【中編】南の島でスローライフしてたらマーメイド拾った

夏目くちびる

第1話

 世界が終わるんじゃないかってくらいの、激しい嵐の翌日の事だった。



 俺が砂浜の上で、衰弱しきった裸の女を見つけたのは。



「ん……ぅ」



 その女は、目と肌が薄青く、髪が真っ白で。おまけに、手や背中にヒレがついていた。



「マジかよ」



 信じられない事だが、目の前に居るのだから受け入れるしかない。



 彼女は、半魚人だ。



 × × ×



 数年前、適当に買っておいたよく分からん株とよく分からん仮想通貨がITバブルの影響で高騰し、俺は一生を遊んで暮らしても有り余る程の金を手に入れた。



 一晩にして、資産家へ成り上がったのだ。



 だから、俺は働いていた会社を辞めて南の無人島を購入し、そこへログハウスを建てて移住した。



 元々、人が嫌いで社会から孤立していたし、両親もとっくの昔に死んでしまっているから、誰を気にする必要もなかった。



 それに、自分で言うのも何だけど、俺は少し頭がおかしいからな。



 今では、牧場を作って畑を耕して、自給自足の生活しているため、本土へ行く事も少ない。



 趣味が高じて、三ヶ月に一度マイナー雑誌に記事を書いているから、その原稿を提出しに行くついでに東京を散歩する程度。



 この島には電波が届かないから、メールやファックスで送る事も出来ないのだ。



 ……まぁ、それはそれとして。



「問題はこいつだよ」



 何度見ても、信じられない。まさか、半魚人がこの世界に存在していたなんて。



 伝説は、本物だったのだ。



「しかも、結構美人」



 女の半魚人は、『マーメイド』と呼ぶ。ラテン語で、『マー』が海。『メイド』が乙女だからだ。



 男の場合は、『マーマン』ね。



 因みに、勘違いされがちだけど下半身が魚なのは人魚だ。多分、あの赤い髪のプリンセスのせいだとは思うけど。



「さておき」



 彼女の特徴から言って、半魚人というよりは『水棲人』と呼ぶ方が正しい気がする。



 実際の伝説より、かなり地上人に寄り過ぎている。俺たちの体に、水中で生活する為の器官が加わった、という感じだ。



 恐らく、魚類からの進化ではなく、人間が再び海へ還ったからこその姿なのだろう。最初から海に生息しているなら、こうはならないだろうし。



「ふむ」



 一先ず治療を施してから、風呂に海水を張って彼女の体を調べる事にした。



 先述の通り、大きなヒレが付いていて、ついでに長細い尻尾まである。ヒレは、青色の透明でかなりキレイだ。こんな素材、地上では見たことがない。



 長い髪を分けると、首元には隠すように二つのエラがある。水中での呼吸は、魔法的な何かによって行われているワケではないようだ。



 身長は、168センチ。体重、55キロ。体温は28.7度。推定年齢、26-30歳。結構、若そうだ。



 目は、魚特有のどんぐり眼、とは言い難い。



 黒い瞳はかなり大きいが、それでも人の形か。いや、猫に近い。瞳孔は、暗闇に適応して能動的に開閉出来るみたいだ。ライトに反応がある。



 更に、眼球を透明な粘膜が覆っている。海中で目を開いていても、ダメージを受けることは無いだろう。



 鼻は、細く小さい。これは、異物のシャットアウトに適しているのか。それとも、嗅覚の衰退を表しているのだろうか。ならば、反対に発達している器官がありそうなモノだが。



 視覚か?いや、魚という特性上その可能性は低い。耳も、尖ってはいるモノの、特筆出来るような聴覚を得られる程、大きなサイズにはなっていない。



 まぁ、いい。



 口は結構小さく、唇も薄い。これ、あれだな。イケメンや美女を絵に書く時、必然的に線が少なくなるあれ。余計なモノがないから、これだけ綺麗に見えるんだと思う。



 歯は、ギザギザしていないのか。眠っているとはいえ、顎も弱い。俺の力でも、あっさり開閉することが出来た。



 意外だ。何かを丸呑みしている様子でもないし、食べないにしては肉の付き方がいい。



 もしかすると、海底にも料理の文化があるのかもしれないな。



「へぇ」



 胸囲は、85センチと大きい。水の抵抗を考えれば、どう考えても邪魔になるハズだが。腰は60センチ、尻は78センチとむしろ細い方だ。



 胸に、何か別の役割があるのだろうか。



 体表。よく見ると、肌の上にもう一つ膜がある。触ると滑らかだが、摘んでも破れず、かなりの耐久性がある。



 コーティング材の役割を持つらしく、シャンプーを垂らすと塊のままツーっと滑って落ちた。



 なるほど、これで塩素や毒素によるダメージを防いでいるのか。



 ルーペで見ると、肌には毛穴よりも更に小さいミクロサイズの穴が開いている。ここから、高濃度の液体を分泌しているようだ。



「これは、凄いぞ」



 つまり、体内に血管以外の管が通っていて、体液を届かせる為に心臓も進化しているということだ。



 ならば、体内は一体どうなっている?心臓が二つあるのか?それとも、脚に原因があるのか?それなのに、こんなに体温が低いのはどういうことだ?



 肺はどうだ?乳首の存在や女性器の形から、哺乳類だとは思うが。それならば、肺が衰退してはロクな活動が出来ないだろうし、エラがあるのも不思議だ。



 しかし、呼吸器系は正常。これは、しっかりと酸素を取り込んでいる証拠に他ならない。なぜだ?取り込んだ空気は、一体どこへ流れているんだ?



