③何者

 授業が終わり正門へと向かう。まだ16時だというのに空は既に薄暗い。その上マフラーで口元を覆っているので、お互いの表情は目元しか確認できない。

 俺とタカは同じ大学に入学した。互いに私大を5つ受験したが、その全てを同じ大学にした(全て俺が決め、タカはそれに従ってくれた)。そしてあろうことか、奇跡的に結果まで同じだった。

「正直、同じ大学になると思わなかったな」

「だよね」

 大学でも相変わらず2人で遊んでいた。高校とは違い馴染めていないわけではなかったが、なんとなくノリについていき切れない部分もあったので、大学で知り合った友達とはそこそこ遊ぶに留まっていた。

「タカの方がいい大学に行くと思ってたんだけどな」

「でもトオルちゃんがいなかったら、僕は絶対に浪人してたからね。ほんと感謝してる」

「浪人はないでしょ」

 同じ大学を受けようと誘ったのは、大学からちゃん付けで呼ばれている俺の方からだ。俺らは東京にある私大の経営学部に進学した。農学部に進もうとしていたタカを文系の経営学部に進ませた。俺は若干後悔というか、実はとんでもないことをしてしまったのではないかという罪悪感を抱いている。もしかしたらあのまま理系で進学をしていた方が良かったのではないか、文系に引き摺り込んだのは間違いなんじゃないか、時折そんなことを思ってしまうのだが、そう話すとタカは対照的に、俺に感謝の言葉をかけてくれる。

「いや、絶対してた。トオルちゃんが選んだ大学を受けてほんとよかった」

 口元は見えないが、目元だけで笑っているのがわかる。

「そう言ってくれると気が楽だわ」

「でも、本当にこの大学受けてなかったらヤバかったよね」

「それはお互い様」

 同じ私大を5つ受験し、合格したのは今通っている大学だけだった。つまり1勝4敗なのだが、実はこの1勝は俺らの中では予選的な扱いでいた(俗に言う滑り止めのような意識だった)。そのため、(俺のせいで)タカは本来のレベルよりも数ランク下の大学に進学したので、せめてこの4年間はタカが困った時に力になりたかったし、大学生活を楽しめるようにしてあげたかった。俺は勝手にそのような責任感を抱いていた。しかし、この勝手な責任感は無駄なものだったと、俺はこの日痛感することになった。

「僕、初めてだったんだよね」

 ふと、タカが目元を細めてつぶやいた。

「何が?」

「周りの人と違う選択をしたの」

「違う選択?」

「高校で理系選んでたのだって、なんとなくみんなが理系選んでるし、そっちの方が就職に有利だとか言われてたから。高校入る前だってそう、みんな通ってたから塾に通ったし、みんながやってるから部活にも入った。『みんながやってることだから僕もやらなきゃ』って思ってた。それが当たり前だと思ってたんだよね」

「そんな人いっぱいいるでしょ」

「うん、そう。でも常に多数派の中にいたんだよ。自分がどうしようとか、何がしたいのかなんて考えたことなかった。だから初めてだったんだよ。みんながそのまま理系の大学行く中、文転って選択をしたのが。生まれて初めて少数派に属したことが」

 今日のタカは珍しく自分のことを長く話す。まるで言い残したことを無くそうとするかのように。

「正直文転なんて、日本中にごまんといるよ」

「そうかもね。でも僕らの世界にはいなかったじゃん。きっとそんなこと考えてた人もいなかったと思う。だから嬉しいんだ。満員電車に乗ってた僕が、田舎の在来線に乗り換えられたことが」

