テンシ日記

mayo

第1話 前半 16歳



「ルイを大切に思っているから最後までは出来ないよ」


薄暗いラブホテルの一室で、

彼はいつもの優しげな大人の男の顔をして

私の髪を撫でながら囁いた。


「え、ここまでしといて?」


一糸纏わぬあられもない姿の16歳の私は、

はっきり口に出して言えなかった。

私の服を時間をかけてゆっくりと脱がし、

隅々まで触っておいて今更何を寝ぼけた事を

言っているのだろう。


それから彼の連絡は途絶えた。

私は、心が壊れるほど深く傷ついた。


彼は27歳。

私立の歯科大学病院で、私の親知らずを抜いた歯科医師だった。


***


中学1年生から歯の矯正器具をつけ始めた私

(一ノ瀬ルイ)は、

陸上部に所属し、800メートル走の選手として

インターハイを目指し、休みなく部活動に打ち込んでいた。


当然彼氏など一度もいたことのない陸上三昧の中学校生活だったが、

クラブを引退するのと同時期に矯正器具を外して私の人生は一変した。


男の人から声をかけられるようになったのだ。

矯正器具をつけている間は、

異性に笑顔を見せるのも躊躇うほど

消極的だった反動で、

『女』として見られる悦びに酔いしれた。

解放感もあった。


高校生になり、親知らずを4本抜く事になった。これを放置すると、せっかく整った歯並びが

押されてバラバラになるというから大変だ。

早速、紹介状を持って大学病院の口腔外科を

訪れた時に、担当歯科医師の彼と出会った。


「奥歯を抜くのは体力的にしんどいと思うから、2週間に一度金曜日に抜いていこう。

これから2ヶ月かけて僕が4本抜いていくから、

宜しくね。ルイちゃん」


若くて優しげな『男』である先生に、

免疫のない私は胸がドキドキした。


「感染症にならないように抗生物質も出す事になると思うけど、何か質問ある?」


と優しく聞かれたので、


「それって治療中はキスしてはイケナイという事ですか?」


舞い上がって少し調子に乗った冗談を返す。

多分コドモだとナメられたくないという気持ちが働いたと思われる。経験もないくせに。


「はははっ。それはどうかな。ルイちゃんは

スゴイ事言うね」


と、ちょっと困った様に笑った彼の顔が

とても大人だと感じた。


それから2週間に一度の金曜日の18時半、

彼の外来の最後の時間に歯を抜いてもらった。

予想以上に出血をしたある日、


「心配だし、もしよかったら家まで送るよ」


という言葉に甘えて車で送ってもらった。

その時連絡先を交換して私は有頂天だった。


2ヶ月の治療が終わって、

彼は私を水族館に連れて行ってくれた。

お茶したりドライブしたりした。

誕生日にはアニエスベーの時計をもらった。

夜景を見ながら初めてキスをした。

「可愛い」と何度も言ってくれた。


そして、あのラブホテル事件だ。


あの後全然連絡をくれない彼に絶望し、

私はナンパしてきた軽そうな大学生の男に

私のハジメテを捧げた。

私の身体に何か問題があるのではないかと

真剣に悩んだりして、他で試してみたい気持ちもあった。初体験は呆気なく終わった。


そして彼に自分から連絡して会い、

自分の体験した事を一部始終伝えた。


彼は絶句して、とても傷ついた顔をした。

それを見て、私はもっと深く傷ついた。



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