 それに、感触が全体的に冷たいのに柔らかい。太っているということではなく、むしろ細身だが、筋肉や肌、体毛が尋常じゃなく柔軟なのだ。



 一流の水泳選手の筋肉は、とてもしなやかだと聞く。この柔らかさは、その究極系だと考えていいのだろうか。



 ……面白い。こいつは、面白いぞ。



 そう思った俺は、すぐにカメラで彼女を撮影し、更にスケッチブックへ写生を施していく。イラストは、写真と違って触った感想をそのまま残せるから便利だ。



 体の各パーツを描いて、感触や可動域の情報を残していく。こうしてデータを残すほど、俺の作品が充実していくことになる。



 何を隠そう、俺の記事を掲載している雑誌は、オカルト読本だからだ。



 こんなにおいしいネタ、他にはない。



 つーか、おっぱいの感触がエゲつない。柔らかさが、明らかに人間のそれではない。本当に、何が入っているのだろう。



「……○○○」


「気がついたか」



 水棲人の彼女は、俺の顔を見て驚いたような顔を見せたが、すぐに正気を取り戻した。



「○○○○、○○○」


「悪いけど、そっちの言葉は分からない」


「そう。地上人は知能が低いって話、本当だったの」



 ……驚いた。



「言葉、分かるのか?」


「あなたたちの言葉は、全て知ってる。これは、日本語」



 彼女は、まるで感情のない冷たい口調で、小さく呟くように言った。風呂場と窓の外を少し見ただけで、自分の状況を理解したらしい。



「その通りだけど」


「あなたたちが捨てたモノが、最後に辿り着く星の底。私たちは、そこに住んでいる。知りたいことは、これで分かった?」



 まるで、俺の思考を読んでいるみたいに全ての答えを内包した、至極合理的な言葉だった。



 地上の知識や歴史は、漂流物で理解している。海底人は、彼女以外にもたくさんいる。つまり、こういう事だろう。



「しかし、ちっとも驚かないんだな」


「驚いている。星底ほしぞこ由来の生物が地上に流れてきてしまうだなんて、この1万2000年間で一度も無かったことだから」


「おまけに、あんたはその張本人だしな」


「そう」



 俺も、海底ではなく星底と呼んだ方がいいだろうか。



「……いや、それよりも。今、1万2000年前って言ったか?」


「言った」


「あんた、もしかしてアトランティスの末裔なのか?」


「それは、地上人が後世で付けた名前。けど、きっとあなたの知ってる大陸は、私の住んでいる場所と同じ」



 正直言って、とんでもないテンポでガンガン伝説か証明されていくこのスピードに、俺はついていけていなかった。



 というか、ワクワクし過ぎて目眩がしてきた。



「ところで、いつまで乳房を触っているの?」


「……すいません」



 目眩がしてるのは、気持ちいいからでした。



 俺は変態です。



「別にいいけど。凄く、変な気分になってくる」



 いいんだ。



「なんていうか、恥じらいとかないんだな」


「私からすれば、裸体や感触に興奮するあなたたちの感情が分からない」


「というと?」


「乳房は、水肌みなはだの分泌液を格納しているだけの器官だから」


「水肌?」


「皮膚の外側にある、この膜のこと。女は、乳房に水肌を溜めてる」


「はぇ〜、じゃあ母乳は?」


「出るけど、微量。だから、新たに生まれた星底人せいていじんの子育ては、全てイルカに任せている。あの子たちは、星底人の乳母うば



