第2話

 × × ×



「それ、何を吸ってるの?」



 一週間後、昼過ぎ。やる事のない、午後。



 ある程度の仲を深めたから、俺は彼女の前で趣向品を楽しむようになった。



「ウィード、マリファナのパイプ」


「日本では、違法」


「ここは日本じゃないからいいの」



 やり過ぎてあまり感じないが、フィリピン人のお隣さんが肉と交換で届けてくれるから、俺はこいつを吸っている。



 捨てちまうのも、もったいないし。



「ところで、さかなちゃんは幾つなの? 結構、若く見えるけど」


「116歳」


「マジで? 道理で、歴史や知識をたくさん持ってるワケだ」


「星底人の寿命は、約300年。私は、まだ若い」


「かなり長生きなんだな」


「空気に触れないし、不純物は摂取しないし、私も星底も冷たい。老化が起きる方が不自然」


「そりゃそうだ」



 陽気で体が温まったのか、さかなちゃんは少しだけ頬を染めていた。



「年の差を気にする?」


「100近くも差があれば、逆に気にならないだろ」


「そう」


「なんだよ、急に人間臭い質問だな」


「あなたの好みに興味がある。生活を見る限り、地上人の中では異質」


「別に、大したモンじゃないけどな」



 世間からドロップアウトしただけの変人だし。



「大した事って、なに?」


「そりゃ、経済的、文化的、あるいは道徳的に何かを成し遂げる事だろ」


「達成出来る地上人が、何人いるの?」


「割と多いんじゃないか? 今は、ネットで制作物を披露して商品化する奴もいるし、会社を興して金持ちになる奴もいるし、ボランティアで格差を埋めようとする聖人みたいな奴もいる」


