第2話 後半 24歳


「僕が、高校生だったルイの歯を抜いた事が

きっかけで、ルイは僕と同じ歯科大学を

目指して入学してきたんだよ」


2月のまだ肌寒い晴れた日の昼下がり、

彼は嬉しそうに彼の母親に話をしている。


「まぁ、よっぽどヒロ君の事が気に入ったのね。そこまでいくと、ある意味執念ね」


少し無神経なその言葉に、私は軽く傷ついた。

ピンク色のツイードのジャケットを羽織った

彼の母親は、貼り付けたような笑顔を作り

私の方にチラリと顔を向けた。


「あ…ハイ。あの時はかなり勉強しました」


激しい違和感を抱えながら、私もニッコリと

笑顔を作り、話を合わせた。


「今日はこのまま婚姻届を出しに行くのよね。

5月の結婚式まで待たないで、

ルイさんのお誕生日を結婚記念日にしたい

だなんて、本当にヒロ君は優しいんだから」


「やめろよー。母さんこそ今日の為に

このクッキー焼いたんだろ?美味いよ」


派手な厚化粧の母親と30代半ばの息子が、

何やら楽しそうに褒め合っているのを見て

私は2℃くらい体温が下がっていく感覚がした。


「ねぇ、ルイさん。今は歯科医師の国家試験のお勉強で忙しいでしょうけど、卒業したら

ちゃんと料理のお勉強もしないとね。

ヒロ君はうちの歯科医院の院長になるんだから

家の事を守るのは妻の務めよ」


「母さんの料理は、その辺のレストランよりも美味しいから、ルイは教えてもらいなよ」


「あらぁ。私は厳しいわよ、ルイさん」


「ハハ、認めてもらえるように頑張ります」


彼の家は三代続く歯科医師の家庭で、

この春から彼の実家の歯科医院の院長を

引き継ぐ事が決まっていた。

大学6年目の私は、今年歯科医師の国家試験を

受けて、彼の医院を手伝う予定だ。

彼の母親は生粋の専業主婦で、

一人息子の彼を溺愛しており、

彼も母親を『理想の妻像』と考えていそうだ。


必死に勉強してきて、

この春やっと歯科医師になれるというのに、

強烈な未来の義母に認めてもらう為に

また頑張るのか、私⁇


グッタリと疲れて彼の実家を後にして、

その後2人で市役所に婚姻届を出した。


「幸せな家庭を作ろうね。ルイ」


あれ、全くココロが踊らない。

コレが本当に私の欲しかった未来だよね?


その夜、私は高熱と全身に蕁麻疹が出た。

私のカラダが全力で結婚を拒否していた。


今更そんな…こんな気持ちになるなんて。

気持ちを立て直そうと試みたがダメだった。


2日後、私は独断で結婚式場をキャンセルした。

結婚式まで3ヶ月を切っているので、

料金の半額をキャンセル料として支払わなければならないが、仕方がない。


「ごめんなさい。私やっぱり結婚辞めたい」


彼に式場もキャンセルしたと電話で伝えると、

狼狽えた彼は第一声に、


「今まで僕がルイに買い与えたもの全部返せ」


と言った。心から申し訳ないと思っていた

気持ちが、シャボン玉の様に消えてゆく。


当然義母は激昂し、私への慰謝料請求も

視野に入れているという。


セレブ妻から一転、負債まみれになったが、

蕁麻疹は消え、心は羽のように軽くなった。



***



16歳の私の初体験を彼に打ち明けてから、

私の心は、がらんどうだった。

心優しい同級生の男子とも付き合ってみたが、何処か冷めた自分がいて、直ぐに別れた。

心と身体がバラバラでずっと苦しかった。


そんな自分の弱さを振り払うように勉強して、

彼と同じ歯科大学を受験した。

彼に恋焦がれてというよりも、

一人前の『人間』として認めて欲しくて、

彼と同じ土俵にどうしても立ちたかった。


「ルイは僕に憧れて歯科医師を目指した」


と、いつも彼は嬉しそうに話すけど、

私の『初恋』はそんな甘くてフワフワした

綿アメみたいな恋ではない。

もっと繊細で傷つきやすくて、

自分の気持ちを全くコントロール出来ない

鉛のような足枷だった。


大学入学後、彼と正式に付き合う事になった。

彼はSEXにはあまり興味がないようで、

6年の付き合いで片手で数える程しか

求めてきた事がない。

そして、その数回の愛の営みさえも

ほんの申し訳程度の内容で、

到底2人の絆を深めてはくれなかった。


身体の繋がりがほとんどない私達の溝を埋めるように、彼は沢山のプレゼントをくれた。

エルメス、シャネル、ティファニー、ブルガリ、ヴァンクリーフ&アーペル…

そのうち、私の洋服、下着、ストッキングまで全部彼が買ってくれるようになった。


彼はお金をかければかけるほど私に執着し、

着飾った私を連れて友達に自慢する。

あんなに大人だと思っていた彼は、

お気に入りのオモチャを手に入れた

ただの子供のようだった。

私は彼を慕う従順な人形だ。


どこから間違えてしまったのだろう。


温かい体温を失ってもなお、

私は『初恋』という虚像に縛られ過ぎていた。


私は彼に買ってもらったブランド物の服や鞄を

次々と段ボールの中に詰め込んでいった。


私と彼を繋いでいた6年分の重みが

パンパンに詰まった段ボール3箱を

彼宛に郵送した。


部屋が片付いて空っぽになったが、

私はもう、がらんどうでは無かった。



ー完ー

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テンシ日記 mayo @mayo802

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