 なんか素敵。



「じゃあ、男にもおっぱいが?」


「男はとても体格がいいから、乳房はいらない。体内に格納する器官がある」


「なるほど。しかし、ずいぶんあっさりと秘密を明かすんだな」


「あなた一人が真実を語ったって、どうせ誰も信じないから」



 ……まぁ、間違いないし、俺も世間に彼女を真実だと言って語る気はない。



 写真を見せても、きっと作り物だと言われてしまうに違いないだろう。



 だって、俺は絶海の孤島に住むオカルト読本のインチキ作家だ。俺が編集なら、「こいつ、寂しすぎてとうとう狂ったか」って思うよ。



「それに、私はここに住む事になる。秘密はストレス」


「ここに住むのか?」


「うん、いいでしょ?」



 どうやら、アトランティスは泳いで帰れる場所ではないらしい。『海よりも更に深い場所』、と考えておいた方がいいかもな。



「まぁ、構わないよ。あんた、名前は?」


「○○○○○・○○・○○○○・○○○○○○・○○○○○○・○○○・○○○○○――」


「待て待て、長すぎないか?」


「王族だから」


「あんた、お姫様なの?」


「そう」



 別に、王族だと知ったからって「へぇ、凄いですね」くらいしか思う事もない。



 むしろ、たくさん謎を知ってそうでラッキーだ。本人も、偉ぶった態度じゃないしな。



「ただ、言葉が難しすぎる。えっと、待ってな。らふてゅら・せい・ふにーれ・くれいらいん……」


「なら、あなたがニックネームを決めればいい」


「え、いいの?」


「いい」



 どうやら、沈んだ大陸の伝説の通りとんでもなく高度な知能を持ってるらしいが。



 その反面、合理に偏り過ぎて冷たい反応が目立つ。それも、決して不快になる反応じゃなくて、まるでロボットみたいなモノだ。



 現代の星底の文明は、一体どうなっているんだろう。



 頭が良すぎるのも、問題だな。



「じゃあ、さかなちゃんで」


「分かった。あなたは? チャーチワード・ムー之介のすけでいいの?」



 さかなちゃんは、スケブの表紙を指さして言った。俺のペンネームだ。



「ムー之介とか、ムンちゃんとか。知り合いには、そう呼ばれてる」


「分かった、あなたの事は『ムー』と呼ぶ。私にとっても、なじみ深い」


「だろうな」



 という事で、俺はさかなちゃんと同棲する事になった。



 まぁ、一人増えたところで食料不足に陥る様な事は無いし、大丈夫だろう。



「それじゃ、日課をこなすから。さかなちゃん、手伝って」


「わかった」



 そして、さかなちゃんは裸のままで外へ出て行こうとした。



「ちょっと待て、服を着てくれ」


「水肌が張り付くからイヤ」


「イヤでも頼む、たまにお隣さんが来るから」


「不合理」


「じゃあ、水着でいいから」



 そういうわけで、一先ず企業の陰謀論を証明する資料用に買ってあった、女性用の薄水色のビキニを着させた。



 偶然、サイズはちょうどいい。



「海底の男たちが、地上人と同じように欲情してくれれば、私たちの繁殖はもっと楽だったと思う」


「なるほど、常に裸の世界だとそういう弊害が起こるのか」



 理性と知能に加えて、慣れが彼女たちの生殖活動を阻害しているようだ。ただ、数を増やし過ぎないのも、ひっそりと暮らしていく秘訣だとは思う。



