さらば、男よ

企画が終わっても茶番をやめられない男

 人々を苦しめた猛烈な暑さが過ぎ去り、思い出を8月に置いてきた頃。

 数多のWeb小説投稿者達が暮らすカクヨムの町には、今日も穏やかな時間が流れていた。


 白い建物と建物の間には無数のロープや物干し竿が架けられ、人々をジットリ汗ばませる太陽光が、色とりどりの洗濯物を照らしている。

 シャツやズボンに下着、バスタオルやシーツ、美少女アニメキャラの抱き枕カバー。それらが快晴の空の下、そよ風にヒラヒラはためく。


 その洗濯物達の下で――4歳の男子と5歳の女児が、しゃがみ込んでいた。


 真っ白な壁や屋根の家々が並ぶ住宅地にて、坂道の途中、黒や赤色のクレヨンを片手に握っている。

 しかし地面に書き込んでいるのは、動物やお花の絵ではない。

 子供らしいお絵描きはせず、小説の設計図プロットを書き込んでいるのだった。


「……感想書くマンに『もっと背景描写を詳細に書き込んでください』って、偉そうにケチ付けられたからさ。次はアッと驚く風景描写や演出にして、アイツを見返してやるんだ!」


「私はベタ褒めされたから、フォロワー数も星の数も爆増した状態で完結できたの! この勢いに乗って、すぐに次の新作を書かなきゃ……!」


 少年少女が話題にしているのは、数週間前に出会ったボロ雑巾のような男について。

 最初こそ怪しい不審者だと思ったが、彼は確かに二人の投稿小説を最後まで読み、キチンと感想を書いてくれた。


 その後、感想を付けられた作品の末路はそれぞれだ。

 相変わらず数字が伸びないと感じている少年もいれば、人気が増えて喜ぶ少女もいる。


 そうしてそれぞれ、自分の作品を更に面白く、より多くの読者に楽しんで貰えるよう、アイデアを練っていると――。



「――おわわわわわわ!!!」



 真っ白な階段を駆け下り、広い坂道へと躍り出て。

 二人の子供達が遊んでいる場所に、くだんの男が姿を現した。


「あ、オジサン!」


「感想企画は終わったの? オジサーン」


「28歳は『オジサン』じゃなくて『お兄さん』だクソガ……じゃなくて! それより!! 逃げろ!!!」


「「?」」


 鬼気迫る男の様子に、二人は疑問符を浮かべる。

 男は古びた茶色いコートをその身にまとい、目深に被ったフードのせいで、顔まではよく見えない。

 しかし酷く焦り、呼吸を乱しながら走り、何かに怯えている様子だけは伝わってくる。


 その理由は、すぐに理解できた。


 少年少女の方へと全速力で走ってくる、ただ一人の男。

 そんな彼の背後から、血走った目で何十人と押し寄せる――大勢の飢え渇いている群衆カクヨムユーザーの姿を視界に捉えると、即座に『緊急事態』であると察した。


「ガァァァアアアアアッ!!!」

「ヴェアアアアァァァァァ!!」

「フジュルルルルルルッ!!!!」


「やべやべやべやべやべ!! 逃げろ逃げろキッズ達!!!」


「「あわわわわわーーーっ!!?」」


 ゾンビのように血色が悪く、全身が黒紫色に変色しているカクヨムユーザー達。

 その集団の先頭に立って、まるで誘導しているかのような――実際は全力で逃げているだけの――男は、人攫いもという動きで、坂道の途中にいた少年と少女の身体を軽々と抱え上げた。

