炎の見る夢、夜の朝
闊達に笑う女性が、頬ずりをする。柔らかくあたたかな肌が押し付けられる。地面には草が生えていて、その草の緑の鮮やかさは目に染みるほどだった。顔をあげてあたりを見回して、太陽の眩しさとどこまでも続く青い空、たなびく白いもやを見る。
雲は少し出てるけど、いい日よりじゃないか、あかいきつね! 女性がそう話しかけてきて、自分は女性に飛びついてじゃれついた。はしたない、とソルタは思うけれど、視界の端に見える自分の鼻先、前脚、そういったものが炎でできていることに気が付いた。これは 自分ではない誰かの視界だ。
海だよ! 魚が泳いでいる。きっと人もすぐに生まれてくるよ。こんなに命に満ち溢れているんだもの、あかいきつねもわかるよね。
ほらごらん、虹だ! 五色に輝いて、まるで夢のようだ!
女性はころころと笑いながら全身で世界の息吹を感じて、楽しんでいて、そしてそばに控える自分も、それを心地よく思っているようだった。自分。これはきっと、神の炎の記憶だろう。女性の顔に見覚えはないが、髪の色と目の色が黒いところだけは、ルルスにそっ くりだった。父の記憶だ。ソルタがしっかりとそう意識すると同時に、体からはじかれる。女性は何にも気づいていないようだったが、赤く燃え上がる炎である狐は、一度だけ振り返って好きにしろ、と言わんばかりにふん、と一度だけ鼻を鳴らした。
「ソルタ様? 起きられますか、ソルタ様」
「ん......」
体を揺さぶる掌の温かさに、ソルタは目を開く。すぅ、と冷たい頬が不愉快で、ごしごしと手の甲でこすれば濡れていた。
「嫌な夢を見ましたか? 申し訳ございません、ソルタ様。あなたにあんなことを、言うべきでは......」
「いいや、ルルス。良い夢だったよ。父が見せてくれたのだろう」
「お父上が......?」
「私は四つ足で移動する生き物だった。黒い髪と黒い瞳の女性と一緒に、とても美しい場所を、様々な様相の場所を、楽しく歩いて探索していた」
「
「きっとそうなんだろうね。想像よりもずっと色鮮やかで、美しく、温かくて、でも寒さも暑さも厳しい......変化に満ち溢れた土地が、広がっていたよ」
「ずるいです、ソルタ様! そんな夢なら、私も見てみたい......」
夢でいいのかい、ソルタはそう、ルルスの耳元でささやいた。
「父がわざわざ見せたのだ、そうあれかし、と伝えたんだろう。長も、 好きな人の手を取れと言っていた。夜にほどけることが怖くないは ずもないだろうに、心の望むままにせよと言ってくれた」
ルルスは星宿す夜の瞳で、髪を黒く染め上げながらソルタの言葉を聞いている。とても静かだ。まだ、眠りの時間なのだろう。
「こうあるべき、そうあるべき、村への義務を除けば、私の望みは 一つだ、ルルス。 君と一つになりたい。君の望みをかなえたい」
「ありがとうございます、ソルタ様。私は、......私も、世界の創造とか再生とかじゃなくて。全部取り払ったら、夜である私として、 ソルタ様の手を取りたい」
じゃあ、いいか。ありがとうございました、と神の炎に伝えるべく目を閉じて、目を開く。途端に暗くなった世界に、ソルタは小さく笑う。
不安げな顔をするルルスに、アッカツネは彼の夜の元にさっさと 駆けていったようだ、とソルタはささやく。ここしばらくは薪や藁などの貴重品は使わずに、神の炎で明かりを賄っていた。だから夜は今、勢いよく流れ込んでいるに違いない。ほとんどの村人が寝たまま、気づかずにほどけることができただろう。
「世界ができたら、私は君に会うことができるかな」
「どうでしょう、でも、私はあなたと世界を作りたいし、世界を見たいです、ソルタ様」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。......結局、君と褥を共にはしなかったな。君の本質が夜なら、抱いても平気だったかもしれない」
「もしかしてそれで手を出さなかったんですか!?」 「何せ母は父に抱かれて私を生んで焼け死んだわけだから、手を出さないのはかなりまともな判断だと思う。理性が勝った私を褒めてくれてよいのでは?」
「あああああ、もう、変な遠慮をするんじゃなかった! ソルタ様、 いいですか」
腕の中でぐるる、と唸っていたルルスはがっとソルタの顔をつかんで引き寄せ、唇を重ねてきた。勢いあまって歯がぶつかり、痛い、と離れた後、今度はゆっくりと近づいてくる。ほんのちょっとの血の味と、柔らかな唇の押し当てられる感触。
「いいですか、ソルタ様。絶対に続きをしますからね」
「これは......悠長にしてはいられないなぁ。わかったよ、絶対だ」
部屋に流れ込む夜に指先からほろほろとほどけていく、炎になるのとはまた別の安らかな静けさに身を任せながらも、ソルタは応え、彼の
炎の見る夢、夜の朝 海津木 香露 @kaitugi
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