第4話:善とは(前編)







「君が人間をどう見ているか、そのことについて非常に興味がある。どうか聞かせてはくれないか。」




彼が放ったのは、突拍子もないといえば突拍子もない、しかし、ある意味で彼らしい言葉だった。


こんな人間の中身を深く知ろうとするなんて、よほどの物好きか変人としか思えない。あるいは狂気の類ですらあるだろう。


私は、めいっぱい抗議の視線を送ってやった。

しかし彼は、臆することなくその視線を真前から受け止め、フッと口角をわずかに上げたのだ。


ああ、これはダメな種族だ。こちらが嫌がれば嫌がるほど唆るという、いわゆる「ドS」。私の悪人っぷりも相当だが、この男もなかなかだな。ここは正直に答えるふりをして、適当に流すのが得策だろう。


「わかりました、教えますよ。」


そう言ってやると、彼は嬉々として正座した。その時の彼の満面の笑みほど気味の悪いものは、正直見たことがなかった。


「私は生まれつき、こういう性分なんですよ。他人から良くされると、無性に腹が立つんです。なんか、ナメられてる気がして。お前に手伝ってもらわなくたって、私一人でもできるぞ、って感じで。」


「ほう。」


「それに、女に近寄る男なんて大抵下心ありきじゃないですか。それをどうやって信頼しろっていうんですか。女なりの処世術ですよ。」


「ほほう。」


そこまで聞いて、彼は満足したようにコクコクと頷いた。そして、ニッコリ笑って尋ねたのだ。


「なるほどね。じゃ、そろそろ本当のことを言おうか。」


私は、ゾッとした。震えそうなほどの寒気が、一気に全身を覆うのが分かった。


どうして分かったのかは分からない。だが、態度も自然だったし、理屈も通ってるはずだ。

これは以前、転んだところを助けられた時に相手を睨んでしまい、母にそのことを問い詰められて出した言い訳だった。その時は母も少し怒りはしたものの納得はしていたから、嘘であることはバレていないはずだ。


...なのに、なぜ。


そして林田は、私に容赦ない追撃を喰らわしてきた。


「言いたくないなら言わなくてもいいさ。...だが、もし打ち明けられるようになったら、その時は聞かせてくれないか。」


病院であれだけ言ったのに、まだ優しい人間を演じるか。私はいよいよバカバカしくなって、席を立とうとした。

しかしその時、ふと、病院での会話を思い出した。




『この世の善は全て偽善。俺はそう思ってるよ。今の俺の状況も含めて、ね。』




彼はそう言っていた。

...今の自分の状況。つまり、私に愛想を振りまいている今この瞬間さえも、彼はそれを偽善だと認識したうえで行っているということだろうか。


私は立ち上がりかけた足を少し元に戻して、今にも消えそうな声量で彼に問うた。


「...貴方は、どうしてですか。」


すると彼は、意地悪げな笑みと共に、


「おいおい、それじゃ分からんでしょうよ。文法。SVOC習わなかった?さっきのじゃSしかないぜ?」


「ぐ...。」


やはりこの男、ドSだ。私は観念して、はっきりと声に出して告げた。


「貴方はこの前、この世の善は全て偽善だと言っていました。私の事情ことが聞きたければ、まず貴方の事情ことから話すのが礼儀ではないですか。」


すると彼は、一瞬キョトンとしたような表情を浮かべた後、照れたように顔を赤くしながら言った。


「いやぁ、こりゃ失礼。気味の考えに興味が湧きすぎて忘れてたよ。」


「えぇ...。」


私のため息の後、彼は一息置いて話し始めた。


「俺はねぇ、お節介な人間なのよ。」


「はい、存じてます。」


「他人を助けると、褒めてもらえた。喜んでもらえた。俺はその瞬間がこの世で一番心地よかった。俺を良い子だとほめそやす近所の年寄りとか、助かったと言ってくれる同級生たちが、俺の存在意義だった。」


いきなり悦に浸って詩のような口調で自分語りを始めた林田にイラッときつつも、これも彼の考えを聞くためだと自分に言い聞かせて耐えた。


「...だけど、そんなもんはただのエゴだったって思い知らされた。」


そう言うと、彼は少し顔を暗くした。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





「お帰りなさい、静。ちゃんとお礼は言えた?」


「...ただいま。まぁ、うん。」


「おかえりー...、うわっ!?ねーちゃん、死にそうな顔してんぞ。」


「...暑かったからね。汗かいたからシャワー浴びてくる。」



家に着くなり、粗相がなかったか心配した母と、引きこもりの遠出帰りを見物に来た弟が寄ってくる。

私は、母と弟に適当に返事をすると、手早くシャワーで汗を流して部屋着に着替え、自室のベッドに倒れ込んだ。


「....何だったんだろう。あの男。」


私は、ベッドの隅でグチャグチャになっていたタオルケットをかけ、冷房をつけると、ふうっと一つ息を吐いて目を閉じた。


真っ暗な中に思い浮かぶのは、初めて見た少し暗い顔で、ありし日のことを口にする彼の姿だった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

偽善人 モノサイト @miranga1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