「ムーは、やらないの?」


「昔は、そういうのに憧れたし、嫉妬もしたよ。でも、今は何とも思わない。ネットから、完全に離れたからかな」


「でも、コラムを書いて雑誌に掲載している。なぜ?」


「この島に住んでると、変な妄想をたくさんするからな。それを欲しがる奴がいるし、世間との最後の繋がりとして残してるんだ」


「本当は、寂しいの?」


「時々な。でも、もう慣れたよ」



 パイプを深く吸って吐く。ベッタリと重くて青く甘い匂いの紫煙が、ふわりと舞って窓から流れて行った。



 混ぜ物の一切無い、純粋なブツ。普通に買おうと思ったら、結構な値段だろう。



「吸うか?」


「うん」



 渡すと、さかなちゃんは深く吸ってむせた。



「あぅ~」


「ラリったか」


「かぁらがかるぅい」



 体が軽い、だろうか。表情は緩く、目がトロンとして来ている。体をゆっくり左右に振って、ふわふわと高揚感を楽しんでいるらしい。



 マリファナは、精神刺激を起こして気持ちをよくさせる、アッパー系のドラッグ。さかなちゃんは今、所謂『ハイになってる』という状況のハズ。



「一口吸うと、知識が一つ飛んでいく悪い趣向品だよ」


「あぅ~」



 因みに、俺はこいつを吸うとダウナー効果を得る損な体質だ。気分が落ち込んで、過去のトラウマのパラノイアに苛まれる事になる。



 そうして、外界から隔絶されたこの場所で、まるで世界で一番孤独で不幸な人間だと思い込んで絶望して、素っ裸で泣き叫びオナニーをするのが俺の趣味だ。



「これを星底に輸入すぅ」



 流石、脳みその使用率が40%を超えているだけある。キマリ方も、地上人の4倍だ。



「地球滅亡、待った無しだな」



 すると、彼女は何も言わずに俺のグラスを取って酒を飲んだ。



「か~」


「これ、かなり強い酒だぞ。マリファナより、よっぽど危ない」



 そして、彼女は倒れてしまった。寝落ち出来ないのは、感情がゴリゴリに昂っているからだろう。



「寝るのはベッドか? それとも、水中の方がいいのか?」


「あ~」



 テーブルに突っ伏して、額をグリグリとしながら星底語で何かをぶつくさ言った後、俺を見てピタリと止まった。



 笑顔にならないのは、そういう風に表情筋が働かないからなのだろうか。



「海行く」


「立てるか?」


「立てない」



 さかなちゃんを担いで、俺は海へ向かった。今朝は黒く淀んでいた海も、すっかり透明で青く戻っている。



「……気持ちいい」



 震える言葉には特に触れず、彼女を海へ放った。すると、そのままプカプカと浮かんで、浅瀬に寄せては引く波に身を任せ、じっと太陽を見ている。



「日差しはよくないんじゃないのか?」


「良くない、目がヒリヒリする」



 さかなちゃんの目にサングラスを掛けて、俺は砂の上に座る。そして、瓶に詰めたバナナ酒を飲み、ウィードを吸って、浮かぶ彼女を見ていた。



「大丈夫か?」


「分からない」


「そうか」



 呟くと、まるて引き寄せられるようにイルカが現れて、さかなちゃんの周囲を回るように泳ぎ始めた。超感覚の力でも使って、会話をしてるかもしれない。



「イルカ、なんて言ってる?」


「あなたに会いに来た、と」



 大方、予想通りだ。だから、俺はウサギのジャーキーを投げて寄越して、もう一度ウィードを吸った。



「いつもありがとう、と言ってる」


「構わない」


「あなたを好きだって」


「へぇ、知らなかった。結婚でもするか?」


「したいって」


「じゃあ、俺と子供でも作るか」



 言うと、イルカはどこかへ泳いで行ってしまった。あいつの方が、さかなちゃんより人間っぽい。



「ムーは、イルカにも欲情する?」


「どうだろうな、一回くらいはヤッてみてもいいかもしれん」


「そう」



 流石に反応に困ったのか、口を噤んでしまった。異種姦は、彼女たちの間でも禁忌なのだろうか。



「したこと、あるの?」


「どうだろうな」



 周囲に人の目が無ければ、人間は狂っていくモノだ。俺が言えるのは、それだけ。



「どうして、人が嫌いなの?」


「あまり、話したくない」


「そう」



