二月の零れ桜
小倉さつき
はなこぼれる
桜の花びらが、散っていた。
あまりの異様さに、俺はその樹の前で足を止めてしまった。
今は二月の終わり間近、春の暦に移ろうとしている時期だ。今俺がいるのは近所の公園。ここ数ヵ月は雪景色が目立っていたが、ようやくちらほらと緑色が視界に入るようになった頃合いだ。
それなのに、この桜はすでに咲いているどころか、散り様を見せているではないか。
桜はその年の気候によって開花時期が変動すると聞いたことがあるが、あまりにも不可思議な景色だった。
何せ、周りにも植えられている大樹たちは皆一様に蕾のままなのだから。
「……?」
首をかしげ、桜を見上げる。
もしかしたら、似たような別の花かもしれない。梅か、桃か、あるいは別の花か。自分は花の種類には疎いせいで、勝手に桜だと思い込んでいるだけかもしれない。
そう考えた俺は、地面に落ちた花びらを拾ってみた。うっすらと桃色の混じる白い色、ふっくらとした形の頂点にある、特徴的な切り込み。
間違いなく、桜の花だ。
「うーん……」
俺は花びらを手で弄びながら呟く。狂い咲き、なんて言葉もあるが、それとは違う、異様な光景。
「せっかちな奴だなあ」
真っ先に出てきたのは、そんな言葉。
まだ桜の見頃には早すぎる。もったいない。
奇妙だとか不気味だとか、そんな感情よりも、平凡な感想が浮かんでしまう。
「貴方、今、せっかちな樹だなあ、って思ったでしょう」
「うわ!」
突然背後から声をかけられ、俺はびくりと肩を震わせ振り向く。いつの間にか、俺の後ろには女性が立っていたのだ。薄桃色の和服のよく似合う顔立ちに、意地の悪そうな笑みを浮かべている。
「ええ、ええ、早すぎるわよねえ。貴方の言う通りだわ」
彼女は後ずさりをする俺と、俺が摘まんだままにしている桜の花びらを見比べながら言う。
「でもね、こうして一本だけ先回りして咲けば、目立って皆が興味を持って見てくれるでしょう?」
ここの公園は人が少ないんだもの、と彼女は続けて呟く。確かに、この公園は人通りが少ない。土地自体は広めではあるが、辺鄙なところにあるため、普段は俺のような近所の住人しかいない。
けれど桜の時期になれば別だ。写真映えする隠れスポットとして巷で評判があるとかで、ここ数年は春になると花見客で賑わう。
だから、もう少し待てば、よりちやほやされるだろうに。
「あら、嫌よ。他の子と一緒くたにされるなんてつまらないもの」
俺の心を読んだように、女性はきっぱりと言い切った。その顔は少し不満げだ。
「他の子…って、他の樹と、ってこと……ですか?」
「そうよ。同じ桜だからって、ただただ写真に映るだけで終わらせたくないのよ。
――だって、ちゃんと『わたし』って個性を知って、見惚れさせたいじゃない」
うふふ、と笑う彼女の長い黒髪が、風に揺られる。それはなぜだか桜の花びらを思わせた。
舞い散る桜と相まって、その姿はとても幻想的で。
目が離せなくなるほどに、美しかった。
何もしゃべらなくなった俺を見て、彼女は悪戯っ子のように楽しげに微笑んだ。
「今日はこの樹を見てくれてありがとう。
よかったら、他の子が咲く頃にまた来てね」
そうして彼女はまたね、と手を振る。
俺は、夢心地のまま、彼女が促すまま、公園を後にした。
***
そして春、桜の季節。
あの時の彼女の言葉通り、俺は再び例の公園へやってきていた。
公園にはたくさんの花見客が訪れていた。満開の桜や、そよ風に舞い散る花びらを背景に写真を撮っているようで、あちらこちらからシャッター音が聞こえていた。
そんな満開の桜並木の中、一本だけ緑の葉を鮮やかに揺らしている樹があった。
「なんであの樹だけ葉桜なんだろ?」
「ねー。不思議」
制服を着た二人組の女子学生が、スマホを片手に話している。周りの観光客も、桃色に混じる緑の葉を不思議そうに視線を向けている。
そんな中、女子学生が言う。
「でも、これはこれで綺麗だよね」
「わかるわかる。なんか、神秘的~っていうか、逆に花が引き立ててるって感じするー!」
そして、女子学生たちはスマホで葉桜を撮り始めた。それにつられるように、他の観光客も緑の桜の樹を写真に修め始める。
あっという間に、葉桜の周りには人が集まっていた。
――よかったな、花が無くても注目されてるぞ。
ここには居ない、けれどきっと今どこかで視ているであろう彼女へ呼びかける。
それに応えるように、樹は豊かな桜の葉を誇らしげに風に揺らした。
二月の零れ桜 小倉さつき @oguramame
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