 少年を左肩に担ぎ上げ、少女は右腕で小脇に抱え。坂道を下り、白い外壁カクヨムの町を、右へ左へと駆けていく。


 だが逃げる三人を――いや、ボロボロのコートを着る男だけは絶対に捕まえようと、カクヨムユーザー達は雪崩や濁流を思わせる勢いで、ゾンビ映画さながらに押し寄せてきた。


「ァ゛ァアアアアアッ!! シノ゛ンざん゛ンンンンン!!!!」

「私の異世界チートハーレム作品も読んでクダザイィィィ゛イイイイイッッ!!!」

「20万文字作品デスゥゥウウウウウ!! 更新してたら30万文字になったけどォオオオ!!!」


 地の底で蠢く亡者の如き声。あるいは、過酷な環境で虐げられる奴隷の嘆き。

 腹の奥までビリビリ響いて、原初的な恐怖を煽る絶叫が、町中に響き渡る。

 怨嗟の声にも似た叫びに、少年と少女の表情までもが彼らと似た色へ青ざめていく。


「オジサ……お兄さん! 何なのアイツら!?」


「全身が黒や紫に変色して、なのに目だけが真っ赤に光ってギラギラしているわ!」


「ありゃあ『ルサンチマン』ってやつだ! 感想や評価やPV数を何よりも追い求めてしまう、作家なら誰しもが持っている欲求・願望・あるいは嫉妬心や劣等感! その感情が実体化して、俺の開催した企画に殺到したんだ!!」


 フードで視界を制限される中、男は二人の子供を担いだまま、カクヨムの町を迷うことなく走り続ける。まるで、土地勘だった。


 そんな彼は、最初4月はこのカクヨムの町の道端で、「読みますよー、感想付けますよー」と募集しているだけだった。

 しかし小汚い格好の男を不審に思ったのか、町人達は誰も依頼しようとはしなかった。いたとしても、せいぜい10人程度。

 そこで男は町の掲示板Twitterに「この募集をRTしてくれた人達の作品は、全部読んで全部レビューします☆」というチラシを軽い気持ちで貼り出したところ――最終的に100人も押し寄せてきた。