 その気になれば、俺の記憶を覗くことも出来るだろうに。さかなちゃんは、知的好奇心を抑えてそうはしなかった。



「さかなちゃんは、星底ではどんな生活を?」


「地球の生命活動の維持」


「それ以外の時間だよ」



 言うと、海から上がって俺の隣りに座った。未だ、意識は朦朧としているらしい。



「地上からの漂流物を見ていた」


「何が流れてくるんだ?」


「船、爆弾、毒、本、宝石、歴史。それと、火」


「火?」


「うん。命が終わった、その残り火。仄かに白くて、儚くて、とてもキレイ」



 魂か。それとも、本当の火か。しかし、抽象的な例えなのだとすれば、その答えはきっと日本語では説明出来ないのだろう。



「たくさん、降ってくるのか?」


「うん。私たちは、それを星空と呼んでる」



 ……。



「星底は、彼岸なのか?」


「分からない」


「星底人は、死んだらどうなる?」


「あなた達と同じ、火になる」


「さかなちゃんは、死ぬのが怖い?」


「……怖い」



 その表情は、異常な恐れを含んでいて、初めて感情が表れた。



「なんで?」


「死には、救いがないから」


「地上とは、真逆の考えだな。なら、星底には救いがあるのか?」


「そうじゃない。生きていること、それこそが救い。私たちは生まれた時に救われて、死んだ後の世界の苦痛を、生前の思い出によって永遠に耐えなければいけない」


「どうして、そんなことを知ってるんだ?」


「火は、藻掻き燃え続けるから」



 海から上がって、酒を飲むさかなちゃん。



「実は、燃えてる間は気持ちいいのかもしれないぞ」


「星底人は、未知に希望を見出さない」


「……あ〜。それが、アトランティスを沈めた本当の理由か」



 要するに、イエスやムハンマドの思想と対立したんだと思う。



 アトランティスの先祖たちは、決して自己犠牲の精神で自らを星底へ送ったのではない。



 逃げたのだ。他の低能な地上の人間を放って、自分たちの命が亡くならないように。



 もしも、その時が来た際に。覚悟を決めて、死後に臨めるように。



 それが、彼女たちの宗教の正体。



 弱者を否定する、ある種哲学にも似た宗教だ。



「天才って、ズルいな」



 生命への執着。それこそ、星底人の唯一の欲望。



 面白い。



「そんなことない。私は、ムーが羨ましい」


「なぜ?」


「こんなにも幸せな思いをすれば、死んだ後に後悔する。二度と得られない快楽への渇望に、耐えうる覚悟は私には出来ない」


「なるほど。だから、さかなちゃんの先祖は感情を無くしたのか」



 どうやら、早とちりだったらしい。



 生前の思い出を糧にするのなら、先に幸せを味わっておくべきという解釈をするのだと思ったけど。



 そうか、苦しみに近い人生を送るのならば、差異によって絶望する事もないワケだ。



「だって、火は消えないから」


「合理的だな。死後の魂が見える、星底人ならではの価値観だ」


「……それなのに」



 すると、さかなちゃんは俺にしがみついて。



「私は――」



 一体、何を言ったのだろうか。それは、よく分からなかった。



 ただ、それでもさかなちゃんのテレパシーは、俺の脳内を激しく掻き回すように感情を流し込んでくる。



 頭が、痛い。



「やめろ」


「……ごめんなさい」


「まぁ、よかったじゃんか。とりあえず、生きてる間の150年くらいは運命の束縛から抜け出せるんだから」



 痛い。



「でも、怖い」


「じゃあ、死後に後悔しないように楽しめよ。ここに来れたことを、ラッキーだと思ってさ」


「説明がつかない」


「残念だけど、この世界は実力があっても燻ってる奴ばっかりだし、運だけでのし上がるラッキーな奴がたくさんいる。俺もそうだ」



 痛い。



「不確定過ぎる。不運と違って、幸運には再現性がない」


「でも、仕方ないだろ。何でもかんでも、ちゃんと理由があると思わない方がいい。受け取った奴が価値を感じる物事を、そいつがたまたま手にするだけ」


「そう?」


「そうだよ、このウィードがいい例だろ。人の生産性を損なうのに、価値を感じ過ぎるから規制する。ただ、お隣さんにとっては、俺が作る仔牛の肉の方がいいってだけ。これも、運だろ」


