第1話 記憶消滅期間

放課を告げる鐘が校内に鳴り響くと、生徒は一斉に教室を離れ、部活へ行く生徒、帰宅する生徒とと別れる。

 もちろんのこと俺は部活なんぞ入っていない。一度なんでもいいから入部したいとは思ってみたものの、早朝七時から開始する朝練に、長時間もの授業を終えた後の午後練というハードスケジュールにその思いも儚くかき消されてしまった。

 だが今思えば無理に入部しなくてよかったとホッとしている。高校生活にとって部活動は青春の醍醐味ではあるが、すぐに帰宅し家でのんびり優雅に過ごすと言うこともまた、醍醐味と知ってしまったからだ。けどまぁ、流石にずっと続くわけでもないし、そろそろ友人の一人や二人は欲しいところだけどね。


 さてさて、そんな世界を代表する引きこもり隠キャ学生こと俺は今、昇降口で人混みの中座り込んで靴紐を結んでいた。道中ほどけないようにとぎゅっぎゅっとキツく結び、ゆっくりと立ちあがる。

 瞬間、「あ、あの」と背後から弱々しくも可憐な声音が聞こえてきて、その誰かを呼び止めるような口調に俺はくるっと振り返る。


「⋯⋯っは、はい?」 


 いたのは、俺よりやや背丈の低い女子生徒。プルンとした唇に愛らしい垂れ目、それに髪を後ろで纏めたポニーテールと。まるで漫画やラノベのヒロインみたいな人だ。


 俺が小首を傾げてん? っと反応を見せると、彼女はハッとどこか嬉しそうな表情を顔に滲ませる。


「きっ、きみが永島征丞くん、だよね?」


「え、はい」


「やっぱり!」


 彼女の元々俺を知ってそうな問いかけに対し俺は素直に頷くと、彼女はさささっと俺の目の前まで歩み寄ってきて、瞳の奥を輝かせる。

 なになにこわいこわいと驚きに身を仰け反らせるも、彼女は引くことなくずずっと顔を近づけてきて、俺は二歩ほど後ろに下がり彼女と距離をとる。

 そしてふっと吐息を吐いてから、率直な疑問を問うた。


「あの、なんで俺の名前知ってるんすか?」


 恐る恐る聞くと、彼女は頤に人差し指を当てて斜め上に視線をやりながら、むむっと何か考えている素振りをする。

 その険しい表情を浮かべる彼女を俺は目を細め警戒心強めで見つめる。が、やはりどうしても彼女の凛とした顔立ちに注意が逸れてしまう。なんというか、ほんとにそのまま本から出てきたみたいな人だ。こんな人、俺面識あったっけかと記憶を遡りしていると、彼女が頤に当てていた指をぴっと立てて、パチリと可愛らしいウィンクをきめる。


「まぁ、そこは気にしないで☆」


「⋯⋯はぁ?」


 彼女のそのあざといウィンクといいふざけた口振りに、俺は口元をうぇぇと歪ませて自分でもどう出したかよくわからない奇声が口から漏れ出る。

 なに今の時間。あなた今何考えてたの? っとつっこみたいのを抑えつけながら、俺はネクタイを正しつつんんっと小さく咳払いをして冷静さを装う。


「っま、まあいいや。とりあえず、俺これから約束あるんで失礼しますね」


 それじゃあまたとあからさま逃げようとする俺を、彼女は見送るわけでもなく呼び止めるわけでもなく、ただ無言でいつの間にか隣にくる。


「じゃあいこっか」


「あの——」


 何もなかったように平然と微笑む彼女を見て、もはやなんと言葉をかけたらいいか見失ってしまう。

 この人見た目の割にちょっと変人気質かな。第一印象めっちゃ優等生感あったのに。

 なんて理想と現実のギャップにやられていると、彼女が俺の背中をポンと軽く押してくる。


「ほら、約束あるんでしょ? 遅れちゃうよ?」 

 