 そして今に至るわけである。


「てか、逃げるのかよ感想書くマン!」


「全員の作品にレビューするんじゃなかったの!?」


「……お前達に『逃げろ』とは言ったが、『俺も一緒に逃げる』とは言ってねぇだろ……!」


 町中を駆け回った男は――頭上で洗濯物が干されている、狭い路地へと入る。

 しかし、そこは行き止まりだった。進行方向真正面には白い建物、左右は壁。完全に袋小路だ。


「あっ! どうしてコッチに曲がったんだよ感想書くマン!」


「もう逃げられないわ!」


「………………」


 絶望の顔を浮かべる少年少女。そんな二人を、優しく下ろし。

 男はルサンチマン達の方を向き、子供達を背で庇うようにして立つ。


「ガァァァ……ッ!」

「読んでぇ……。読んでェェェ……!!」

「誰デモ良イカラ……! ――読ンデ、感想ヲクレェェェエエエッ!!!」


 狭い路地のせいでつっかえ・・・・つつも、飢えた亡者達が腕を伸ばし、足を止めた三人へと迫りくる。


「も、もうダメだ……!」


「私達、ここで終わっちゃうの……?」


 ――瞬間。


 男の姿が、路地裏から消えた。


「!?」


「えっ!?」


 しかしそれは『錯覚』だった。瞬間移動したわけでも、透明人間になったわけでもない。

 古びた茶色いコートを着た男の背中を、少年と少女は後ろから見つめていたため、そう断言できる。


 男は瞬時に深く腰を落として大きく踏み込み、ルサンチマンの視界の『外』に移動しただけだった。

 そして真下から打ち上がる、抉り込むような渾身のアッパーカット。

 空気を切り裂く「ヒュッ」という音を亡者ルサンチマンが認識した、刹那の後。


 亡者の顎は砕け、血走った眼球は天を向いた。


「ガッ……!」


「――貴方の作品、設定やキャラは凄く良いけど、伏線は丁寧に仕込んだ方が良いです。そうすれば、クライマックスが今以上に盛り上がると思うので」


「ァア゛……」


 感想を与えられたルサンチマンは満足したのか、その変色した肉体がグニャリと崩れていく。

 顎が砕かれようと、執筆者本人ではないので『本体』にダメージはない。本体は今頃、涼しい部屋でポテチでも食って漫画を読んだりしているのだろう。

 その本体から分離し、レビューを渇望する感情が具現化した存在ルサンチマンは――泥のように肉体が崩壊し、地面の染みへと消えていった。


「なっ……!」


「……!?」


 幼い少年と少女は、目の前で起きている事態を飲み込めなかった。『ルサンチマン』という存在や、それが消滅する過程や条件に対してではない。

 ただのホームレスか不審者だと思っていた、ボロボロの男が――目で追うのもやっとなスピードで、次々にルサンチマン達を倒していく光景に、圧倒されていた。


「ガァァァッ!!」


 鋭い爪と、太い腕。それが敵意と殺意を持って、感想を求めて伸ばされる。

 その紫色に変色している手首を男がガッチリ掴むと、ルサンチマンの全身は瞬時に硬直した。不躾に掴まれた手首の自由を取り戻そうと、パワーを込めて無理矢理に逃れようとしたのだ。


 それが悪手であり、男にとっては既に『てのひらの中』だった。

 りきんで硬くなっている敵ほど、ぎょしやすい相手はいない。


 腐敗した手首を後方へ引き、相手の懐へと身体を滑り込ませ。フリーになっていた自身の腕をルサンチマンの首筋や喉元に押し当て、更に足を引っかけて相手の軸足を奪う。

 三点の『攻め』。そしてルサンチマン自体が掴みかかろうとしていた勢いを利用し、腰の捻りから生まれる回転も加え、その変色した肉体を路地裏の地面へと――勢いよく叩きつけてやった。