「……そう」


「だから、そんなに悩むな。ここでラリって酔っ払って、起きたら家畜の世話をして飯を食って。それでいいじゃねぇか」



 痛い。



「でも」


「デモもストライキもないって。頭良すぎて、要らん事まで考えるからそんなに苦しいんだろ」



 あと、ヤクが切れてバッドも入ってるだろうし。



「欲望がある以上、地上人の生活には競争が絶えないんだと思う。ムーは、どうしてそんなに平静を装えるの?」


「それは、俺が先に勝ち上がったからだ。金も無くて、好きな事も出来なければ、こんな意見はでないよ。ヤホコメやチッターで、政治叩きしてたかもしれない」


「ヤホ? ツイ?」


「クソの掃溜めだよ。星底にも、便所くらいあるだろ?」


「う、うん」


「そこに、ありえないくらい臭くてデカいクソをする奴が、この世界にはたくさんいる。よかっただろ、さかなちゃんはそいつらの為に働かなくて済むんだから」


「でも、ムーはしてない。してない人もいる」


「本質は、何も違わない。つまりだな、品性も理性も金で買えるんだよ。使命や運命を背負うあんたには、分からないかもしれないけど」



 すると、さかなちゃんは俯いて、再びウィードを吸い込んだ。



「ムーは、哲学者なの?」


「いいや、空想科学の夢想者むそうものだ」


「でも、私はここにいる」


「じゃあ、妄想でいいよ。別に、俺の言葉に力なんて無いし。合理性を追求すれば、世界中の人間が自殺するしか無くなるだろ」



 そして、悩んで。



「……あなたの考え方、酷く醜くて好き」


「ありがとうだけど、この頭の痛さをどうにかしてくれ。気が狂いそうだ」



 ようやく、頭痛が治った。



 我ながら、めちゃくちゃな理論だ。いくらでも反論が思い付くし、否定する根拠だって提示出来る。



 でも、それでいいよ。俺、綺麗事とか嫌いだし。何より、分かってるさかなちゃんが受け入れたんだから。



「死ぬのは、怖い」


「仕方ない」


「でも、ここに来れた幸運を謳歌しないのは、星底で研究を手放す事と同義」


「そうだな」



 やること、それしかないワケだからな。



「なら、ムーの言うとおりにするのもいいと思う」


「勝手にどうぞ」



 こうして、さかなちゃんは俺にもたれかかったまま、ウィードを吸って日が暮れるまで海を眺めていた。



 × × ×



『……ムー?』



 本土へ向かうセスナの中、テレパシーでさかなちゃんの声が聞こえてきた。彼女には、島で留守番を頼んでいる。



 今日は、さかなちゃんが来てから三ヶ月後。セスナを運転している理由は、本土へ50万文字のコラム記事を届けるからだ。



『ねぇ、ムー』



 お使いも合わせて、都合4日の旅。普段はデカい金を渡して、お隣さんの息子さんに頼んでいるが、彼女のお陰で節約になっていい。



「なんだ」


『ちゃんと帰ってくる?』


「帰るって言ってんだろ」



 空に出て8時間。こんな質問を、さかなちゃんは既に3回繰り返している。



『不安』


「たった4日だっての。そんなに一人が嫌なら、お隣さんの奥さんを呼べ。さかなちゃんのこと、好きって言ってたぞ」



 お隣さんの家族や友達と、何度かさかなちゃんは会っている。俺しか地上人を知らないのは、価値観に不平を生むと思ったからだ。



 因みに、見た目は超能力で錯覚させることが出来るらしい。俺が真実を語っても、誰も信じない理由の一端はここにもあるのだ。



『そうじゃない、ムーがいい』



 ただ、少しさかなちゃんを甘やかし過ぎたというか。頭を使うのが嫌だから、脳死で彼女の好奇心を満たしてやってるうちに面倒な事になってきた。



 彼女が、俺に依存してしまったのだ。



「無視するからな」


『イヤ、じゃあそっちに行く』


「ダメだ。なら、せめて夜だけにしてくれ。俺だって、人混みは嫌だから最大効率で打ち合わせと買い物を済ませたいんだよ」


『……うん』



 依存の理由は単純で、結局のところ星底人のさかなちゃんは、何かの為に働く習性から抜け出せなかったのだ。



 主な原因は、二つある。



 一つは、俺の方が家事を含めた全ての仕事の出来がよかった。経験があるのだから、当然と言えば当然なのだが。



 彼女がどれだけ天才的な発想をしたとしても、彼女の地上での活動には限度がある。後々分かったのだが、水肌を張るためのカロリーが尋常ではないからだ。



 だから、2時間も経てばへばってしまう。それ故に、劣等感を抱いてしまって。しかし、島で生活する以上は他で挽回する術がないのが、強いストレスとなっているのだとか。



『なにかしたい』


「出来ることをやれ」


『ムーを喜ばせたい』



 もう一つは、俺が彼女とのセックスを拒む事だ。



 こっちも、理由は単純。マリファナのせいで、普通のセックスではまともに快楽物質が分泌されなくなっているから興味が沸かない。



 だからといって、普通じゃないセックスをすれば、敏感過ぎるさかなちゃんが死ぬ可能性がある。



 そんな感じ。



「俺のことは気にすんなって、ラッキーガール」


『気にする』



 そんな最中、既に島で手に入る知識のすべてを持ってしまったさかなちゃんは、勝手に本土から電波を受信する装置を発明した。



 そのせいで、スマホとパソコンがオンラインとなり、更に好奇心を満たしていく事となった。



 あらゆるデータや学術的根拠を読み漁り、その度に「知ってる」と宣ったさかなちゃんだったが、たった一つだけ彼女が興味を示したコンテンツが存在した。



 言うまでもない、恋愛だ。



 どうやら、感情の昂ぶるケースを比較して、どうして好きな相手とそうではない相手で反応が変わるのか、そこのところに興味を持ってしまったらしい。



 しかし、自分の理由を俺に尋ねたところで、問題が解決するワケもなく。



 その疑問が、いつしか劣等感と結びつき、結果的に彼女は精神を酷く病んでしまったのだった。



 ホント、人付き合いってクソだわ。



「……え〜、今回の記事は一際狂ってるね」



 そんなわけで、出版社。別荘にセスナを止めてからバイクで走って、東京まで2時間。疲れているが、とっとと終わらせたい。



「考える時間だけはありますから」


「まぁ、だからムー之助にはカルト的な人気があるんだろうけど」


「偶然、言語化する能力があっただけです。きっと、みんな同じようなことを考えてますよ」


「そんなことあるかな。少なくとも、僕は『触手の生殖機能はそれを欲したメスがいるからで、手の数だけ性器や乳房がある生き物がいる』だなんて発想は無かった」


「別に、女騎士を犯すクリーチャーのつがいがいるってだけの話じゃないですか」


「まぁ、そうだけどさ。何? このモデリングは」


「かわいいですよね、自分でもよく描けてると思います」


「う〜ん、やり過ぎかなぁ」

 


