじと観察していると、桐田くんの口が笑みを描く。


「何事にも全力なとこ、好きだよ」

「……っ全力で立ち向かわなきゃいけないものばっかりなので!」


 揺らぎはしない、けど。……ときめきはしてしまうから、本当に全力で立ち向かわなければいけなかった。

 絶対に負けられない。


 ――わたしと桐田くんの愛するアイドルは、恋をしないんだから!



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わたしの愛するアイドルは、恋をしない 藤崎珠里 @shuri_sakihata

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