「グギャァッ!!」


 手首を掴んでから制圧するまで、僅か数秒。

 お互いに最初から打ち合わせしてたのでは? と疑ってしまいたくなるほどの、スムーズな動作だった。


「終盤は熱い展開で感動しましたが、序盤のテンポがスローすぎます。最後まで読んでもらえるよう、出し惜しみせず最初からアクセル全開にして惹き付けないと」


 受け身も取れず、後頭部と背中と腰をしたたかに打ちつけたルサンチマンは、感想を受け取り、グニャリと歪んで溶けていく。


 だが投稿作品へのレビューを求めるルサンチマンは、まだまだ大勢いる。

 そんな雲霞の如き大軍へ、男は単身立ち向かう。

 殴り、蹴り、掴み、倒し、かわし、受け、投げ、殴り倒してはまた次の相手へと拳を振るう。


 100人に取り囲まれてしまえば、如何なる強者といえども袋叩き。

 しかし狭い路地に入り、『1対1』を100回繰り返せば――。

 その『仮定』を、男は現実のものとしていた。


「す、凄い……」


「たった一人で、あれだけの数を……!」


 子供達がようやく絞り出した言葉は、本心だった。

 明らかに浮浪者か不審者だと思っていた男の動きを、ただ食い入るように見つめることしかできない。


 戦いだというのに、舞いを踊っているかのような動き。素早く、滑らかで、しかし握った鉄拳から放たれる一撃は、砲弾のような威力と殴打音を誇る。

 何よりも、ルサンチマン達を少年少女の方へ、自身の背後へは一歩たりとも近づけさせていない。


 逃げ場のない袋小路だというのに。巨大で分厚い壁に、鉄壁の要塞に守護されているかのような、そんな不思議な安心感を二人の子供達は抱いていた。


 すると――。


「……?」


 次の相手を倒そうとしていた男が、ピタリと止まる。

 そしてあれだけ叫んで蠢いていたルサンチマン達も、「読んで欲しい」という欲望を抑えてでも、道を開ける。

 海が真っ二つに割れる神話を思わせる、その光景の奥から――『着物姿と腰に差した日本刀』という出で立ちをした、長髪のルサンチマンが、ゆっくりと歩み寄ってきた。


「ハァァァ……ッ」


 吐息ひとつで、路地裏に緊張が走る。

 誰も、言葉にせずとも分かる。彼は獣のように唸ることも、亡者さながら掴みかかってくることもしない。

 しかし彼の全身から漂う、研ぎ澄まされた空気は――「絶対に読ませる」という気迫に満ちていた。それはもはや、『狂気』とすら呼べる次元で。


「……カモンっ!」


 しかし男だけは、臆することなく声をかける。

 その手にはいつの間にか、侍ルサンチマンが帯刀しているのと似た、一振りの日本刀が握られていた。


「………………」


 鞘すら差さず、抜き身の刀を握る男へ、侍の視線が飛ぶ。

 その赤い眼光だけでも、無関係なはずの周囲のルサンチマン達は萎縮し、少年と少女は唾を飲み込むことすら躊躇してしまう。


 だが男だけは、ボクサーのように軽快なステップを前後に踏み、刀の峰で自身の肩をトントン叩いていた。

 礼儀も作法もなっていない男と対峙し、侍ルサンチマンは鞘から凶刀を抜き去り――正眼に構えた。

 一分の隙も、油断もなく。構えだけで『達人』と理解できる。もし不用意に間合いに踏み込めば、「即座に斬り捨てられる」と、素人でも察知できるほどの殺気。


「……圧倒的な世界観とか膨大な量の設定を追求するのは良いけど、初見の読者が『取っ付きにくさ』を感じちゃいますよ?」


「………………」


 侍は何も答えない。

 ライトノベルやラブコメを全否定し、読者数がゼロも構わない、それでも書く――そんな気概を感じさせる構えだった。

 一体どれほどの時間を、学びを、覚悟を費やせば、この領域に到達するのか。少年と少女は、侍ルサンチマンの構えを見ただけで、ほろ苦い敗北感が口の中に広がる。


 だが男の口角は、不敵に上がった。この状況に、ワクワクしていた。


「……いざ!」


 狭い路地。左右は壁。背後には建物と子供。逃げ場はなし。退く気もなし。


 一足一刀の間合いを維持し、致死のラインを探り、互いの思考の中で数百回の剣戟を交わした後。

 ――先に動いたのは、フードで目元を隠す男の方だった。


 嬉々として死地へ飛び込む。圧倒的強者を前に、それでも尚、大股で踏み込んだ。