「あぁ、はい」


 そう促してくる彼女の瞳に、先ほどまでの無邪気さは見当たらなかった。

 これが彼女の本性なのか、はたまたそういう演技なのだろうかと半信半疑になりながら、俺はこれ以上彼女を引き剥がすことをやめ、仕方なく一緒に昇降口を出る。 

* * *


 駅前のファミレスに向かう間、とくに盛り上がるような会話はなかった。強いて言えば「夏休みって意外と長いよね」という謎すぎる会話ぐらい。

 のうのうと話してはいたが、その実、自分でもよくわからなくなってはいた。けれど意外とそのトークは長続き、気づけば俺らはファミレス店前へと辿り着いていた。


「ほら、はいろ」 


 着いてすぐ、彼女が早く入りたさそうにうずうずとドアノブを握りしめながら俺の方を見る。それに俺はうんと頷く。


 ドアを開くと、カランカランとドアに飾られた鈴が鳴り、店内はまだ五月だと言うのに冷房が効いていた。まぁ暑かったからいいんだけど。


「いらっしゃいませ。二名様ですか?」


「いや、待ち合わせで」


 入ってすぐ、店員さんが駆け寄ってきて、俺が窓際の席を指差しながら言うと、店員さんは営業スマイルだけを残してさっさとキッチンへ戻っていく。

 なんだろう、すごく悪いことした気分だとか思い詰めていると、窓際の席から甲高い声が聞こえてきた。


「おーい、永島こっちこっちー」


「あ、いた」


 声の聞こえた方を見やれば、すでにメロンソーダを入ったグラスを片手に、大袈裟に手を振って俺らにアピールする岳の姿があった。

 てくてくと俺らがテーブル席に近づくと、岳は俺よりもまず俺の横にいた彼女に目を向ける。まぁそうだよね。


「っえ、永島、お、おおま、この人と付き合ってんの?」


 驚愕と不穏が混じったような表情で岳が彼女を指差し問うてくる。それも物凄く片言に。

 それに俺は誤解を解こうと、ぱたぱたと横に手を振るって全否定する姿勢をとり、彼女と出会った経緯をそれとなく手短に話す。


「違う違う。さっき急に昇降口で声かけられて、めんどくさくなったから連れてきただけ」


「はぁーん。なんだ、てっきりあの根暗隠キャの永島にも俺と同じく彼女ができたのかと思ってヒヤヒヤしたぜ」


「ばかかお前」


 ドヤ顔でなんかぶつくさ言っているが、岳は俺でも引くほどのキモオタである。なのであたかも自分に彼女がいますよアピールしているが、それは岳の中で二次元の彼女のことを指し、この三次元に岳の彼女など存在しない。

 それと同等扱いされた俺はふんっと薄く鼻で笑って、向かいの席によっこらしょと腰を下ろす。


「それで、なんで二人は今日約束していたの?」


 ブレザーを脱いでは畳み膝に置くと、隣に座った彼女が唐突にそんなことを聞いてくる。その聞き方は俺だけではなく、岳も含まれている言い方だった。


「えっ、えぇっと⋯⋯」


 岳はビクッと肩を微かに震わせて、彼女にバレないようそおっと俺に助けを求めるような眼差しを送ってくる。それを受け取りながらも、そんなすぐに適当な理由が思い浮かぶはずもなく、俺も岳同様に冷や汗かいて黙りこくってしまう。


 これは困った。非常に困った。今日岳と会ったのはただファミレスで遊ぶためではない。最近の不可思議症候群の具合と俺の記憶を確かめるための話し合いだ。側から見たらただのちょっとイカれた学生の戯言だと思われるから岳意外には言わないようにしてはいるが⋯⋯この状況を打破するにはやはり彼女にも伝えるしかないのか。

 うわぁぁと俺があまりにも思い苦しんでいたのだろう、彼女が心配そうに眉を顰めて俺の顔を伺ってくる。


「大丈夫? ごめん、なんか変な質問しちゃったかな?」


「っい、いえ、大丈夫です」


「そう⋯⋯」 


 すいやせんと軽く頭を下げつつ、彼女からすっと目線を背けると、俺が動揺していることに勘付いた岳が、慌てて話題を変えようと苦笑気味に話を振る。


「そそ、そういえばなんですけど、名前ってなんて言うんですかね?」


 岳の問いかけに、彼女は後ろ髪を纏めていた髪ゴムをとって、口に咥えながらもごもごと口を動かし答える。


「叶井千早。征丞くんと赤江くんの一つ上の三年生だよー。まぁだからといって敬語は使わなくてもいいけどね」


「あぁ⋯⋯なるほど。なんて呼べば?」


「んー、叶井とか千早とか? 好きなように呼んで」


「あ、うっす。叶井先輩よろしくっす」


 答えて、千早先輩は口に咥えた髪ゴムで再び後ろ髪を纏め始める。その髪を結ぶ一連の動作は実に芸術的であった。長い後ろ髪を掻き上げたときに一瞬見える汗ばんだ首筋に、さらさらと波打をするように舞う髪の毛。