 最後の一文が意味不明だった(いや、意味はわかるのだが、急に例え話をされるとどうもしっくりこない)。

「最後の一文が意味わからん」

「なんでよ、良いこと言った風でしょ」

「田舎の在来線だと、なんだか良いのかどうだかわかんないよ」

「空いてるって意味で少数派のことを喩えたんだよ」

「せめてグリーン車の指定席にしようよ」

「ちょっと高いじゃん」

「そういうことじゃなくてー」

 一瞬だけいつものくだらないやりとりに戻った。だけどいつもと違うのは、タカが俺とことだ。

「でもさ、本当に、僕一人じゃ乗り換えはできなかったんだよ。トオルちゃんが教えてくれたからできた。だから、ありがとう」

「なんだよ、お礼ばっか言われると気持ち悪いよ」

「だから、今度は僕一人で乗り換えしようと思うんだ」

 何か嫌な予感がした。先生に呼び出された時の緊張感や、告白をする時のドキドキとは全く異なる心臓の鼓動を感じた。鼓動が速くなったわけではない。相変わらず俺らの間に流れる空気も変わらない。だけど何かが違う。それは東京の大学のキャンパスという場所がそうさせるのか、はたまた目元しか見えない友人の表情がそうさせるのか。そんな緊張の一言では形容できない複雑な感情を、極力表に出さないように俺は尋ねる。

「どういうこと?」

 若干声のトーンが落ちた気がした。それに気づいてか否か、タカも俺と同じくらいのトーンでこう言った。

「僕、2年になったら留学する」

 ショック・・・ではなかった。けれど嬉しくはない。腹も立たない。何も感じないわけではないけれど、感情になった。

「へえ、どこに?」

 さっきよりは高めのトーンで聞いた(つもりなだけかもしれないが)。

「アメリカ」

「の、どこ?」

「ロサンゼルス」

「ってどこ」

「西側」

「あったかそうだね」

 さっきまでの長文のやりとりが、嘘のように短くなった。文字数こそ、いつものくだらない話をする時と同じくらいの長さだが、圧倒的にリズムが遅かった。リズムが遅いせいか、話しながらもタカの留学後を想像してしまう。そして徐々に、さっきまでの『何も感じていないような』感情の正体がわかってきた。

「なんだよ留学するのかよ、大学で俺ひとりぼっちになっちゃうじゃん」

 いつも以上の高いトーンで、でも目は合わせずに言った。声だけ聞けば、いつもの楽しいくだらない会話のようだ。

「トオルちゃんは友達が他にもいるから大丈夫でしょ」

「乗り換えって言うから、機種変でもするのかと思ったよ」

「それならいちいち報告しないわ」

「在来線どころか、国際線になってるし」

「電車でもないしね」

「ファーストクラスで行けよ」

「それはきついな」

 無理矢理会話のテンポをあげた。寂しさを吹き飛ばしたかった。

「ちなみに、なんで留学するの?」

 くだらない理由なら引き止めてやろう。本気でそう思った。ましてやタカのことだ。ちょっと言えば考え直してくれるかもしれない。でも、タカはマフラーを首の方へずらして真剣に答えてくれた。

「僕は何が一番好きで、得意なのか考えてみて、そしたら英語かもしれないって思ったんだ。実は中学の時もアメリカに行ったことあって、その時にアメリカ人の生活とか見て、漠然とだけど『自由でかっこいい』って思ったんだ。そして今、大学で経営学を勉強してみて、もっと広い世界でビジネスを学んでみたいって思ったんだよね。将来何になるかわからないけど、企業に入る可能性が高いなら、海外でビジネスを学ぶことは役に立つだろうし、今は外資とかにも興味あるんだよね。それにー」

 なんだ、タカは自分の人生をちゃんと考えていた。勝手にタカの学生生活を背負った気でいたけど、全くの無駄だった。少し自分が情けなくなった。そして不安になった。それは大学でぼっちになるかもしれないという不安ではない。自分には何があるのか、自分は『何者になるのか』という不安だ。タカは自分でこれからやりたいことを見つけた。でも今の俺には何もない。

 正直、俺だって何か凄い理由があって文転し、上京したわけではない。漠然と、何かやりたいことを見つけたいと思っていただけだった。4年間もあるし、ゆっくり探そう。そう思っていたのに、タカは半年で見つけてしまった。何より一緒に過ごしていた半年で、色々考えていたことに驚いた。勝手に、俺がリードをしている気でいた。困ったら助けてやろうと思っていた。でも、今は俺が助けを求めたい気分でいる。

「俺はこれからどうしよう」

 聞こえないように、不安を悟られないように、口元を覆っていたマフラーを目元まであげた。側から見れば俺が誰だか分からないだろう。ちょうどキャンパスの中に冷たい北風が吹いてきた。大学1年の11月のことだった。

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