「シッ!」


 乱雑に振り下ろされた男の剣を、侍ルサンチマンは流水を思わせる剣捌きで

 人外の握力をもって、柄の握りはどこまでも固く。しかし手首の動きは、雲よりも軽く柔らかく。力んで硬直してしまう者とは、比較にならない実力だった。

 『一の太刀』を冷静に対処すると、銃弾のような刺突で男の脳天へと迫る。


 だが男もまた、揺らめく炎のような重心移動によって、侍の『突き』を紙一重で回避し、すれ違いざまに相手の胴を両断しようとした。


 しかし敵は人ならざるルサンチマン。斬られてしまう箇所だけ、胴体部分だけを侍はグニャリと変形させ、男の斬撃を無意味なものとした。


「あ! ズッリぃ!」


 閃刃は虚しく空を斬る。男は子供じみた抗議の声を上げ、振り向くと同時に返す刀で侍ルサンチマンの首を狙う。

 だが侍は、男の踏み込みや、腕と刀身の長さを見極め、半歩下がるだけで回避してみせた。

 そして半月を描くような、流麗な軌跡で凶刃を振り上げる。

 真下からの斬り上げ。股から脳天まで一刀両断されるイメージが、男の脳裏にほとばしった。


「あっぶね!」


 咄嗟にその場で飛び上がる。一歩後ろへと、回転しながらの大ジャンプ。

 曲芸師やスタントマンを思わせる身軽さで、後方転回バック転することで必殺の刃をギリギリで回避してみせた。


「ははっ!」


 何故か笑いながら、着地と同時に再び斬りかかる。

 侍ルサンチマンは無表情のまま、真っ赤な眼を光らせながら、鬼神じみた剣術を振るう。

 その速度、威力、技術の高さ。互いに『達人』と呼ばれる領域など、とっくに到達していた。


「……凄い……」


「えぇ……」


 少年は後悔した。自身の作品の中で、剣を使ったバトルシーンを『キンキンキン!』などと表現したことを。

 少女は圧倒されていた。男同士の喧嘩を描き、最後には友情が芽生えるシーンを書いたことすら、「甘かった」と感じるほど。


 目の前で起きている、男と侍の殺し合い。

 鈍重な鉄の棒を軽々と振るい、全身を使いつつ剣先にまで意識を伸ばし、一秒よりも短い時間で判断と実行を繰り返す。


 半歩でも足の置き場所を間違えれば、次の瞬間には首が飛ぶ。

 繰り出す技の選択を一瞬でも迷えば、敵の刃は自分の『命』に届く。

 超高速の剣同士が僅かに接触するだけで、激しい火花と金属音が周囲に散る。


 粗削りで『喧嘩殺法』とすら呼べる、何千回という実戦の中で磨かれてきたであろう、火炎を思わせる男の我流剣術。

 対して、基本動作を何万回と反復練習し、凪いだ海面から荒れ狂う激流ほど千差万別な技を全て習得し、免許皆伝の後に師匠すらも斬り殺したのであろうと察せられる、侍ルサンチマンの超絶技巧剣術。


 相手の技術へ尊敬を込めて。血の滲む努力に最大限のリスペクトを払いつつ――「絶対にブッ殺す」という想いが、互いの剣に乗っていた。


 だが、二人の達人による戦いは、思わぬ結末を迎える。


「読んでェ……! 読んでェェェッ!!」

「誰デモ良いカラァァァアア!!」


 男と侍の脇をすり抜け、何体かのルサンチマンがドタドタと走っていく。

 腕を伸ばして感想を求める彼らの、向かう先は――男の背に守られ、戦いを見守っている少年少女だった。


「ひっ……!」


「きゃぁあっ!」


「馬鹿野郎……っ! その子らは関係ねぇだろ!」


 男は焦り、咄嗟に侍ルサンチマンとの戦いを中断する。

 そして飛び出してきたルサンチマン達の爪が、子供らに届く寸前で――鮮やかな二連撃で斬り伏せた。時間にすれば、三秒もかかっていない。


 だが。達人同士の戦いで、三秒もの隙は『死』を意味する。


 他のルサンチマン達を攻撃し始めた男へ、一切の容赦も遠慮もなく。「背中を見せたお前が悪い」とばかりに――侍の袈裟斬りが繰り出された。

 男の左肩に刃が食い込み、筋肉繊維を切り裂きながら。背骨も断ちつつ、右脇腹へと抜けて。

 その裂傷の深さは、命に届く。


「がッ……!」


「お兄さんッ!!」


「きゃぁぁあああーーーっ!!!」


 路地裏に子供達の悲鳴が響く。

 だが男は断末魔の声を上げることなく、遺言も残せず、侍に背中を斬りつけられ、その場に力なく崩れ落ちた。



 