「だから、星底人は男も女も精器がとても小さくて敏感。性欲の有無に関わらず、すぐに性行為を終わらせることが出来る」


「なんか、寂しいな。食欲や睡眠欲は?」


「食事は、カプセルとクッキー。睡眠は、ダイオウクラゲの中で。疲労を食べてくれるから、二時間で目を覚ます」


「ダイオウクラゲ?」


「星底のクラゲ、とても大きい」


「へぇ」



 本当に、全ての生活を簡略化しているようだ。



「そんなに時間を節約して、子育てまでイルカに任せて。普段は何をしてるんだ? そんなに忙しいのか?」


「星の生命活動の維持をしている。地上人が壊すから、星底人が直すの」



 俺の想像の、何兆倍もスケールが大きい仕事だった。



「……地上を代表して、礼を言うよ」


「構わない」



 憎しみとか、そういうのも無いらしい。



 ただ、俺たちの言葉を覚えるくらいだし、流れてくる地上の文化が娯楽みたいなモノなのだろうか。



「星底人は、地球を信仰してるのか?」


「少し違う、母を大切にしているだけ」



 なるほど、それが星底の生き方なのか。超絶的なマザコンだな。



 ……まぁ、それを宗教って言うんだと思うけど。



「ただ、今はそれを考えても仕方ない。俺たちの命の為に、仕事をしよう」


「うん」


「帽子、いる?」


「必要、日差しは目の毒」



 という事で、麦わら帽子を貸して、家の外へ出た。



 この島は、徒歩30分程度で一周出来てしまう小さな島だ。気候は常に暖かく、植物を育てる環境として良好。近くには回遊魚の群れが訪れる為、釣りも結構楽しめる。



「日課ってなに?」



 ビキニの肩紐を引っ張りながら、さかなちゃんが訊く。



「家畜の世話と、畑の水やり。後は、昨日の嵐で生け簀が壊れてるかもしれないから、それを見に行く」


「なぜ、そんなに面倒な事を?」


「んまい飯が食べられるから」


「理解出来ない」



 飼っている家畜は、牛が6頭、羊が6頭、鶏が10羽に、ウサギがたくさん。



「全て食用?」


「乳を取る分もあるけど。まぁ、概ねそんな感じ。新しいのが生まれたら、産ませる分とその年に食べる分以外は本土の牧場に売っぱらう」


「母乳を取るの?」


「そう。チーズとかクリームとか、色々と作れるから」


「鶏は? 既に、大人に見える。大人の肉は、固い」


「あれは、卵を食べるんだ」


「そう」



 彼女は、かなり知的好奇心が強い。知識として持ってるモノと、実際の生活の違いを感じているのかもしれない。



 そんな質問に答えながら家畜の世話をしていると、さかなちゃんは牛の乳を揉んで遊び始めた。巨乳が好きなのだろうか。



「名前、付けんなよ。絶対に食えなくなるから」


「うん」


「おっぱい、気になるのか?」


「うん、とても大きい」



 やっぱり、マザコンだ。



「イルカの乳は、どんな味なんだ?」


「覚えていない。2歳からは、カプセルでの栄養補給が始まる」


「じゃあ、後で代わりに牛乳でも飲みなよ。んまいぜ」



 それから、3時間ほど掛けて家畜の世話を終わらせて、今度は野菜の世話。丁寧に水をやって、肥料を撒いて、虫の除去を一つ一つ。



「なんだか、カラフル」


「育ててるのは、所謂タイ野菜を品種改良したモンだ。玉ねぎ、トマト、きゅうり、ピーマン、タロイモ、パパイヤ、唐辛子。後は、色んなハーブに、バナナとかマンゴーとかココナツとか」