 クトゥルフを少し転換した、極めて普通のクリーチャーだ。編集さんの説明の通り、触手を受け入れる体と、子供を含めた家族を描いただけ。



 それらが、人を犯す理由とメカニズム。無理やり産まされる、人とのハーフの子供。その子供が、生態系に及ぼす影響。末路。



 エトセトラ。



「おぇ……っ。キツイな、これ」



 そんな感じの出来事を綴った記事。これを、三ヶ月間で連載していく。



「ボツですか?」


「いや、これでいいかな。スケブと原稿も、いつも通り勝手に弄るから」



 編集さんは、俺の思考と表現を商品レベルに修正してくれる。



 と言っても、差別用語に引っかかる言葉だったり、日本では発禁になるエログロな箇所を弄るだけで、中身はそのまま。



 その代わり、俺のイラスト料と原稿料は編集さんと折半だ。本当に折半なのか、真実は知らないけど。



「お願いします。それでは、また三ヶ月後に」


「ウチの雑誌が続いてればね」



 編集さんと別れたあとは、東京を巡って必要なモノを買いまわった。15時間のフライトから一睡もせず打ち合わせをして、既に二日目の夕方。



 体力は、割と限界に近い。



『ムー、まだ?』


「まだ」



 実を言うと、編集さんとの打ち合わせ中もさかなちゃんはずっと俺にテレパシーを送り続けていた。気の長い俺でも、割と怒りそうになってくる。



 そんな感じで、翌日の用事を終わらせた俺は、一眠りしたあとにようやく島へ戻ったのだった。



「ただいま」


「……ふん」


「なんだよ」


「ムーは、私を無視した」


「あっそ」



 クソダルいので、放っておいて眠ることにした。



 まぁ、結論から言うと、このシカトこそがさかなちゃんのメンタルを完全に破壊してしまったワケだ。我ながら、早計な態度だったと思う。



 × × ×



 三日後、起きるとさかなちゃんはゼロ距離で俺の顔を見ていた。



 帰ってから口を聞かなかったのに、どうやら心境に変化があったらしい。



「なんだよ」


「記事をメールで送れるようにしたのに、ムーは東京に行った」



 開口一番、問い詰め。



 もしかして、夢の中に彼女が出てきたのは、テレパシーを送っていたからなのだろうか。



「繋がるってバレると、色んなところから嫌な連絡が来るんだよ」



 昔の知り合いとか、保険会社とか、不動産投資信託とかな。



「行かなくて済むハズだったのに」


「いいじゃんか。そっちだって、それでラブコメを楽しんでるんだから」



 その時、気が付いた。体が動かない事に。



「おい、さかなちゃん。何してんだ?」


「ラブコメで、女からアプローチすることも普通だと学んだ」



 いや、フィクションだから。



「じゃなくて。つーか、なんで裸なんだ?」


「そして、今の私に最も合致するパターンを理解した。これは、そのやり方」



 ……まぁ、さかなちゃんが何を読んだのか、何となく分かってきた。



 これ、あれだな。



 普通に考えれば、不気味がられて距離取られて、フツーに逮捕されるヤツ。まるで、その世界に主人公とヒロインの二人しかいないみたいに、都合のいい事が起きるヤツ。



 俺が一番、恋愛模様として理解出来ないヤツだ。



「一つ、確認しておきたいんだけど」


「なに?」


「それは、俺の為か? それとも、あんたの為か?」



 一瞬の間、そして。



「あなたの為だと言ったら、きっと嘘になる」


「あっそ、それじゃいいよ」


「……え?」



 さかなちゃんは、跨って俺を抑えて、そのままの姿で固まった。



「いいよ、さかなちゃんが自分の為だって分かってんなら、俺はそれでいい」



 俺の一番嫌いな言葉は、偽善。一番好きな言葉は、独善だ。



 究極的な話、俺は責任さえ取れるなら、人殺しすら許容されるべきだと思っている。己が幸せになる為に、人非人になる必要があるのなら、俺はそれでもいいと思っている。



「だから、俺を犯すなら、その責任を自分で取るんだ」


「なら、ムーは私を好きにさせた責任を取るべき」



 ……なるほど。



「いいよ。じゃあ、サイコキネシスを解きなよ」



 すると、さかなちゃんは一瞬だけ目を逸して、ゆっくりと拘束を解いた。



