「告白」エピソード集

@Menuet

第1話【別れ】表


「今までありがとうございました」


そう言って頭を下げた。パラパラと軽い拍手の音が鳴る。笑い声も涙もない、形だけの会の終わり。

なんてことはない。

10年と少しのこの街での暮らしが今日で終わるだけのことだ。

悲しいどころか清々しさまで覚える。


果たしてこの街で、自分は何をしてきたのだろうか?

勉強ができること、先生の言いつけを守ること、そんなことは人間関係の何の助けにもなりやしない。

毎朝椅子の上の画鋲を取り除いて座り、休み時間は図書室の隅に篭った。

頼みの綱の教師も話し合いをさせるだけだ。

そんなものであの状況は変わらない。

仲良くしてくれる人が少数とはいえいたことは不幸中の幸いだっただろう。


それに…彼女がいた。

クラスは離れていたから直接話すことは少なかったけれど、夕日の差し込む教室にさりげなく置かれた手紙がどれだけ自分を救ったことか。


「遠山くん、君の声が聞こえて来る度に、なんだか嬉しい気持ちになるの。

私も頑張らなくちゃ!って思えるの。

だから遠山くん、辛いことがあったら私のことを思い出して。

あなたのことを見ている人がいる、あなたに励まされてる人がここにいるよって。」


1日の最後の一踏ん張りとばかりに強烈な光を放つ夕暮れの太陽に照らされた

封筒の微かな重みと温かさ、そして蓮の花のような甘い香りは、彼女に抱擁されているような安心感を与えてくれた。


しかし…彼女と自分の関係を進めよう、という気にはどうしてもなれなかった。

彼女からの好意は自覚していたし、自分にとって彼女は特別な存在だったと思う。

それでも、どうしても一線を越えることはできない。

人の秘めている悪意を、人を信じることの怖さを知った今、

自分が彼女を愛せるのか、彼女がこれからも自分を愛してくれるのか

信じきることは…できなかった。



いつの日か、彼女が自分を見てくれなくなってしまったら?


自分以外の誰かを見てしまったら?



想像するだけでもおぞましい。

なんて独りよがりな…


それでも、彼女を失えば…自分を一番見てくれる彼女を失うということは…

それは本当に自分が一人になってしまう瞬間だ。

彼女すら僕を見なくなった時、どうしてただの友達を信用できようか?

できるはずがない



早く帰ろう。彼女に会うわけにはいかない。

足早に昇降口へと向かった。

昇降口からは強い西日が差し込んでいて、一瞬目を瞑ったその時


「ねえ!」


時間が止まったようだった。

悪事がバレた子供のようにゆっくりと振り返る。

そこにいたのは…彼女ではなかった。

良かった…胸を撫で下ろす

いつもちょっかいをかけてきた神崎花音。

場所などお構いなしに絡んでくるうえに、ろくなことをされた試しがない。

お世辞でも好きな相手ではなかった。


「ねぇ…遠山…クン…」


なんだろう、いつもの殊勝な様子が嘘のように大人しい


「なに? 神崎さん」


正直言って神崎が何がしたいのかさっぱりわからない

早く帰ってしまいたいのに…


とりあえずここはさっさと話を切り上げよう


「あの…その…」


なおも口籠る神崎。


「何かからかい忘れたことでもあったの?」


からかうことを先に言い当てられて、それでもからかおうなんてやつはいないだろう。

これで神崎は何も言えなくなるはずだ。

全く…最後の最後まで面倒な…


「あのっ!」

!?

突然の大声

絡みはめんどくさい奴だが大声を出すのを見たのは初めてだ。

流石に少し面食らう


「な、なんだよ」

「こっ、これっ」


普段なら受け取ることはなかっただろう

しかし、神崎のこの様子…何かあるのかもしれない


「ん」


手を伸ばし紙片に触れる

と同時に指先が触れ合う。


ビクッ!


ものすごい勢いで神崎が腕を引っ込める

弾かれた紙片が宙を舞った。

生き物のように動くそれは、ギリギリのところで指に引っかかった。


「ちょっ、丁寧に渡せよ」

「うるさい…ばか」


いやいや今のは神崎が悪いだろう。どう考えても馬鹿なんて言われる謂れはない。

口を開こうとしたその時


「早く…中見てよ…」


か細い声…


不本意だが今は時間が惜しい

渋々紙を開く。


「遠山君、ママの携帯の番号は090-○○△△-××××です。

電話ください」


可愛らしい丸文字でそう書かれていた。

思えば神崎の字を見たこと、なかったな…


「神崎、これは…?」

「ママの…連絡先だから…連絡して…」


ど、どういうことだ?

あの神崎が連絡先を渡してくるなんて


「わ、わかった」

「待ってる…から…じゃあね!」


踵を返しパタパタと走り去っていく神崎

ふわり…と鼻腔を柑橘系の香りがかすめた。

ああ…いつだって先頭切って走っていく君そのものの香り…


‼︎

我にかえる

こ、この状況は…そのまさかなのだろうか

いや、そのまさかだとしても自分は神崎を受け入れることはできない。

この街とのつながりを残すつもりは、自分にはないのだから…

さて、自分もそろそろ退散しよう

足早に昇降口へと向かった。

この胸の動悸は好意?緊張?それとも罪悪感?


涙が溢れた


なぜ今なんだろう

見てくれていたのか

私が思うより…多くの人が…きっと…

他人ひとは自分の思うよりも他人ひとに関心を向け、思うよりも関心を向けていない

それならば…教えて欲しかった

そうすれば私はこんな…


紙片をぎゅっと抱きしめた。

紙片にはまだ、神崎のかすかな香りと温もりが残っている。

だが、私の前に神崎はいない。

歩いていくしかないのだ、君とは違う『前』へ…


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