「おいしい?」


「相当んまい。それに、ここにない肉や野菜は、隣の島のヤツと物々交換したりもするんだ。と言っても、3000キロ以上離れたお隣さんだけど」


「そう」


「農業、楽しいか?」


「興味深いけど、意味は分からない」



 1時間ほど仕事して、最後に生け簀の修理。半壊して、捕まえていた魚が逃げてしまっている。これは、かなり残念だ。



「ガッカリだよ、チクショウ」


「何がいたの?」


「名前は分からんが、この辺によく来る赤い魚がんまくてな。育てようと思って、生け簀を作ったんだ」


「魚、味がある?」


「そりゃあるよ。星底の魚は、味がないのか?」


「ない。星藻せいそうとミックスして、栄養を凝縮してからカプセルにする」


「なるほど」


「身が崩れやすくて、手間がかからない」


「不味そうだな」



 せっせこ破片を集めて釘を打っていると、水中に沈んだ資材を抱えたさかなちゃんが、音もなく隣にやってきた。 



 流石、マーメイド。泳ぎは歩くことより得意らしい。



「ムーは、さっき私に時間を簡略化する理由を訊いた」


「うん」


「あなたは、自ら目的を生み出して、勝手に苦労しているように見える。なぜ?」


「日本人は、生まれながらの使命とか持ってるヤツの方が少ないからな。生き甲斐を見つけて、それで死ぬまで時間を潰すんだ」



 どうにも、納得出来ないといった様子だ。まぁ、生物的にも哲学的にも、死んでもいい存在だしな。俺って。



「でも、ムーにはお金がある、家もある。ならば、子供を作るべきだと聞いてる」


「本来はな。でも、俺は生まれながらに種無しなんだよ」


「種無し?」


「子供が作れないんだ、そういう病気」


「だから、一人に?」


「理由の一端ではある」



 そして、さかなちゃんは黙った。



 きっと、日本語では言語化出来ない何かを思いついたんだろう。指で海に文字を書いて、俺に読ませようとしている。



「わかんねぇよ」


「地上人は、不便」



 ……修理が終わったのは、ちょうど正午。さかなちゃんを見つけたとはいえ、随分と長い時間が掛かった。



「……どうした?」


「動けない」



 どうやら、体内のカロリーを全て消費して、運動能力が無くなってしまったらしい。パタリと砂の上に倒れて、モゾモゾしている。



「カプセルで食事を済ませるからそうなるんだよ」


「水中ならば、こんな事はない。あと、4時間は活動出来た」


「あぁ、なるほど」



 言いながら、彼女を背負って家へ。心做しか、今朝よりも軽くなっている気がする。結構、命を削って働いていたのだろうか。



 文句なんて、言わないらしい。死ぬまで働くって、頭がいいのか悪いのか分からん。



「ほら、牛乳」



 部屋について、俺は料理をしながらさかなちゃんにコップを出した。



「キレイな色をしてる」


「手間かけて、キレイな色にしてるからな」



 匂いをかいで、一口。



 瞬間、さかなちゃんは髪の毛をふわっと逆立てて、気怠げな目を開いた。



「おいしいって、初めて感じた」


「そりゃよかった。でも、飲みすぎると腹壊すから、徐々に慣らしていきな」



 そんなこんなで、料理が出来た。



 今日のメニューは、仔牛の香草包み焼き(エスニック風)と山羊ミルクのシチュー、バターロール。そして、度数の強いバナナ酒。



 もちろん、酒は俺だけ。



「いただきます」


「どうぞ」



 さかなちゃんは、一口食べる毎に俺を見て、すぐに皿へ目線を落とすのを繰り返した。どうやら、かなり気に入ったらしい。



「このお肉、柔らかくて溶ける」


「結構、丁寧に処理してるからな」


「パンも美味しい」


「外の釜で焼いてるんだ」


「シチューは神」


「星底人も、神とか言うんだ」