「!?」


 ここへ来て、侍ルサンチマンは初めて動揺を見せた。

 そして同時に、先ほど男が突然どこからともなく日本刀を取り出していた理由にも、納得がいった。

 自分と戦っていた男は。この男は、最初から――。


「――言ったろ? 『飢えた感情ルサンチマン』ってのは……」


 侍の背後で、声がする。今しがた斬り殺したはずの、男の声が。


「ッ……!!」


 侍は振り返りながら、横薙ぎで刃を振るおうとする。

 しかし、もう遅い。

 侍の背後を取った男は、既に――上段から真下へと、真っすぐに刃を振り下ろしているのだから。


って」


 一刀両断。

 他に表現のしようがない、終幕の剣。

 侍ルサンチマンの刃は男の『本体』にまでは届かず、男の一閃によって顔面も胸も腹部も斬り裂かれ、ついには凶刀を手放した。


 この男――無数の作品を読み、血反吐が出るほどレビューする、この男。


 本業は、『書く』ことであった。


 それはまるで、槍の名手が剣を取ったかのように。

 あるいは魔法使いが杖を鈍器に、拳を武器にして相手を殴り倒すかのように。

 この男にとって、『読む』ことは本道ではなかったのだ。


「――貴方の作品、死ぬほど面白かったです。自分の技術や作品の完成度をストイックに追求するのは、悪いことじゃない。ただやっぱり、『誰かに読んで欲しい』と願うなら……もっと読者の気持ちにも寄り添わないと」


「……フッ……」


 侍ルサンチマンが最後に呟いたのは、安堵や感謝の吐息なのか、あるいは男の感想に対して「俺はそうとは思わん」と蔑む、嘲笑か。

 それは本人にしか分からないが――侍もまた泥水のように肉体が崩壊し、消えていった。


「ァ゛ア……」

「ウ゛ゥゥ……ッ」

「フジュルルル……」


 圧倒的な強さを誇る侍ルサンチマンが倒されたことで、周囲のルサンチマン達は尻込みしている。

 小汚い格好の男にとりあえず読ませて、「面白いですね!」と言って貰えると思っていたが、目の前にいるボロ雑巾じみた男の感想は、あまりにも『本気』だった。


「そォいっ!」


 そんな動揺している隙を狙い、男は高く飛び上がる。

 洗濯物を干している頭上のロープを掴むと、それをバネ代わりにして、また更に上段のロープや物干し竿を掴んでいく。

 サーカスの団員や、あるいはジャングルの猿を思わせる身軽さで。カクヨムの町の、白い家の屋根へと飛び乗って。ルサンチマン達や、少年少女達を見下ろした。


 ルサンチマンらは子供達になど目もくれず、男を追いかけ感想やレビューを貰うため、上へ行ける階段を探して路地裏から離れていった。


 少年少女を見下ろしている、屋根の上の男。すると強い風が吹き、色とりどりの洗濯物がはためく。深く被っていたフードがめくれ、その素顔を晒す。


「――じゃあな、子供達! またどこかで会おうぜ!」


 しかし二人が見上げても、眩い太陽の逆光のせいで、男の顔はよく見えなかった。

 ただ――その明るい声と輝く瞳は、どこか子供っぽさを秘めていた。小説を読み、小説を書き、それを読んでもらい、人々と一緒に楽しむ。

 ワクワクする遊びを、大人になった今も続けているかのような――そんな、童心を感じさせる声色と瞳だった。


「……うん! バイバイ、お兄さん! またね!」


「私達の作品を読んで、レビューしてくれて……ありがとう! 感想書くマン!」


 そして男は走り出す。屋根から屋根へと飛び移り、どこか遠くへ去っていく。

 ルサンチマン達を全て倒しに行くのか、あるいはカクヨムとはまた違う場所で、『戦い』に赴くのか。




 このカクヨムの町には、ひとつの『噂』がある。


 どこからともなく現れて、「読んでくれ」と依頼された作品全てを最初から最後まで読み、その全てに感想を付ける男がいるらしい。たとえそれが、50作だろうが100作品だろうと。


 人は言う。「そんなものは都市伝説だ。いたとしても、宣伝目的や相互レビュー狙いの悪人だ」と。

 人は言う。「俺は感想書くマンに出逢ったことがある。彼からレビューを貰って、とても感謝している」と。


 ただ、ひとつだけ確かなのは――その男はきっと、誰にでもできることを、誰よりも愛し、誰よりも実行しただけだ。




 男の行方は、誰も知らない。




『5年ぶりに感想書くマンがアナタの作品お読みします』 END

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5年ぶりに感想書くマンがアナタの作品お読みします 及川シノン @oikawachinon

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