 こんな美貌に満ち溢れた千早先輩がなんで俺なんかに声をかけてきたのだろうか⋯⋯と、脳裏に浮かんだ疑問をそのまま声に出す。


「再度確認なんですけど、なんで千早先輩、俺なんかに話しかけてきたんですか?」


「それは⋯⋯」


 聞くも、千早先輩はすぐに俺の問いに返答はしない。一旦そこで言葉を区切ってしばらく黙る。

 その間に岳はすっと立ち上がって、ドリンクバーへと足を運ぶ。

 そして岳がいなくなった数十秒後、ようやく千早先輩がぱっと顔を上げて、何か決心したような嘆息を吐き、感慨深い声で言う。


「それは、永島くんの秘密を知ってるから」


「⋯⋯っえ」 


 その言葉に、俺は唖然とした声を漏らす。

 なになに、え、なんで知ってんの? というかどうやって? さては岳か? ⋯⋯いや、岳は人に秘密を漏らすような奴じゃないしな。わからん。


 俺がぐぬぬと頭を捻らせていても、先輩の暴露は止まらない。 


「永島くんって、記憶なくなるんでしょ?」


「いやっ、えっとその——」


「そうっすよ」


 瞬間、背後から岳が話に割り込んでくる。その口調はもう諦めたからなんでもいいやと言わんばかりの軽はずみな声音であった。


 岳は水の入ったグラスを二つトンと机に置くと、席に戻って謎に余裕ありげに眉をくっともち上げる。イラつくなぁ、その顔面。


「いやねぇ、叶井先輩が言うように、実はこいつ記憶なくなるとかいう意味不明な病気持ってるんすよぉ」


「赤江くん、詳しく聞かせて」


 淡々と人の秘密を語る岳に、千早先輩は目を見開いてめっちゃ食いつく。

 やべぇ、今更気づいたけど俺の周りにいるやつ重度の変人しかいねぇ。もっとまともな友人がいないのかね俺は。あぁ、帰ろうかな。


 などと呆れ気味のため息を吐きながら、岳の持ってきたグラスを手に取り、口をつけてごくりと一口口に入れて、熱中する二人の会話をただ茫然と聞く。


「もちろん。まずこの病気の名前。って言っても、そもそも永島の持つこの病気はこの世に存在しません。なので名前もありません。そこで俺が付けた名前が『記憶消滅期間』。ある一定の期間だけ忘れてしまうからこう名付けました」


「なるほどなるほど。記憶、消滅期間⋯⋯っと」


 オタク特有の早口で岳がスラスラと説明すると、ふむふむと感心した様子で首を縦に頷かせる千早先輩。さらには胸元のポケットからメモ帳とシャーペンを取り出し、高速でメモを取り始める。

 そのメモ帳から岳を見上げる細かな動作は、もはや素人の動きではなかった。こやつ、相当慣れてやがる。


「そしてこの記憶消滅期間の具体的な症状について。これはー⋯⋯そうだな、直接本人の口から聞いたほうがわかりやすいと思うのでじゃあよろ」


「っえ、俺?」


 唐突に話の続きを委ねられて、危うく口の水を吹き出しそうになる。

 なんなんだよこいつ、自分から話振っといて終わり方雑すぎんだろ⋯⋯なんてちょっと苛つきを表に出して岳を見やれば、一仕事終わったかのような汗を額から流して、グラスに入ったメロンソーダを一気に飲み干す。いやいや、それそんな豪快に飲むようなもんじゃねぇし。ただの緑色した炭酸だから。かっこつかないから。


 そんな感じで内心ツッコんでいると、千早先輩が俺の袖口を摘んでくいくいと引っ張ってくる。


「それでそれで、永島くん、記憶消滅期間の症状って具体的にどういう感じなの?」


「えっとー⋯⋯」


 聞かれて、俺は手元のグラスを握りしめて、なんと説明すればいいかしばし言葉選びに戸惑ってしまう。


 具体的な症状⋯⋯と言われても、記憶消滅期間がいつ発症していつ治るかなんてわかっちゃいない。突然起きて突然忘れる、たったそれだけのことしか俺も岳も理解していない。だから説明しろって言われても難しい。


 俺はすっと肩の力を抜いて、手元のグラスをぼんやりと見ながらとりあえず知っている情報だけを伝える。


「現段階でわかってるのは夜中の0時時00分から記憶消滅期間が発症して、治るのもこの時間っていうことぐらいです。あとは名前の通り、発症したその時間から治まる時間までの記憶が全て消滅するって感じですかね」 


