西原くんは東屋の下で北岡さんに指南する

雨蕗空何(あまぶき・くうか)

ある日の東屋

 公園に池があって、その中に島のような場所があって、橋が渡されて、東屋あずまやが建っている。

 その東屋で、高校生の男女二人、ベンチに座って、将棋盤を挟んで向かい合って。

 午後の日差しを水面がはね返す中、駒を指す音がゆるやかに響く。


「桂馬は、こう。他の駒を飛び越せる。これはオーケー? 北岡さん」


「桂馬は、飛び越せる……角は、飛び越せない……なんで? 西原くん」


「なんでって、そういうルールだからだけど……」


 男子高校生の西原くんは、指導しながら駒を動かす。

 右手の指、人差し指と薬指で駒の両側をはさみ、持ち上げ、持ち替えて中指と人差し指で駒の上下をはさみ、目的の場所へ。

 ぱちり。駒を盤に打ちつける音が、小気味良い。

 一連の動きを、女子高校生の北岡さんはじっと見ていた。

 水面を反射したきらめきが、東屋の天井や、西原くんの指先や、北岡さんの顔を、輝かせていた。


 なんでこんなことをしているのか。西原くんは自問する。

 きっかけはちょっと前、将棋部で負けが込んで、気が乗らずに部活をサボったとき。

 サボりはしたものの家に帰るのもなんだかはばかられて、どこか行くにもやりたいことが思いつくわけでもなく、結局この東屋で将棋の勉強をして時間を潰していた。

 その様子を、たまたま北岡さんが見かけて、そして将棋を教えてほしいとお願いしてきた。

 それで休みの日なんかに、こうしてこの場所で指南することになった。

 なんで了承したかって、だって、女子にそんなふうに頼られることないし、北岡さん割と好みの見た目だし。


 北岡さんは、駒のひとつを持ち上げる。


「ふ、お、お……」


 ぷるぷる、ぷるぷる。

 うまいこと持ててなくて、変な力が入って、すごく不恰好だ。


「あっ」


 ぽろり。指から駒が落っこちた。


「……北岡さん、もしかして不器用?」


「不器用じゃないっ……だって将棋の駒が、カドカドしてるから……

 こんな思春期ボーイのガラスなナイフの反抗期ハートを体現したような形だから、私の指が拒否られる……」


「思春期ボーイのハートが五角形してるだなんて初めて知ったな」


「せめて駒が丸ければ、私の指にスーパーカリカリフランクフルトデリシャスにフィットするのに……」


「スーパーカリ……なんて?」


 ツッコんで、西原くんは荷物をあさり。


「俺、碁もやるから、碁石もあるぞ。持ってみ」


 北岡さんは受け取って。


「ふ、お、お……」


 ぷるぷる、ぷるぷる。ぽろり。


「……悪かった。俺が悪かった。いじめて悪かった。

 だからそんな捨てられた子犬のように涙目でぷるぷるしないでくれ」


「傷つく私のハートはスーパーカリカリフラジャイルジャスティス……」


「言いたいだけだろスーパーカリカリ」


 そして改めて、将棋の指南をする。

 西原くんの堂に入った手つきを、北岡さんはじっとながめた。

 水面のきらめきが、その手つきも、二人の顔も、そして北岡さんのぷるぷる手つきも、照らす。


「……分かった。まず書こう。書いて動きを覚えよう」


 あんまりにも北岡さんの覚えが悪いので、あとあんまりにも駒が持ててなくて不憫なので、ノートに書くことにした。


「銀は斜め後ろが行けて、でも成ると行けなくなる」


「行けなくなる……なんで……?

 パワーアップしたのにパワーダウンするの……? 倦怠期……?」


「倦怠期の武将の指揮とかイヤだよ。そういうルールだからだとしか……

 他のけっこうな駒も、単純にパワーアップしてるわけじゃないしなあ」


「難しすぎて吐きそう……スーパーカリカリカリカリカリカリ……」


「おいこら、処理落ちするな、データ書き込みに不具合のあるパソコンみたいになってるぞ」


 煙を吐きそうな北岡さんの前で、西原くんはため息をついて、手なぐさみにペン回しをした。

 あんまりにも覚えが悪くて、西原くんはどう教えたものか考え込んだ。

 そうしているうち、西原くんは、北岡さんがじっとこちらを見ているのに気づいた。

 気づかれたことに気づいた北岡さんは、ちょっと気まずそうに視線をそらして。


「西原くん……ペン回し、よくしてるよね」


「ん? ああ。見られてたのか?」


「私、席、斜め後ろだから……よく見える……」


 水面の光が、ちらちらと反射する。

 それに照らされた北岡さんの顔は、なんだか照れているようだ。


(やっぱ、北岡さん……将棋そのものをしたいわけじゃ、ないのか?)


 薄々そんな気はしていた。

 自分から教えてほしいと言った割には、基本的な駒の動きも知らなかったし、将棋の指南よりもむしろ、西原くん本人を見ている、ような。

 場所も将棋部などでなく、あんまり人が来なくて二人きりになるこの東屋で教えているのも、北岡さんがこだわったからで。


(つまり、これは……そういうこと、なのか?)