「そういう表現があると、本で読んだ」



 なるほど。



「それで、どうして俺が勝手に苦労してるか分かったか?」


「うん」



 その言葉が聞けただけで、俺は満足だ。



「でも、やっぱり贅沢すると星底の連中に悪いって思うか?」


「思う。けど、起きてしまったことは仕方ないし、きっと私は死んだことになっている。王族の不在は、すぐに民へ伝えなければいけない」


「行方不明扱いじゃないのか?」


「星底がひっくり返る程の嵐だった。星底人は、希望的観測で物事を語らない」



 一人で生きてる俺が言うのも何だけど、寂しいな。



「じゃあ、なんでさかなちゃんは生きてられたんだ?」


「シャチに助けてもらった。体内に隠れて、海底まで連れてきて貰ったの」


「へぇ、シャチってやっぱ賢いんだな」


「あの子も、生きるのに必死だった。私の感覚がなければ、共倒れ」


「感覚?」


「星底人は、地上人で言う超感覚を持っている。脳の使用率が、40%を超えているの」



 アインシュタインは、人間は脳の潜在能力を10%しか使っていないと言い残している。



 もしも本当なら、40%というのは凄まじい数字だ。さかなちゃんには、一体何が見えているのだろうか。



「とりあえず、聞きたいことは二つ」


「なに?」


「そのシャチに、星底へ連れてってもらえるんじゃないか?」


「出来ない。星底への道の座標は巧妙に隠してあって、王族にも分からない。それに、あの子は群れに加わった」



 それは、残念だ。



「じゃあ、次。超感覚って、どんな能力が使えるんだ?」


「未来予知、テレパシー、透視、サイコキネシス。この4つ。精度も、正確」


「すげぇな、何でもありじゃん」


「だから、私たちの先祖は人間の形を変えて、アトランティスを星の底へ隠した」


「あのさぁ、急にシリアスでワクワクする話するのやめてくれない?」


「……?」



 どうやら、自分たちの存在が人類の癌になると考えた当時の賢者たちは、その科学力を駆使してアトランティスを沈めたらしい。



 そして、生き残る為に擬似的な進化を肉体へ施し、ゆっくりと子孫へ定着させていったんだとか。



 しかし、進化を強制した結果、心に強い負荷がかかった。そのため、感情の起伏は著しく低下し、使命以外に興味を持つ事が出来なくなってしまった。



 星底人の合理性は、その極地。地上の文化を知るのは、星の寿命を逆算する為だそうだ。



「やっぱり、流れに逆らうのはよくないんだな」


「更にもう一つ、デメリットがある」


「あぁ、敏感だって言ってたな。それも、超感覚のせいか」


「そう。さっき背負われてる時も、お尻を触られて少しイッてた」


「お前、ほんとバカだな。バカ」


「気持ち良すぎて、デメリット」



 とんだ淫乱だった。



 しかし、淡々と話すから、気にしてる俺がバカみたいだ。



「そんなんじゃお前、星底でだって生活しにくいだろ。普段、どうしてたんだよ」


「水肌で摩擦がないし、温度も低いから。触れ合っても、感触はない」


「……追求し過ぎて、逆に不合理になってないか?」 



 しかし、さかなちゃんはあっけらかんとした表情で続ける。



「でも、快楽の中で全ての欲望を制する事は、きっと不可能に近い。物理的に禁じられていないなら、何らかの方法で少しずつ発散していく必要がある」


「と、いうと?」


「牛乳とシチューのおかわりを所望する」


「はいよ」



 こうして見ていると、デカい娘が出来たみたいだ。人付き合いは嫌いだが、さかなちゃんとの会話にはストレスがないから楽でいい。



 常識の違いには、驚かされるけど。

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