「ほぉほぉ⋯⋯」


 千早先輩はそんな声にならないような声を出し、俺の言ったことをすぐさま紙に書く。

 が、途端に先輩のペンを持つ手がぴたりと止まった。


「⋯⋯どうかしました?」


 一旦間を置き様子を伺ってからなにかと尋ねてみると、その問いかけに千早先輩はくいっと顔を上げて、やけに真面目腐った瞳を浮かべる。


「永島くん⋯⋯これまで印象に残るような思い出ってある?」


「えっ? ま、まぁぼちぼちとは」


 質問の意図が読めなく曖昧な思いに答えると、千早先輩がすっと視線を下ろし、しゅんと肩を竦めて小声で呟く。


「ごめんなさい⋯⋯あたし、そんなことも知らないで聞き出してちゃったんだ」


「それは、どういう?」


「いや、ほら、記憶なくすってことは、大事な記憶も忘れてちゃうってことでしょ⋯⋯」


 そう寂しげに言う千早先輩の声音には、どこか息苦しさのようなものが含まれている。なんというか、同情されている時と感覚が似ている。相手が傷つかないようにと恐る恐る言葉を選びながら相手の機嫌を伺うてきな感じ。よくそういう人たちが周りにいたから顔さえ見れればわかる。


 俺は一度視線を下にやってからパッと見上げ、なんでもなさそうな苦笑いを浮かべる。


「あぁ、べつにそこまで学校の思い出とかなかったし、大丈夫ですよ」


「⋯⋯そぉ」


 言うと、千早先輩の表情に心なしか落ち着きが見え始める。強張った頬は徐々にしなやかさが目立ち、力んでいた拳は緩められている。だが、それでもまだ心のざわめきが瞳には滲んでいた。


 千早先輩は最初に出会った岳とどこか似ている。岳もこんな慌ただしい性格ではあるが、今の千早先輩と同様にしっかり人の話を聞いて相手の心を理解できる能力がある。だからなのか、この二人といても気を楽にして素の自分でいられるのは。


「さてと。そろそろ帰るか」


 ちょうど会話が途切れたところで、岳が飲み終わったグラスをトンと机に置いて、ブレザーを着ながらそう口にする。


「そうだね、もうこんな時間だし」


「うん」


 岳の呼びかけに、俺も千早先輩も少ない荷物を持って先に店を出て、会計を済ませる岳をしばらく外で待つ。


 外はすっかり街灯に光が灯り、昼間とは打って変わって涼しい風がどこからか吹いており、むしろ寒いくらいであった。それに、ぼちぼちとスーツ姿のサラリーマンや数名の学生らが駅へと歩き進んでいる。


 今日の帰りの電車は混んでんだろうなぁ⋯⋯なんて通行人を眺めながらめんどくさがっていると、店内からリュックに財布をしまおうともたついている岳が出てくる。リュックの小さいポケットに財布をしまうと、岳はチャックを閉めてよいしょとリュックを背負い直す。


「じゃ、俺はあっちだから」


「おう」


「またね、赤江くん」


「はい!」


 千早先輩がニコッと可愛げに言うと、岳はちょっぴり嬉しそうに頬を赤らめて駅とは真反対の方角へと歩き進む。

 途中まで岳の後ろ姿に軽く手を振って見送って、見えなくなったところで手を下ろし、ズボンのポケットに手をつっこむ。


「それじゃあ俺もここらへんで」


「うん。また明日、永島くん」


 岳の時よりもややテンション低めなのが気になるが、まぁいいやと俺は軽く会釈して、駅の方面へ足を動かす。


 岳以外の人に秘密がバレてしまった。だが、それよりもやはり不可解な点が一つある。なぜ千早先輩は元々知っていたかのような言い方だったのだろうか。俺は岳以外の奴に記憶消滅期間を話した覚えがない。

 無論、俺が忘れているだけで、記憶消滅期間発症中に言ったと言うこともない。岳いわく、俺が最近発症したのは四月の半ばの五日間であり、その数日間、俺は学校でも放課後でも岳と行動を共にしていたとのこと。ならば俺が自ら秘密を口にしたとは言い難く、そもそも発症したからといって突然性格が変わるわけではない。今だろうと発症中だろうと俺は俺だ。だから俺が口にしたと考えるのは困難。

 ⋯⋯かといって岳を疑うこともできない。中学の頃から今まで、岳が誰かに秘密を漏らしたこともなかった。まぁ、そもそも岳に友人いなかったしな。だから岳だということもゼロではないがないだろう。

 となれば、やはり千早先輩が独断で秘密を知ったかどうか。あるいは誰か他に俺の秘密を知っている奴がいるか。答えは知らない。言えるのは今日一人の人間に秘密がバレたと言うことだけ。 

 何者なのか、叶井千早という人物は。


 俺は歩きながらふと後ろを見て、遠くの方で俺に向けて手を振るう千早先輩を見る

。見送ってくれてはいるのだろう。けど、そう見えたのは一瞬だけ。

 今の先輩の顔には、まだ不満げな表情が滲んでいた。

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この数日間の青春も、俺は忘れてしまうだろう。 月摘史 @hasuuu

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