 西原くんはモテない男子高校生である。

 ゆえに女性の心理は読めず、代わりに妄想力はAI予測もかくやの出力である。


 西原くんは北岡さんの顔を見る。

 北岡さんは自分もペン回しをしようとして、失敗しておでこにヒットさせ、涙目でぷるぷるしている。

 もし、西原くんの予想通りの状況だとして、モテない男子高校生の西原くんに関係を進展させるノウハウはない。

 ただこのまま黙って指南を続けていれば、北岡さんとのプライベートレッスンの時間は、恒常的に確保されるのだろう。

 このまま、不器用だけど見た目は好みの女子と、二人きりの時間が。


「……北岡さん」


 不意に真剣なトーンで発された声に、北岡さんはびくりと顔を上げた。


「北岡さん、本当に将棋をしたいの?

 何か、別の理由があるんじゃない?」


 北岡さんは、顔を青ざめさせて赤らめさせて、うつむいた。


 西原くんはモテない男子高校生だが、曲がりなりにも将棋指しである。

 将棋に興味がないと勘づきながらも指南を続けるのをよしとしない程度の矜持が、彼にはあった。


 北岡さんはうつむいたまま、しばらくためらうそぶりを見せて、やがてぼそぼそと、喋り出した。


「ごめんなさい……本当は、……が、好きだったから」


 好き。

 小さな声でも、その単語はモテない男子高校生である西原くんのハートには全力殴打したロックドラムのごとく響いた。


「ずっと見てた……斜め後ろから、板書をノートに写す動きとか、ペン回しの様子とか。

 すごく、すらっとして……かっこいいと、思ったから……」


 西原くんはモテない男子高校生である。

 ゆえに北岡さんが述べる言葉の数々は、ボクサーのワンツーパンチのごとく西原くんの脳を揺さぶる。


「ここで偶然見かけて……将棋の駒を指す動きが、水面のきらきらに照らされて、輝いてて……とってもきれいで、素敵で」


 西原くんはモテない男子高校生である。

 ゆえに命の危険を感じた。

 こんな言葉の洪水を食らったら、心臓が破裂して死んでしまうかもしれない。

 止めようとしたが、すでに限界を超えた西原くんの口からは声が出ない。


「だから、この東屋で教えてもらってた……

 きらきら輝いているところを、ずっと見ていたくて……」


(ま……まずい! このまま北原さんに喋らせ続ければ、俺は死んでしまう!

 行動しろ俺ッ! 死因が告白なんて、その後のキャッキャウフフを目の前にぶら下げられた状態で死ぬなんて、そんなの死んでも死にきれるかッ!)


 行動しようとする。

 動けない。


「この機会だから、告白する……私は、ずっと前から、西原くんの」


(動け動け動け動け俺ッ!! 動かないと死ぬんだぞ!!

 うおおおお振り絞れ俺の妄想力!! この場の起死回生の一手を思いつけ!!

 違うキャッキャウフフの妄想をしてる場合じゃない!! 前かがみになってる場合じゃないぞ俺ーッ!!)


「指が……好き」


 硬直。

 しばらく、硬直。

 池の遠くの方で、鯉がぽちゃりとはねた。


「……指?」


「指」


「指単体?」


「指単体」


「俺本体は?」


「西原くん本体はいらないから……指を切断することも検討した……

 でもそうすると活き活きと動く姿を見られなくなるから……断念して中盤の手段にとっておいた……」


「断念の理由が倫理的におかしいしそれは中盤じゃなくて最終手段なんだよな? ラスボス第二形態なんだよな?

 北岡さんは大魔王を倒した後に上位存在の黒幕とか出すタイプ?」


「楽しんでた物語がポッと出の上位存在にすべて私のシナリオ通りだとか言われたら白けるタイプ……」


 西原くんと北岡さんはハイタッチした。


「で、要約すると、北岡さんは指フェチで俺の指を堪能するために将棋指南をお願いしたと」


「ごめんなさい……」


「まあ、いいけど」


 北岡さんは体を近づけて、上目遣いで。


「将棋をしたいって言ったのは口実だったけど……西原くんの指導を受けるのは、楽しいから……

 できれば、これからも続けてほしい……ダメ?」


 お願いされて。

 西原くんは前かがみになり――目線の高さを合わせただけだ。たぶんきっと――返答した。


「まあ、いいよ。

 俺もなんだかんだ、楽しんでるし」


 北原さんの顔が、ぱあっと明るくなった。


「じゃあ、じゃあ。

 ペン回しに映えるペンをたくさん持ってきてるから、回してほしい、まずはこれとこれとこれと」


「本心バレたら将棋指南の口実を早々にぶん投げるじゃん?」


 のちに、北岡さんに乗せられた西原くんのペン回し技術がめきめきと向上し、動画配信サイトでそこそこバズるのだが、それはまた別の話。

 東屋は今日も明日も、池の照り返しを受けてきらめいている。

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