 だかや、俺は顔を洗って、歯を磨いて、水を一杯飲んで。掃除はせず、餌やりと水やりだけを終わらせて、部屋に戻った。



 そして、酒を一杯。ようやく、俺はさかなちゃんの前に座った。



「未来予知、してごらん」


「どうして?」


「いいから」



 念じた瞬間、彼女は涙と鼻血を一筋流して、ガクガクと震えだした。



 感覚も、ある程度伴うのかもしれない。顔を横に振ると、俺を見ながら色のついた吐息を吐いている。



「今から、そうなるよ」


「え、あの、いや」


「俺は、やるよ。さかなちゃん、死なないでね」


「ちょっと、待って」


「でも、どうなるか分かったんだから、我慢できるよね」


「ご、ごめんなさい。そんなにされたら……」


「俺、あんたの事、結構好きなんだ。だから、頼むよ」


「ま――」



 そして、俺は彼女の首に手を掛けた。



 一つ、教えておこう。



 ヤンデレの物語で最も得をしているのは、いつだって惚れた側なのだ。



 ありえないのは、惚れる方じゃない。相手に答えてくれる、優しい主人公の方だよ。



 × × ×



「さかなちゃん、大丈夫?」



 ――フルフル。



「怖かった?」



 ――コクリ。



「気持ちよかった?」



 ――……コクリ。



「そっか、でも生きててよかったね」



 ――コクリ。



「動ける?」



 ――フルフル。



「俺のこと、分かってくれた?」



 ――フルフル。



「そう、なら良かった」



 × × ×



 どうやら、さかなちゃんは俺が彼女を好きなほど、俺のことを好きでいたワケではないらしい。



 そして、さかなちゃんが震えているということは、即ち星底人が死へ向ける恐れよりも、俺の想いが深い事と同義なのだろう。



 まぁ、そりゃそうか。



 だから、俺は俺を隔離したんだから。



「……少し、いい?」


「なんだ」



 彼女が復活したのは、一週間後の事だった。あまりの快楽と恐怖に震え、肌が前より白くなっている。



「あなたは、私が離れたがってると考えている」


「まぁ、そうだな」



 これまで通りの事だ。自分が正常じゃないと知っている以上、引き留めることもしない。



 ウィードを、飲むように深く吸い込んだ。



 この体にも、よく効くように。



「それは、違う」



 言うと、さかなちゃんは椅子に座った。



「帰れないからか?」


「それも違う、帰る方法は見つけている」


「なら、どうして?」


「醜いあなたが、好きだから」



 ……言葉を失うというのは、まさにこういうことを言うんだと思った。



 やっぱり、彼女も変態だな。



「ただ、妥協点はあると思う。あんなことをされたら、今度こそ私は死んでしまう」



 言って、また鼻血を出したが、すぐに拭いて頭を振った。



「無理だ、壊れてる」


「地上人には無理でも、私ならなんとかしてあげられる」


「……なんとか?」


「そう、見つけたの。



 そして、さかなちゃんは俺の手に触れて、無表情の顔を向けた。



「なんだよ」


「私が、母にしていた事はなに?」



 彼女らしくない、あまりにも遠回しな言い方だ。



「治療か」


「そう。あなたの病も、治してあげる」



 果たして、それは俺にとって幸せなことなのだろうか。これ以上、他人との関わりを作らずに、この島でひっそりと死んでいくのが俺のためなんじゃないか。



 そんな事を、思ったが。



「私が、ムーと同じくらい、ムーを好きになる為の治療。決して、あなたの為じゃない。だから、ムーは断れない。そうでしょ?」



 彼女の、独善と詭弁を正当化するロジック。



 少なくとも、俺に覆す術は見つからなかった。



 ……この時、俺は死を恐れるようになった。

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【中編】南の島でスローライフしてたらマーメイド拾った 夏目くちびる @kuchiviru

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